「双葉高校の裏のなかよし橋」
山根 (東日本大震災・原子力災害)伝承館を見るのももちろん大切なんですけど、こうやって街を歩いて見てもらうのも大事だと私は思っているんです。なので、知り合いが来たときはこうやって勝手に案内させてもらっています。もちろん、私は地元の人じゃないから、ここに何があったかを全部わかっているわけじゃないんですけど。
――こうやって街のサイズとして色々なことを感じられるのは貴重ですね。
山根 ここはギフトショップだったんですけど、役場の人でここで被災したという人がいて、ちょうど3月だったから送別会用の品を買おうと思ってここに来て地震にあって、急いで役場に戻ってきたんだって。

――なるほど。
山根 で、これがさっき言ってた酒蔵のあった場所で、冨沢酒造店っていう、結構大きな蔵だったんです。

山根 それがご縁があって、アメリカのシアトルに行って、シアトルで酒米を作ってくれる農家さんと契約して、そこで酒造りをして、それこそ双葉の避難指示が解除されるのと同じぐらいの時に震災以降初めてのお酒ができたっていう。

山根 あっちは雑貨屋さんだった場所で、お店の方は今はいわき市にいらっしゃるんですけど、双葉でイベントがあるときとか、そういう時用に倉庫にしているようです。
――イベントって、どんなものがあるんですか?
山根 たとえば、毎年、1月の第2土曜・日曜に「だるま市」っていう催しがあります。昔は、今通ってきた道に露店を出してやっていたんですけど、震災後はそこではやれないので、今は双葉駅前でやっています。双葉駅前でできるようになる前は避難先のいわきの仮設住宅の駐車場とかでやって、なので、双葉でやっていたお祭りを避難先でもずっと続けていたんですよ。2011年1月は普通に開催されて、その後、2012年1月からもうやってて、ずっと続けてきて、コロナで1年だけスキップしたけど。
――今だと、どういう人たちが出店されるんですか?
山根 もともと双葉にいた人ですね。いわき市に住んでいる人でも、その日は双葉町に来て。さっきの第二分団の屯所に勤めていた団員たちが「だるま市」の実行委員でもあるので、あの人たちがやろうって言わなかったら多分続いてなかった。そういう力強い人たちがいたからできたことだと思います。
――そうですよね。
山根 でも、そんな団員さんたちでも、みんなこっちに戻っては来てないんです。家が避難解除地域に入ってないっていう人もいるし、やっぱり子どもたちを転校させたくないっていう。子どものコミュニティとか、自分の会社とか仕事のコミュニティができていたりするし、なんせもう(震災発生から)14年も経ってるんで。そうするともう、お子さんの成人式とかも移り住んだ先でやるわけだし。
――でも、さっき消防団の新しい屯所を見せてもらいましたけど、何かあったらあそこに団員の方が来るわけですか?
山根 そうですね。いつも誰かが待機しているわけではないけど、でも一応、町に住んでる人のなかで防災グループみたいな担当が割り当てられていて、まあ、割り当てられてはいるけど、何かあったときにどれだけ対応できるかは、わかんないですよ。さっきだって地震あってさ、昨日だって地震あったけどさ、あったからって何かできるわけでもないし。でも、地元の人からすると、震度4までは気にしないんです。私たちは“地震四捨五入”って言ってるんですけど(笑)「震度4までは大丈夫です。5から心配してください」って、慣れきっちゃってる。甲子園に行ったっていう双葉高校までもうすぐなので、そこを裏側から見てみましょう。
――ちなみに、今の双葉町には子どもたちはいますか?
山根 子どもは双葉町に今15人住んでいるんですけど、町内に小中学校がないので、隣の浪江小中学校に双葉町がスクールバスという名のジャンボタクシーを出しています。ジャンボタクシーをチャーターして、子どもたちは毎日隣町の学校に行くっていう。
――それは、ここから距離としてはどれぐらいの場所なんでしょうか、
山根 車で15分ぐらいで、そんなに遠くはない。昔は双葉町には「南小学校」「北小学校」とふたつの小学校があって、山の上には中学校があったんです。その中学校を解体して、義務教育学校を再来年に作るっていうことになっています。はい、ここが双葉高校。これ、校庭です!

山根 最近、この学校の同窓生が草刈りをしようっていうプランを立てて、今週の土曜日か来週の土曜日に草刈りする予定なんです。ここで甲子園球児たちが練習してたはずなんですけどね。
――校舎自体は結構頑丈そうに見えますね。
山根 ここって、県立なんですよ。だから県が今後どうするか決めるんですよね。でも県は「町がどうしたらいいか決めて」みたいな感じで、一応ここは野球の名門だったし、ここら辺では進学校だったので、双葉だけじゃなくって、富岡(とみおか)とか大熊とか浪江(なみえ)とかからもここに通ってきてる人がいたんです。だからここをどうにかしようってなったときに、卒業生がみんな黙ってないんじゃないかなと思って(笑)。しかも、一昨年で創立100周年っていう由緒ある学校だったりするので、だから……県とか町とかって勝手に色々と決めてしまうから、本当に残したいと思ったらそろそろ卒業生たちが活動をはじめたほうがいいと思うんだよね、保存活動を。

山根 ここはぼうぼうなんですけど、川なんですよ。あそこも全部桜なんですよ。だから桜の時期はすごい綺麗で、この橋は「清戸迫(きよとさく)橋」っていうんですけど、南小学校に続いている道で、子どもたちが渡るから、みんな“なかよし橋”って呼んでいたみたいで、「双葉高校の裏のなかよし橋」って言うとみんなわかるし、ここの写真をSNSでアップしたら「あ、なかよし橋だ」みたいなコメントがついたり(笑)。

