飯島愛のいた時代
第12回

引退と卒業、評価と中傷

飯島愛のいた時代

『日本エロ本全史』『日本AV全史』など、この国の近現代史の重要な裏面を追った著書を多く持つアダルトメディア研究家・安田理央による最新連載。前世紀最後のディケイド:90年代、それは以前の80年代とも、また以後到来した21世紀とも明らかに何かが異なる時代。その真っ只中で突如「飯島愛」という名と共に現れ、当時の人々から圧倒的な支持を得ながら、21世紀になってほどなく世を去ったひとりの女性がいた。そんな彼女と、彼女が生きた時代に何が起きていたのか。彼女の衝撃的な登場から30年以上を経た今、安田理央が丹念に辿っていきます。(毎月第1、3月曜日配信予定)
※本連載では過去文献からの引用箇所に一部、現在では不適切と思われる表現も含みますが、当時の状況を歴史的に記録・検証するという目的から、初出当時のまま掲載しています。

1995年秋、飯島愛に引退騒動が持ち上がった。

「ワタシ、芸能界引退しちゃいます」――Tバックの女王・飯島愛(22)が突然、テレビ番組の中で引退宣言をしてしまった。はて、その真意はどこにあったのか。
問題の引退発言は9月26日深夜。「どんまい!! スポーツ」(NTV系)の“紳助のサルでもわかるニュース”コーナーでのことだった。
まず、番頭冒頭の出演者を紹介する場面を再現してみよう。
紳助 飯島愛クン。
愛 よろしくお願いしまぁす。
紳助 いいですねぇ~。きょうはスタジオにカメラを持ち込んで、本番前にみんなの写真を撮って。
愛 芸能界あと1年ぐらいなんで……。記念写真、撮ってもらっていいですか?
間寛平(きょとんとして)やめんの?
愛 はい。
紳助 やめないんですけどね。おそらく、もうボチボチ仕事がなくなるだろうと。
愛 ハッハハハ。記念に写真撮ってください。
――以上が、謎の“引退発言”のシーンなのである。
芸能界から引退する日に備えて、記念に有名な共演者たちの写真を撮っておくというのだ。(『アサヒ芸能』1995年10月19日号)

記事は、その真意を所属事務所に問い合わせると「冗談です」と一蹴されたと続く。さらに飯島愛ウォッチャーを自認する某テレビマンが、「今の彼女に芸能界を引退するという意思は全くないハズ」とコメントする。
そしてデビュー時から繰り返し語られていた「どうせ私はすぐに需要がなくなるから、そうしたらニューヨークでCGの勉強をしたい」という考えがあってのジョークだったのだろう、と解説する。
この記事は、その後なぜか彼女の整形疑惑へと話題が移っていくのだが。

しかしその数カ月後、再び引退疑惑が報じられる。
サンケイスポーツ1995年1月8日号の芸能欄に「飯島愛 芸能界引退」「NY移住へ」という見出しのニュースが掲載されたのだ。
その内容は、テレビ番組のロケでニューヨークを訪れた飯島愛が、有名デザイナーを生み出したことで知られる大学に体験留学し、向こうで生活できる資金が貯まればすぐにでも芸能界を引退し、移住すると語ったというものだった。

それを受けた各マスコミが本人に真相を確かめようと、成田空港で待ち受けたのが10日(水)夜のことだった。
――引退という記事が出てビックリしたんですが。
愛「私も向こうで(記事を)拝見してビックリしました」
――移住するんじゃないんですか?
愛「まだ(芸能界で)稼がせていただきたいんですけど(笑)」
なんでこうなっちゃうの? と本人も事の次第にビックリしている様子。
「これ違いますよ、サンケイスポーツさん。全然違うこと書くのは東スポだけだと思ってたんですけどねぇ」
と“反撃”。NY移住計画についてもきっぱりと否定した。
引退宣言を期待(?)して集まったマスコミ陣もこれではまったくのシラケムード。いったい何を聞きに成田まで来たんだか…。要するにサンケイスポーツの関係企業である関西テレビ製作の番組宣伝を目的とした記事にまんまと乗せられてしまった、ということ。
(『フラッシュ』1996年1月30日号)

『プラトニック・セックス』においても、この頃にあたる時期のことを「腰掛けのつもりだったのに、いつの間にかこの世界が好きになっていた」と書いている。
しかし、この時期に飯島愛は実際に「引退」を経験している。
3年8ヶ月に渡ってレギュラー出演していた『ギルガメッシュないと』からの「引退」である。最近のテレビ番組風の言い方で言えば「卒業」となる。1995年10月7日放送の通算201回目が最後の出演となった。

