「カルチャー×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆し、デビュー作『世界と私のA to Z』が増刷を重ね、新刊『#Z世代的価値観』も好調の、カリフォルニア出身&在住ライター・竹田ダニエルさんの新連載がついにOHTABOOKSTANDに登場。いま米国のZ世代が過酷な現代社会を生き抜く「抵抗運動」として注目され、日本にも広がりつつある新しい価値観「セルフケア・セルフラブ」について語ります。本当に「自分を愛する」とはいったいどういうことなのでしょうか?
第10回は、スキンケア。一見、セルフケアに直結しそうに考えられますが、思わぬ落とし穴もあるようで……?
「セルフケア」という言葉を聞くと、まず最初にスキンケアなど「自分の肌をいたわる」ことを思い浮かべる人はきっと多いだろう。実際に、肌や髪、爪などを日頃からいたわることは大切なケアではある。例えば乾燥して痒みが出ている肌を放置して症状が悪化したり、日焼け止めを塗らずに日焼けして皮膚に異常が出てしまうことなどは、セルフケアによって確実に避けることができる。お風呂上がりにしっかり時間を使って体の隅々まで保湿をしたり、自分の肌に合ったスキンケアをすることも間違いなく「自分を大切にする」アクションの一部だ。
しかし同時に、モノを買わせるために「セルフケア・セルフラブ」という名目をブランドや企業が利用するようになってきているということも事実だ。この連載でも再三触れてきたように、自分のために本質的なケアをすることと、必要以上の消費・購買を促すために「自分へのご褒美」「自分に良いこと」とパッケージングしたモノを売りつけられることには違いがある。購買や消費の罪悪感を減らすために用いられる「セルフケア」という概念に注意しないと、むしろエイジズムやルッキズムなどの有害な社会構造に加担しかねない。
例えば、「アンチエイジング」という言葉ひとつとってみても、一見「ケアをすることで老化を防ぐ」というごく当たり前の「セルフケア」の必需コンセプトに見えるかもしれないが、アンチエイジング関連のマーケットを見てみると、どんどん過激化している。たるみ予防用のボトックス、子供向けの高級スキンケアライン、口元のしわ防止用のストローなど、「外見的な老い」を防ぐための技術やアイテムの開発と販売の勢いはどんどん強まっている。企業からしてみれば、老いを恐れる人々の人口が増えてくれるほど自分たちの商品が売れるわけであって、「外見の老いは人間として当たり前なのだから、そんなの気にしなくていいよ」とはなかなか言えない。むしろ、自分のことを大切にケアしている人はいくつになっても「美しい」という、最終的には必ず外見と結びつくようなマーケティングを選択する。これによって外見のケア、そしてそれによる「若い見た目の維持」がセルフラブの現れであるかのように感じられてしまうが、実際それだけでは精神的・身体的な健康など、総合的なセルフケアの他の側面を無視することになってしまうし、いくら見た目の「向上」に貢献するようなアイテムを購入したとしても、長期的な幸福には必ずしも繋がらない。
これは最近日本でも見受けられるようになった議論だが、そもそも「若さ」への社会的な固執こそが人々(特に女性)の自尊心を傷つける大きな要因であり、セルフケアとアンチエイジングの結びつきの強まりはエイジズムへの加担になりかねない。身体的に健康で、精神的にも幸福度が高く、自分の人生に満足しているのであれば、本来は人間として歳をとるとともにシワやシミができてしまうことは当たり前だし、それらの生成に必死に抵抗したり物理的に除去したりしなくても、本質的な意味での「セルフケア」は実現できるはずだ。しかし、社会やメディアが作り上げた資本主義的な価値基準の下で、自分の人間としての価値=見た目だと考えてしまうと、「ケア」は「(外的な基準に基づいた)外見の維持・向上」に帰着しがちだ。
一見過激に思える例が、アメリカのTikTokを中心に話題になった「アンチエイジング用のしわ防止ストロー」だ。従来のストローは口をすぼめて使うが、それが将来的には口周りのしわの生成につながるという理由で、そのすぼめる動きを減らすストローが売り出され、バズるとともに社会問題として議論された。飲み物の飲み方にまで気をつけるとなると、流石に気にしすぎなのでは、と思うかもしれないが、このようにいとも簡単に過剰な商業主義が「セルフケア」と結び付けられてしまうのだ。
子供の肌にレチノール!?
