『日本エロ本全史』『日本AV全史』など、この国の近現代史の重要な裏面を追った著書を多く持つアダルトメディア研究家・安田理央による最新連載。前世紀最後のディケイド:90年代、それは以前の80年代とも、また以後到来した21世紀とも明らかに何かが異なる時代。その真っ只中で突如「飯島愛」という名と共に現れ、当時の人々から圧倒的な支持を得ながら、21世紀になってほどなく世を去ったひとりの女性がいた。そんな彼女と、彼女が生きた時代に何が起きていたのか。彼女の衝撃的な登場から30年以上を経た今、安田理央が丹念に辿っていきます。(毎月第1、3月曜日配信予定)
※本連載では過去文献からの引用箇所に一部、現在では不適切と思われる表現も含みますが、当時の状況を歴史的に記録・検証するという目的から、初出当時のまま掲載しています。
2000年度を代表するベストセラーとなった『プラトニック・セックス』だが、その内容に対する評価は決して高くない。
文芸評論家の斎藤美奈子は、『月刊百科』(平凡社)2001年1月号の連載「百万人の読書」で『プラトニック・セックス』を取り上げ、「不良少女読本」と読まれているタレント本だと位置づけている。
さぁ、どう読んだらいいのでしょう、この元不良少女の「激白」を。
不思議なのは内容が内容なのに、悲惨さがまるで感じられないことである。もしこれが無名の女性の手記だったら「嘘も休み休みいえ」と思われたにちがいない。小説だったら「陳腐」の一言で終わりだろう。それほど深みがない、というか作り物っぽいのである。ただし飯島愛という人の姿と声を想像すると、これが急にリアリティを持ちはじめる。さらには作中に挟まれた日記がリアルさを補強する。ひどく感動もしないかわりに嫌な感じもしないのは、彼女が自分をヒロイン視していず、過去を物語化もしていないからかもしれない。
露骨に否定しているわけではないが、「一見ペラペラな告白手記にみえる『プラトニック・セックス』は、一見ペラペラだからこそ、多角的な読み方を可能にする」といった言い回しで、内容の薄さを強調し、あくまでもタレント本であるという観点から語っている。
『編集会議』2001年2月号の連載「売れる理由」でベストセラー鑑定人の肩書の井狩春男は、『プラトニック・セックス』が売れた理由は読者の好む要素が揃っているからだと分析する。タレント本は、本人が書いているのかゴーストライターが書いているのかは問題ではない、と前置きしながらも、
本人がこの本を書いたかも知れない、と思えるふしがある。文章がヘタなところだ(これがライターによるものであれば、その人は大変優秀な人だ)。
と、文章の稚拙さを指摘する。しかしその内容についてはベストセラーとなる要素を満たしていると述べる。
本人ならば、愛ちゃんは少なくともバカではない。計算のできる人だ。中途半端な書き方をしていないからだ。読者の好物ばかりをズラリと並べている。
スナワチ、恋愛がらみ。レイプされたことをはじめとするSEXがらみ。スキャンダル。そのへんが核になっている。読者には甘い蜜である。売れる書き方がわかっているのだ。
『プラトニック・セックス』には、ベストセラーになる「身近」「短い」「明るい」「全て」「ユニークまたは新しい」の5つの要素のうち「明るい」以外が全てあるのだと論じる。
本を読まない人が買うと、ベストセラーの可能性が出てくる。愛ちゃんの本は、オイシイねた満載という売れる条件が揃っていて、著者に知名度があり、マスコミが騒いでくれて、ふだん本を読まない人(ほとんどがこういう人たち)がオモシロがって買ったので、たちまちベストセラーになった。
方程式どうりにネ。
斎藤美奈子の評と同じように、どこかバカにしたような視点が感じられる。実際のところ当時の「オトナ」側からの『プラトニック・セックス』への評価は、こうした姿勢のものが多かった。
しかし、『プラトニック・セックス』をベストセラーへと押し上げたメインの読者層である若い女性たちは、もっと真摯な姿勢でこの本を読んだようだ。
『週刊SPA!』2001年1月10日号の特集「飯島愛の〝告白〟にオンナたちが飛びついた理由」で紹介されている彼女たちの言葉は「愛ちゃんの純愛を求める気持ち、よくわかる」(19歳・学生)「愛さんは、本にも書いてあるように『ぴったりと重なりあうハートを作れる相手』を探しているだけだと思う。私もそんな人に出会いたい」(16歳・高校生)「愛する一人の人を求めるところは、私と一緒」(20歳・学生)というように、『プラトニック・セックス』を純愛の物語として捉えたものが多い。
