ミュージアム研究者・小森真樹さんが2024年5月から11ヶ月かけて、ヨーロッパとアメリカなど世界各地のミュージアムを対象に行うフィールドワークをもとにした連載「ミュージアムで迷子になる」。
古代から現代までの美術品、考古標本、動物や植物、はては人体など、さまざまなものが収集・展示されるミュージアムからは、思いがけない社会や歴史の姿が見えてくるかもしれません。
冗談のような話だが、アムステルダムは駅に降りた途端にマリファナの匂いがする。行きがけのユーロスターの車内で適当に取った安ホテルは、赤線地帯(red light district)ど真ん中だった。そのことに全く気がつかず予約して、入り口で駄弁っている柄の悪そうなセキュリティにIDを求められ、見るからに場末感のあるバーが受付だと言われてギョッとする。部屋に入ると、昭和のデカが張込みをするか、アメリカン・ニューシネマで警官が殺人事件を目撃するような趣きである。窓からは“ショーケース”に入って手招きするセックスワーカーたちが見える。市街地にもかなりアクセスが良く、セックスツーリズム用に使われてもいるようだ。土曜の夜、深夜になると赤線地帯は文字通り人の波で溢れ返っている。
アムステルダム市では娯楽としての大麻の服用や販売が合法化されているのは有名な話だろう。1980年に始まった政策だ。一方、市が売春を合法化したのは2002年。ライトな薬物と売春を合法化し観光資源の目玉にする。「飾り窓地区(De Wallen)」と呼ばれる赤線地帯はその中心で、両者はエンターテイメントとして提供されている。
アムステルダム市のセックスツーリズム
この街のセックスツーリズムは、不特定多数の異性に対してプライベートな空間で性行為を提供するものだけではない。地域を歩くとそのことがよくわかる。
街全体がアトラクションのように演出されているのだ。物見遊山の観光客もかなり多そうで、男女のカップル、女性同士や夫婦、なかには小さな子供を連れた家族連れさえもいる。彼らはここに異文化体験をしにくる。毎年250万人以上の人々が訪れ、アムステルダム全体の観光客の八分の一もを占めている[1]。胸部や下腹部など局部のみを隠した娼婦は、照明で赤く照らされ、ドア付きのガラス張りケースに「展示」され、不特定多数の欲望を誘うよう振舞っている。観光客にとってはこの「あり得ない光景」が異文化体験の対象となる。彼らが生きる文化圏の法や倫理で成立しないこと、彼らが「普通」と考える規範から逸脱していることだからである。
周辺には広い意味で性に関わる「展示」施設が多数存在する。総合的な街の演出は様々なサービスの複合アトラクションとしてなされている。ストリップショー、ピープショー、リアルセックスショー、SM部屋、セックストイ展示販売、セクシートイレ、セックスミュージアム――娯楽的で日本の秘宝館に似ている――など、性を“観て消費する”オプションはもっと豊富である。五感を使う5Dポルノショ――2019年開館時アメリカのコメディ番組でネタにされていた[2]――なんていう謎のライド系アトラクションもある。性を「見る」観光は、「買う」ことよりもライトでカジュアルに欲望を充す。「性」は、いくつもあるアムステルダムの観光資源の大きな一翼である。なんの気無しにセックスツーリストだらけのホテルを予約したことは、不注意というだけでなく必然でもあったようだ。
正しい観光ガイドとしての「娼婦博物館」
「赤線地帯の秘密 娼婦博物館(Red Light Secret: Museum of Prostitution)」というミュージアムを見かけた。観光案内でも大きく扱われていて、他の施設と違ってややマジな感じもありピンときて入ってみた。赤線地帯の歴史について教育する施設である。なお、「娼婦」という言葉は差別的に受け止められることもあるが、本稿では同館の用法に倣ってこの言葉を使う。「セックスワーカー」が社会的に望ましい(ポリティカル・コレクトネス)代替語であり、こちらも同じ意味で用いる。
娼婦が「展示」されている小部屋はストリート側の全面が窓になっていて「飾り窓(日)/ウィンドウ(英)」と呼ばれる。ミュージアムの建物に入りチケットを購入したら、女性が客を誘うウィンドウを模した映像が映された、等身大のスクリーンの横のゲートをくぐる。
展示は、シアターで観るショートムービーから始まる。赤線地帯でのセックスツーリズムの楽しみ方を解説する一日の体験映画で、モデルケースを紹介する観光ガイドになっている。
