コンドームをつけた上でセックスをすれば、妊娠の可能性は下げられる。ただ、射精する以上、その可能性はゼロとはならない。体内に精子が存在し続ければ、「予期せぬこと」が起こる可能性があり、それにより時に、他人の身体や人生までを大きく変えてしまうこともある。そのことを私は、決して望んでいない――そう考えて、パイプカット(精管結紮術)に臨むことになった評論家の荻上チキさん。しかしそこに至るの道のりは決して平坦ではなかったようで……?
男らしさ、孤独、性愛、セルフケア……中年男性として新たな親密圏とアイデンティティの構築に七転八倒する、新感覚の社会評論エッセイ連載がスタートです!
第1回は、早速、手術台の上からお送りします。
「下に履いているものを全て脱いで、手術台の上で仰向けになってください」
看護師に言われるがまま、半裸になる。
靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、ズボンを脱ぎ、下着を脱ぐ。
脱いだ服は、端に置いてあった椅子の上に丸めて置いた。
手術室に、脱衣所はない。仕切りのようなものもない。下半身を隠すタオルのようなものもない。
「患者への配慮」という意識が希薄そうなこの病院で、私はこれより、管を断つ。
お世辞にも綺麗とは言えない手術室。
手術台の下には、ゴミ箱が無造作に置かれている。その中には、ベッタリと赤く染まったガーゼが、山のように盛られている。
脱いだ靴を揃え、えいやと手術台に乗る。足を伸ばし、仰向けになる。背中越しに、医療ゴミの気配を意識してしまう。
看護師が私の体に、薄いシートをかける。プライベートゾーンが、気休め程度に隠される。
「安全のために、縛りますね」
そう言って看護師は、二人がかりで、私の両手両足を手術台に拘束した。
安全の……ため……?
術中術後にバランスを崩したり、麻酔後に暴れたりすることへの懸念だろうか。特にこれといった説明はないままだ。この病院は、大事な説明をスキップする傾向がある。
看護師は、私の顔にも、シートを被せる。視界が塞がれ、聴覚だけが頼りとなる。
誰かがガチャガチャと、器具のようなものを準備をしている音が聞こえる。映画『マイノリティリポート』に、眼球を取り替える手術があったなあ。そんなことを想像しながら、音に集中する。
ほどなくして、医師がやってきた。医師はハサミで、さきほど看護師が私の体にかけた薄いシートのうち、股間に当たる部分を、丸く切り取った。
股が涼しく感じる。今朝、自分で丁寧に剃毛処理をした股間が、剥き出しになったのだろう。
剃毛が不十分だと、スタッフによる剃毛処置が必要となるため、追加料金が取られる。病院のホームページにそう書いてあったので、なるべく丁寧に剃ったつもりだ。
玉袋というのは、絶えず動いている部位である。そして、伸縮しやすい部位である。そんな玉袋の徹底した剃毛というのは私にとって初めてのことであり、それ自体がチャレンジングなものであった。T字カミソリやI字カミソリを使って、そろりそろり、ショリショリと処理をしたのだが、何ヶ所か剃刀負けしてしまった。
露出した股間を見たのだろう。「うん」と、医師が言った。私の剃毛は、どうやら合格であったようだ。
「では、始めていきますね」と、医師は続ける。私の静脈に、注射が打たれる。痺れるような感覚が、腕から肩へ、そして胴へ頭へと広がっていく。
麻酔は、数秒で、私の意識を奪う。微かな意識の中、うっすらと思ったことは、「自分は、麻酔がしっかり効く体なんだな」というものであった。
精管結紮術。
いま、私が受けている手術は、そのような名前のものだ。
「精管(せいかん)」とは、精巣で作られた精子を、尿道まで運ぶための管を指す。
「結紮(けっさつ)」とは、管などを縛る行為を指す。
精管結紮術とは、すなわち精管を切り、切断箇所を縛ること。そのことで、精子から尿道までの管を断つ手術である。
英語では、バセクトミー(vasectomy)と言う。そして、通称として用いられる和製英語として、パイプカットという呼び方がある。
「陰嚢を切って、精管を切り、切断面を結ぶことで、精子が精液に含まれないようにする手術だよ」
手術について説明すると、多くの人の頭に、はてなマークが浮かぶ。多くの大人が、射精の仕組みを知らない。
「精管を結ぶ、って何?」
「その部位って、どこにあるの?」
「射精のメカニズム、そもそもどうなってるの?」
このように友人に聞かれたとき、私はだいたい、次のような話をする。
「精液や精子はわかるよね。精液は、射精したときに出てくる白い液体だね。精子は、おたまじゃくしのような形をした、とても小さい生殖細胞だね。
精子は、陰嚢(いんのう)に入っている精巣の中で作られているよね。陰嚢は玉袋、精巣はキンタマとも言うね。
性的な刺激を受けると、精巣で作られた精子が、精管から射精管に送り出されるんだ。精子は射精管で、精嚢(せいのう)という部分で作られた分泌液と混ざり合う。精子はさらに、前立腺に送られて、前立腺液とも混ざり合う。これを一般に、精液と呼んでるんだね。
それとは別に、カウパー腺からカウパー腺液というものも出ていて、ペニスに滲み出ていく。カウパー線液はアルカリ性で、性交つまりセックスの時の摩擦を緩和するだけでなく、膣の中の酸を中和することで、精子が傷つきにくい環境に変える役割があるんだ。カウパー線液には、がまん汁なんてあだ名もあるね。
玉袋、キンタマといった通称がついている部位のことは、多くの男性はそれなりに知っている。けれど、精管、射精管、精嚢といった部位のことは、意外と知らない人の方が多いかも。さらに言えば、男性の多くは、射精がどんなメカニズムかを知らずに射精をしている。