山根 これ、「セイタカアワダチソウ」って言って、外来種なんですよね。

山根 私が初めて双葉町に来たのが2014年で、双葉出身の友達の一時帰宅についていかせてもらったんですけど、街の様子を見てなんて言っていいかわからなくって、せめて何かいいところを見つけたいと思って「あの黄色い花、綺麗だよね」って言ったら「いや、あそこは田んぼで、生えてるのは外来種で、元々あったもんじゃないんだよ」と言われて「いや、マジ失言した!」って思って(笑)。
――よかれと思ったことが……。
山根 あそこに貼ってあるように、昔の「なんとか大会出場!」とかさ、あれはもともとのもので、その横の「復活双高」は、生徒がなかに立ち入りしたときにつけたやつだと思うんだけど。

「壊していくと、思い出せることも全部なくなっちゃう」
山根 私は双葉町の色々な人に話を聞いているから、街並みとその人の思い出がくっついているんですよね、たとえば、向こうに床屋さんがあったんですよ。その人が床屋さんをやっていたことは話を聞いて知っていたけど、実際にその床屋さんの建物を初めて見たのは福島県に移り住んでから6年も経ってからで、しかも、その建物も今はもうないんです。そういうふうに、1年とか2年であっという間に街並みが変わっていくから。もちろん、廃墟みたいなものが街のなかにいっぱい並んでいてもいいわけではないから難しいけど、でも全部壊していくと、思い出せることも全部なくなっちゃう。

山根 私は私が誰かに聞いたことを答え合わせしてるだけだから、本当にそれが事実かどうかっていうことは検証しないから、だからこそ、オフィシャルな形じゃなく、こうやって知り合いにしか案内できないところもあるんだけど……。そしてここが元の「双葉郵便局」なんです。

山根 駅前にもう新しい郵便局の建物ができてるんで、ここはもう近いうちに解体されると思うんですけど、あ、クモの巣があるので気をつけてくださいね。ここは隙間からなかを見ると3月11日のままなんです。

――あ、本当ですね。カレンダーが残ってますね。金曜日だったな。
山根 けっこう歩きましたね。私は普段こんなに歩くことないんですけど(笑)、あの建物に描かれている人たちは、「標葉(しねは)せんだん太鼓」という、震災前からやってる太鼓の集団の皆さんの顔です。2020年の3月14日に常磐線が再開通したときに、その方々が双葉駅のホームでダダダダ! って太鼓を叩きながら、最初の特急を出迎えたんです。そのときは私も一緒に泣きました。

山根 このマンホール、ちょっと上に出てるのなんでだと思います?

――え、なんでだろう。
山根 元々は土がこの蓋の縁まであったけど、そこから除染をしたんですよ。表面の土をはぎ取って除染をしたから、マンホールだけ上がっちゃってるんですよ。この高さの分だけ土を剥いだっていう。除染ってそういうことなんです。その剥ぎ取った土は全部黒いフレコンバッグに入れて中間貯蔵施設に持っていくっていう。だからマンホールが浮いている。さあ駅前まで戻ってきました! さっき言った「だるま市」は駅前の広場でやっています。あと盆踊りのときもこの真ん中にブルーシート敷いて、やぐらを組んで。
――そのときはここら辺が賑やかになるんですね。
山根 最後に、駅の向こう側に行ってみましょう。そこが町営住宅のあるエリアで、最近はもうあんまりないんですけど、そこができたばっかりのときはマスコミとかいっぱい来て、「勘弁してくれよ」って、私、町長に言いました(笑)。

山根 ここが町営住宅で、86戸。この住宅の最大の特徴というのが、双葉に帰還された人と私みたいな転入してきた人たちをちゃんと半々に分配することで住民が混ざるようにしているんです。他の街だと、帰還した人は帰還した人、移住した人は移住した人って、住宅が分かれているから、コミュニティが分断するんですよ。
――そこまで考えられているんですね。住み心地はどうですか?
山根 うん。悪くはないと思います。駐車場は2台で、でもここら辺は駐車場2台は当たり前なんです。86戸あるから、だいたい100人ぐらいは住んでいると思うんですけど、でも、特にもともと双葉だった人は、例えば週末しか住んでないとか、逆に平日しか住んでないとかっていうこともあるので、24時間365日ここに100人住んでるっていうわけではありません。

――しかし、ここは超駅近物件ですね。
山根 超近い。家にいると「まもなく電車が参ります」まで聞こえます(笑)。ベロベロに酔っ払っても、もう駅まで着けば家にたどり着ける。
――それは便利!
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「それは便利!」などとのんきなことを笑って言いながら、でも実際、ここでの暮らしがどんなものなのかはわかるわけがなかった。ここに書き起こしたように、山根さんは終始明るく双葉町の駅周辺を案内してくれた。
「へー!」とか「なるほど」とか、私は繰り返したが、何もわかるわけがない。東日本大震災の発生時、私は東京に暮らしていて、原発事故の報道に怯えながら、それでも生活を大きく変えることなく、今までの延長のような日々を過ごした。山根さんは、東北にずっと関わっていこうと決め、出身地の関東を離れ、今は双葉町に暮らしている。私とはまったく違うものを見てきた山根さんの言葉を、見聞きするニュースから想像するだけの場所だった双葉町を歩きながら聞かせてもらえたことがとてもうれしかった。

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スズキナオ『今日までやらずに生きてきた』は毎月第2木曜日公開。次回第18回は11月13日(木)17時配信予定
筆者について
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。