ここは、おしまいの地 暮らし
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何もない“おしまいの地”に生まれた著者・こだまの、“ちょっと変わった”人生のかけらを集めた自伝的エッセイ集「おしまいの地」シリーズ。『ここは、おしまいの地』『いまだ、おしまいの地』に続く三部作の完結編『ずっと、おしまいの地』が、2022年8月23日に発売されました!
最新刊発売を記念して、「おしまいの地」シリーズ第1作目となる『ここは、おしまいの地』から珠玉のエピソード6作品を特別に公開します。
今回は、夫について。

夫が傘を失くした。

同僚と飲みに出かけ、居酒屋に置き忘れたのだ。特徴のある傘だから盗まれることはないだろう。そう油断して数時間後に取りに戻ったら、どこにも見当たらなかったという。

深緑色をした厚手の布。頑丈な木製の持ち手。大人ふたりが入っても濡れない大きな傘だった。

私は胸にぽっかり穴が空いたように放心した。あの傘は夫と交際を始めた大学一年のころから彼が愛用していたものだった。20年以上も私たちの視界の隅に在り続けた特別な傘だったのだ。
 

私たちは、たまたま同じアパートの同じ階に入居する学生同士だった。アパートといっても名ばかりで、下宿のような構造である。コイン式シャワーがあるだけで、風呂は無い。家賃の安さと大学に近いことだけが取り柄の物件だった。

共同の玄関には簡素な木製の靴箱が並び、郵便物が無造作に靴の上に投げ込まれる。漫画なんかでは学校一の人気者のロッカーからラブレターが滑り落ちるが、私たちの足元は宅配ピザや消費者金融のチラシでいっぱいだった。

彼の深緑色の傘は、その薄暗い玄関のアルミの傘立ての中で、植物の茎のようにすっと伸びていた。
 

彼は親から仕送りをもらわず、自分のアルバイト代だけで生活していた。昼と夜は安い学食で食費を抑える。着るものにはおそろしいほどこだわりがない。暑さ寒さを凌げればよし。汚れるまで毎日同じ服を着る。彼に「着回す」という発想はない。ひたすら「着潰す」のだ。

靴も同じである。スニーカーのゴム底が大きく剥がれ、歩くたびに爪先がアヒルのくちばしみたいにパカパカ動いていた。「こんなにぼろぼろになってもまだ履けるんですね」と皮肉まじりに言ったら、「最近の職人の技術ってすごいよな」と目を輝かせて靴底のありがたみについて熱弁してきた。

貧乏だけど、それを恥じている様子はまったく見られない。別にまわりからどう思われようとかまわない人だった。常に他人の顔色を窺い、びくびくしている私とは別の星の生物のようで、それがとても眩しかった。
 

彼はアルバイト代から授業料や生活費を捻出するのが精一杯で、自由に使えるお金はほぼなかった。ふたりで出かけるたびに彼のお金がなくなってしまうのではないか、生活が破綻するのでは、と私は不安になった。

食事はもちろん割り勘。私が支払うこともあったが、毎回奢ると上下関係が生じてしまいそうで気が引けた。できれば対等でいたかった。せめて「ヒモです」と割り切って宣言してくれたなら、こちらも堂々とお金を出せるのだが、彼はそこまで卑屈ではない。

どうにかして会計時の譲り合いを解消できないものか。彼の財布の残金を考えずに出かけられたら、どんなに気持ちが楽だろう。

考えをめぐらせた私は「割り勘なのにどちらも気まずくならず、なおかつ彼がお金を出した気分になるシステム」に行き着いた。それが「共同財布」だ。出かける場所によって「きょうは1500円徴収します」などと言い、「共同財布」にお互い“出資”する。その財布を彼に預ける。ただそれだけなのだが、不思議なことに、割り勘にもかかわらず彼がお金を払っているように見えるのだ。そのうえ会計で変に気を遣い合うこともない。残金はそのまま財布に入れておき、次回に回す。我ながら感嘆した。前金制デート。なかなか合理的である。

家庭教師や飲食店のアルバイトをしてお金に余裕のあった私は、たびたび「寄付」と称して「共同財布」に数千円を足した。彼は「お賽銭」と言って神社に投げ込むように小銭を足す。圧倒的に私の「寄付」のほうが多いけれど、ひとつの財布に入ってしまえば関係ない。ふたりのお金になる。使っているわりにはあまりお金の減らない不思議な財布。これを持っている限り、彼は貧乏ではなかった。

