フェミニスト批評家の北村紗衣さんが、初めて見た映画の感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載「あなたの感想って最高ですよね! 遊びながらやる映画批評」。聞き手を務めるのは、北村さんの元指導学生である飯島弘規さん(と担当編集)です。
連載の中で紹介されていくポイントを押さえていけば、いままでとは違った視点から映画を楽しんだり、面白い感想を話せたりするようになるかもしれません。なお、北村さんは「思ったことをわりとランダムに、まとまっていない形で発してもよいもの」が感想で、「ある程度まとまった形で作品を見て考えたことを発するもの」が批評だとお考えとのこと。本連載はそのうちの感想を述べていく、というものです。
第九回でご覧いただいたのは、アラン・ドロン、ジャン・ギャバン主演の『地下室のメロディー』です。
※あらすじ紹介および聞き手は飯島さん(と担当編集)、その他は北村さんの発言になります。
あらすじ
5年の刑期を終えて娑婆に戻ったベテランの強盗シャルル(ジャン・ギャバン)。最後に一山当てるべく、カンヌのカジノを狙った現金強奪作戦を企てた彼は、旧知のチンピラ、フランシス(アラン・ドロン)を仲間に引き入れ、大富豪の御曹司に仕立て上げ潜入させる。ダンサーの気を引き、舞台裏に出入りしながら地下の金庫室に忍び込む手はずを整えたフランシスのおかげもあり、計画はなんとか成功したかに思えたが、最後の最後に狂い始める……。
王道映画『地下室のメロディー』
――今回はアラン・ドロンとジャン・ギャバンがダブル主演を務める『地下室のメロディー』(1963年)をご覧いただきました。連載では初めてヨーロッパの映画を取り上げましたが、いかがでしたか?
北村 今回もけっこう面白かったです! ちょっと抜けた若者で犯罪経験があんまりないアラン・ドロン演じるフランシス・ヴェルロットと、ジャン・ギャバン演じる犯罪経験が豊富なお年寄りのシャルルが、カンヌにあるカジノのお金を奪うために綿密な計画を立てて実行するという、娯楽的なケイパー映画(泥棒などを主人公にして盗みの過程を描いた映画)ですよね。
特に面白かったのは、フランシスが警察から隠すために盗んだお金が入ったバッグをプールに沈めるラストシーンでした。案の定バッグからお札がどんどん漏れて、プール一面に浮き上がっていて笑っちゃいました。たとえ急に隠さなくちゃいけなくなったとしたって、水の中に沈めたりしませんよね?
私が知る限りで、苦労して手に入れた大金を何らかの形で失うという描写がある最も古い映画は、砂金が風に吹き飛ばされるシーンがあるジョン・ヒューストンの『黄金』(1948年)です。スタンリー・キューブリックの『現金に体を張れ』(1956年)でも、お金が飛んでいくシーンがありましたが、おそらく『黄金』を意識しているんだろうなと思います。
『地下室のメロディー』も、それを意識しながら、ちょっとバカっぽい感じにアレンジしたんじゃないかなと思いました。抜けているところがあって面白いのも、最終的に失敗するのも、最後にちょっと憂鬱な感じがあるのも、フランス映画の伝統をやっているなあと思いました。
――フランス映画では伝統的なものなんですか?
北村 事前に立てた計画がうまくいかなくて最終的にどんどんグダグダになっていくのは、フランス映画に限らないケイパー映画の王道だと思います。
一方、ケイパー映画といっても、『オーシャンと十一人の仲間』(1960年)やそのリメイク版である『オーシャンズ11』(2001年)みたいに、わちゃわちゃとしていて明るい映画ってありますよね。『黄金の七人』(1965年)も、最後は何が何だかわからないぐらいぐちゃぐちゃで、道端に金の延べ棒が散乱するみたいな終わり方になりますが、うまくいかなくても楽しく終わればいい、みたいな感じでした。
それらに比べると『地下室のメロディー』はペシミスティックですよね。たとえばヌーヴェルヴァーグ以前のジャン・ギャバンが出演している映画にも憂鬱な感じで終わるものがあるんですが、これってフランス映画の伝統的な傾向として挙げられるものだと思います。だから『地下室のメロディー』は、ケイパー映画の王道と、フランス映画の傾向を持ち合わせた映画なんだろうなと思いました。
ちなみに、先ほど警察から隠すためにお金の入ったバッグをプールに沈めたと言いましたが……あれは隠したってことでいいんですよね? よくわからなくて。
――そうだと思います。あれは若者のなりに頑張ったんだと思いますよ。自分でもよくわからない失敗って仕事をしていてもたまにやっちゃうじゃないですか。
北村 でも、さすがにあんなに突拍子もないことをしようとはしないですよね?
