あなたの感想って最高ですよね! 遊びながらやる映画批評
第3回

メチャクチャな犯人とダメダメな刑事のポンコツ頂上対決? 『ダーティハリー』を初めて見た

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映画を見た後に「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画の感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載「あなたの感想って最高ですよね! 遊びながらやる映画批評」。聞き手を務めるのは、北村さんの元指導学生である飯島弘規さんです。

連載の中で紹介されていくポイントを押さえていけば、今までとは違った視点から映画を楽しんだり、面白い感想を話せたりするようになるかもしれません。

本連載はテキストだけでなく、収録の様子を一部、YouTubeの太田出版チャンネルに公開していきます。記事におさめられていない話も含まれていますので、本記事とあわせてどうぞ。第三回に取り上げるのはクリント・イーストウッド主演の名作『ダーティハリー』です!

※あらすじ紹介および聞き手は飯島さん、その他は北村さんの発言になります。

あらすじ

クリント・イーストウッド演じるハリー・キャラハン刑事(通称:ダーティハリー)は殺人事件の捜査中、“さそり座の男”を名乗る犯人・スコルピオの「10万ドルを寄越さなければ、これから毎日1人ずつ市民を殺す」という脅迫文を発見する。

その言葉通り少年を殺害し、その後に少女を誘拐したスコルピオをハリーはおびき出し、居場所を聞き出すも、少女は既に亡くなっていた。さらにはハリーの法を無視した発砲や暴力的な尋問が原因で、逮捕したスコルピオは釈放されてしまう。

解放されたスコルピオはスクールバスをジャックする。ハリーは採石場に逃げ込んだスコルピオと銃撃戦となり、彼を追い詰めることに成功する。ハリーに撃たれて一度は武装を解かれたスコルピオだったが、ハリーの挑発に乗り、再び銃を取る。そんなスコルピオをハリーは容赦なく撃ち殺し、湖に警官バッヂを投げ捨て、その場を去るのだった……。

音から気づけることがある

――初めて見た『ダーティハリー』はいかがでしたか?

すんごく面白くなかったです! 理由はいろいろあるので、あとでお話するとして、文句なくよかったのは音楽でした。

担当しているラロ・シフリンは有名な作曲家で、ジャズ系の、少し変わったリズムを使うところに特徴があります。『燃えよドラゴン』(1973年)や、映画にもなったドラマ『スパイ大作戦』(1966年)のテーマ曲なども作っているんですけど、『スパイ大作戦』のテーマ曲なんて5拍子ですからね。珍しい拍子です。

不穏な出来事が始まる少し前から緊張感が高まるような音楽が流れ出すシーンが序盤にありました。映像をただ普通に編集しても、それほど緊張感は高まらなかったと思うので、すごく上手だと思いました。シフリンは70年代前後のスリリングな映画やドラマに曲を提供していて、おそらくそういった曲が得意だったんでしょうね。

アカデミー作曲賞を受賞していてもおかしくないと思うくらい『ダーティハリー』は曲がよくできていたので調べてみたら、シフリンは一度も作曲賞を取っていないんですね。名誉賞は年をとってから受賞しているようなんですが。

アカデミー作曲賞ってどこを評価しているのかがよくわからないところがありませんか? エンニオ・モリコーネという有名な作曲家もアカデミー作曲賞をなかなか取れなくて。60年代から映画音楽を作っている人なんですが、高齢になった2007年に名誉賞を取って、2016年にクエンティン・タランティーノの『ヘイトフル・エイト』(2015年)でようやく作曲賞を取っていました。

――音といえば、『ダーティハリー』で使われている銃声はのちに『ターミネーター』(1984年)でも使われていることで有名ですよね。

そうなんですね。他の映画に別の映画の音が使われることって結構ありますよね。おそらくハリウッドのスタジオが効果音をいろいろと録り溜めて再利用しているんじゃないですかね。

ポンコツな犯人のサスペンス

――ではそろそろ『ダーティハリー』のつまらなかったところを教えてください。

ええっと、まず私は警察のことを信用していないんですよ。というのも、おじいちゃんが治安維持法で逮捕されていますし、子どものころから親に「警察を見たら逃げなさい」としつけられてきたんですよ。私の家が警察を嫌いだったんです。別に誰も犯罪を犯しているわけじゃないんですけど。