お金のない私たちの向かう先は、だいたい決まっていた。公園だ。ふたりとも鳥や魚が好きなので池があればなお良い。半年ほどで半径50キロ圏内の公園を制覇した。

飛来してきたカモやハクチョウに、コンビニで買い込んで来た食パンをやる。少しでももったいぶると、気の荒いハクチョウにコートの裾を引っ張られた。帰りにラーメンを食べ、アパートの近所にある銭湯で身体を温める。

他人から見れば「何が楽しいんだ」と思われるであろう、年寄りのような地味な日常。そんな生活の傍らに深緑色の傘があった。

改めて現在住んでいる部屋の中を見回してみたけれど、20年以上使い続けている日用品って案外少ない。引っ越しのたびに物を減らし続けてきたせいか、電化製品や衣類はほぼ入れ替わっている。学生時代から使っているのは、せいぜい本棚と扇風機ぐらいだ。傘がこんなに長持ちするなんて知らなかった。

つましい大学時代を経て、その人と結婚し、転勤も転職もした。私が病気で働けなくなったときも、夫が精神科に通っていたときも、私たちが差していたのは深緑色の傘だった。
 

愛用していた傘が盗まれたというのに、当の本人は「新しいのを買わなきゃ」と、けろっとした顔で言った。

「20年使ってたんだよ? 悲しくないの?」

「なんで? ただの傘だろ」

予想もしない反応だった。思いの外あの傘に対して愛着がなかったらしい。

「うちの猫が盗まれるのと一緒だよ」

我が家の猫は15年前、道端で弱っていたところを私が連れ帰ってきた。生後1カ月くらいの、ガリガリに痩せた子猫だった。

「俺は犬派だから猫を盗まれたってかまわないよ」

「ひどい」

「それにあの傘、俺のじゃないんだ。道に落ちてたんだ」

「えっ」

「もともと拾いものだから、また次の人が自由に使えばいいよ」

初耳だった。私は何も知らずに20年ものあいだ他人の傘を勝手に使い続けていたのだ。「私たちの特別な傘が居酒屋の客に盗まれた」と嘆いている自分もまた盗賊の一味だったのである。

私たちは傘も猫も道で拾った。次はいったい何を拾うのだろう。
 

夫によると、私はどんどん冷たい人間になっているらしい。

「むかしはおならやゲップをしても笑ってくれたのに、今はとても汚いもののように一瞥する」と言う。

あなただって変わったでしょう。そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。彼は額が広くなり、白髪も生えてきているけれど、風貌以外は何ひとつ変わっていなかった。本当に、驚くほどに。

人の嫌がることを言う。気にしていることを執拗にからかう。口が悪い。愛想が悪い。人や食べ物の好き嫌いが激しい。他人にほとんど関心がない。これらは出会った日から一貫していた。悪くなりようがないのだ。これってすごいことではないか。
 

先日ようやく新しい傘を買った。

今度はちゃんとお金を出して買った。20年先も使えそうな、丈夫で青い傘だ。

そのころ私たちはどうなっているのだろう。私はこれ以上「冷たい人間」にならずにいられるだろうか。そんなことを思いながら、みぞれが降りしきる初冬の空を見上げ、青い傘を開いた。

(初出:「傘」(2017年)『クイック・ジャパン』連載)

* * *

本書では他にも、中学の卒業文集で「早死しそうな人」「秘密の多そうな人」ランキングで1位を獲得したこと、「臭すぎる新居」での夫との生活についてなど、クスッと笑えたり、心にじんわりと染みるエピソードが多数掲載されています。
また、こだまさんの最新刊『ずっと、おしまいの地』は絶賛発売中! ぽつんといる白鳥が目印です。

筆者について

こだま

エッセイスト、作家。デビュー作『夫のちんぽが入らない』でYahoo!検索大賞を2年連続で受賞(第3回、第4回)、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。ほか『いまだ、おしまいの地』、『縁もゆかりもあったのだ』など。

  1. 父、はじめてのおつかい
  2. ここは、おしまいの地
  3. 金髪の豚
  4. モンシロチョウを棄てた街で
  5. 穂先メンマの墓の下で
『ここは、おしまいの地』試し読み記事
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