うたた寝は生活を狂わす
第5回

どうしてこんなにも電話はラブソングをキュンとさせるんだろう

カルチャー
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なんてことないことがなくなったら、なんてことあることしかなくて大変だ。これは、『ケトル』の副編集長である花井優太が、生活の中で出会ったことをざっくばらんに、いや、ばらっばらに綴り散らかす雑記連載です。第五回目は、電話とラブソングの話。

* * *
新宿ゴールデン街には、いまだに黒電話を置いている店がある。もちろん現役だ。店なので当然たまにベルが鳴るわけだが、その度にこの電話はまだ生きているのだと、妙な感慨にふけてしまう。しかし、黒電話にたいした思い出はない。それどころか、僕は生きている中で黒電話に触れたことは一度もない。まだ幼い時分、祖父母の家に回転ダイヤル式の電話があったのだけど、薄い緑色だった。HTMLのカラーコードでいえば、#DDFFDDぐらい。それですら、受話器をとったことがあるだけ。ダイヤルを回したことはない。そして遅くとも5歳のときには、押しボタン式の電話に変わっていた。なぜ5歳と明確に覚えているのか……。

祖父母宅の居間でアニメ『クレヨンしんちゃん』を観ていたら、電話が鳴った。僕はしんのすけのアクロバティックな身のこなしと、現代なら放送コード待った無しの展開に夢中。「電話に出て」という母の呼びかけを無視し続けたことで、落雷。テレビを見るどころではなく大泣き。1993年12月、幼稚園年中組の冬休みだった。野原しんのすけ5さい、はないゆうた5さい。しんちゃんはテレビの中で、僕はテレビの前で、母の制裁を食らったのだった。

思えば、野原しんのすけとバート・シンプソン、この二大巨塔に幼少時出会ってしまったことが運の尽きなのだ。その後の人生を決定づけたのはいうまでもない。トリックスター万歳、心の師。彼らの真似をしクソガキを熱演していたら、三つ子の魂百まで。親から授かった命に流れた血は、全部入れ替わってしまった。大変申し訳ございません! ただ、悪いことだけではない。特にしんのすけは、とある名曲とぼくを巡り合わせてくれた。

もう20年ぐらい前だろうか。しんのすけの母・みさえが、八百屋に勤める若者に淡い恋心を抱いてしまう話があった。バッチリと、ガーン! なオチがあったはずだけど、そこまでは覚えていないのが残念。ストーリー自体も秀逸だったと思うのだが、重要なのは使われていた音楽である。小林明子の「恋におちて -Fall in love-」……小林明子作曲、湯川れい子作詞の1985年リリースヒット曲。ダイヤル回して手を止めるアレだ。愛する人の土日が欲しいという女性の行き場ない気持ちが、サビに凝縮されているんです。

ちなみにこの曲はドラマ『金曜日の妻たちへIII 恋におちて』の主題歌で、同作は前年にアメリカで公開(日本公開は1985年)された映画『恋におちて』のオマージュだ。映画の主演はロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープ。時代ですな。物語のテーマはダブル不倫で、マンハッタン発の愛の終列車に揺られた人は大勢いたのである。

そういえば、<ダイヤル回して手を止めた>以外にも、男女の関係性を描く上で電話が使われることは多々ある。「恋に落ちて」と同年リリースでいえば、薬師丸ひろ子の「あなたを・もっと・知りたくて」。筒美京平作曲、松本隆作詞。想い人に電話をかけるが、ベルが8つ鳴っても出ないので切る。そんな乙女の気持ちを薬師丸が歌い上げる。

NTTが民営化した直後のキャンペーンソングで、ここで登場する電話はCMを見る限りおそらくプッシュホン式。「恋に落ちて」を作詞した湯川れい子が、女性の迷う心理を上手く表せるとあえてダイヤル式を選んだのは有名な話だが、ベルの長さと女性の心境を重ねた松本隆先生もさすが。<16粒の角砂糖を涙色の海に沈め>るなんて歌詞もあるが、心の数値化は松本先生的テクニックの代表的なものである。

ベルが鳴るーーワンコールは約3秒。つまり約24秒、受話器を耳に当てていた。この結構な長さが、主人公のもどかしさそのものなのだ。宇多田ヒカルの「Automatic」は7回目のベルで受話器をとってもらえるから、3秒短い。しかも、<名前を言わなくても声ですぐわかってくれる>からハッピー。「あなたを・もっと・知りたくて」では、<もしもし 私 誰だかわかる?>と子猫を膝に長電話したのは過去の話として描かれている。彼氏が7コールで電話に出なかったら危険信号、なのか……?