私の出身地である北海道の人って、警察に対する不信感がたいへん強くて。2003年に発覚した北海道警の裏金事件が有名ですけど、90年代くらいから現在まで北海道の警察って不祥事続きなんです。

考えてみたら警察映画を全然見てこなくて。映画に限らず、ミステリ好きなのに、有名なミステリ作家であるエド・マクベインが書いた警察小説も最近になって初めて読んだくらいです。基本的に警察を信用してこなかったからなのかもしれません。

『ダーティハリー』がつまらなかったのは、私が警察嫌いだからつまらなかったからだけではなくて、理由はたくさんあるんですよね。というか、名作として有名なんだからスリリングな映画なんだろうと思って期待して見たら、全然そんなことがなくてむしろ困惑しました……。

犯人のスコルピオってゾディアックがモデルですよね? で、実在する凶悪犯を褒めるのはあんまりよくない気がするんですけど、ゾディアックに比べるとスコルピオってポンコツ過ぎませんか? 犯行に一貫性がないし、どう見てもつかまりそうなことをやっているし……実際のゾディアックは捜査を攪乱したりメディアを操作したりして今も正体がわかっていませんし、もっとはるかにずる賢くて怖い犯罪者だと思います。実在のゾディアックのゾッとするような恐ろしさに比べると、スコルピオはただのメチャクチャな暴力犯罪者みたいな感じで……。

ハリーが黙秘権など被疑者の権利を伝えるミランダ警告をしなかったことを理由に、一度捕まったスコルピオが釈放されていました。ここでハリーが正式な手順を踏んで逮捕していたら、スコルピオはそのまま裁判にかけられて重罪で刑務所に入っていましたよね? この犯人は単に運がよかっただけで、あまりにも行き当たりばったりな生き方をしていません?

冒頭では、ビルの屋上のプールで泳いでいる女性を遠くのビルから撃ち殺してました。健康な女性が、あの距離で後ろから肩を撃たれて即死することにも疑問なんですが、なによりスコルピオが脅迫文を狙撃地点に残していて、「こいつ、大丈夫か?」って思ったんですよ。ハリーが見つけたからよかったものの、普通だったら新聞社とか警察に直接送ったり、接近して撃ったあと現場にメッセージを残したりしません? 誰にも見つからなかったら元も子もないじゃないですか。

犯人があまりにポンコツなので、サスペンスとして全然面白くなかったんです。

スコルピオがポンコツに見えるのは、我々がすでにゾディアックに関する知識をたくさん持っているからなのかもしれません。デヴィッド・フィンチャーの『ゾディアック』(2007年)とか、後続の映画をいろいろ見ているわけですし……この映画が公開されたのはゾディアックがいろいろと活動していた時期だと思うので、まだ冷静に検証されてはいないでしょうし、当時の人たちにとっては生々しくて、犯人がポンコツだとしてもすごく怖かったのかもしれないですね。

――調べてみたところ、スコルピオンはベトナム戦争時にアメリカ軍が使っていたブーツを履いているという話がありました。

『タクシードライバー』(1976年)や『ランボー』(1982年)の主人公と一緒で、スコルピオはPTSDを抱えた帰還兵ってことなんですかね? つまり冒頭の遠距離から女性を撃つシーンは、スコルピオンがベトナム戦争のときにスナイパーで、メンタルを崩してしまっていることを表現している?

でもそうなんだったら、スコルピオが帰還兵であることをもっとちゃんと描いたらいいのにって思いますけどね。

ポンコツ頂上対決

60年代後半から70年代に、アメリカン・ニュー・シネマ(英語ではニュー・ハリウッドと呼ばれます)という潮流がありました。何らかの体制に抑圧されている若者たちが、なんとかして現状を打破しようする反体制的な要素と、あからさまな暴力やセックス表現が主な特徴として挙げられます。あとでお話すると思いますが、私はニュー・シネマ自体があんまり好きではありません。

