男性同士の深い関係性を描き、主に女性を中心に愛好されてきたBL(ボーイズラブ)。
そんなBLの画期的評論として話題になり、「2017年度センスオブジェンダー賞特別賞」を受賞した『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(溝口彰子著)の第二弾『BL進化論[対話篇] ボーイズラブが生まれる場所』が遂に電子書籍化!
これを記念して、OHTABOOKSTANDでは、本書から厳選した対談の一部を公開します。
今回は、漫画家・石原理さんとの対話から一部をご紹介。
BLの最前線を行くクリエイターたちとの対話を通して、作品に込められた思いや魅力について迫ります。
漫画家・石原理さんとの対話
商業BL業界の黎明期、1992年に「38度線」で商業デビューした石原理さん。2017年9月現在も『バーボンとハニートースト』を人気雑誌「シェリプラス」で連載中と、間違いなくBLの歴史と現在を代表する漫画家さんのひとり。とはいえ、異色の存在でもあります。
まずはその世界観。韓国と北朝鮮の国境「38度線」を舞台に描かれた戦争もののデビュー作から一貫してハード(硬派)なものが多い。作品によってはユーモラスであったり、ひょうひょうとした洒脱さがあったりするとはいえ。さらには、「ボーイズ(B/男性同士)のラブ(L/恋愛)」を中心に描く作品がほぼ、ない。しかし、不思議なことに、BL生え抜きのベテラン作家さんであることが強く感じられるのです。「BLではない別ジャンル的」ではなく、「BL」のなかでひとり1ジャンル」な感じ。
また、そもそもBLとは、おおまかに言うと、美少年同士を描いた「24年組」の作品をはじめとする少女漫画の流れと、スポーツものなど少年漫画を原作とした二次創作の流れが合流したジャンルなのですが、石原さんの場合、絵柄は、花を背負ったり大きな瞳に星がきらめいたりしないタイプの少女漫画的だな、と感じるものの、アクション描写が多く、モノローグがほとんどないなど、「文法」的には少女漫画的ではない。だからといって、少年漫画的とも違うような……。ではどこから来ているのだろう? その謎に迫りたくて、「対話」をお願いしました。
溝口 私、石原作品の大ファンなのですが、『BL進化論』(2015)では、90年代のBL定型分析のところで「攻」と「受」の体格差が小さい例として『あふれそうなプール』(1997‐2001)から木津と入谷の図版を使わせてもらったのと、BLジャンルでは描かれる世界観がすごく多様だという例としてNYのストリートキッズやマフィアが登場する『犬の王』(2007‐)に言及する、という形でしか扱えませんでした。で、遅ればせながら気付いたんですが、石原さんの作風って、厳密にはボーイズのラブが中心のBLとは違いますよね。
石原 そうなんです。恋愛に興味がないから描いたことがなくて。そういう意味では、LOVEではないのにBLにいてごめんなさい、って感じです。
溝口 いえいえいえ、男同士のバディ(相棒)やライバル、友情とよぶには緊密すぎるけれども恋愛とも違う、といった関係性もBLならではですから! で、1990年代のなかばから後半にかけて、商業BLでは「俺はホモなんかじゃない」や「愛情表現としてのレイプ」あるいは「『受』の魅力の証明としてのレイプ」などの定型ができたわけですが、石原さんはそういった定型とは関係なく、また、その時々の流行にも関係なくわが道を歩いてこられた、っていう理解でいいでしょうか。
石原 そうですね。編集さんたちがすごく私の世界観を大切にしてくださって、「描きたいものを描いてください」と、好きにやらせていただけたので。BLの中心になったことは一度もないですが、しれっと(笑)BLで描かせていただいてきました。
学園ものと少女漫画への挑戦だった
溝口 でも、私がBL研究を始めた1998年頃は『あふれそうなプール』が大人気で、BL業界の中心的人気作だったのではないかと思うのですが。
石原 たしかに、『あふれそうなプール』は、それまでよりも多くの方に読んでいただけました。
溝口 「俺の体の奥にプールがある それは今にもあふれそうなほど波立っている──」って、1ページぶち抜きで主人公の姿とモノローグがあるのが印象的で。……で、私は『あふれそうなプール』から読みはじめたのであとになって知ったのですが、そういう手法はむしろ石原さんの作品の中では珍しいですよね。
石原 そうですね。モノローグなし、あるいは、思い出したように入れるんだけどひとりのキャラに絞らないから掟破りだったり、が私の通常ですね(笑)。あの作品に関しては、ベテランの漫画家の友達に、「デビュー2年目くらいまでは編集があたたかく見守ってくれるけど、それを過ぎて鳴かず飛ばずだと厳しいよ」みたいなことを言われたので、学園ものにチャレンジする気になったんですよね(笑)。別の友達には、「少女漫画なんだから1ページぶち抜きもなくっちゃ」とも言われたので、それも試しました(笑)。
溝口 なんと、そんな裏話があったとは。とはいえ、1990年代の学園ものとしては、全体的な雰囲気がすごく硬派ですよね。あのお話はどこから発想されたのでしょう?
