酒場と生活
第20回

名古屋・伏見「大甚本店」の「煮アナゴ」

暮らし

関西出張の帰り、途中下車する名古屋で少し時間ができた。名古屋と言えば、ずっと訪れてみたいと思っていた、全国に名を馳せる酒場の名店「大甚」がある。同行の編集者・T氏に聞くと、名古屋駅から地下鉄でひと駅の場所にその店はあった。しかもちょうど開店間近だ。何年もあこがれていた大甚に、突然行けることになってしまった。

先日、関西方面のとある地方に1泊の取材旅行に行く機会があった。

その取材が滞りなく、しかもかなりスムーズに終了し、良い旅だったという満足感に浸りつつ我が家のある東京方面に向かいはじめる。乗り換え駅は名古屋。時間はまだ午後の3時半ほどだ。

車中で同行の編集T氏と何気なく話しはじめる。「せっかく名古屋で途中下車するなら、まだ時間も早いことだし、軽く散策をして帰るのもありですよね」。当然、この“散策”という言葉には“一杯”という意味も含まれる。名古屋と言えば、ずっと訪れてみたいと思っていた、全国に名を馳せる酒場の名店「大甚」がある。そこで、子ども時代に名古屋に住んでいて、また仕事でもたびたび訪れているという名古屋通のT氏に聞いてみる。

「大甚って、名古屋駅からは近いんですか?」

するとなんと、地下鉄でたったひと駅の伏見という駅からすぐの場所にあり、しかも開店が午後4時ごろで、まさにジャストなタイミングだという。必然的に「行きましょうか!」という流れになり、何年もあこがれていた大甚に、突然行けることになってしまった。

店の前にたどり着く。すでに待ち客が3人ほど。最後尾に加わり待っていると、僕たちのうしろにどんどん行列ができはじめ、あらためて、ものすごく良いタイミングだったことを実感する。

午後4時の少し前、ご主人が入り口にのれんをかけるとともに、営業開始。ありがたいことにすんなりと席に着くことができたが、店内は一気に超満員だ。

大甚の創業は、明治40(1907)年ごろで、歴史はゆうに100年を超える。入り口近くのカウンターに日々30種類以上の小鉢料理が並び、それを自由にとって席で食べ、会計は皿の数で計算するというシステムが、あれこれちびちびつまみたい酒飲み的に嬉しい。しかもその小皿のほとんどが300〜400円というリーズナブルさ。他、日替わりを中心としたボードメニューもあって、それらは注文すると板前さんがそのつど作ってくれる。

まずはひと仕事おつかれさまの生ビール「キリン一番搾り(中)」(税込580円)でT氏と乾杯。名酒場の年季の入った店内で飲む生ビール。それだけで気分は最高。

続いていそいそと、交代でカウンターの料理を確認にゆく。どれもこれも魅力的で迷ってしまうが、僕の第一陣は「百合根」と「煮アナゴ」、T氏は「イワシ」と「茄子の煮浸し」。さぁ、パーティーのはじまりだ。

百合根はしゃきっとした食感が残りつつもほくほく絶妙のゆで加減で、ほのかな甘みと塩気が素材の味を引き立てる。梅煮にされたいわしは骨まで柔らかく、なすのおだやかでほんのり甘い味つけもいい。すべての料理に共通するのは、東京のつまみの味の濃さに慣れた舌からするとちょっと驚いてしまうほどに優しい味加減で、小鉢のサイズ感と合わせて、なにもかもがちょうど良すぎる。

特に気に入ったのが煮穴子で、こんなにもくさみなく、ふっくらで旨味たっぷりの穴子は、人生で初めて食べたかもしれない。たった数百円の小鉢がこのクオリティ、そりゃあ100年以上にもわたって人々から愛され続けるに決まってるよなと、たった一度来ただけなのに大きく納得させられてしまうのだった。

日替わりのボードにも気になるものが多く、選んでみたのは「白子ときのこのグラタン」(800円)と、「ふぐのあら汁」(400円)。あら汁は、ひとり1杯ということで2杯お願いする。

グラタンは、そもそも本体のグラタン自体がものすごく美味しい。そこに火の通ったぷりぷりの白子がフレッシュかつ濃厚なコクをプラスし、ただただうっとり。ふぐのあら汁は、透明に澄んだだし汁のなかに骨の周りに身がついたふぐがこれでもかと入っている。上品にして濃密。ただひたすらに幸せな一杯だ。

大甚のもうひとつの名物といえば樽酒で、入り口付近にあるお燗場で、とっくりに入れられたそれが常にスタンバイしている。中身は賀茂鶴の「超特撰特等特別本醸造」。この樽酒を飲めるのは、全国でも大甚本店だけという貴重なものなのだとか。というわけで、2合(800円)を注文。