『ダーティハリー』もこのニュー・シネマの影響下にある警察映画だと思うんですが……でもニュー・シネマ的なのかどうかがよくわかりませんでした。というのも、この映画は、アメリカで民主主義が機能していないためにハリーのような法を守らない刑事が活躍してしまう、みたいな話だと思うのですが、これを風刺として描いているのか、それともハリーのことをかっこいい警察だと肯定的に捉えているのか、いまいちよくわからなかったんです。そこがすごく引っかかったんですよね。

ニュー・シネマは多くの場合、アメリカ社会が正常に機能していないのだから暴力が発生するのだ、みたいな話になっています。でも、ハリーは刑事ですよね。法を守らないといけない立場の人が、社会が機能していないことを理由に法を破ってもしょうがないんだと描くのって、どうなんですかね? 反体制なんですかね?

ちなみにハリーのことをファシストだという人もいます。一方で、クエンティン・タランティーノは、公開当時にポーリン・ケールなどの映画批評家がハリーをファシストだと批判していたって言っていたけどそうじゃなくてどっちかというと反動的なんだ、と自著の『Cinema Speculation』で言っていました。私の意見ですが、ファシストというのは権威主義的・国家主義的な方向に行くと思うので、どうも法律が細かいことまで決めているのが気に入らなくて法を破るハリーはあんまり国家や権威じたいは尊重しておらず、ファシストとは違うんじゃないかなと思っています。まあ、警官すら国家や権威を信用していないというのはニュー・シネマ的なのかもしれないですね。

――スコルピオは旧日本軍のライフル、ナチス・ドイツが開発したMP40、そしてワルサーP38と、第二次大戦時の日本とナチスの銃を使っていました。しかも黒人の少年を殺している。ハリーよりもスコルピオのほうがファシストで、差別主義者のように描いていませんか?

確かにそうですね。ゲイカップルと思われる人たちを殺そうとしていましたし。

そうそう、ハリーってたぶん親はカトリックなんだろうなと思って見ていました。途中でカトリック教会が脅迫されますけど、一応ハリーは教会は尊重しているみたいでしたよね。それにハリー・キャラハンっていう名前で、キャラハンはカトリックが多いアイルランド系の名前です。

カトリックのアイルランド移民の警察官が、ナチスっぽい犯人と戦うって考えると、やっぱりハリーはファシストっぽくはないですよね。ちなみにアメリカにはアイルランド系の警察官が結構いて他の映画にもよく出てくるので、ルーツに注目するのもいいかもしれないです。

――『猿の惑星』(1968年)の回で北村先生は、映画と主演のチャールトン・ヘストンの考え方がリンクしているのではないかというお話をされていました。『ダーティハリー』も、クリント・イーストウッドの考え方が反映されていると思いますか? イーストウッドは長年共和党支持者で、リバタリアンだと公言していますよね。

どうなんでしょう。

リバタリアンもいろいろあるんですけど、基本的には法的な規制を極力少なくして、個人的・経済的自由を尊重する立場の人ですよね。ハリーがリバタリアンなのだとしたら、ミランダ警告みたいな細かい事務手続きを廃止する方向に動くような気もしますけど、どうなんですかね。まあ、廃止したいのかな……。

多くのリバタリアンはおそらく、警察組織自体は否定せず、最小限の予算を出すことに反対はしないと思います。警察なんていらないと考えるリバタリアン・アナキストは少ないですよね。でも、ハリーは警察ですし……まあ『ダーティハリー』はリバタリアン的な映画だとは言えるかもしれないと思います。

ただ、たぶんミランダ警告をしなかったのって、別に積極的な政治行動としてではなく、単に警告しなかっただけに見えるんですよね。警察官なので「逮捕するときはこういう手順でやりなさい」って訓練されているはずですよね? それをしないのって留置所に鍵をかけないのと同じレベルでおかしいわけじゃないですか。職務怠慢ですよ。「警察なんだからちゃんと仕事しろよ」って思っちゃいました。実はスコルピオと同じでハリーもわりと無能なんじゃないですか?

そうか、この映画はゾディアックに比べて愚かなスコルピオと、無能な警察官のハリーによる、ポンコツ頂上対決映画なんですね!