どの曲も、歌い継がれ人の心をとらえ続けるマスターピース。ただ、もうダイヤル式の電話はほとんど世の中にない。曲を聴いてもピンとこない世代は確実にいるのである。数年前、アマゾンのスマートスピーカー「アマゾン・エコー」で、ディスプレイを通して通話ができる機能が日本でも始まった。

「アレクサ、おばあちゃんに連絡して!」と言えば、孫はいつでも祖母と通話することができる。この際、当たり前だが受話器は必要ない。受話器も近い未来消えてしまうかもしれない。そう考えると、残されたのはコール音。これも、いつかは消えてしまうのだろうか。手を止めるダイヤルがなく、取る受話器がなく、コール音もない世界。「電話」という、人の心を言葉で描くのにうってつけのツールが、なくなってしまう。

ただ、機能は求められなくても、愛着で残り続ける可能性もある。現に、スマホで時間は確認できるであろうに、未だ僕は腕時計をつけているし、AppleもApple Watchを販売している。わざわざ、時計の形で。こういう状態を、メディア美学者の武邑光裕はゾンビ化したコンテンツと言っていなかったか? だとすると僕の部屋には、ゾンビがたくさんいることになるなあ。

近い未来、電話(らしきもの)を巡ってどんな表現が出てくるのだろう。アマゾンエコーを抱えて彼の連絡を待つのは、なんだか可愛いしアリなんじゃないか。「〇〇に連絡して!」と口に出かかったけど、そっと毛布を被って押し殺したなんてのもあり。”夜の隙間に入り込んで秘密のはなし”をしたいのは、いつの時代も一緒でしょうきっと。

◼️NOTES
1●カラーコード
WEBで色を表示するためのコード。#に続く6桁の16進数で表記。0からFで色が表現され、0に近いほど薄くFに近いほど濃い。

2●クレヨンしんちゃん
臼井儀人の漫画作品。1990年8月から2010年3月まで続いた。同年8月からは、臼井のスタジオメンバーによって『新・クレヨンしんちゃん』がスタート。嵐を呼ぶ5歳児、野原しんのすけが常に騒動を起こす日常系ギャグの傑作。

3●バート・シンプソン
アメリカの人気コメディアニメ『ザ・シンプソンズ』の主役の一人。シンプソン家の長男10歳。本名はバーソロミュー・ジョジョ・シンプソン。イタズラが行きすぎて騒動どころか事件を起こす問題児。スケートが上手く、優しい一面をもつ。

4●小林明子
1958年生まれのシンガーソングライター。元々は楽曲提供がメインだったが、85年に「恋に落ちて」でデビュー。これがたちまち大ヒットとなる。スティーヴ・ジャンセンやブライアン・イーノとも親交が深い。

5●湯川れい子
1936年生まれの作詞家、翻訳家、音楽評論家。女優としてキャリアをスタートさせたが、ジャズに傾倒したのをきっかけに評論家へ。ジョン・レノンに無視された経験を持つ。中森明菜、小泉今日子、沢田研二など、多くのミュージシャンに詞を提供している。

6●『金曜日の妻たちへIII 恋におちて』
1983年に放送されて以来、シリーズとして人気を博したTBS系連続ドラマの第三弾。1985年放送。サントリーがスポンサーについており、パピプペンギングッズが作中で見られる。

7●『恋におちて』
1884年公開のアメリカ映画。監督は『ディープ・エンド・オーシャン』のウール・グロスバード。不倫映画の代表作。

8●ロバート・デ・ニーロ
1943年生まれのアメリカの俳優。『ゴッド・ファーザーPARTⅡ』『タクシードライバー』はじめ、多くのヒット作に出演している。近年では『ジョーカー』での司会者役、Netflix制作の『アイリッシュマン』での主演とCGでの若返りが話題となった。

9●メリル・ストリープ
1949年生まれのアメリカの女優。『ディア・ハンター』『クレイマー、クレイマー』『プラダを着た悪魔』など多くのヒット作に出演。デ・ニーロとの共演は『ディア・ハンター』が初めてであり、彼からのオファーによって決まった。

10●薬師丸ひろ子
1964年生まれの歌手、女優。日本映画史上初めてセーラー服で機関銃をぶっ放した人。デビューからしばらくは角川映画で主演を務めることが多く、本人が歌う主題歌の歌詞は松本隆が手がけた。

11●16粒の角砂糖を涙色の海に沈め
西村知美が1986年にリリースした5枚目のシングル『16粒の角砂糖』の歌詞。

12●アマゾン・エコー
AI「アレクサ」が搭載されたスマートスピーカー。

13●夜の隙間に入り込んで秘密のはなし
1990年生まれのシンガーソングライターkiki vivi lilyのデビューアルバム『LOVIN’ YOU』5曲目「AM0:52」の歌詞。

■筆者プロフィール
花井優太(はない・ゆうた)
プランナー/編集者。太田出版カルチャー誌『ケトル』副編集長。エディトリアル領域だけでなく、企業のキャンペーンやCMも手がける。1988年サバービア生まれサバービア育ち。Twitter : @yutahanai

【関連リンク】
ケトル VOL.52-太田出版

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

筆者について

花井優太

はない・ゆうた。プランナー/編集者。太田出版カルチャー誌『ケトル』副編集長。エディトリアル領域だけでなく、企業のキャンペーンやCMも手がける。1988年サバービア生まれサバービア育ち。昨年一番聴いたアルバムはSnail Mail『LUSH』。タイトルが載った写真は関口佳代さんに撮っていただいたものです

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