再び“ガンダム”と向き合った『THE ORIGIN』への道のり/安彦良和 マイ・バック・ページズ

カルチャー
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2022年6月3日(金)に公開を控えた、映画『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』。本作の監督で漫画家・アニメーターの安彦良和がこれまでに手掛けてきた「全仕事」を、30時間を超えるロングインタビューで語り下ろした『安彦良和 マイ・バック・ページズ』(2020年11月発売)。ここでは、安彦良和作品のファン、そして最新作の公開を待つ方々にとっても永久保存版となる本書の中から、映画がもっと楽しみになるエピソードをご紹介します。2001年6月に創刊したガンダム漫画専門誌『ガンダムエース』(角川書店)。そこで『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』を描くことで、安彦は再び『機動戦士ガンダム』と向き合うことになる。

作品のテーマは「人は分かり合えない」

安彦は、以前からインタビューなどで『THE ORIGIN』のテーマは「人はわかり合えない」だと発言している。その言葉だけを抜き出して聞いてしまうと、ネガティブにも取れるテーマだが、どんな思いが込められているだろうか?

「作品のテーマは何ですか?」って聞かれることが多くて、それに答える時に空々しい抽象的なことを言ってもわからなくなってしまう。だから、わかりやすい言葉で表現するなら何だろうとある時期に考えてみた。

その結果、思い至ったのが「人はわかり合えない」。

そんなことは、テレビシリーズや劇場版ではひと言も言っていないかもしれないけど、平たい言い方で置き換えるとそうなるよって。たぶん、それは外していないと思う。

わかり合えない話、気持ちのすれ違いというのは本編の中でもいろんなところで描かれていて、それがまた『機動戦士ガンダム』の味になっているわけですよ。その対極としてニュータイプの表現に代表されるような、インスピレーションでわかり合えてしまう、通じ合えるというのがある。そこで、作品的にどちらにウエイトがあるのかと言えば、圧倒的に「わかり合えない」ことなんだよね。

『安彦良和 マイ・バック・ページズ』より

「わかり合えない」という状況を代表する関係性と言えば、アムロと両親のやり取りが挙げられる。サイド7にザクが侵入し、一般市民を巻き込む戦闘に発展する中で、アムロは父親のテムに、一般市民に目を向けてほしいと願う。また、地球で母親のカマリアと再会した際には、自分と母親の身を守るためにジオンの兵士に向かってアムロは銃を抜くが、その行動をカマリアは理解してくれない。

家族同士でも互いに理解できない状況が描かれ、それは仲間同士の関係にも表れてくる。

誰も責めてないんだよね。お父さんは「ガンダムの方が大事なんですか?」って言われたら、それは仕事だから大事だとなる。お母さんだって目の前で息子が銃を撃って、相手が死ぬかもしれないとなれば「あんた、何てことをするのよ」って言うよ。だから責めてない。だけど、それでも「わかり合えない」ってなっちゃうというね。

それは、悲しいけれど世の中そのままじゃないかっていうこと。こういうことって、今までの人生を振り返ってみれば、誰にでもいっぱいあった。たとえば、学校でささいなことで言い合いになって、「何でそんなこと言うの」ってケンカしたとか誰にだってあるわけでしょ。でもそれは相手を嫌いになったからではないからね。アムロとブライトの関係も同じで、ちょっと休ませようと思ったらアムロが勝手に「俺は二軍行きなんだ。だったら他所に行こう」というようなことになっている。そんなちょっとしたすれ違いみたいなことはよくあって、それが随所に散りばめられている。それをひと言で要約すると「わかり合えない」となる。本当はわかり合いたい。でも、「所詮人間はそんなものだ」と開きなおって済むものでもない。哀しいからね。だから、「哀しいけどそうなんだよ」ってしみじみ思うしかない。

『THE ORIGIN』で貫かれた「人はわかり合えない」というテーマ。それは、ある意味、政治と戦争を題材にして、歴史ものやSF作品を描いてきた、他の安彦作品にも通底する要素だと言うこともできるだろう。