そもそもリアリティに疑問があるところもけっこうあります。同じところを疑問に思っている人はたくさんいるみたいなんですが、捜査に問題があったら裁判のときに警察側が不利になるとは思うんですけど、警官を撃った容疑で逮捕され、誤認逮捕の可能性はほぼないスコルピオを裁判もせずにそのまま釈放したりはしないんじゃないですかね。しかもスコルピオは明らかに警察に目をつけられているのにその後もすぐ犯罪を続けていて、捕まるに決まってるじゃないかと思うし……やっぱり犯人も警察もどっちもポンコツですよね……。

この映画はたぶん、警察が機能していないので、ハリーのような刑事が必要だってことを描いているんだろうとは思いますが、それにしても現実を曲げて、警察をすごく無能に描いていると思いました。女性に対する性暴力を、プロットをすすめて警察の行動を正当化するためだけに使っているあたりとかも問題ですね。

……やっぱり、この映画がハリーのことをどう捉えているのかの解釈が難しいですね。スコルピオみたいな人がいたら逮捕しないといけないというのはほぼすべての市民が同意すると思うんですけど、一方でそれに対抗するために法律を守らなかったり、自分がやったポンコツな失敗を暴力で回収するみたいなことをやっていいのかどうかっていうことで、人によって受け取り方は違うと思うんですよね。私は警察がポンコツすぎてハリーの行動にずっと呆れていました。

ちなみに今回、『ダーティハリー』の3年前に公開されている『ブリット』(1968年)も一緒に見ました。『ブリット』もシフリンが音楽を担当していて、さらにスティーブ・マックイーンが演じたフランク・ブリット警部補のモデルって、ハリーのモデルと同じ、実在する警察官のディヴィット・トスキなんですよ。トスキは、ゾディアック事件の捜査で有名な警察官です。

『ブリット』は撃たれた人が死ぬまでに時間がかかったり、ブリットが独断で何かをやろうとすると政治家が介入してきたり、ミステリとしてもうちょっとリアリティがあるし、サスペンスが盛り上がるところもあって面白いと思いました。

アメリカン・ニュー・シネマで悪化したこと

――アメリカン・ニュー・シネマ自体があまりお好きではないとおっしゃっていましたが、その理由を教えてください。

60年代後半から70年代の潮流であるニュー・シネマは、それ以前にあったいろいろな制約が外れ、暴力やセックス描写ができるようになり、そしてアメリカの秩序を問うような映画がたくさん作られた時代です。

そのくせに、結局は男性というか、主に白人男性が中心であることは問い直してないんですよ。見方によっては、むしろ悪化している。もちろん『バニシング・ポイント』(1971年)には黒人DJが出てきますし、『俺たちに明日はない』(1967年)には女性が重要な役として出てくるので、全部が全部そうというわけではないんですけど。

1934年頃に、通称「ヘイズ・コード」(モーション・ピクチャー・プロダクション・コード)という、保守的・道徳的な見地から暴力やセックス描写などを自主検閲する規制がハリウッドで厳しく施行されるようになりました。その前からコードじたいはあったんですけど、あんまり守られてはいなかったんですね。それ以前の、トーキーが始まった1929年から、1930年初頭までのアメリカ映画を、「プレコード・ハリウッド」と分類します。

このプレコード時代って、メイ・ウェストみたいなおもしろおかしくてキャラの濃い女優が主演を務めるきわどい映画なんかもけっこう作られていたんです。プレコードが終わってヘイズ・コードの時代になってからも、キャサリン・ヘプバーンやベティ・デイビスが出ているような、女性のスターによる女性のための映画は数多く作られていました。もちろん、そうした俳優はエリート白人女性の役を中心的に演じていたので限界もあるんですが、少なくとも奥行きのある女性キャラクターが活躍する映画じたいはニュー・シネマ以前のハリウッドに意外と存在していたんですよ。

参考:【お砂糖とスパイスと爆発的な何か】知られざるプレコード映画の世界(1)~実は奥深い映画規制「ヘイズ・コード」(北村紗衣)

60年代くらいになるとヘイズ・コードは事実上無効化されています。ニュー・シネマはまさに、ヘイズ・コードの規制が無効になったあとに生まれた潮流で、アメリカをリアルに描くことができるようになった……はずなのに、プレコード時代では見られた女性中心的な映画はあんまり作られなかったんです。