「辞めると寂しいというか……収録にくるのが“学校”みたいな感じでした。だから、このアットホームな雰囲気のスタジオやスタッフと会えなくなるのが寂しいですね」とは、愛ちゃんの答辞。
この間、超売れっ子になった愛ちゃん。事実何度も降板説が囁かれながら、それでも続けてきたのは「初めてのお仕事もこの番組ですし」との恩義ゆえ。他局のテレビ出演や全国のイベントを飛び回りつつ、それでもギルガメ学校の出席率では超優等生。ほとんど寝ないでスタジオ入りした日も多々あった。
じゃあ、なんで卒業しちゃうの?
「深夜の情報番組を続けていくには、もう“オバサン”はいらないかな、と……。スタート時は私も18歳でした。でも22にもなりましたので、Tバックを見せたくても見せられない。お尻に3本のシワができましたので(笑)」
えっ、そんな~。ってことはギルガメ卒業と同時に脱セクシー路線なの?
「べつに意識はしてないんですよ。ただ、シワも寄ってきたし。なによりも周りからセクシーと思われなくなったらオシマイですからね、この世界は」
と、相変わらす本音派の愛ちゃん。(『フラッシュ』1995年10月24日号)

22歳で「オバサン」だと言うのは、30代のアイドルやグラビアアイドルが珍しくなくなった現在から見ると違和感を感じる発言ではあるが、90年代当時の価値観では、うなずけないこともない。
AVは、1993年7月リリースの『ラストTバック』(コンフィデンス)、ヌード写真集も1983年12月発売の『SHAKIN’』(光文社)が最後となり、1994年には次第にTバック姿すら見せることがなくなっていった。
『ギルガメッシュないと』でも、司会に徹するようになり、お色気的な露出は他のAV女優やグラビアアイドルといった共演者に任せていた。
つまり、飯島愛が「お色気」を武器にしていたのは、わずか3年足らずだと言ってもいいのだ。

1995年の段階で、飯島愛は『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!』(テレビ朝日系)、『紳助のサルでもわかるニュース』(日本テレビ系)、『嗚呼! バラ色の珍生!!』(日本テレビ系)、『ひらけ! GOMA王国』(フジテレビ系)などの番組にレギュラー出演し、さらに『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!! 』(日本テレビ系)、『マジカル頭脳パワー!! 』(日本テレビ系)、『スーパーJOCKEY』(日本テレビ系)、『クイズ赤恥青恥』(テレビ東京系)などの人気番組にも、準レギュラー的に登場していた。
まさに売れっ子芸能人の一人となっていたのである。

「アンチ」の登場

目立てば叩かれるのも世の中だ。飯島愛バッシング的な記事が目立つようになったのもこの頃である。

元AV出身でTバックでお尻出してメジャーになった彼女は、コギャルの生き方を肯定してくれるいいお手本になってるわけで、そこが問題だと思う。普通の子は、セックスを売り物にしない教育を受けているし、そういう安易な生き方に陥らないために、その部分で苦労してるじゃん。
(中略)好きなように生きるのが正義で、我慢することなんてバカバカしいと思ってる。まして長い人生をどうやって飽きないで楽しむかがわからないから、いつまでも子供のまんま。
(
中略)そんな人たちが子供を育てるんだからコワイわ。今のうちに愛ちゃんに憧れるあさはかさを捨ててほしいわ。(作家・エッセイスト 横森理香)(『週刊女性』1995年7月4日号「気になるこの女を叱る! SEXを売り物にする生き方を広めるな」)

飯島愛って何様だろう。尻を出して売れたくらいでなぜ威張る。頭が悪いのは仕方がない。芸能界では彼女だけではないのだから。しかし飯島愛の場合、テレビに出てきて話し出したとたんに荒んだ空気が画面に漂う。まぁ、早晩消えていくことは間違いないだろう。早く誰か引導を渡してやってくれ。(無記名)(『自由時間』1995年9月21日号「この野郎はゼエーッタイ許せねぇ!」)

少し後の1997年になるが、『週刊現代』の「一流企業サラリーマン200人アンケート 決定! 息子の嫁にしたくない女ワースト10」なる企画では、神田うのに続く2位にランクインしている。

「AV出身ということで、どうしても、貞操観念がないように見えてしまう。家庭に入ってからも男問題で息子が苦労しそうだ」(ソニー・45歳)
と、考え込んでしまう人もいる。また、彼女の場合も知性に疑問符をつける人は多い。
「クイズ番組での彼女の回答を見ていると、かなりひどい。口のきき方もバカ丸出しで、ちょっと問題外ですね」(第一勧業銀行・45歳)
と、やはり考え方は非常に現実的だ。このほかの意見としては、
「清潔感がなく、料理を作ってもまずいだろう。また、不健康そうで、すぐに病気にかかりそうなところも、息子が苦労しそうだ」(アシアナ航空課長・48歳)
というのが、共通するところだ。それにしても、料理がまずそうとは……。でも、なんとなくわかる。(『週刊現代』1997年5月24日号)

