いかにして朝ドラは始まったのか『おはなはん』演出・齊藤暁氏が語る「朝ドラのはじまり」

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日本の女性と家族、仕事と恋愛、幸せのかたちを描いてきたNHK「連続テレビ小説」(通称「朝ドラ」)。1961年度の誕生からこれまで、お茶の間の朝を彩ってきた数々の作品が、愛され、語られ、続いてきたのには理由がある。はたして「朝ドラっぽい」とは何なのか?
『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版刊)では、エンタメライターで「朝ドラコラム」の著者・田幸和歌子が、制作者のインタビューも踏まえて朝ドラの魅力に迫っています。
ここでは、その一部を特別に紹介していきます。(第5回目/全6回)

2011年に50年を迎えた「連続テレビ小説」、通称「朝ドラ」。1961年(昭和36年)から実に半世紀もの間、途切れることなく放送されてきた特異な存在だ。毎日15分で月曜から土曜まで半年間(あるいは1年間)という独特のスタイルは、いったいどんな経緯でスタートしたのだろうか。

朝ドラの“草創期”を知るひとり、『おはなはん』(1966年)の演出を手掛けた齊藤暁さんにお話を聞いた。

「1961年というと、大河ドラマが始まる2年前。はじまりにはいくつかヒントとなったものがあって、ひとつは新聞に毎日掲載される短い小説スタイルの、いわゆる『新聞小説』ですね。もうひとつ僕が当時聞いた話では、ラジオが当時まだまだ盛んで、『朝の小説』という、高見順や尾崎一雄の小説をそのまま朗読する5分間週5日のラジオ番組があって。それともうひとつ、やっぱりラジオで『朝の口笛』という、タイトルのごとく朝の爽やかな感じを毎日15分連続小説風で放送する番組もあって、テレビでも同様のものがあってもいいのではないかという話になったようです」

そのほかに、ヒントとされたのではないかと言われている存在に、テレビジョン草創期の連続ドラマであり、同じくNHKの『バス通り裏』(1958年4月〜1963年3月放送)もある。とはいえ、これは放送時間が朝ではなく、夜7時のニュースの後、7時15分から15分間放送されていたものだった。しかも、生放送で、平日の月曜から金曜まで(後に土曜も)全1395回が放送されたという。

毎日夜7時のニュースが終わるとともに、テーマ曲が流れ、視聴者は視聴習慣を刷り込まれていったそうだ。

また、生放送のドラマといっても、「連日の放送なので、とにかく見るのに疲れない日常的生活のエッセイのようなものを考えていた」ということ、描いたのは「当時の平均的な日本人の家庭であった」(ともに『読売新聞夕刊』1982年7月3日)ことなどからも、朝ドラの原点となったひとつだったと思われる。

ラジオドラマや新聞小説などをヒントにして誕生

ラジオやテレビの番組をいくつかヒントにしつつ、誕生した朝ドラ。だが、初期にはよもや50年以上も続くシリーズになるとは思っていなかったはずであり、コンセプトが明確にあったわけでもない。

朝ドラ最初の作品は、1961年に放送された『娘と私』(原作/獅子文六、脚本/山下与志一、主演/北沢ひょう)。昭和初期から戦後、フランス人の先妻との間のひとり娘が結婚するまでの成長を見守る父親である「私」(北沢彪)の目線によって語られるスタイルで、先にラジオドラマ化されていただけに、人物よりもナレーションが中心に据えられていた。朝の忙しい時間に「耳で聴いていてわかる内容」という意味合いもあったという。

また、当初は平日朝8時40分から9時までの20分、1年間の帯番組だった(ちなみに、当時は放送局用ビデオテープが非常に高価だったことから、放送終了後には消去され、他の番組に利用されるというのが当たり前だった時代。残念ながら、この作品はNHKアーカイブスにてごく一部が現存しているのみで、番組を観ることはほぼ不可能になっている)。

ところで、日本でテレビジョン放送が始まったのは、1953年(昭和28年)。1960年代というと、テレビジョン放送からまだ10年足らずであり、「朝ドラ草創期」のみならず、「テレビ草創期」でもあったわけだ。ウェブサイトの「NHKは何を伝えてきたか──NHKテレビ番組の50年」には、以下の記述もある。

テレビが朝から夜中まで放送するようになったのは、61年頃からである。朝の時間帯は見る人が少なく、未開拓の荒野と言われていた。

60年からNHKは、朝の『NHKニュース』、61年からは『連続テレビ小説』の放送を開始し、午前8時15分からの時間帯の視聴率は2桁、それ以前の3倍になった。「朝はNHK」というテレビ視聴の習慣が生まれた。