ただ「本当に好きな人を助けるためだったら、私も売春してもいいかなって思った」(16歳・高校生)「彼氏を愛しているのに、お金や快感だけが目的で知らない男と寝るのもアリなんだ、と思えて安心した」(27歳・OL)という感想は、従来の「純愛」物語の文脈からは出てこなかったように思える。
“ケータイ小説”の爆発的隆盛
レイプ未遂、援助交際、AV出演、整形と刺激的な要素が詰め込まれながらも、その中央には「純愛」がある。
『プラトニック・セックス』が大きな話題となった少し後に、同じような構造の物語群が少女たちに熱狂的に支持された。
ケータイ小説である。
ケータイ小説は、携帯電話で読まれることを前提として書かれた小説であり、携帯電話向けのサイトに公開される。執筆自体も携帯電話で行われることも多い。
そのブームのはじまりとも言われるのが、Yoshiの『Deep Love』の大ヒットだった。
『Deep Love』は、Yoshiが個人で立ち上げたサイトに2000年5月から週一回のペースで掲載され、口コミで話題が広がっていった小説だ。
Yoshiは2000年11月に、その第一部にあたる『Deep Love Ayu’s Love Story』を自費出版し、ネットで販売を開始した。その反響は大きく、続編の『ホスト』『レイナの運命』も含めた3冊で合計10万部を売り上げたという。ちなみに、書籍を自費出版した理由は、当時は携帯電話の定額制がなかったため「携帯サイトで読むとお金がかかってしまう」との声が寄せられたためだと言われている。
さらに2002年に『Deep Love』はスターツ出版から改めて商業出版され、ベストセラーとなる。続編、番外編を含めた4冊の合計部数は270万部にも達した。また映画化、テレビドラマ化もされるなど『Deep Love』は社会現象化し、ケータイ小説の存在が注目されるきっかけとなった。

「魔法のiらんど」や「モバゲータウン」といった携帯サイトには、続々とケータイ小説が投稿され、その中から『天使がくれたもの』(Chaco)、『また会いたくて』(SINKA)、『恋空』(美嘉)、『赤い糸』(メイ)などのヒットが生まれた。いずれも書籍化されてベストセラーとなり、2007年には文芸書のランキングのベスト3を美嘉とメイが独占するなど、上位をケータイ小説が埋め尽くすという状況になった。
本田透は『なぜケータイ小説は売れるのか』(ソフトバンク新書 2008年)の冒頭で、ケータイ小説の人気作では10代少女を取り巻く現在社会の罪の側面が描かれることが多いと述べ、「ケータイ小説七つの大罪」として「売春」「レイプ」「妊娠」「薬物」「不治の病」「自殺」、「真実の愛」の7つの項目を挙げている。
ケータイ小説のヒロインは、以上のような現代社会を代表する「罪」の世界を放浪したあげく、最終的には「真実の愛」に目覚めて救われる、という結末が多い。(中略)
このように、ケータイ小説では現代社会が、ティーンエイジャーの世界から排除したがっている「罪」「悪徳」「矛盾」がこれでもかとばかりに描かれる。読者は、まるで苦しむためにケータイ小説を読んでいるかのようである。
熱心な読者は苦しみ、涙を流し、悶えながらケータイ小説を読む。
元祖ケータイ小説である『Deep Love』の第一部は、援助交際を繰り返す女子高生のアユが、周囲の人間の死に直面し、本人もエイズで死んでしまうというダークな物語であり、第二部、第三部もホスト、薬物、暴力、SMと刺激的な要素と展開がこれでもかと詰め込まれている。
新垣結衣と三浦春馬の主演で映画化もされた『恋空』も、女子高生がレイプ、妊娠、恋人の病死という苦難に襲われるストーリーであり、性的な描写も多い。
しかし、結果的にヒロインたちは「真実の愛」によって救われる、というのがケータイ小説の基本パターンであり、『プラトニック・セックス』も本編の最後はこんな言葉で締めくくられる。
私は遠回りをして、家族や恋人や友達の大切さを知った。
愛されていることを実感できる人は、他人を愛することができる。
私に大切なのは愛することだ。
『新潮45』2001年3月号の書評コーナー「読まずにすませるベストセラー やはり読みたいベストセラー」で(髭)名義の評者は、「本文は確かに整っており、読みやすい(巧いといえるレベルには達していないが、そこはまぁ、タレント本なので)」と文章力を一定水準だと評価しているものの、何度も登場する日記の文章については否定的だ。
しかし時折挿入される日記及び元カレとの交換日記、これはどうにかならなかったのだろうか。たとえばこんな感じなのである。
「トシちゃん寂しいよ。
愛ちんのトシちゃんは彼Pなのに、何故こんなに遠いんですか?」
……恥ずかしい。最も長いところで十七ページも続くのだが、字数の都合というよりも書いていて赤面してしまうという理由で、これ以上引用できない。(中略)
