虎ノ門の名酒場「升本」へ、漫画家のラズウェル細木先生と飲みにいった。2軒目に、同行の元ワイン雑誌編集長の方が気になっている店があるという。たどり着いたその場所は、東京の中心地で、こんなにも満足度の高い食事と酒をこんなにもリーズナブルに提供してくれる、次々と感動が押し寄せる名店だった。
酒飲みの大先輩である、漫画家のラズウェル細木先生と、元ワイン雑誌編集長の茂木功さんのおふたりが、虎ノ門の名酒場「升本」へ飲みにいくという機会に誘っていただいた。
升本は虎ノ門の老舗酒屋直営の酒場で、創業から60年以上の歴史を持つ老舗。茂木さんが最近特に気に入っている店のひとつなのだとか。
名前だけは聞いたことがあったくらいのぼんやりとした知識で向かってみると、意外にも近代的なビルの1階に入るピカピカのお店。一帯の再開発の影響により、2023年に旧店舗から現在の仮店舗に移転したとのことで、100人以上は余裕で入れそうな広々としたフロアに、8人がけの木製カウンターテーブルがずらりと並ぶ様が圧巻だ。しかもそれがほぼ満員。楽しそうな笑顔と笑い声にあふれた、酒場独特の喧騒に気分が上がる。
僕は少し遅れて行ったので、あまりあれこれ料理を食べることができなかったものの、一般的なものとは一線を画すフレッシュ感の「ザーサイ浅漬け」(税込530円)、店名とロゴが刻印された「玉子焼き」(650円)、ちょうど時期だった「初かつお刺身」(850円)などの貫禄ある美味しさにうっとり。名店の真髄にふれることができた、とても良い時間だった。
さて、このメンバーが集まって1軒で終わるはずがない。そろそろ次へ、ということで街へ出る。なんでも茂木さんが、まだ行ったことはないものの気になっている店があるそうだ。歩いて数分の場所ながら、今いるのは新橋と虎ノ門の中間地点。数歩歩くたびに良さそうな酒場がいくらでも見つかる。しかも、茂木さんの目指す店は“飲めるそば屋”らしく、実は心中、「そんな粋な締めかた、自分には似合わないですし、むしろ今目の前にある焼鳥屋で良くないすか?」などとたびたび思っていた。実際、何度かは口に出していたかもしれない。
が、さすがは茂木先輩の嗅覚。たどり着いた目的の店「蕎麦さだはる」は、我々好みの感動が次々押し寄せる名店だった。

まず、老舗の、とか、新進気鋭の、ではなく、昼は立ち食い価格のそば屋で、夜は飲める店になるという二毛作スタイルがいい。老舗や気鋭が嫌いなわけではないけれど、僕がいちばん好きな外食そばは、やっぱり立ち食いそばなので。
夜ももちろんそばは食べられて、「ざるそば」「かけそば」「田舎そばが」それぞれ480円。「天ざる」や「天ぷらそば」でも650円というリーズナブルさだ。
夜限定のおつまみメニューもかなり豊富で居酒屋レベル。そのなかから、まずは大好物の「かき揚げ天ぷら」(250円)を頼んでみて一気にテンションが上がる。この値段ながら、いわゆる一般的なそばざるの上にのって出てきて、そのサイズが、ざるからはみ出すほどに巨大なのだ。玉ねぎやにんじんがメインの野菜かき揚げだが、中央のくるんとした海老の存在が嬉しい。標高は高くなく、薄く広いタイプなので、少しずつ箸で突き崩しながら食べるといいつまみになる。
この時点で僕は、「茂木さん、いいお店を教えてくださってありがとうございます!」とさっきまでの態度を一変し、すでにさだはるに心酔しているのだった。
続けて頼んだ「ニンニク揚げ」(400円)も、ホクホクで量たっぷり。季節限定メニューだったらしい、温玉とたっぷりのかつお節がのった「新玉ねぎサラダ」(380円)なんて、新玉が大好物の僕にはこの上ないごちそうだ。
酒類も豊富で、焼酎のそば湯割りが頼めるのもこの店のアドバンテージだろう。そば焼酎「玄庵」なら、なんと1杯380円。さらに嬉しいのは、大好きなホッピーが、白、黒、赤と揃って、それぞれセットで500円。ナカは1杯180円。ホッピーをぐいぐいやりながら、立ち食いそば屋のつまみで飲めるなんて、僕にとっては天国という他にない。
当然、シメにはそばを食べて帰りたいが、ここで迷う。ざるにするべきか、田舎にするべきか……。ちなみに田舎とは、太麺でコシの強い、ちょっとワイルドな見た目のあれだ。するとメニューに「匠の乱切りそば」(580円)なるものを発見。なんと、細麺と太麺を乱切りにし、別々ではなくどさっと混ぜて盛ってあるそばらしい。麺量が通常の1.5倍あるらしく、若干食べきれるかが不安だけど……いや、もうこれしかないだろう! そばならいけるいける!
すぐにやってきたそばを、だしが利いてキリッと引き締まった味のつゆに浸してすする。太麺の荒々しい歯ごたえはやっぱり良く、しかも乱切りなので、ひと口のなかの食感が多彩で楽しい。そばは十割らしく、噛み締めると香りがきちんと感じられる。たっぷりのそばを、なりふりかまわずすする喜び。ホッピーセット、もう1ターンいっちゃうか。
また驚いたのがサービスのトッピングで、わかめ、ねぎ、あげだま、大根おろしがとりほうだい。加えて、ひとりひとつ、生玉子か温玉のどちらか好きなほうまでついてくる。やっぱり天国だ、ここ……。
東京の中心地で、こんなにも満足度の高い食事と酒を、こんなにもリーズナブルに提供してくれる店がある。蕎麦さだはるが、虎ノ門や新橋を中心とした勤め人の方々の暮らしを昼夜問わず豊かにしてくれているのだろうと思うと、余所者ながら、最後はなんだかじーんとしてしまった。

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『酒場と生活』毎月第1・3木曜更新。次回第28回は2025年7月17日(木)17時公開予定です。
筆者について
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。酒好きが高じ、2000年代より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター、スズキナオとのユニット「酒の穴」名義をはじめ、共著も多数。