「NHKは何を伝えてきたか──NHKテレビ番組の50年」

当時は朝からテレビを観ること自体がまだ一般的ではなかったため、朝からドラマを放送するという「連続テレビ小説」は非常に画期的な試みとしてとらえられていたようで、放送開始当時の新聞記事に以下の記述を見ることができる。

「『娘と私』。もっともこの番組は正確には『連続テレビ小説』と呼ぶことになっていて、この種のものが本式に放送されるのはわが国では初めて」

(『朝日新聞』1961年4月3日付)

「『新聞小説にあやかってラジオ小説が生まれたように、テレビでも同じことをやれるはずだ』という提案が、テレビ小説というタイトルにつながった。朝の時間帯に編成されたのも、朝刊の連載小説を意識したからだ」
「TV40年連続テレビ小説『娘と私』の成功」

(『読売新聞』1994年1月10日付)

テレビドラマはもともと、もっぱら夜のものと考えられてきたようだが、フジテレビが午後の時間に主婦向けドラマを始めたことを機に、それまでの常識を打ち破り、さらに『娘と私』が朝でもこの種の番組が可能だということを実証したと考えられているようだ。

また、齊藤暁さんは当時のことを次のように振り返る。

「僕が入局したのは1958年(昭和33年)ですが、当時、NHKには硬い名前ですが、『演劇科』という部署があって、ラジオもテレビもドラマは演劇科で作っていたんですよ。ただ、テレビドラマといっても、当時は単発作品がときどきあるぐらいで、まだまだ本数も少なかったんです。だから、ラジオをやるというのは、芝居の基本を身に着ける場所で、ラジオドラマでドラマの基本を学んだ人は多かったんですよ」

朝ドラが土曜も放送する週6日の帯番組になったのは、第2作目の『あしたの風』(原作/壺井栄、脚本/山下与志一、主演/渡辺富美子)からで、放送時間も8時15分からの15分間に変更された。といっても、第1作目『娘と私』の原作が人気小説で、ドラマも人気が出たことで、2作目もやることになったという程度の理由であり、2作目から時間が変わったのもそれほど意味があるものではなかったという。

ちなみに、この頃は、30歳代の女性の朝の視聴率は、わずか1・5%だったが、第5作目の『たまゆら』放送時の1965年には20%、第10作『虹』放送時の1970年には26・2%と伸び、「朝ドラが朝の視聴習慣を変えた」と言われるようになったそうだ(NHKは何を伝えてきたか──NHKテレビ番組の50年」より)。

朝ドラのスタートは「文芸路線」だった

もうひとつ、朝ドラ初期の作品の大きな特徴として挙げられるのは、「文芸」路線だったということだ。原作者は第1作目の獅子文六にはじまり、第2作目『あしたの風』の壺井栄、第3作目『あかつき』の武者小路実篤、第4作目『うず潮』の林芙美子、第5作目『たまゆら』の川端康成と、そうそうたる作家陣の「名作」がずらりと並んでいる。現在の朝ドラの作風から考えると、やや違和感もあるが、当初はその名の通り、ナレーションを中心に据えてじっくり描写するスタイルの「テレビ小説」であったため、文芸作品が軸とされたようだ。牧田徹雄氏は、こんな分析をしている。

「文学性のあるナレーションと、テレビの映像という異質のものをかさねあわせることによって、新しい表現を生み出すという意図で出発した連続テレビ小説シリーズは、その初期において、獅子文六・壺井栄・林芙美子など高名な作家の自伝小説を題材としてえらんでいる」

(1976年『NHK放送文化研究年報』所収「NHK連続テレビ小説の考察」)
絵=雁須磨子

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※この続きは、本書『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(田幸和歌子・著)にてお読みいただけます。
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筆者について

たこう・わかこ 1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社を経て、フリーランスのライターに。『日経XWoman ARIA』『通販生活web』でのテレビコラム連載のほか、web媒体などでのドラマコラム・レビュー執筆や、週刊誌・月刊誌での著名人インタビュー多数。エンタメ分野のYahoo!ニュース個人オーサー、公式コメンテーター。

田幸和歌子 × 雁須磨子

かり・すまこ。福岡県出身。1994年に『SWAYIN' IN THE AIR』(「蘭丸」/太田出版)にてデビュー。BLから青年誌、女性誌まで幅広く活躍し、読者の熱い支持を集め続けている。2006年に『ファミリーレストラン』(太田出版)が映像化。2020年、『あした死ぬには、』が第23回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。『幾百星霜』(太田出版)、『どいつもこいつも』(白泉社)、『感覚・ソーダファウンテン』(講談社)、『うそつきあくま』(祥伝社)、『ロジックツリー』(新書館)など、著書多数。

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