「わかり合えない」ということを「解決すべき敵対関係」にしてしまうと、とても恐ろしいことが始まってしまう。わかり合えないから敵対するしかない、相手を倒すしかないんだって。そういう思想もあるわけですよ。宗教もある。「救済されるかどうかなんだ」とそういうところにも行ってしまう。ものすごく大きな分かれ目だと思うんですよね。

話が少し飛ぶけど、マルクス主義がなぜいけないのかと言えば、世の中の本質は階級対立と決めきってしまうことにある。基本的に、敵対する相手は打倒しなければならない、人間の歴史は階級闘争の歴史だと言ってしまう。それは、会社員が「うちの社長はいい人なんだよね」と言ってはいけないということ。社長は資本を握っているヤツだから、打倒しなければいけない。学校もその範囲で「うちの担任はいい人だよ」と言えば、「違う、学校当局は敵だ」となる。本質論で全てが消されちゃう。学園闘争もそうで、「この学校をより良くしよう」という話に対して全共闘派は「違う、潰すんだ!」と。それは、ある種の本質論かもしれないけど、絶対に人を幸せにしない考え方なんだよね。

人はわかり合えないのが当たり前なんだけど、わかり合おうとすること、そういうこと自体が大事なんだと。『THE ORIGIN』ではそういうことを描きたかったということです。

安彦が『THE ORIGIN』で最後に描いた番外編「アムロ 0082」。この物語は、一年戦争終戦から2年後の宇宙世紀0082年に、アムロとハヤトが日本の山陰地方を訪れる中編となっている。ハヤトの親族がこの地に住んでおり、そこに身を寄せていたフラウ、カツ、レツ、キッカと再会し、出雲大社をはじめとした名所旧跡を巡る。しかし、この外出をアムロの暗殺のチャンスと睨んだ者がいた。ジオン軍の残党を率いるウラガンは、特殊部隊を派遣し、アムロの暗殺を試みる。しかし、その行動をは、強固な連邦軍の警護部隊に阻まれてことごとく失敗。「アムロ暗殺」という物騒な状況を、コメディタッチで描きつつ、アムロとハヤト、フラウの関係性にスポットを当てた内容となっている。

この物語は、ハヤトとの結婚を決めたフラウが、アムロに対して「どうするの、これから……」と尋ね、アムロがそれに答えるシーンで幕を閉じる。アムロは、全ての始まりとなったサイド7に向かい、復興させる活動をしたいという希望を語り、最後にひと言付け加える「そして、つくってみたい。人と人とがほんとうに判りあえる社会を」と。

この締めくくりは、安彦がホワイトベースのクルーのもとに辿り着いたアムロの姿で幕を閉じた『THE ORIGIN』の本編のラストに、「人はわかり合えない」というテーマに伴うメッセージをひと言付け加えたというものだったことがわかる。

『THE ORIGIN』の連載は、当初「最短でも3年はかかる」と言っていたが、実際には10年の月日が費やされ、単行本は通常版で24冊にもなった。これは、安彦が描いた作品の中で、最長のものとなった。そこまでの長期連載を終えて、どのような感想を持ったのだろうか?

自己責任という部分も含めて、10年かかったというのはやっぱり想定外だったね。でも、もっと早く描けたという気はまったくしない。一生懸命描いて10年かかったから、その意味では心残りはない。終わった時は「やり切った!」という気がしたしね。これ以上、誰がどうできるんだっていうくらいやり切った感はある。当初は、地獄のような仕事を想定して、半ば覚悟をして臨んだんだけど、10年やってみたらこれは大変楽しくできたなっていう感じだったね。KADOKAWAもとてもよくバックアップしてくれたし。

『THE ORIGIN』は、ある意味『機動戦士ガンダム』という原作付きの作品だけど、描きながら、富野氏の原作のすごさを理解し、再認識したという部分が多かったですね。当時、アニメの制作中にはわからなかったところが、物語の辻褄の合い方、伏線の巧みさとかいろんな部分のすごさに後から気付かされるところがたくさんあって、改めて大きな、いい仕事だったんだなと。だから、普通の原作付きというのとは、また違うよね。

