宇宙機の制御工学を専門としながら、JAXAのはやぶさ2・OKEANOS・トランスフォーマーなどのさまざまな宇宙開発プロジェクトに携わる、宇宙工学研究者・久保勇貴の新連載がOHTABOOKSTANDに登場! 久保さんはコロナ禍以降、なんと在宅研究をしながら一人暮らし用のワンルームから宇宙開発プロジェクトに参加しているそうで……!? 地べたと宇宙をダイナミックかつロマンティックに飛び回る、新時代の宇宙エッセイをお楽しみください。
2021年、宇宙旅行元年
ジャルジャルの表情がこわばっている。僕の表情もこわばっている。夕方だった。
2021年12月8日、日本時間16時。実業家の前澤友作さんと平野陽三さんを乗せたソユーズロケット打ち上げの生中継番組を、僕はワンルームでひとり見ていた。オープニングで、ジャルジャルのお二人が緊張した様子でコメントをしている。どうやらジャルジャルは、宇宙空間でコントをするのが夢らしい。 空気が無いところで空気を読んだり読まなかったりするわけですね、とすかさず司会の福澤朗さんが上手いこと言ってスタジオの空気がふわりとゆるむ。それで、ジャルジャルの表情も少しゆるむ。けれど、僕の表情はこわばったままだった。生放送の画面に表示されたカウントダウンタイマーが、打ち上げまで36分を切ったことを知らせていた。
2021年は、「宇宙旅行元年」なんて言われた記念すべき年だった。7月には、ヴァージン・ギャラクティック社とブルーオリジン社が相次いで初の有人宇宙旅行を決行。9月には、スペースX社が初めて民間人だけを乗せた宇宙船を軌道投入し、他社よりもはるかに本格的な宇宙旅行を実現。10月には、ソユーズロケットで打ち上げられたロシア人の女優と映画監督が国際宇宙ステーションで映画撮影。そして、締めくくりの12月が前澤さん・平野さんの宇宙ステーション滞在旅行。本職の宇宙飛行士よりも民間人宇宙旅行者の方が多く打ち上げられるという前代未聞の年となった。2000年代にもロシアのソユーズロケットを借りて宇宙ステーションを訪問する旅行は何度か行われてきたけれど、民間企業までもが宇宙旅行に本格参入したのはまさに新たな時代の幕開けと言っていいだろう。まだまだ気軽に行ける値段じゃないけれど、多くの人が宇宙旅行に行く時代は着実に近づいているのだ。一連のニュースを見て、ワクワクした人も多いんじゃないだろうか。
けれども、相変わらず僕の表情はこわばっていた。生放送では、すっかり表情のゆるんだジャルジャルがクイズ形式で宇宙旅行の素朴な疑問を解説している。後藤さんの出題に、福徳さんがほっこりボケで返し、スタジオの空気がさらにゆるんでいく。生放送の尺の関係だろうか、素朴な疑問クイズは二問だけであっさり終わり、早々と次のコーナーに移ってしまった。打ち上げまでは、12分を切ろうとしていた。
誰もが抱く素朴な疑問といえば、やっぱり「宇宙旅行っていくらかかんの?」とかじゃないだろうか。僕もしょっちゅう聞かれるし。実は、現状の宇宙旅行は大きく二種類の価格帯の旅行に分かれている。一つが、宇宙船を真上に打ち上げて高度100キロぐらいまで上昇してからすぐに落ちてくる「サブオービタル」という方式の旅行で、価格は数千万円ぐらい。もう一つが、宇宙船を上に打ち上げながらも横方向にぐんぐん加速して、高度数百キロぐらいの人工衛星の軌道に乗る「オービタル」という方式の旅行で、こちらは数十億円ぐらい。ひとくちに「宇宙旅行」と言っても、サブオービタルとオービタルでは価格・滞在時間・ロケットの規模はまさにケタ違いなのだ。 先ほど挙げたもので言えば、ヴァージン・ギャラクティック社とブルーオリジン社の旅行は一時間程度で地上に戻ってくるサブオービタル方式で、スペースX社とソユーズの旅行は人工衛星の軌道に数日間滞在するオービタル方式になる。機体のサイズも、サブオービタルの方は小さなロケットを付けた飛行機や単段のロケットで打ち上げられるけれど、オービタルの方は多段式の巨大なロケットで打ち上げなきゃいけない。前澤さんの宇宙旅行は、宇宙ステーションに十日間ほど滞在するオービタル方式なので、宇宙旅行の中でもものすごく大がかりな部類に入るわけだ。
前澤さんたちの打ち上げ地点であるバイコヌール宇宙基地と、中継が繋がる。現地の気温は氷点下の凍える寒さだそうで、しかし、そんな寒さを感じさせない笑顔でレポーターさんが現場の興奮を伝えている。打ち上げまで、10分を切っている。
打ち上げ前日の前澤さんへのインタビュー映像が流れ、その中でしきりに語られていたのは、挑戦、という言葉だった。
「まあ、常に挑戦してたい人間なんだよね、俺」
「挑戦をすることは苦じゃないし」
「挑戦してないと逆になんか生きてる感じがしないっていうかね」