午後ホテルで目が覚めるシーンから(まさしく筆者が泊まったホテルで撮影されていた)。「12時27分 赤線地帯」シャワーを浴びて体を清潔にする。朝食を取る。「1時45分 理髪店」床屋で髪や髭を整えて出逢いに備える。「3時12分 ポルノトイショップ」ぶらぶらしながら見かけた女性をナンパする。「4時58分 人気バー」女性とバッタリ再会し、再びちょっかいを出すも振られる。コメディタッチだ。「8時24分 ストリップバー」バーで飲みながら“チェックする”。「12時14分 ピープショー」覗き見を楽しむ。「1時23分 別のストリップバー」ここでディナーも楽しむ。店を出るとまたお昼の女性に出会うがナンパに失敗する。「2時14分 ライブセックスショーバー」また別のショーを見ながら一杯。「2時43分 赤線地帯でハッピーエンド」性交渉・性行為のバーチャル映像で映画は終わる。
ウィンドウを覗き込んで娼婦と値段や条件を交渉する様子が描かれ、売春の具体的な方法や注意事項をイントラクションしつつ、上述した様々なセックスツーリズムの施設がたくさん紹介されている。ここでは同時にアムステルダムやオランダの“普通の”観光情報も紹介される。例えば、運河観光の見所に触れたり、B級グルメのクロケットの自動販売でスナックを食べたり、カナルに自転車が落ちているといったアムステルダム”あるある”など。これらがポップなエンタメ映像として理解できるつくりとなっているのだ(BGMはマーク・ロンソン+ブルーノ・マーズのアップタウン・ファンク)。
すがすがしいほどに、娼婦文化は「正しい大人の娯楽」だと案内する。観光指南をしながらこうしたメッセージを明確に伝える。売春という、人類史初の職業の一つとも言われる行為をめぐる価値観は個人や社会で大きく異なり、とりわけ近代以降の社会では人権・倫理の観点から様々な立場が鋭く対立してきた。この街のセックスツーリズムがほぼ「異性愛男性」を前提としていることに見られるように、女性は性的搾取の対象となり、資本主義経済の下で性差別は構造化されてきたことも窺えよう(前回記事参考「ヴァギナ博物館のカウンターカルチャー ミュージアムは誰でもつくれます」)。
こうしたことを考えながら、この施設が語る明確な教育姿勢にちょっとひるんだ自分に気がつく。ここでの常識は自分にとって「異文化」だったのだ。日本社会のことが頭に浮かぶ。近年では海外からのインバウンド観光客が日本一の歓楽街歌舞伎町を観光し、それに応じてか、街やアダルト産業もクリーンなイメージで語られるようにもなってきている。異文化観光は、サブカルチャーを整えられた商品に設えていく。赤線地帯の秘密は私設のミュージアムだが、アムステルダム市政のまちづくりの方針にもとても叶っている。
赤線地帯の秘密を見る
このミュージアムによる赤線の歴史についての教育には、明白なメッセージやイデオロギーが見られる。展示の語りがセックスワーカーへの差別意識や偏見を取り除くような方針でまとめられているのだ。その一方で、それは極度に娯楽化した形で提供される。
ある娼婦は、2006年にロシアからアムステルダムに越してきた。街には仕事がなく、子供を養うためである――展示はこうした物語から始まる。彼女の個人史的な物語として来館者は「娼婦」という存在について知っていく。語り口は、「娼婦」という属性やカテゴリーではなく彼女を個別の「人」として見せようとする。展示は娼婦たちを人間扱いする、という一貫した姿勢で進んでいく。
その物語の中でこの街のウィンドウでの売春の仕組みが説明されていく。例えば、大家、スカウト、客……とこの職業にはどのような役割の人たちが関わっていて、支払いはどのタイミングでいくらくらいの割合でどのような方法でなされるのか。赤線地帯には250の部屋があり、娼婦たちは1日あたりで上限300ユーロ程度で部屋を借りていて、モニターでの監視や経理の担当者がいて、街の経済にとって非常に大きな産業である、云々。最初の展示室は実際に管理室として使われていた建物で、この意味では史跡博物館でもある。
2階へと進む。売春が行われる部屋や待機室、SM用の特殊仕様部屋など各種施設内を見学できる。ここでは音声ガイドで実際に娼婦をやっていた人物の声が聴こえる。「汚いお客さんはお断り。体を洗って出直しておいで。」当事者の声による展示である(すでに引退済みだとも説明があった)。
イラスト風に壁に描かれているのも当事者の言葉。セックスワークにプライドを持っていることが強調されている。「私は娼婦ではありません。私はセックス・セラピストです。インガ、ロシア出身」「男性が私の体のために喜んでお金を払っている――そのことが私を興奮させます。ヘレナ、ギリシャ出身」「この職業は意気地なしには続けられない。私はどんどん強くなって、世間慣れしていった。エヴァ、オランダ出身」この仕事の現実や厳しさと、彼女たちが苦境へも誇りを持って主体的に向き合っていることを強調する語りだ。
「男性のなかには、私がオランダ人だからという理由で私を好む人もいます。それは悲しいことです。アリス、オランダ出身」こうした、人間を個人ではなく属性で捉えるレイシズム的な考え方への批判も混じる。
公的娼婦制度を正しく伝える