同時に、大人の世界でのこのような「セルフケア」とルッキズム・エイジズムの同化は、子供達にも影響を与える。かつては子供用のテレビ番組、子供用の雑誌などが存在したが、今は子供達は大人と同じインターネットを使っているし、同じコンテンツを見ることができてしまう。「子供インフルエンサー」も存在するが、彼らの多くは親のお金稼ぎに利用されていることも問題になっている。
今年アメリカで大きな問題になったのが、「セフォラキッズ」という現象だ。化粧品を販売するチェーン店舗「セフォラ」にティーン以下の子供たちがごった返し、サンプル商品などを汚く使うことや高価な大人向けのスキンケアを親にせがむ子供達が大勢いることがSNS上で話題になり、メディアでも大々的に社会問題として取り上げられた。「肌にしわができるのが怖い」「できるだけ早くからアンチエイジングを始めたい」という子供も急激に増え、今や「見た目の老いへの恐怖」が子供の頃から始まってしまっていることが、メンタルヘルスの問題に発展してしまっているのだ。大人と同じような「スキンケアルーチン」を真似した子供達の肌に甚大な健康被害が続出したことも、この問題に注目が集まるきっかけとなった。5月にはこの影響を受けてカリフォルニア州では13歳以下の子供には、レチノールをはじめとした子どもの肌に有害になりうる成分を含むスキンケア商品を販売禁止するような法案も提出されたほどだ。
「最近の子供は子供らしくない」というのはアメリカにもよくある言説だが、それは当然SNSから受ける影響が大きい。モノを販売するために働かされている同年代のインフルエンサーや大人のインフルエンサーを見てしまえば当然、「定番のスキンケア商品」を欲しくなってしまうし、さらにはそれらが「必要ないでしょう」と言われてしまうような他の化粧品とは異なり、「セルフケアの必需品」としてマーケティングされてしまうと、大人もなかなか子供達の「買ってほしい」要望を断りづらいという問題もある。特に話題になったのが高額スキンケアで有名なドランクエレファントというブランドの商品。レチノールなど肌への刺激が強い成分を含むアイテムでも、そのカラフルなパッケージングとインフルエンサーらにとっての「定番」だということで、大人に購入をせがむ子供たちが後を絶たなかった。
キールズやダヴなどのスキンケアブランドが「子供は子供らしくあろう」といった趣旨のキャンペーンを打ち出し、話題を集めた。もちろんブランドのスタンスとしてこのような問題にユーモラスに言及し、価値観を表明することは大切だ。しかし同時に(特にダヴのキャンペーンに対して)「女性たちに外見に対するコンプレックスを何十年間に及んで植え付けたのはお前らのような化粧品ブランドだろ、幼い女の子たちがそれを内面化したって当然だろう」というような批判も多数上がった。
「今時の子供はSNSに影響されて、お人形やおもちゃじゃなくてスキンケア商品を欲しがるなんて、まるで幼少期を奪われているようで可哀想」という声が強まっていると同時に、でも同級生の友達やオンラインでの同世代のインフルエンサーがスキンケアをブームにしてしまっている以上は、なかなかその欲求を拒否もしづらいと感じている親も多い。Everedenなどの「子供向けスキンケアブランド」も登場しているが、果たしてそれは新たなマーケティングの罠なのではないか、本当に子供に必要なものか、子供にむしろ「外見が最も大切」という固定観念を植え付けてしまっていないか、のびのびとした子供時代を経験するための環境形成を阻んでいないか、様々なことを検討する必要があるだろう。
耳障りの良い「セルフケア」という言葉に踊らされていないか、その商品を購入した先に本当の意味での「自分を愛する」行為が存在するのか、特に女性に対する外見的な若さへの社会的な執着を内面化したり、子供たちに押し付けてしまっていないか。経済的に搾取されてしまわないためには、抵抗としてのセルフケア・セルフラブに立ち返らなければならない。
次回の更新は、2024年9月11日(水)17時を予定しています。
筆者について
たけだ・だにえる 1997年生まれ、カリフォルニア州出身、在住。「カルチャー×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆し、リアルな発言と視点が注目されるZ世代ライター・研究者。「音楽と社会」を結びつける活動を行い、日本と海外のアーティストを繋げるエージェントとしても活躍。著書に文芸誌「群像」での連載をまとめた『世界と私のA to Z』、『#Z世代的価値観』がある。現在も多くのメディアで執筆中。「Forbes」誌、「30 UNDER 30 JAPAN 2023」受賞。