――それはそうですけど、警察官がフランシスの近くを行ったり来たりして追い詰められたフランシスが気を利かせたんだと思いました。お金の入ったバッグを沈めた後に、その場で横になってプールを眺めているのも何がしたいのかよくわからないし、ナンパしても逃げられてしまうし、『地下室のメロディー』はコントみたいなシーンがけっこうありましたよね。アラン・ドロンがどんどんかっこ悪くなっていく映画だなと思いました。
北村 そうですね。経験豊富なシャルルは水も漏らさぬ計画をやろうとするのに、一方のフランシスは、シャルルのお金でカジノに併設されたホテルに泊まったあとも、カジノの舞台裏に潜入するためにダンサーと仲良くなるという目的があったとはいえ、ずっと遊んでいて、計画のことをあんまりよく理解できていない感じがありましたね。
エレベーターに侵入するために金網を切るところはすごいもたもたしていたし、その前の屋根をつたっていくシーンもちょっとどんくさい感じがあって、面白おかしく撮っているように見えました。
――屋根から降りるときに銃を置いたままにして、取りにいくくだりもありましたね。
北村 アラン・ドロンは『太陽がいっぱい』(1960年)でも、水辺でうろちょろしていたために犯罪が露見する主人公のトム・リプリーを演じていたので、そういう役をあてられることが多かったんですかね。
カンヌとパリ郊外で異なる、建物の撮り方
――映画を見る際にどの国で撮られた映画なのかは気にされますか?
北村 どの国で撮られたかよりは、どの土地で撮られたのかを気にしますね。今回の場合は、フランス映画かどうかより、カンヌで撮られたのか、パリで撮られたのかというような、もう少し具体的な土地のほうが重要なんじゃないかなと思います。
というのも、ロケ地によってお客さんに何を見せたいのかが違ってくるはずなんですよね。この種のケイパー映画は、モノにもよりますが、観光映画として機能することが多いと思います。ラスベガスに行く機会があったときに、『オーシャンと十一人の仲間』を事前に見たんですが、それはラスベガスのカジノが舞台になっているからなんですね。
――ダニエル・クレイグより前の『007』シリーズも観光映画の側面がありますね。
北村 世界中のいろんな観光地が舞台になっていますもんね。あとは最近のMCUも、サンフランシスコやマカオが舞台になっている『シャン・チー/テン・リングスの伝説』(2021年)や、ニューヨークの街並みが描かれている『スパイダーマン』シリーズ、エディンバラがめちゃくちゃになる『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(2018年)など、モノによってはかなり観光映画ですよね。どこがロケ地だったのかを知ると、また違った映画の楽しみ方ができると思います。
一方で、『地下室のメロディー』は郊外の描写が印象的でした。出所したシャルルは、パリ郊外の、いままさに開発されている街に帰りますが、その変貌ぶりに戸惑っていましたよね。あのシーンは、立ち並ぶマンションや街並みが記憶に残るように撮っているような気がしたんです。ちなみに「この2、3年後くらいに、ゴダールの『彼女について私が知っている二、三の事柄』(1967年)が撮られるんだなあ」と思いながら見ていました。これも郊外の団地の映画なんですよ。