先に述べたように、セックスワークはアムステルダム市政府が公認する公娼制度である。セックスワーカーがどのような制度で働いているのか、展示で解説がなされている。いかに公娼制度がきちんと管理されて整備されたものなのか、労働者の尊厳や安全が保証されているのか……仕事のクリーンさが強調される。展示には、実際の売春関連のトラブル相談窓口へ遷移するものもあり、問題を抱えるセックスワーカーが守られていることが示される。
飾り窓地区には「ホスト」と呼ばれる案内役がかなりの数立っていて、交通ルールやマナーを案内している。酔っ払い客などによる治安の悪化や住民への騒音公害が近年の懸念事項で、2019年アムステルダム市は地区内でのガイドツアーを禁止し、路上での大麻使用も制限した[3]。次の施策として離れた地域に売春適法地区「エロティックセンター」を設けて需要を分散しようとしているが、セックスワーカーのアクティヴィストの立場からは、合法化された売春機会の増加をよしとする一方で、むしろ現飾り窓地区の魅力が減少すると反対の声も上がる[4]。
男娼についての記述も展示にある。男娼はこの制度で守られていない。それによって違法な売春がゲイバーなどで行われている。この制度が決める「売春」とは、シスジェンダー女性とトランスジェンダー女性による売春と、ストレート男性の買春のことであると説明されている。実はアムステルダムは世界で初めて同性婚が適法となった街でもあるのだが、同性愛を前提に売買春する権利は、制度化されるに至っていない。
このように分厚い情報を提供する同館の教育展示は、「娼婦」とは安全でクリーンな職業であるという語りを強調する。かなり詳細な解説で、アムステルダムの売春・娼婦の現実や現状についてかなり勉強にはなった。しかし、公娼制度といっても、先に述べたように娼婦は大家やスカウトと1日単位で契約を交わす個人事業主である。ギグワークのような形式での労働の実態が、他の業種同様に自己責任を問われるようなことが起こっていないのだろうかとも思わされた。調べてみるとやはり、この街の娼婦業の不安定さや危険性について批判の声を上げる美術展も見かけた[5]。
体験型で引き込む
そもそも、ここは学術的な歴史教育施設という類のミュージアムではない。赤線地帯という観光地のど真ん中で利潤を追求して経営しているもので、当然、ここに娯楽性は不可欠である。
例えば、客が娼婦の部屋に忘れていった品々を見せる奇妙な展示がある。住所と日付入りで、メガネや手袋など忘れ物が展示されて笑いを誘う。レゴのパーツのような何故だかわからないもの、なかには名前入りの実際のデビットカードまで。
組織の母体は娯楽観光会社B.V. Lijnden。人々の好奇心をくすぐる展示は同社がお得意とするところだ。カナル観光、レンブラントの生家を使った美術館や、ハリウッドやマンハッタンなど巨大観光地にお馴染みの「人体の不思議展(Body Worlds)」や「リプリーの信じようと信じまいと(Ripley’s Believe It or Not?!)」など、超娯楽型の展示産業をリードする会社だ。他の展示施設同様に、同館のチケットも17ユーロとけっこう高めである。
クイズで知る娼婦の仕組み、といった問題を解きながら進むゲームのような展示がある。冒頭の展示で制度が説明されていた情報が次々と問われる。参考書で勉強して問題集を解いている気分だ。「ラバーボーイとは何か?」「①彼女をセックスワーカーになるように全面的に支援する男で、娼婦にとって理想的なパートナーで本当の恋人(ラバー)でもある/②いわゆる“ボーイフレンド”とも呼ばれ彼女に娼婦としての労働を強いて儲けを根こそぎ取っていく」。②! 正解。「ぽん引き(pimp)とも呼ばれるのよ。」動画で正解が説明される。日本のホストクラブとアダルトビデオ産業のような共犯関係はここにもあるようだ。
わずか四問正解。さっき展示を見たばかりなのに全然覚えてない。「あなたはまだ赤線地帯に行く準備ができてないと意識するように。」と言われてしまった。
ちょっと引いた安全地帯から物見遊山で展示を見ようとすると、パンチを喰らう。思えばここは娼館そのものなのだ。気がつけばウィンドウの裏側に立っている。中に入っていると、意外に気がつかないものである。
実はこれも展示の一つだ。「あなたの魅力でお客さんの気を引いてみて!」“展示される”側に回って考えてごらん、という趣旨の展示だ。外から見ると実際のウィンドウと変わりがないので、時々人だかりができてなんだなんだとこちらを見つめてくる。この居心地の悪さ(良さ?)は、観客を安全な場所から「見る」ことを許さない。想像力を喚起させされる。