石原 じれったさ、ジリジリする感じが、「プールが満タン」っていう感じかな、というところから、最初、「からっぽのプール」「干上がったプール」……じゃない、「水のないプール」っていうタイトルをつけようと思ったんですが、映画にもうあるなと気付いて。じゃあ、水をプールに入れちゃおう、ということで「あふれそうなプール」っていうタイトルにしたんです。そうしたらそれがキーワードになってストーリーがばーっと浮かびました。
溝口 今、映画『水のないプール』(1982)の故・若松孝二監督に感謝したくなりました。「あふれそうなプール」っていう名タイトルの誕生は、彼の映画のおかげなんだなあと。
石原 ですね(笑)。で、「あふれそうなプール」というタイトルにしたからには、その意味を言わなくては、ということで、そのモノローグを入れたんです。
溝口 ストーリーがばーっと浮かぶ、というのは、あらすじが浮かぶ感じですか、それとも頭の中で映像が見える感じでしょうか?
石原 映像ですね。複数の、カメラ目線の動画が見える感じです。だからコマ割りというのが大変苦手で(笑)。コマ割りは、映像で見えているものを、たとえば、「振り向きざまに肘を入れる」みたいなことをどう止めて切り取って2コマで見せるか、といったことなわけですが、それをどうしたらいいかで毎回、すごく悩みます。
溝口 すでに演出された動画が「見えて」、セリフも「聞こえて」、それを漫画という平面に絵と文字で再現するっていうことですよね。なんだかすごい天才肌だなと感じます。三浦しをんさんも石原さんとの対談でおっしゃっていましたが(「小説ウィングス」連載の「愛がうまれてくるところ」。2012年夏号)。で、そういう天才肌の方だからこそ、1992年から2017年までずっと一線で活躍なさっているんですね。
壮絶なスランプ、そして……
石原 いえ、ずっとじゃないです。私、すごいスランプに陥ったことがあるんです。机の前に座って、何も出てこない、っていう状態になって、びっくりしました。人間の頭の中ってこんなにからっぽになるんだなーと。「悟りの境地か?」っていうくらいに何にもない、無の状態になって。今から思えば、スランプというか一種のうつ状態だったのかなと思いますが。
溝口 えっ? 何年頃のことですか?
