自分が生まれた街で生まれる前からやっている酒場。20年前に、友達がバイトしているからという理由で何人かで行ったことがあったが、当時はお店の味わいなどに興味がなく、友達と騒いだことしか覚えていない。ある春の日、午後3時に店の前を通りかかり、店の前に掲示された「本日のおすすめ」ボードを見て、そのまま店内に吸い込まれた。
僕が生まれ育ったのは、練馬区にある大泉学園という街だ。
はるか40年近くも前の子ども時代、うっすらと記憶にある街並みは、町中華があったり、昔ながらの本屋があったり、中古レコード屋があったりと、今の僕好みの昭和っぽい味わいに満ちていた。けれども、西武池袋線のなかで大泉は駅前再開発が比較的早く、僕が中学生くらいのころには、すっかり近代的に変化してしまった。現在の僕からすれば考えられないことだけど、当時はそれが嬉しく、地元が都会みたいになった! と、素直に喜んでいた。
時は流れて現在、僕はその隣駅である石神井公園に住んでいる。石神井もまた、近年どんどん再開発が進んでいるが、昔ながらの商店街や古い酒場は大泉よりも多く残っていて、ここ15年ほどは、石神井の街でばかり酒を飲んできた。
ところが最近、一周回って(一周のスパンがだいぶ長いが)、大泉がおもしろい。考えてみれば、再開発後すぐにできた酒場があったとして、もう創業30年くらいにはなるわけで、立派な老舗だ。近年は新しい名店も増えている。「たまには気分を変えて」と大泉で飲んでみたらものすごく新鮮で、なんだかちょっと、大泉飲みにハマってしまっているのだ。
ところで、大泉を代表する老舗酒場といえば、南口駅前すぐの「酒蔵 あっけし」。ここは再開発と関係なく昔から残っている奇跡的な店で、創業は1979年。なんと、僕が生まれた翌年から営業を続けている。
究極に古い味わいに満ちた店内はとても清潔で、大箱と言っていい広さ。店を入ると右側にテーブル席がずらりと並び、左側にはひとつ個室風のボックス席、さらにその奥には、これまた広い小上がりの座敷に、大きな座卓がいくつも並ぶ。壁じゅうに貼られたカラフルな短冊メニューも楽しく、店員さんたちに活気があって、まさに僕の大好きな、その場にいられるだけでありがたくなってしまうタイプの酒場だ。
またすごいのが、営業時間。なんと、ランチタイムが午前11時から午後2時まで。続いて、3時から夜の10時までが酒場タイム。つまり、たった1時間の中休みを挟むだけで、昼から夜まで、ず〜っと飲めてしまう店というわけだ。ここは上野や赤羽じゃなく、大泉。僕のように、若干世を捨てたような人間にとって、なんとありがたいことだろう。
店名のあっけしとは、北海道の地名「厚岸」のことで、ご主人と奥様の出身地だそう。それゆえ、名物の牡蠣をはじめ、新鮮で上質な魚介類が最大の売りだ。また、なにを頼んでもボリュームたっぷりなのも特徴のひとつで、要予約の「盛り合わせサラダ」は、その山のような見た目がインパクト抜群。TV番組などでもたびたび紹介されているほどだ。
当然、メインの魚介類は時価だから、たとえばまぐろ刺しが1000円台後半だったりと、それなりにいい値段がする。たまのぜいたくとしてそういうものを頼むこともあるが、ごく普通の酒場的つまみで気軽に一杯ひっかけることができるのも、由緒正しき大衆酒場的なありがたい点。
恥ずかしながらこの店に、僕は20年ほど前に一度行ったきりだった。そのときは確か、友達がバイトしているからという理由で複数人で訪れ、しかし当時の僕は、飲んでわいわい騒ぐことしか頭になく(こういう店にしたらとても迷惑な客だ)、店自体の味わいなどにまったく興味がなく、印象もほとんど残っていなかった。
が、ごぞんじのとおりすっかり重度の酒場好きとなり、2年ほど前に久しぶりに訪れて、その良さに感動した。なんてバカだったんだ、20年前のおれよ。それ以来、ちょこちょことひとりで足を運ぶようになった。