でもそれは、そんなに特殊なことではないかもしれない。呼吸のメカニズムを知らなくても人は息をするし、睡眠のメカニズムを知らなくても人は眠る。私の知り合いには、30代になるまで、自分の尿が膣から出ていると思い込んでいた女性がいたけれど、30年間ずっと、特に迷うことなく、尿をして生きてきたよ。
ただ、射精は、他人を妊娠させる可能性がある行為だ。だから、避妊手段について学ぶならば、その仕組みについてもある程度、知っておいたほうがいいかもね。
説明が長くなったけれど、精管結紮術は早い話、精子が精液に含まれないようにすること。そうすることで、妊娠の可能性を避けるための方法なんだ。
僕はその手術をしたということ。だから、新たに子どもが作る可能性が、著しく減少したということになるんだ」
こんな説明をしているが、自分も手術を考えるまで、射精の仕組みや部位の名前など知らなかった。
なんならこの原稿だって、ググって複数の医療情報を確認しながら書いている。数年後も暗記できている自信はない。
女性の膣内で受精しないための方法、つまり避妊方法には、コンドーム、ミレーナ、ピルなどの手段がある。これらの手段は、男性の精液に、妊娠可能性のある精子が含まれることを前提としたうえで、受精を防ぐというものである。
一方で精管結紮術は、男性が射精する精液の中に、精子が含まれないようにするための手術である。人為的に無精子状態を作る手術である。
強制的に断種が行われるのは、もちろん人権侵害だ。他方で、「私の体は私のもの」という意思のもとで、自分で選択して行うのであれば、人生設計の助けになる。
ところで、この手術には、いくつかの誤解がある。
一つは、「性器切断」と混同しているもの。精管結紮は、あくまで精管を塞ぐことであって、性器の形状を変えるわけでも、ましてやなくすものではない。
もう一つは、「去勢」と混同しているもの。精管を塞いだとしても、性欲が減少するわけでも、射精の際の快楽が減少するわけではない。
私は長らくうつ病を患っている。そして抗うつ薬を飲んでいる。年齢はとうに40を超えた。これら病、投薬、加齢のほうが、明らかに性欲への影響は大きい。
SNSを「パイプカット」などで検索すると、「性犯罪者をパイプカットしろ」といった表現が飛び交う。このような書き込みをしている人は、漏れなく精管結紮術のエアプ勢だろう。少なくとも、真面目に調べたうえでの発言であるとは思えない。
それから、精管結紮術へのよくある偏見として、「コンドームなしのセックスをしたいからだろう」というものがある。ただ、コンドームは性感染症予防という役割もあり、避妊のためだけに使われるものではない。そのため、妊娠可能性がなくなるからといってコンドームが不要となるわけではなく、「人による」としか言いようがない。
さらなる偏見としては、「不特定多数と妊娠可能性のないセックスをしたいからだろう」というもの。こちらも「人による」としか言いようがない。中にはそういう人もいるのだろうが、実際に多いのは、パートナーとライフプランについて相談して手術に至ったというケースだ。
精管結紮術は自由診療であり、対応する病院によって方針も異なる。例えば「30〜40歳以上であること」「結婚していること」「子供が1人以上いること」「パートナーが同意しており、その承諾書があること」といった条件を満たさないと、手術は行わないとする病院も少なくない。
私は「30歳以上であること」「子供が1人以上いること」という条件は満たしているものの、「結婚していること」「パートナーが同意しており、その承諾書があること」という条件となると怪しい。子どもはいるが、30代に離婚しており、法的にシングル。パートナーは時期によっていたり、いなかったり、複数いたりといった流動的な状態である。そのため、厳しい要件のある病院を利用することは難しい。
私が精管結紮をすることにしたのは、子どもを作らないためである。
40代。離婚歴あり。子どもが二人。うつ病持ち。ここから育児をもう一周するのはヘビーだと思うし、そうした願望もない。
もちろんコンドームをつけた上でセックスをすれば、妊娠の可能性は下げられる。ただ、射精する精液に受精実績のある精子群が含まれている以上、その可能性はゼロとはならない。相手がピルを飲んでいても、飲み忘れなどによる妊娠の可能性は残る。
その際に妊娠するのは、自分の体ではない。セックスの際の射精が、合意に基づいた主体的な行為であったとしても、妊娠というのは、私にとって不可避的に、受動的な結果にならざるをえない。
いま私自身は、さらなる血縁上の子どもを望んでおらず、誰かに精子を提供することも考えていない。となると、私の体の中に、精子が存在する必要がない。
体内に精子が存在し続ければ、「予期せぬこと」が起こる可能性があり、それにより時に、他人の身体や人生までを大きく変えてしまうこともある。そのことを私は、決して望んでいない。
管を断つ。
それは私にとって、自分の身体と、自分の人生と、親密になりうる相手との関わり方を熟考した結果、必然とも思える選択に思えたのであった。
次回の更新は、2024年7月2日(火)を予定しています。
筆者について
おぎうえ・ちき 1981年、兵庫県生まれ。評論家。「荻上チキ・Session」(TBSラジオ)メインパーソナリティ。著書に『災害支援手帖』(木楽舎)、『いじめを生む教室 子どもを守るために知っておきたいデータと知識』(PHP新書)、『宗教2世』(編著、太田出版)、『もう一人、誰かを好きになったとき:ポリアモリーのリアル』(新潮社)など多数。