これも散々いろんなインタビューなんかで言ってきたんだけど、当時の現場に参加して、スタジオの雰囲気、デザイン的なものの成りたち、作品の成立の過程を知っている人間であるということを踏まえて、俺は漫画を描いているんだという意識がある。つまり、神聖不可侵な部分とそうじゃない、いい加減に作られた部分が混ざっているのも知っている。だから、触っちゃいけないところは当然触っていない。でも、そうじゃない、いい加減なところは触って変えてもいいわけで。それは、傍から見ているだけではわからないことだろうけどね。

作品としては、いろいろと加えたり、いじったりしているんだけど、「俺の色をつけるぞ」とか、「俺の好みで行くぞ」ということはした覚えがないんだよね。極力自分を出さないで済むようにやって、「でもここはこうした方が整合性が確保できるぞ」という時に初めて変えるというやり方をしている。それは、初めに「私ありき」じゃないので。「安彦は、勝手に自分色に描き直してやがる」という批判が結構あることは知っている。

それに対して、『安彦良和の戦争と平和』(中公新書ラクレ)という本を書いてくれた杉田俊介さんが、「『THE ORIGIN』は驚くほど“無私”だ」と言ってくれたのは、何よりも嬉しかったね。彼は、俺以上に元の映像を観て、漫画を読み込んで比べるということをやってくれていたらしいから。

もし、富野氏自身が、今『機動戦士ガンダム』をリライトしたら、きっと俺以上に変えると思う。今から思うとこうじゃない、ああじゃないってね。きっと、俺が「神聖不可侵」って思った部分にしても触るだろうね。でも、俺は当時の富野氏をずっと思い浮かべながら漫画を描いていたから。それだけは自信を持って言えるね。

* * *

本書『安彦良和 マイ・バック・ページズ』では、アニメ『機動戦士ガンダム』のほか、『クラッシャージョウ』『巨神ゴーグ』『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』、漫画『アリオン』『虹色のトロツキー』『天の血脈』『乾と巽-ザバイカル戦記-』などの作品についてのインタビューや、単行本発収録となる漫画『南蛮西遊記序章』(オールカラー24ページ)も収録。安彦良和の「マイ・バック・ページズ=歩んできた長き道のり」、その軌跡のすべてが詰まった一冊。書籍・電子書籍ともに好評発売中です。
また、ゲーム&カルチャー誌『CONTINUE』では、『安彦良和 マイ・バック・ページズ』が特別編として復活! Vol.76から全3回の予定で、待望の監督最新作となる映画『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』の公開を控える安彦良和氏に再びロングインタビューを敢行。こちらも併せてチェックしてみてください。

筆者について

安彦良和 × 石井誠

1947年生まれ。北海道出身。1970年からアニメーターとして活躍。『宇宙戦艦ヤマト』(74年)、『勇者ライディーン』(76年)、『無敵超人ザンボット3』(77年)などに関わる。『機動戦士ガンダム』(79年)では、アニメーションディレクターとキャラクターデザインを担当し、画作りの中心として活躍。劇場用アニメ『クラッシャージョウ』(83年)で監督デビューする。その後89年から専業漫画家として活動を開始し、『ナムジ』『神武』などの日本の古代史や神話をベースにした作品から、『虹色のトロツキー』『王道の狗』など日本の近代史をもとにしたものなど、歴史を題材にした作品を多く手掛けている。2001年から『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の連載をスタート。10年にわたる連載終了後、アニメ化。現在『月刊アフタヌーン』にて『乾と巽-ザバイカル戦記-』を連載中。2022年6月には待望の監督作『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』が公開された。

1971年生まれ。茨城県出身。アニメ、映画、特撮、ホビー、ミリタリーなどのジャンルで活動中のフリーライター・編集者。アニメ作品のパッケージ用ブックレット、映画パンフレット、ムック本などの執筆や編集・構成。雑誌などで、映画レビューや映画解説、模型解説、インタビュー記事などを手掛けている。著書に『マスターグレード ガンプラのイズム』(太田出版)、『機動戦士ガンダムの演説から学ぶ人心掌握術』(集英社・共著)、『不肖・秋山優花里の戦車映画講座』(廣済堂出版・共著)などがある。

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