「コミュニケーションはできて当然」は誤解! コミュ障の定義について考えてみよう

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ニッポン放送の大人気アナは、些細な会話すらままならないコミュ障だった!
そんな彼が20年かけて編み出した実践的な会話の技術を惜しみなく披露。話すことが苦手なすべての人を救済する、コミュニケーションの極意をまとめた、吉田尚記・著『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』がOBS試し読みに登場。本書から抜粋したエピソードを全6回にわたって公開していきます。
今回は、「コミュ障」について。

「コミュ障」とは何か?

ここでいよいよ「コミュ障」の話をしようと思います。

コミュ障という言葉を最近よく耳にするようになりました。それはコミュニケーションについて、世間が大きく誤解していることを象徴的に表していると思うんですね。

コミュ障とは「コミュニケーション障害」の略称です。発声器官や知覚機能に問題があり、医学的な意味でコミュニケーション障害を抱えていらっしゃる方が存在するのは重々承知のうえで、最近では、スムースに話のできない状態を「コミュニケーション障害」と自認している人が相当数います。

これを他の言葉で表わすことが可能であれば、医学的な意味での障害に苦しんでいる方を傷つけずにすむので、そのほうがよいと個人的には思います。でも、コミュニケーションを円滑にとれない人を世間がどう思っているか、、、、、、、、、、を指し示すには、「コミュニケーション」に「障害」という言葉をつけるしかないんです。なぜでしょうか?

たとえば「水泳障害」とは言いませんよね。生まれながらにして泳げる人はいないのが常識で、訓練しなければできない水泳には「障害」という言葉は使わない。他にも「料理障害」とか「100メートルを10秒で走れない障害」などとは言いません。それは、料理も100メートルを10秒で走るのも、練習しなければ決してできないことだからです。

一方で、何らかの原因で歩くことができない場合は、一般的に「歩行障害」という言い方をします。訓練しなければできない行為には「障害」とは言わず、逆に、訓練しなくてもできるとされていることにだけ「障害」の言葉を使う。大変乱暴な物言いですが、「障害」とは、本来ふつうできてあたりまえのことができない事柄についてのみ、使われる言葉なんです。

ではなぜ「コミュニケーション障害」という言葉が存在するのか? それは世間が、コミュニケーションは簡単なもので、ふつうにできて当然と思っているからなんです。コミュニケーションは歩行のように誰にでもできる、世間的にはできてあたりまえと思われているから障害の語がつくわけですね。それで世の中では「コミュ障」なんて言う。それはたいへんな誤解だと思うんです。

コミュニケーション、すごく難しいですよ。決して最初からできてあたりまえではない。その意味でぼくは、世の中で一般的に使われている障害の語は、コミュニケーションには当てはまらないと思っています。

水泳や料理と同様、コミュニケーションも練習しなければうまくなりません。それを「コミュニケーション障害」と言うのは、その大前提を覆い隠してしまっていると思う。コミュニケーションを円滑にとることができないと気づいているなら、練習してうまくなるより他ないんです。

「コミュ障」の定義

コミュニケーションを支えているのはさまざまな技術であって、多くの場合、いきなり上手にできることではありません。<でもやっぱり、現にコミュ障って言葉は存在する>。そのとおり。言葉が存在するってことは、そういう現象も、実際にそれで悩んでる人も、多くいる証拠です。なのでここは、あえて、、、コミュ障という言葉を使って話を進めます。

もう一度、確認します。医学的な意味合い以外でコミュニケーション障害という言葉を使うのは、そもそもおかしい。「水泳障害」と言わないのは、練習しないと泳げないって世間的に思われているから。一方で「コミュニケーション障害」と言うのは、練習しなくてもコミュニケーションはとれるって世間的に思われているから。でも実際には、コミュニケーションがうまくとれずに困ってる人がたくさんいる。ぼくがまず指摘しておきたいのは、その世間一般にある矛盾です。

そこでいま、ニコニコ大百科に「コミュ障」の定義を記したものがあるんですが、これがたいへんよくできた解釈なので、適宜改編したものをちょっと読んでみます。まずその概要。「『コミュ障』とは『コミュニケーション障害』の略である。日本の国民病のひとつで、他人との他愛もない雑談が非常に苦痛、あるいはとても苦手な人のこと」。うん、皮膚感覚としてとってもよくわかる。

その次がすばらしい。「コミュ障にできないのは、あくまで休み時間などにおける友人や知人との、どうでもいいけれどじつに楽しげな会話である」。そうです、多くの人は、職場や学校でどうしても必要な会話については、かろうじて可能であるという解釈です。

そのうえで、コミュ障の症状としては以下のような事例があるという報告、、。「人見知りで言葉が淀みがち、口下手で滑舌が悪い、話すこと自体に劣等感を抱きうまくしゃべれない」。わかります。「文章だと理解できるが会話になると途端にわからなくなり、パニックに陥ってしまう」。まさにそうですね。

さらにいきます。「必要以上に空気を読み、自分の発言がその場を悪くするのではないかと不安に思ってしまう。その結果として、人に嫌われるのでないかと考え言葉に詰まる」。ホント、そのとおり。先にも触れましたが、コミュニケーションに悩みを抱えている人というのは、基本的に人見知りで、自分がいることで相手に嫌な思いをさせたくないって気持ちが強いんです。

ここまで、コミュ障の定義。すごく具体的でわかりやすいですよね。でもね、その次にある処方、、、コミュ障の改善方法なんですが、ここになんて書いてあるか?「自分に対して、ちょっとだけ自信を持ってみる」。ここ、なんじゃそりゃー! って思いませんか(笑)。

自信は「持て」って言われて持てるものじゃないでしょう。それができるんだったらいちいち悩まないですよね。

* * *

本書『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』(吉田尚記・著)は、世にあふれる「○○のためのコミュニケーション術」とは一線を画す、「コミュニケーションの目的は、コミュニケーションである」という原理に基づいた、コミュニケーションそれ自体について考察した画期的な一冊。コミュニケーションのあり方を感覚ではなく基本として、また、精神論ではなく技術として、誰でもすぐに実行へ移せる方法を知ることで、現代コミュニケーション論の新しいスタンダードになり得る内容になっています。

筆者について

吉田尚記

よしだ・ひさのり。1975年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。ニッポン放送アナウンサー。
2012年第49回「ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞」受賞。ラジオ番組でのパーソナリティのほか、テレビ番組やイベントでの司会進行など、レギュラー番組以外に年間200本ほど出演。またマンガ、アニメ、アイドル、デジタル関係に精通し、「マンガ大賞」発起人、バーチャルアナウンサー「一翔剣」の「上司」であるなど、アナウンサーの枠にとらわれず活動を続けている。共著を含め13冊の書籍を刊行し、ジャンルはコミュニケーション・メディア論・アドラー心理学・フロー理論・ウェルビーイングなど多岐にわたる。著書の『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』(太田出版)は国内13.5万部、タイで3万部を突破するベストセラーに。最新作は2022年11月28日発売の『オタクを武器に生きていく』(河出書房新社)。
Twitterアカウント @yoshidahisanori

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