「挑戦しない人生っていうのは自分の中であり得ないっていう」
日本の民間人として初の国際宇宙ステーション滞在を目指すこの挑戦者の姿を、きっと多くの日本人が見守ってるんだろう。平日の夕方だから、学校が終わった子供たちなんかも見てるんだろう。その目の色は、きっと期待で染まってるんだろう。しかし、というか、だからこそ、僕の表情はこわばっている。
思い出すことがあるからだ。
宇宙旅行につきまとう危険 頭をよぎる衝撃の生中継映像
その日も、寒い日だったらしい。アメリカ・フロリダ州のケネディ宇宙センターの気温は氷点下の凍える寒さで、しかし、そんな寒さを感じさせない笑顔でたくさんの人が打ち上げを見守っていた。打ち上げを待つロケットには、民間人のクリスタ・マコーリフさんも乗っていた。彼女は、「学校教師を宇宙に送り、宇宙授業を行う」というプログラムで一万人以上の中から選ばれた、ごく普通の高校教師だった。民間人の教師として初めて宇宙を訪れるこの挑戦者の姿を、多くのアメリカ人が見守っていた。教育関係者たちの注目もいつにも増して高く、お昼の授業の時間帯ではあったけれどたくさんの子供たちが打ち上げ生中継を見ていた。もちろんその目の色は、期待で染まっていたんだろう。
打ち上げから73秒後、その大観衆の目の前でロケットが大破した。火炎がロケットを包みこんだ次の瞬間に機体はバラバラに破壊され、その破片が無数の飛行機雲を描きながら飛び散った。爆発の瞬間、現場の観覧席からは拍手と歓声が沸き起こったという。突然のことで何が起こったか分からず、その爆発を第一段ロケット切り離しの演出だと勘違いしたのだ。当時、人を乗せた宇宙船の打ち上げは連続して成功しており、まさか打ち上げが失敗するだなんて思っていなかったのだろう。より一層何が起きたか分かっていない子供たちは、周りの大人をキョロキョロ見回しながら拍手を続けていた。しばらくしてから観衆が異変に気付き始めると、歓声は徐々にどよめきとなり、やがて沈黙へと変わっていった。四散した機体の破片は、彼らの目の前でゆっくりと地上に落ちていった。眉間にしわを寄せながら、乗組員たちの家族は呆然とその破片の軌跡を目で追っていた。1986年1月28日、マコーリフさんを含む乗組員七人全員が死亡したスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故だ。チャレンジャー、つまり、挑戦者という名前の宇宙船だった。
前澤さんの打ち上げカウントダウンが、残り1分を切ろうとしている。宇宙飛行士の山崎直子さんが、打ち上げ後のロケット切り離しの手順を淡々と説明している。ジャルジャルの表情には、少し緊張がにじみ始めている。YouTube生配信のコメント欄では、いってらっしゃい!お気をつけて!との声がびゅんびゅん流れている。残り30秒、ロケットに繋がるアンビリカルタワーが分離、スタジオから歓声が上がる。ジャルジャルの表情にも、笑みがこぼれる。僕の表情はこわばっている。残り10秒、白煙が上がり、エンジンに火が灯る。うおーっ、すごーい、と出演者たちから声が漏れる。もちろん、僕の表情はこわばっている。カウントダウンは、止まらない。
チャレンジャー号爆発の直接の原因は、氷点下の寒さによってロケットエンジンを密封するゴムが弾力を失い、そのせいで高温の火炎が漏れ出したことだった。けれども、それは予想外のことじゃなかった。一部の技術者たちは、寒い日に事故の危険性が高くなることをあらかじめ指摘し、打ち上げを中止するように求めていたのだ。けれども、上層部はそれに反対した。打ち上げを延期するとコストも増え、スケジュールも遅延してしまうからだ。人命の安全よりも、経営判断が優先された。設計自体の技術的な問題点と同時に、政治的・経済的な問題点が明るみに出たのが、あのチャレンジャー号の事故だった。
2021年、宇宙旅行元年と呼ばれるこの年を境に、人を宇宙に打ち上げる機会はどんどんと増えていくんだと思う。もちろん、宇宙を目指すたくさんの挑戦者たちが夢を叶えていくのは、とっても喜ばしいことだと思う。僕だって、そりゃあお金があれば宇宙旅行に行ってみたいと思う。思うけれど、思うからこそ、僕らは今このタイミングでもう一度真剣に歴史を振り返る必要がある。そこにある倫理を、見つめ直す必要がある。民間企業が宇宙旅行に参入するということは、そこに本格的な市場が持ち込まれるということだ。人命の安全よりも経営判断が優先される事態に、簡単に陥る可能性があるということだ。動き出したカウントダウンは、止まらない。「人間にはフロンティア精神が備わっているのさ!」「冒険本能に従うのは当然なのさ!」だなんて無邪気な理由で正当化して本当にいいんだろうか。十分な訓練を受けず、危険性や健康被害をちゃんと理解できていないのに、インフォームドコンセントなんて本当に成立するんだろうか。それでも、宇宙に行くことって本当にいいことなんだろうか。