他者から認められることに必死な「寂しい人たち」の姿がなかなか読ませるだけに、日記の箇所には椅子から転げ落ちるようなショックを受けた。
『プラトニック・セックス』で引用される「日記」は、かなり”ポエムチック”な文体なのだが、ケータイ小説にもポエムチックな自分語りのパートが多く、その文体にはかなりの類似性が感じられる。
『プラトニック・セックス』の主な読者層は20代女性だがケータイ小説の主な読者層は10代女性、片やタレントの自伝であり片や匿名性の強い小説(実話ベースだと称するケータイ小説も多いが)、と様々なズレもあるため、『プラトニック・セックス』がケータイ小説に影響を与えたと断言できないとは思うが、どちらも00年代という時代の空気が生んだものであることには間違いないだろう。
セックスの「商品価値」の暴落
ちなみに、ケータイ小説は2008年にはブームのピークを過ぎ、沈静化する。以降は、過激な要素の強い作品から、ファンタジー的な要素が強い作品へと作風の主流も変わっていく。
ノンフィクションライターの杉浦由美子は『ケータイ小説のリアル』(中公新書ラクレ 2008年)の「なぜ、援助交際小説は減っていったのか」という章で、女性向けコンテンツでの定番テーマとして「売春」「援助交際」があると述べる。
岡崎京子の漫画『Pink』(マガジンハウス 1989年)、Yoshiの『Deep Love』と並べて『プラトニック・セックス』をその代表的な作品として挙げている。いずれも、援助交際や性を「売る」シーンが物語上で重要な要素を占めている。
「売春」「AV女優」などのセックスを売る仕事をすることは「堕落」を意味した。逆にいえば、当時は「売春」「AV女優」という職業に対しては、超えなくてはならない壁の高さが厳然としてあったのだ。
これらの「売春」「援助交際」をテーマにしたコンテンツの需要は、いったいなんなのだろうか。
取材で会ったドラマプロデューサーはいう。
「映像化する場合は『売春』をテーマにするとセックスシーンが混ざるし、男性層の『抜ける』というニーズに訴える効果がある。しかし、『プラトニック・セックス』にしろ、『Deep Love』にしろ、基本的には女性に人気があった作品です」
大手出版社から単行本を出している女性小説家はいう。
「堕落への願望なんじゃないでしょうか。一定の世代以上の女性は貞操を求められたし、そこから、外れて性的に自由に行動して、かつ、お金も得られることへの憧れですよ」
しかし、この本が書かれた2008年の時点のケータイ小説では「売春」「援助交際」が描かれた作品は少なくなっているという。
その理由として、若い素人女性のセックスの商品価値が暴落しているからだと杉浦は言う。「出会い系サイトでの売春だと、女子高生が1回5000円というケースもあります」という男性記者からの情報も紹介される。
『Deep Love』のヒロインは、自分の値段を5万円と決めている。ドラマでは電車の中で自分の身体をもてあそんだサラリーマンに後から5万円を請求するシーンではじまる。原作でもヒロインは1回の性行為で5万円をとる。
しかし、2008年現在、いくら綺麗な女子高生でも、1回のセックスで5万円ももらえるとは思えない。(中略)
危険だけどさほどお金にならない。そして、アウトロー的な要素も失った「売春」は憧れの仕事ではなくなった。結果、「売春」や「援助交際」は女性向けのコンテンツから減っていったのだ。
やはり『プラトニック・セックス』や過激なケータイ小説の大ヒットは、00年代(それも2008年以前の)という時代の産物だと言えるのかもしれない。
筆者について
やすだ・りお 。1967年埼玉県生まれ。ライター、アダルトメディア研究家。美学校考現学研究室卒。主にアダルト産業をテーマに執筆。特にエロとデジタルメディアの関わりや、アダルトメディアの歴史の研究をライフワークとしている。 AV監督やカメラマン、漫画原作者、イベント司会者などとしても活動。主な著書に『痴女の誕生―アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』『巨乳の誕 生―大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』、『日本エロ本全史』 (以上、太田出版)、『AV女優、のち』(KADOKAWA)、『ヘアヌードの誕生 芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる』(イーストプレス)、『日本AV全史』(ケンエレブックス)、『エロメディア大全』(三才ブックス)などがある。