それに比べると、カンヌのカジノはリゾート地として全貌を映すカットはありますが、全体として豪華なものとして提示するよりは、ダクトだったり、ステージの裏だったり、屋根だったり、パーツに分解されて記憶に残るような撮り方をしていた気がします。
――ショーガールも不揃いに踊っていて華やかな感じがありませんでした。
北村 ショーガールを綺麗に見せるように気を使ったりしてないですよね。ラスベガスがロケ地だったらもっと豪華なものとして撮られているんじゃないですかね。
建物の撮り方は、『オーシャンと十一人の仲間』や他のケイパー映画と違っているんじゃないかなと思います。『地下室のメロディー』のようにロケ地で撮っているのか、それともでっかいセットを作って、いろんな効果を使って細部までコントロールしながら、それぞれを派手に撮っているかの違いなのかもしれません。
『地下室のメロディー』のもっさり感
――『地下室のメロディー』は、現代の映画に比べると全体的にもっさりしている印象を受けました。これは現代の映画のほうがスピーディーな展開や緊張感の演出がうまくなっているってことなんでしょうか。
北村 うーん、どうなんでしょうね。昔の映画よりも展開が早くなっている気はしますが……作品によるんじゃないですかね。
『地下室のメロディー』はチームが少ないというのも影響しているのかもしれません。例えば『七人の侍』(1954年)って、いろんな人をリクルートするところから始まって、作戦を練って決行するところまで描かれているじゃないですか。『黄金の七人』や『オーシャンズ11』も人数がたくさんいるので、それぞれがいろいろなことをやっている様子を、カットを変えて見せられます。
でも『地下室のメロディー』は3人だけだし、前半は準備している様子をいちいち見せているから、なかなか話の展開がない印象を受けるのかもしれないですね。作戦が始まったら、3人で何もかもやらないといけなくなるので、わりと緊張感が保たれているところがあったと思います。
フランシスがエレベーターシャフトに侵入するために換気用のダクトに入るシーンの編集はタイトでしたよね。天井が写って音がするだけのカットがあったりして、見ているだけでちょっとワクワクしました。緩急が出るようにカットが繋げられている編集で上手だなと思いました。
――『オーシャンズ11』には、マット・デイモン演じるライナス・コールドウェルが、車で待ってろって言われていたのに、待てずに建物の中でもたもたしていたせいで、警察官に見つかるってシーンがありました。『地下室のメロディー』のもたつき感に影響を受けている気がします。
北村 確かにそんなシーンがありましたね。そうなのかもしれません。
あと最近の犯罪映画ってプロットがいくつもあってめちゃくちゃ複雑ですし、爆発の専門家やハッカーが必要になりますよね。『地下室のメロディー』はプロットもシンプルだし、ハッキングは当然ですが、爆発も銃を撃つシーンもありませんでしたね。人を殴るシーンも一回だけで、現代の映画に比べたら刺激がなくて物足りなく感じる人はいるかもしれないですね。
アラン・ドロンとデートはしたくない
――話が変わりますが、フランシスには大金を手に入れてほしかったなと思いました。
北村 どういうことですか?