現在では女性蔑視で問題視されかねない言いがかりのオンパレードとも言える記事だが、これがある意味で、90年代後半の時点での、飯島愛のイメージの一面であったということだ。いつまでもAV出演の過去がネガティブなイメージとしてついて回る。芸能人として名前が売れていくにつれ、その過去を無かったものにしたいと考えた彼女の気持ちもわかるような気がしてくる。

ちなみにこのランキング、3位以下は梅宮アンナ、山咲千里、藤田朋子、葉月里緒奈、宮沢りえ、工藤静香、中森明菜、華原朋美と続く。10人中4人がこの時点でヘアヌード写真集を発売しており、それを悪印象の理由にしている意見も多い。やはり、まだまだ女性が「脱ぐ」ことに対する抵抗感は強かったのだ。

芸能界からの評価

しかし、そんな「アンチ」の声も全くものともせずに飯島愛の快進撃は続いた。「お色気」を封印した後も、彼女は芸能人としての確固たる地位を築いていく。
1995年に雑誌で飯島愛と対談した桂三枝の感想が、なぜ彼女が芸能界で成功したかの理由を解き明かしている。

Tバックの女王・飯島愛ちゃんの活躍は時流に乗ったひとときだけのものと思っていたが、すっかりそのキャクターをTVのなかに定着させてしまった。特別な芸があるとも思えないが、その人気の秘密は、性格の良さと頭の良さにあるのではないだろうか。
とにかく、打てば響くように答えが返ってくるのと、相手の望む答えを察知して、きっちりお約束通りに話せるのはたいしたものだと思う。こういう人はいつまで、どんなふうに活躍するのか,TVの世界に長~くいる私には大変興味深い。(『週刊読売』1995年9月17日号 「三枝のホンマでっか!」)

芸ではなく、性格の良さと頭の良さ。タレントのキャラクターとリアクションが重視されるバラエティ番組が主流となる時代と、飯島愛の資質がうまくマッチしたということだろう。
1999年から2007年まで、飯島愛と共に人気番組『ウチくる!?』で共演した中山秀征も彼女をこう評価している。

「ゲストからいろいろ引き出さなくちゃいけないときに、俺だったら聞きにくくて、どうしても遠回りになっちゃうようなことを、愛ちゃんはズバッとストレートに聞ける。それがすごく助かってます。愛ちゃんだからやれることだと思います」(『飯島愛 孤独死の真相』

1997年、飯島愛はそれまで所属していたオフィスレオを退社し、業界最大手の芸能プロダクションであるワタナベエンターテインメント、通称ナベプロへと移籍する。

筆者について

安田理央

やすだ・りお 。1967年埼玉県生まれ。ライター、アダルトメディア研究家。美学校考現学研究室卒。主にアダルト産業をテーマに執筆。特にエロとデジタルメディアの関わりや、アダルトメディアの歴史の研究をライフワークとしている。 AV監督やカメラマン、漫画原作者、イベント司会者などとしても活動。主な著書に『痴女の誕生―アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』『巨乳の誕 生―大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』、『日本エロ本全史』 (以上、太田出版)、『AV女優、のち』(KADOKAWA)、『ヘアヌードの誕生 芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる』(イーストプレス)、『日本AV全史』(ケンエレブックス)、『エロメディア大全』(三才ブックス)などがある。

  1. 第0回 : はじめにー90年代に何が起きていたか
  2. 第1回 : “ノスタルジックで清楚な美少女”ー初期の飯島愛
  3. 第2回 : 1992年は飯島愛の年だった
  4. 第3回 : ランキングから消える飯島愛の「変化」
  5. 第4回 : 「AV業界」との複雑な関係
  6. 第5回 : 『ギルガメッシュないと』が生んだスター
  7. 第6回 : 期待される「キャラ」と「役割」
  8. 第7回 : 「ライバル」たち、そして東大五月祭事件
  9. 第8回 : 自衛隊との「共演」、そして「テレビCM」へ
  10. 第9回 : 飯島愛と“ギャル”の誕生
  11. 第10回 : 「外見と違って、実はちゃんとしている」という物語
  12. 第11回 : CGアーティストという「夢」
  13. 第12回 : 引退と卒業、評価と中傷
連載「飯島愛のいた時代」
  1. 第0回 : はじめにー90年代に何が起きていたか
  2. 第1回 : “ノスタルジックで清楚な美少女”ー初期の飯島愛
  3. 第2回 : 1992年は飯島愛の年だった
  4. 第3回 : ランキングから消える飯島愛の「変化」
  5. 第4回 : 「AV業界」との複雑な関係
  6. 第5回 : 『ギルガメッシュないと』が生んだスター
  7. 第6回 : 期待される「キャラ」と「役割」
  8. 第7回 : 「ライバル」たち、そして東大五月祭事件
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  10. 第9回 : 飯島愛と“ギャル”の誕生
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  12. 第11回 : CGアーティストという「夢」
  13. 第12回 : 引退と卒業、評価と中傷
  14. 連載「飯島愛のいた時代」記事一覧
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