3秒前、2秒前、1秒前、そして、前澤さんを乗せたソユーズロケットがゆっくりと上昇を始める。わーっ、すごーい、とスタジオから歓声が上がる。これ今だもんね、ニュース映像じゃなくて今ですもんね、と福澤朗さんが興奮ぎみに実況する。そう、今だ。中継が機内の前澤さんの映像に切り替わり、それをジャルジャルが目をまんまるにして見ている。これ、今ですかこれ?と福徳さんがスタッフに確認している。そう、今だ。今なのだ。時代の転換期である今、僕らの世界で起こっていることだ。今の時代に生きる僕たちが、きちんと向き合わないといけない現実だ。
人間を宇宙に打ち上げるということ
人を宇宙に打ち上げることは、決して安全じゃない。もちろん、長い宇宙開発の歴史の中でたくさんの改良を経て安全性は高まってきているのだけれど、それでも背中に爆弾を括りつけて飛ぶような仕組みであることは根本的に変わっていない。NASAのスペースシャトル計画は、全135回の飛行の中で2回の死亡事故を起こした。ヴァージン・ギャラクティック社の2014年のテストフライト中の事故では、パイロット1人が死亡した。比較的安全性が高いと言われているソユーズロケットも、2018年に第一段ロケット分離時の事故で宇宙飛行士たちの命が危険に晒された。事故は100回か200回に1回ぐらいの割合で起こっていて、そして、その1回は今日なのかもしれない。もちろん今日であってほしくはないけれど、それでも、今日であっても全然おかしくはない。それが、人を宇宙に打ち上げるということだ。
だから、僕の表情はこわばっていた。
前澤さんを乗せたソユーズロケットが尻上がりに速度を上げていく。画面には、第一段ロケット切り離しまでのカウントダウンが表示されている。機内の前澤さんは、笑顔を見せている。僕は表情をこわばらせながら、祈っている。今日であっても全然おかしくはないけれど、どうか、今日だけは、何事もなく安全に飛んでほしい。この笑顔が、その挑戦が、どうか奪われないでほしい。けれども、カウントダウンは止まらない。
画面がロケットの外の映像に切り替わる。眼下には、厚い雲で覆われた地表が見えている。うおーっ、すごーい、地球だ、とスタジオから歓声が上がる。うわーっなんじゃこれ、とジャルジャルが目の前の光景に驚いている。僕は、祈っている。3秒前、2秒前、1秒前、そして、四本の第一段ロケットが分離する。くるくると回転しながら、上下左右にきれいに分かれて地球へ落下していく。新体操のバトンみたいにスーッてきれいに回りましたね、と福澤朗さんが相変わらず興奮ぎみに実況する。これは、第一段とロケットがぶつからないようにあえて工夫をして切り離しているんですけれども、とすかさず山崎直子さんが技術解説を挟む。あっそういうことか、ほえー、すごい技術や、そして、山崎さんはなおも続ける。
「このようにきれいに分離する様子を、コロリョフの十字とも言います」
十字架刑がローマ帝国で最も残酷な刑罰だったんなら、きっと、十字架は死の象徴として当時の人々から恐れられていたんだろう。なのに、どうしてそれは救いの象徴になったんだろう。どうして僕は、その十字に祈りを捧げているんだろう。分からない。分からないなあ。分からないけれど、やっぱり良いものか悪いものかなんて、はっきりとは決まらないものなんだろう。すぐに結論は出ないけれど、だからこそ、じっくりと考えなきゃいけないんだろう。宇宙旅行の市場は、これからどんどんと拡大していくんだろう。良いものか悪いものかなんて分からないけれど、だからこそ、じっくりと考えなきゃいけないんだろう。
僕は、相変わらず表情をこわばらせながら祈っている。もう少し。もう少し。中継映像に映る地球は、すっかり遠くなっていた。最終段ロケットの切り離しまで、1分を切ろうとしていた。カウントダウンは、今もなお動き続けている。
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前澤さん打ち上げ生中継:
https://www.youtube.com/watch?v=QZVF60J5_7M
【お知らせ】
当連載を収録した書籍『ワンルームから宇宙をのぞく』は、全国書店やAmazonなどの通販サイト、電子ブックストアにて好評発売中です。
筆者について
くぼ・ゆうき。宇宙工学研究者。宇宙機の制御工学を専門としながら、JAXAのはやぶさ2・OKEANOS・トランスフォーマーなどのさまざまな宇宙開発プロジェクトに携わっている。ガンダムが好きで、抹茶が嫌い。オンラインメディアUmeeTにて「宇宙を泳ぐひと」を連載中。