しかしもちろん、このちょっとした教訓めいた展示も居心地悪く終えることはない。メッセージは全く啓蒙的ではなく、ジョークのように楽しめるしかけになっている。「インサイダーからの成功した売春婦になる10のヒント その①:姿勢 唇を立てて腰を働かしてください。直立してあなたの曲線を強調してください。」この調子で、「快活に」「目立たせる」「目でコミュニケーションする」「ほほえむ」「唇を舐める」「手を使う」「髪の毛」「手招きする」「のけぞりの仕草」と指示がある。ふたりの女性客が、冗談めかしてインストラクションに従ってキャッキャと楽しんでいた。
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アムステルダムの娼婦博物館は、極めて近代的な前提に立って、政府公認のこの制度がいかに人権を守っているかと強調しつつ売春の歴史と現在について教育する。買春を行う客に対して意識を教育することで、個として扱われる彼女たちの尊厳と安全を守ることにつながる側面はあろう。その意味で非常に教育的なミュージアムだ。その一方で、宗教上の信念や文化背景などから売買春について一種の罪の意識を抱いていた人々に対して、それを解除して売春自体を促進する効果をもっていよう。セックスツーリズムの観光客を生み出す推進機関であり、その意味で強くイデオロギー的かつコマーシャルなものである。政府が公に推進するセックスツーリズムは、同館をはじめとした企業の活動、グローバルに異文化を体験して楽しもうとする観光客の欲望とともにこうした方向へと社会を動かしていく。このミュージアムでは、こうした“赤線地帯の秘密”を知ることができるのだ。
[1] Dutch Art Institute, Roaming Academy. https://dutchartinstitute.eu/page/14139/every-year-2.5-million-tourists-visit-amsterdam-s-red-light-district.#:~:text=WORLD-,Every%20year%2C%202.5%20million%20tourists%20visit%20Amsterdam’s%20Red%20Light%20District,of%20life%20in%20that%20neighbourhood?
[2] “Meanwhile… The 5D Porn Cinema No One Asked For,” The Late Show with Stephen Colbert (April 5, 2019). https://www.youtube.com/watch?v=JZbY4RL_8MA
[3]Jenny Gross, “Amsterdam Bans Marijuana Smoking on Streets of Red-Light District,” New York Times (Feb. 10, 2023).
[4] Claire Moses “Amsterdam Tries to Dim the Glare on Its Red-Light District,” New York Times (July 4, 2023)。
[5] 過去にアムステルダム市博物館で行われたアーティストのジミニ・ヒグネットによる「NR. 1 TOURIST ATTRACTION」(DAI, 2010年)では、こうしたセックスワーカーの置かれた不平等な実態に焦点が当てられていた。一部ここで見ることができる。https://dutchartinstitute.eu/page/13327/2008—2010-jimini-hignett
筆者について
こもり・まさき 1982年岡山生まれ。武蔵大学人文学部准教授、立教大学アメリカ研究所所員、ウェルカムコレクション(ロンドン)及びテンプル大学歴史学部(フィラデルフィア)客員研究員。専門はアメリカ文化研究、ミュージアム研究。美術・映画批評、雑誌・展覧会・オルタナティブスペースなどの企画にも携わる。著書に、『楽しい政治』(講談社、近刊)、「『パブリック』ミュージアムから歴史を裏返す、美術品をポチって戦争の記憶に参加する──藤井光〈日本の戦争画〉展にみる『再演』と『販売』」(artscape、2024)、「ミュージアムで『キャンセルカルチャー』は起こったのか?」(『人文学会雑誌』武蔵大学人文学部、2024)、「共時間とコモンズ」(『広告』博報堂、2023)、「美術館の近代を〈遊び〉で逆なでする」(『あいちトリエンナーレ2019 ラーニング記録集』)。企画に、『かじこ|旅する場所の108日の記録』(2010)、「美大じゃない大学で美術展をつくる vol.1|藤井光〈日本の戦争美術 1946〉展を再演する」(2024)、ウェブマガジン〈-oid〉(2022-)など。連載「包摂するミュージアム」(しんぶん赤旗)も併せてどうぞ。https://masakikomori.com