ニュー・シネマが男性中心的だっていう話は映画評論家のモリー・ハスケル(『崇拝からレイプヘ――映画の女性史』)をはじめとしていろんな人がしているのでそんなに新しい論点じゃないんですけど、映画を見た後にどういう時代の流れにあるものなのかを調べると、いろいろ感想を話しやすくなるかもしれません。

以上が、『ダーティハリー』を初めて見た私の感想です。

今回出てきたポイント

 ここまでいろいろお話ししてきた内容から、映画を見る際のポイントを紹介したいとおもいます。

 ひとつめですが、たぶんみんなあまりこの映画をミステリとか実際の事件をヒントにしたサスペンスとしては見ていない……のかもしれませんが、その観点から見るとなんだかダメな犯人とダメな警察がダメダメな対決をしているだけの作品みたいに見える、ということです。私がもともとタイトなサスペンスとかずる賢い犯人によるトリックなんかが好きだからそう思うのかもしれませんが、ミステリファン的には全然、面白いと思えなかったです。

 とくに犯人があまりにも行き当たりばったりでイライラしました。ちなみに『フレンチ・コネクション』(1971年)も一緒に見たんですが、やっぱり全然面白いと思わなかったので、もう1970年代の警察映画にはミステリ要素は期待できなくて、こういうものだと思って見るしかないのかもしれないですね……私には向いていないようです。

 ふたつめですが、アメリカン・ニュー・シネマはかなり男性中心的な潮流で、『ダ―ティハリー』にもそういう要素があるということですかね。まあ、『ダーティハリー』が男性中心的な映画なのは指摘するまでもない……というか、見たらたちどころにわかると思うんですが、正直なところ、私はものすごく男性中心的な映画なのかなと思って見たらそれ以前の問題として犯人も警察もダメすぎなのが驚きました。有名作だし、男性中心的とはいってももうちょっとよくできた映画なのかと思って見始めたんですが、素で面白くなくて……。

 あと、アメリカにおける警察の位置づけを考えながら見たほうがいいのかなと思います。最近は警察による問題行動、とくに人種差別に起因する暴力や腐敗が批判されているので、『ダーティハリー』みたいな映画はたぶん見ていてかなり居心地悪く思う人も増えているだろうと思います。まあ、北海道出身者としては警察がポンコツなのは通常営業ですが……。

 最後に音声ですね。ラロ・シフリンの音楽はリズムの使い方に特徴があってとにかくカッコいいと思いますし、音を使って盛り上げる演出じたいは良かったと思います。私は映画じたいは全然面白いと思わなかったのですが、音楽は映画から切り離して聴けるくらいはクールだと思いました。大きくて音響のいい映画館で見るともっと緊張感があって面白いのかもしれないです。

まとめ

 最後に、私が『ダーティハリー』の批評を書くとしたらどうするかをお話ししますね。

 たぶん名作と言われてみんなに愛されている作品でも今見て面白くなかったらけなしていい! ということで、犯人も警察もグダグダじゃないか、という方向性で書くと思います。

 比較的ぬるい展開を演技と緊張感のある音楽でなんとなく面白い感じに仕立て上げているだけの「雰囲気名作」なのではないかと……時代背景を考えつつ、1970年代というコンテクストで見ると新しかったのでしょうが、2024年に見てスリリングな映画かどうかは多いに疑問だ、という内容にしますね。

***

この連載では私が初めて見た映画について、苦労しながら感想を話しつつ、取り上げる作品だけでなく他の作品でも使えるポイントを紹介していきたいと思います。なお、私が見ていなさそうな映画でこれを取り上げてほしいというものがありましたら、#感想最高 をつけてX(旧・Twitter)などでリクエストしてください。

※YouTube版は後日公開予定です。

筆者について

きたむら・さえ 武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授。専門はシェイクスピア、フェミニスト批評。著書に『批評の教室――チョウのように読み、ハチのように書く』(筑摩書房、2021)など。2024年度はアイルランドのトリニティ・カレッジ・ダブリンにてサバティカル中。

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