石原 一番きつかったのは2000年から3年間くらいでしょうか。その後、2年ほど仕事をお休みしたことでなんとか持ち直したのですが。……『あふれそうなプール』以降、色んな出版社さんから色んなお話をいただくようになったんです。で、その頃の私は素人にケが生えたような段階だったので、仕事を断れなかった。嬉しいですし。とにかく来た仕事は全部引き受けていた。もともと、物語が降ってきたら、童話の「赤い靴」(※1)じゃないですけど、漫画という形にし終えるまで止まらないんです。で、当時はそれの連続で。坂道を走り降りはじめたら、情性がついて止まらない時ってあるじゃないですか。自分の意思に関係なく、脚が走り続けているような。あんな感じでした。ブレーキがかからないから、加速する一方。だから焼き切れちゃったんでしょうね。
溝口 当時のお仕事量はどのくらいだったのでしょう? 全部おひとりで描いていらっしゃるんですよね。
石原 はい。基本全部自分ひとりで作業しています。当時は月に2回、32ページの締め切りがあるのがふつうな感じでした。
溝口 月産64ページをひとりで、というのはすごいですね。ちなみに、こんなことうかがっていいのかわかりませんが、うつ状態って、だんだん弱っていかれたのでしょうか。それとも突然なのでしょうか。
石原 速すぎるスピードで走っていたのが、脱線した、あるいは列車が止まらなくなってガンとぶつかった、っていう感じでしょうか。『できそこない』っていうSFをビブロス(当時)さんで描かせてもらったんですが(「MAGAZINE ZERO」Vol.27・2000年冬号)。できそこないのアンドロイドが、主人公の研究に携わるのですが、主人公が開発しているウィルスが、最終的にできそこないのアンドロイドの寿命を延ばすというお話で。
巻頭のカラー数枚は出せていたんですけど、それ以外は下描きも進んでいないような状況で、締め切り3日前に高熱が出まして。その時の掲載雑誌が私の特集で、トップ掲載の描き下ろしだったんです。だから絶対に間に合わせなくてはと思って。しんどくなったら毛布にくるまってちょっと休んで、また起きて描いて、っていうのを繰り返して、編集さんが減ページしてくださった枚数をなんとか3日で仕上げたんです。でも、いちおう読めるものにはなったけれど、SFなのにヘルメットにトーンが貼れていないとか、やろうと思っていたことが全然できていなかった。そこで突然、きました。翌日から電話にも出られなくなって。……その、『できそこない』っていう作品自体は皆さんにほめてはもらったんですけど。
溝口 電話に出られない、ってことは、心配した編集さんがご自宅に来たり、ってことになったわけですか?
石原 いや、それがうつのこわいところで、出られないんですけど、仕事の電話かもしれないと思うと、出ちゃうんですよ。そうやって自分を追い込んでいく。
溝口 では、担当編集者さんたちは具合が悪いことは知らなかったということですか?
石原 自分でも自分の状態がよくわかっていなかったので説明できませんでした。「コンテの調子が悪いんです」と言ったりする程度で、いちおう仕事はしていたので、たぶん、編集さんたちも、うすうすどこかおかしいとは気付いていたくらいだったのかなと思います。皆さんどなたも怒ったりせず、じっと待ってくださったのは本当にありがたかったです。
溝口 そんな壮絶なことがあったんですね。復活できて、本当に良かったです。
※1 アンデルセン作。赤い靴に魅入られた少女が、靴の持つ不思議な力で踊らされつづけ、ついには足を切り落とす話。
* * *
※この続きは、現在発売中の『BL進化論[対話篇] ボーイズラブが生まれる場所』電子書籍版にてお読みいただけます。
本書では、この対話のほかに、BLの最前線を行く合計13名クリエイターたちとの対話を収録、BLの進化と社会との関係性について考察しています。さらに、4本の書きおろし論考も収録。450ページ越えの大ボリュームの一冊となっています。また、本書の第一弾となる『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』も絶賛発売中! 是非合わせてご覧ください。
筆者について
みぞぐち・あきこ。大学卒業後、ファッション、アート関係の職につき、同時にレズビアンとしてのコミュニティ活動も展開。1998年アメリカNY州ロチェスター大学大学院に留学、ビジュアル&カルチュラル・スタディーズ・プログラムでのクィア理論との出会いから、自身のルーツがBL(の祖先である「24年組」の「美少年マンガ」)であることに気づき、BLと女性のセクシュアリティーズをテーマにPhD(博士号)取得。BL論のみならず、映画、アート、クィア領域研究倫理などについて論文や記事を執筆。学習院大学大学院など複数の大学で講師をつとめる。
2017年、『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(太田出版)と『BL進化論〔対話篇〕 ボーイズラブが生まれる場所』(宙出版)の2冊が第17回Sense of Gender賞特別賞を受賞。
Photo: Katsuhiro Ichikawa