印象的だったのは、ある春の日。ちょうど酒場営業が始まる午後3時に店の前を通ると、親切にも店の前に掲示された「本日のおすすめ」ボードに、山菜の名前が並んでいる。上から「行者にんにく天」「ふきのとう天」「タケノコ天」、それぞれ税込みで550円。この、日替わりのボードメニューで季節を感じる瞬間こそ、チェーン店ではない個人酒場最大の魅力のひとつだと思う。さらに思わず涙を流しそうになったのは、そのひとつ下のメニュー。「上記天ぷら3種盛」(660円)。ふらりとひとりで飲みに寄り、3種類も天ぷらを頼むのは過剰だ。そんな、僕のような客のためとしか思えない、きめ細かい気配りメニュー。当然、そのまま店内に吸い込まれた。
口開けで、客は僕しかいない。カウンター席はないから、広いテーブル席にぜいたくにひとりで陣取り、すかさず「ホッピーセット」(550円)でのどを潤す。開け放たれた入り口から、爽やかな春の風が店内を通り抜ける。
そんな時間をしばらく味わっていると、山菜天3種盛りが到着。それぞれが横一列にたっぷりと盛られ、木の芽までがあしらわれている。行者にんにくの生命力や、たけのこのみずみずしいしゃきしゃき感。王者の風格のふきのとう天は、肉厚で甘くてほんのりと苦く、じゅわりと噛み締めるたびにうっとりしてしまう。あらためて、こんな貴重な店がある大泉は、いい街だ。
話は変わるが、数か月前、僕のSNSを本名と思われる名前でフォローしてくれた男性がいる。そこには「傳智之」と書いてある。でんともゆき……その名前を聞いて、突然閉じられていた記憶の扉が開いた。これ、中学の同級生の、傳くんじゃないか!? 珍しい名前だし、間違いないだろう。そこでメッセージを送ってみると、まさにそうで、なんでも、同級生に僕がこのような仕事をし、本などを出しているということを聞いて、興味を持ってフォローしてくれたらしい。
さらに驚いたのが、傳さん(大人になったので、以降“さんづけ”にしておく)は現在、編集者の仕事をしていて、しかも業界ではかなりの有名人らしい。最近編集を担当したビジネス書『人生が整うマウンティング大全』も、検索してみるとすごく話題になっているようだ。っていうか、マウンティング大全って、おもしろすぎるだろう。
当然、さっそくこんど飲もうということになり、せっかくなので地元のあっけしをその店に選んだ。中学を卒業しても僕がよく遊んでいた友達ふたりにも声をかけ、合計4人。集まってしまえば、会わないでいた時間などなかったように、全員が少年の目に戻って思い出話に花を咲かせる。ちょうどみんな「あっけしには、はるか昔に一度だけ来たことがあるのみ」という共通点があり、「こんなにいい店だったっけ?」と感動している。それを見て僕は「だろ? あっけしは最高なんだよ」と、ほんの少しアドバンテージがあるだけのくせに先輩風を吹かせるのだった。
その日は人数がいたこともあり、つまみも大いに頼んだ。何気なく注文した「イカ沖漬」(550円)が気に入り、思わず追加注文した「いかの塩辛」(495円)、「イカの丸焼き」(825円)の、いか軍団の美味しさはちょっと驚くレベルだった。
また、メニュー名だけだとなんだかわかんないけど頼んでみよう、と注文した「火の鳥」(825円)。これが、大きなどんぶりがスパイシーなカレーソースで満たされ、そこに薄めの衣をつけて揚げられた鶏のからあげがたっぷり入った、まるで牛丼チェーン・松屋の「ごろごろチキンカレー」みたいな見た目の料理だったのも笑った。それでこのネーミングか。
この火の鳥に象徴される、新鮮な魚介類一本でも勝負できるはずなのに、「こういうのも好きでしょ?」っていう、気取らなさ。それこそ、あっけしいちばんの魅力なのかもしれない。
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『酒場と生活』次回は2024年7月4日公開予定です。
筆者について
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。酒好きが高じ、2000年代より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター、スズキナオとのユニット「酒の穴」名義をはじめ、共著も多数。