インターネット広告が登場したのが1990年代。それから20年あまりのうちに、「インターネット広告なんて」と施策から切り離されていたところから、「インターネット広告も」と存在価値を認められる時代へ。さらには、タッチポイントのプランニングや予算を考えるときに「まずはインターネット広告から」へと、インター ネット広告は立場を大きく変えました。そして今や、マーケティングにデジタルが使われないことはほぼなくなりました。
そんなデジタルマーケティング史を軸に、広告にまつわるテクノロジーや当時の社会情勢など30年分の「知っておくべき」がこれ一冊にギュッと詰まっています!
リーマンショックによる広告費の激減とその余波
ここからは再び、デジタルマーケティング史全体の動きを追っていくことにしましょう。本章では、2000年代後半から2010年代初頭の動きを解説します。
2008年9月に、アメリカの有力投資銀行だったリーマンブラザーズが経営破綻。それをきっかけに、いわゆるリーマンショックが起こり、世界的な株価下落・金融危機が発生しました。その影響を受けて、日本の株価も急降下し、不況に陥ります。
バブル崩壊後20年にわたり経済低迷が続いていた日本にとっては追い打ちとなる状況でした。結果、企業もマーケティング予算を減らさざるをえなくなり、今までのような規模でマス広告が打てないという状態になってしまいました。マーケティング予算は年間で決まるため、はっきりとした影響が出たのは翌2009年からでしたが、各社、限られた予算の効率的なマーケティング投資に頭を悩ませます。
そこでいよいよ存在感を高めたのがインターネットでした。マス広告中心の従来型の広告キャンペーンには、多額の予算が必要となります。価格の高さに加え、少しも広告をムダ打ちできないという切実な必要に迫られたため、幅広いリーチの代わりに、ターゲットを絞れて、数字で効果がわかるインターネット広告への出稿が増えていきました。
それまでは、100の広告予算があり、テレビCMに80、雑誌や新聞に10、デジタルに10という割合で予算が振り分けられていたとすれば、リーマンショック後は実感として全体予算が100から60に減らされ、テレビCMが30、デジタルが30という割合に変化していったのです。
実際リーマンショック後に、一時テレビCMをすべて中止し、その分のすべてをインターネット広告に振り分けた大企業も存在しました。インターネット広告は単価が安く、加えてテレビCMに比べるとクリエイティブ素材の制作費相場も安いため、予算も柔軟に対応できます。また、広告の出稿効果もマス広告よりも数値で測りやすい場合が多いため、社内で稟議が通りやすかったのです。
電通の調査「2009年 日本の広告費」によれば、前年と比べて平均で11.5%減の中、インターネット広告だけが1.2%増とプラスに成長していました。地上波テレビ広告が10.2%減、新聞広告が18.6%減、雑誌広告が25.6%減と軒並み下降していた中での数字です。
リーマンショックには、もうひとつ大きな余波があります。アメリカを中心に、不況にともなう人員整理等により、高度な数学や統計解析に長けた金融業界の人材(特にウォール街の優秀なソフトエンジニアたち)がデジタルマーケティング業界に流入してくる事象が生まれたのです。
その結果として、2010年頃になると、「アドエクスチェンジ」と呼ばれるサービスが台頭してきました。アドエクスチェンジとは、まるで株式市場のように広告枠をインプレッション単位で取引する広告取引市場のことです。エンジニアたちが金融業界の技術やノウハウを広告枠取引に次々と応用していったのです(図1)。この仕組みが一気に浸透した背景には、広告の効率を上げたいという広告主の欲望が大きく横たわっています。インターネット広告はマス広告に比べて、安価であることが利点でした。しかし、インターネット広告の運用に人員を割いてしまうと、せっかく広告単価が安いにもかかわらず人件費がかさみ、費用対効果が落ちてしまいます。
運用に手間がかかるアドネットワークや各媒体等を一元管理させることで、インターネット広告配信は、価格という利点をより生かしやすい環境になったのです。デジタルマーケティング業界はこの後も、広告主の効果効率という欲望にテクノロジーの進化で応え続け、さらに発展していきました。
デジタルマーケティング業界へ転出したのはエンジニアだけではありません。アメリカではすでに、インターネットの台頭で経営体力を奪われた多くの地方新聞が廃刊していました。リーマンショックはその流れを加速させ、職を失った多くの人材(記者や編集者)が企業のマーケティング部門にPR担当として雇用されます。
彼らは記事コンテンツ制作のスキルを生かし、オウンドメディアでの情報発信等に従事することになりました。デジタルマーケティングにおけるPRの重要性が高まっていたのです。
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本書では、1990年代後半から現在にかけてのインターネット広告の変遷を具体例と共に解説しています。テクノロジーが広告業界に与えた影響、また広告業界の欲望が後押ししたテクノロジーの進化についてより詳しく知りたい方は、現在発売中の『欲望で捉えるデジタルマーケティング史』(森永真弓/太田出版)をチェック!
筆者について
もりなが・まゆみ。株式会社博報堂DYメディアパートナーズメディア環境研究所上席研究員。通信会社を経て博報堂に入社し現在に至る。コンテンツやコミュニケーションの名脇役としてのデジタル活用を構想構築する裏方請負人。テクノロジー、ネットヘビーユーザー、オタク文化研究などをテーマにしたメディア出演や執筆活動も行っている。自称「なけなしの精神力でコミュ障を打開する引きこもらない方のオタク」。WOMマーケティング協議会理事。共著に『グルメサイトで★★★(ホシ3つ)の店は、本当に美味しいのか』(マガジンハウス)がある。