数年ぶりで関西飲み遠征の旅に出かけた。3泊4日で普段ではあり得ない16軒もの酒場をめぐったが、むしろ元気になって東京に帰ってきた。関西の酒場には底知れない不思議なパワーがあるのか。最終日の4日目は朝から鶴橋で飲む予定になっていた。その日には帰る予定で荷物の詰まったカートを転がしながら鶴橋に向かったのだが、それがもう切ない。
先日、数年ぶりに実現した関西飲み遠征旅があまりにも楽しすぎて、1か月以上経った今でもまだ“ロス”を引きずっている状態だ。
3泊4日の行程中、数えてみたら16軒もの酒場をめぐっていた。近年体力の衰えを実感することも多い自分にとっては驚異的な数字と言えるが、それでもふだんより元気になって帰ってきたくらいだから、関西の酒場には底知れない不思議なパワーがあるとしか思えない。
最終日である4日目は、朝から鶴橋で飲む予定になっていた。前日までは現地で身軽に動けるように持参した軽いバッグを使っていたが、その日は荷物の詰まったカートをコロコロと転がしてゆくのが、もう切ない。
朝の10時に鶴橋駅に行き、カートをロッカーへしまい、ここ数日毎日のように一緒に行動していた飲み仲間たちと合流する。フリーライターのスズキナオさん、本連載の担当で僕やスズキナオさんとたくさんの本を一緒に作ってくれてきた、編集者の森山裕之さん、神戸の飲み師、山琴さん。それからもうひとり、フリーライターで酒好きの友達、橋尾日登美さんだ。今書いていて思ったけれど、僕の周りにはやたらとこういう肩書きの人が多いな。
橋尾さんは鶴橋が地元で、現在発売中のZINE『happy hour』の最新号特集が鶴橋飲みについて。この日のことも収録されており、しかも僕のすることといえば、ただ楽しく飲み歩けばいいだけだと言う。願ってもないお誘い。新大阪で新幹線に乗る予定の午後3時過ぎまで、時間の許す限り、悔いのないように酒を飲んでゆこう。
鶴橋といえば日本屈指のコリアンタウンとして知られ、ルーツは戦後の闇市にあるそう。その雑多で活気あふれる風景の写真を見るたび、じっくりと飲み歩いてみたいとあこがれていた街だ。駅を出た瞬間に目の前に異世界のような商店街が広がる風景は「浅草地下商店街」のようだし、東京都北区の十条や、再開発前の葛飾区立石、かつての沖縄「那覇市第一牧志公設市場」などにもどこか似ている気がして、いきなり僕の好きな要素がてんこ盛りで頭がクラクラしてくる。
この日、鶴橋では3軒の店で飲んだ。その1軒目が、橋尾さんが特に好きだという「よあけ食堂」で、ただひたすらに素晴しかった。
まず、「地蔵尊」というお地蔵様が入り口にある小さな路地に建つシチュエーションが完璧。お客が10人も入ればいっぱいになってしまうほどのカウンターのみで、その背後を行き来するスペースもないくらいに小さな店だけど、背後は全面すりガラスの引き戸になっていて、どこからでも入店できるから心配はご無用。一度席に収まってしまえば、壁と椅子に体が張りついてしまうような居心地の良さだ。
カウンターのなかには、お店を仕切る女将のさゆりさんと、少数精鋭の店員さん。このさゆりさんのほがらかな笑顔とキャラクターこそが、よあけ食堂最大の魅力だろう。
営業時間は朝9時から夕方5時まで。その表示の横に「がんばる時間」と書いてあるのがおもしろい。創業は1945年で、食堂というくらいだから、かつては朝まで働いていた人たちが食事をしにくる店だったそうだが、現在のお客さんはさまざま。我々のように朝から飲みに来る人も珍しくないし、時間帯によっても客層は変わるそうだ。
とてもここには書ききれないほどだが、メニューは豊富で「本日のオススメ」ボードには、関西らしく「ハモ湯引き」「ハモ天ぷら」が並んでいたり、「松茸土瓶蒸し」なんて高級品まである。といっても990円だから数人で行けば気軽に頼める値段だし、今さら頼まなかったことを後悔してきたぞ。他、「オムライス」「ドライカレー」「ナポリタン」などの洋食に、麺類に単品料理に……。というか、基本「言ってくれたらなんでも作ります!」というスタンスらしく、つまり“メニュー数が無限の店”とも言える。
常連さんのリクエストから生まれた料理も多く「めんどくさいゆうじ」「もりしげ焼」「太っちゃん」「宮城さん」「ほっしゃん炒め」「村瀬ピザトースト」、どれもなんだかわからないのが楽しい。
まずは瓶ビールで乾杯。カウンター上に並ぶ日替わり大皿料理を「おまかせで」とお願いすると、枝豆、キムチ、どて煮、ゴーヤーチャンプルーなどを少しずつ出してもらえた。どれも想像をぐんと超えてくる美味しさで、口に運ぶたびに驚きの声が出る。
特徴として青唐辛子(店では韓国語で「プルコッチ」とも呼ばれている)を使った料理も多く、常連さんが「プルコッチ入りで!」と頼んでいて、これまた詳細はわからないけれどたまらず「こちらにもお願いします!」と言ってしまったのが、「エビエッグ」(770円)。海老、ゆで玉子、ほうれん草、玉ねぎ、チーズをオーブンで焼き、それをクラッカーにのせながら食べるというメニューで、青唐辛子の鮮烈な辛味が加わって、とにかく酒がすすんでしかたない。
森山さんはこの日、仕事で早めに現場を離れないといけないとのことで、早めのシメとして「肉吸い」(660円)ににゅうめんを入れてもらった特製メニューを注文している。それを羨ましく横目に眺めつつ、僕はまだまだ酒を飲まなければいけない。いや、義務ではないんだけど、しかし飲まなければいけないのだ。そこで、ふたたびなんだかわからないけれど、酒飲みならば避けては通れない予感のするメニュー「酒のあて」(550円)をとやらを頼んでみる。
はたしてそれは、明太子と刻みねぎとごま油をあえたシンプルな一品で、もうイヤってくらいに酒がすすむ。さっきから僕がやたらと「うまいうまい」と言うので女将さんが小皿に出してくれた、刻んだ青唐辛子と合わせるともう究極だ。それをちびちびとつまみつつ、「酎ハイ 生すだち」(495円)のおかわりをくり返し、だいぶふわりとしだした頭で、あまり現実感はないけれど、今自分が鶴橋で飲んでいるという幸せを噛みしめていた。
このあとにハシゴした「ちほ」「うむ」という2軒の店も最高に良かったんだけど、書きはじめたらまた膨大な文章量になってしまいそうなので、いずれまた機会があれば。
* * *
『酒場と生活』次回第9回は2024年10月3日公開予定です。
筆者について
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。酒好きが高じ、2000年代より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター、スズキナオとのユニット「酒の穴」名義をはじめ、共著も多数。