店名がプリントされたオリジナルの徳利とおちょこで供されるそれは、まさに心身を癒す魔法の液体。樽の香りと甘み、旨味が、するすると口から胃のなかへと吸い込まれ、心身をほっこりと温めてくれる。

この日はなんだか調子が良かったのか、それとも名酒場マジックにかかってしまったのか、さらに「たらこ煮」「つぶ貝」「刻みうなぎ」などを追加。最終的にお皿の数で会計をするシステムゆえ、テーブル上が皿テトリス状態になってしまったが、それもまた楽しく、想像以上の満足感に浸りながらお会計をお願いした。

老舗だからといってお高くとまることはなく、ご主人も店員さんも、常連のみなさんと気軽な日常会話をしているのもすごく良かった。ほんの1時間弱ではあったけど、名店の名店たる所以に圧倒された、とても貴重な時間を過ごさせてもらうことができた。

*       *       *

『酒場と生活』毎月第1・3木曜更新。次回第21回は2025年4月3日(木)17時公開予定です。

筆者について

パリッコ

1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。酒好きが高じ、2000年代より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター、スズキナオとのユニット「酒の穴」名義をはじめ、共著も多数。

  1. 第1回 : 秋津「もつ家」の「モツ煮込み」
  2. 第2回 : 大泉学園「あっけし」の「火の鳥」
  3. 第3回 : 西荻窪「をかしや」の「練り切り」
  4. 第4回 : 赤坂「赤ちょうちん ぶらり」の「角こんにゃく」
  5. 第5回 : 新宿「モモタイ」の「ミニカオマンガイ」
  6. 第6回 : 池袋「梟小路」の「天ぷらそば」
  7. 第7回  : 上井草「やしん坊」の「馬さし」
  8. 第8回 : 大阪・鶴橋「よあけ食堂」の「エビエッグ」
  9. 第9回 : 京都・西大路御池「髙木与三右衛門商店」の「国産牛モモビフカツ」
  10. 第10回 : 大阪・新大阪「松葉」の「串かつ」
  11. 第11回 : 大門「ときそば」の「辻がそば」
  12. 第12回 : 荻窪「カッパ」の「ゾートゥー」
  13. 第13回 : 三軒茶屋「ebian」の「メンチ」
  14. 第14回 : 和光市「濱松屋」の「肉汁ハンバーグ」
  15. 第15回 : 立石「ゑびす屋食堂」の「生揚げ煮」
  16. 第16回 : 青井「橙橙」の「鯛のうす造り」
  17. 第17回 : 吉祥寺「戎ビアホール」の「エルビスサンド」
  18. 第18回 : 保谷「丸越」の「ソーセージ入りおにぎり」
  19. 第19回 : 神田「鶴亀」の「ニラモヤシ」
  20. 第20回 : 名古屋・伏見「大甚本店」の「煮アナゴ」
連載「酒場と生活」
  1. 第1回 : 秋津「もつ家」の「モツ煮込み」
  2. 第2回 : 大泉学園「あっけし」の「火の鳥」
  3. 第3回 : 西荻窪「をかしや」の「練り切り」
  4. 第4回 : 赤坂「赤ちょうちん ぶらり」の「角こんにゃく」
  5. 第5回 : 新宿「モモタイ」の「ミニカオマンガイ」
  6. 第6回 : 池袋「梟小路」の「天ぷらそば」
  7. 第7回  : 上井草「やしん坊」の「馬さし」
  8. 第8回 : 大阪・鶴橋「よあけ食堂」の「エビエッグ」
  9. 第9回 : 京都・西大路御池「髙木与三右衛門商店」の「国産牛モモビフカツ」
  10. 第10回 : 大阪・新大阪「松葉」の「串かつ」
  11. 第11回 : 大門「ときそば」の「辻がそば」
  12. 第12回 : 荻窪「カッパ」の「ゾートゥー」
  13. 第13回 : 三軒茶屋「ebian」の「メンチ」
  14. 第14回 : 和光市「濱松屋」の「肉汁ハンバーグ」
  15. 第15回 : 立石「ゑびす屋食堂」の「生揚げ煮」
  16. 第16回 : 青井「橙橙」の「鯛のうす造り」
  17. 第17回 : 吉祥寺「戎ビアホール」の「エルビスサンド」
  18. 第18回 : 保谷「丸越」の「ソーセージ入りおにぎり」
  19. 第19回 : 神田「鶴亀」の「ニラモヤシ」
  20. 第20回 : 名古屋・伏見「大甚本店」の「煮アナゴ」
  21. 連載「酒場と生活」記事一覧
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