――この映画は、世代交代と階級を巡る話なのかなと思ったんです。先ほどおっしゃっていたように、出所したシャルルが街の変貌ぶりに戸惑うのは時代に取り残されている様子なのかなと思いました。シャルルは貯金をためていて結構お金があるようでしたし、フランシスがチンピラであることがばれないように立ち振る舞いを指導していましたよね。電話に出るのが遅いフランシスを叱ったり、部下を管理したがる上司にも見えました。
北村 そうですね。年長者が若者を導く形になっていました。まあ、うまくいったかというとそうでもないですけど…
――スーツをびしっと着たアラン・ドロンはやっぱりかっこよかったですし、チップをいっぱいあげていたカジノのスタッフみたいな人からは「いいとこのお坊ちゃまだ」とほめられていましたが、上流階級の人から「品がない」と言われるシーンもありました。結局、作戦も失敗に終わって、フランシスは以降、絶対にカンヌで楽しく過ごすことはできない、上流階級にはなれないわけじゃないですか。結局、「悪いことをしちゃだめだ」って話になるのは、ちょっと残念です。
北村 なるほど。『地下室のメロディー』は王道をやっている映画なので、ケイパー映画では王道の「犯罪は割に合わないから悪いことをしちゃだめですよ」というメッセージになったのかもしれないですね。
それに、成功したアラン・ドロンのことをお客さんは見たいんですかね? アラン・ドロンは、暗い顔をしているほうが二枚目なんだと思うんです。ニコニコして喜んでいるシーンで終わったら、お客さんは「我々はアラン・ドロンが苦虫をかみつぶしたような顔がみたいのに!」と思って映画館を出ていく気がします。
今回はアラン・ドロンが出演している映画から作品を選ぶということで、『ボルサリーノ』(1970年)も一緒に見たんですけど、私がこれまでアラン・ドロンの映画にそこまで興味を持てなかった理由がわかった気がしました。アラン・ドロンが代表作で演じるキャラクターって、あまり優しい表情をしないし、人を笑わせようとしないですよね。
変な言い方ですけど、アラン・ドロンが演じてきたキャラクターとデートに行ったら、何を話せばいいんだろうって思ったんですよ。あっちから面白いことを言おうと努力してはくれないだろうし、こっちが面白いことを言っても、ちっとも笑ってくれなそうじゃないですか! まあ、役者と演じるキャラクターは別物でしょうから、本人は全然違う感じの人なのかもしれませんが……。
『ボルサリーノ』でアラン・ドロン演じるロッコ・シフレディは、お母さん(ラウラ・アダーニ)とフランソワ・カペラ(ジャン=ポール・ベルモンド)には優しくしていたけど、それ以外の女性や周りの人には全然優しくしていませんでした。『太陽がいっぱい』でも、主人公のトム・リプリーは、おそらくフィリップ・グリンリーフ(モーリス・ロネ)が好きで、マルジュ・デュヴァル(マリー・ラフォレ)にも好意はあるんだと思いますが、「手に入れたい」みたいな気持ちが強くて、優しく楽しく暮らしたいみたいな雰囲気がぜんぜんなかったんです。
――女性の描き方は『地下室のメロディー』でも前時代的でした。
北村 そうでしたね。計画のためにダンサーの女の子に近づこうとするけど、すごく感じが悪かったですよね。それにヴィヴィアーヌ・ロマンスが演じるシャルルの妻ジネットもかわいそうでした。服役を終えたシャルルに犯罪から足を洗ってほしいと言っても話を聞いてもらえないし、作戦のために大金をつぎ込んだのに最終的に失敗しているから、お金も無くなっていますよね、きっと。すごくかわいそうです。
ケイパー映画では謎の美女が出てくることがありますが、『地下室のメロディー』は女性がぜんぜん出てこなくて、男ばっかりだなと思いました。ちゃんと描かないなら出さなくてもよかったんじゃないですかね。
まとめ
――それでは、最後に北村先生が批評を書くとしたらどんなポイントで書かれるかを教えてください。
これはけっこう批評を書くのが難しいですね。
盗みが始まってからのもたつきと緊張のメリハリについて、どの場面がどういう効果を出していて……みたいな方向性で書くのがいいですかねぇ。あと、もたついているところは笑ってもいいのでは……ということも書くかと思います。
ただ、私が笑えると思うところは他のお客さんは笑えないと思うことも多いみたいなので、そのへんちょっと書きづらいですが。タイトルはたぶん「アラン・ドロンを水辺に近づけてはいけない!」にすると思います。
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この連載では私が初めて見た映画について、苦労しながら感想を話しつつ、取り上げる作品だけでなく他の作品でも使えるポイントを紹介していきたいと思います。なお、私が見ていなさそうな映画でこれを取り上げてほしいというものがありましたら、#感想最高 をつけてX(旧・Twitter)などでリクエストしてください。
筆者について
きたむら・さえ 武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授。専門はシェイクスピア、フェミニスト批評。著書に『批評の教室――チョウのように読み、ハチのように書く』(筑摩書房、2021)など。2024年度はアイルランドのトリニティ・カレッジ・ダブリンにてサバティカル中。