井上理津子『絶滅危惧個人商店』(ちくま文庫)の文庫化、橋本倫史『観光地ぶらり』(太田出版)の新刊発売を記念し、高円寺の「本の長屋」で刊行記念対談が開催されました。現役のノンフィクションの書き手として最前線に立つふたりが、この右肩下がりの時代の今の日本で、ノンフィクションを書くこと、人に話を聞くこと、取材すること、執筆することについて、縦横無尽に語り合った貴重な対談をお送りします。
取材現場でどのように話を聞き出すか
井上理津子(以下、井上) 今の今まで橋本さんとはまったく打合せがなかったですね(笑)。ここに入ってきたら、「とにかくお店の2階に上がってください」と言われて、上に行っておりました。
橋本倫史(以下、橋本) こういうかたちにしたのは、僕のわがままでもあるんです。初めてお会いする方とトークイベントをするのは珍しい機会なので、事前の打ち合わせで打ち解けてからトークを始めるより、初対面の緊張感も含めて、「初めまして」から始まるほうが面白いんじゃないかと思ったんです。
井上 橋本さんの著書『ドライブイン探訪』と私の『絶滅危惧個人商店』、担当編集が一緒なんですよ。筑摩書房の青木真次さんっていうんですけど、彼に「今度橋本さんとトークすることになったよ」と伝えたら、「彼は上手に進めてくれるから、なんにも考えなくて大丈夫」と言ってくれて。普通だったらここに「人」っていう字を書いて飲んだりするんですけど、今日は飲まずにやってまいりました(笑)。
橋本 今日はまず、前半で僕が井上さんに聞いてみたいことを伺って、後半で僕の『観光地ぶらり』の話をできたらなと思ってます。
ルポルタージュを書いている人間として、こんなことを言うのもどうかと思うんですけど、自分が本を書くようになってから、他の人が書いたルポルタージュが読めなくなったところもあるんです。ひとつには、読むことで影響を受け過ぎるんじゃないかっていうことがあって、またもうひとつには、嫉妬してしまうこともあるんですね。「ああ、こんなテーマの立て方があったのか」とか、「ああ、こんな言葉を引き出せる人がいるのか」と。数行読むごとに、いろんな感情が湧いてきて、いちど本を閉じて――とやっていると、なかなか読み進められなくて。井上さんの『絶滅危惧個人商店』も読んでいて思わず嫉妬してしまうところがあって、たとえば港区・麻布十番の「コバヤシ玩具店」を取材した章がありますよね。そこを読むと、「震災後、被災した人たちが東京中から移り住んできて、人口が膨れ上がった」ですとか、「マッカーサーの息子さんがたびたびお店にいらした」ですとか、そういった話にふと出くわすわけですよね。これはいきなり出てくるわけではなくて、いろんな話を聞いているなかで出くわす言葉だと思うんですけど、現場でお店の方に話を聞いているときの井上さんの感覚って、どういうふうに動いているのかってところから伺ってみたくて。
井上 話を聞いているときの、良い話が出るまでの辛抱のしかたっていうことですか。えっ? どうだろう。今お話にあがった麻布十番の玩具屋さんは、年号が明治に改まるかどうかの時代にご創業されたお店なんですけれども、なぜそのお店に当たれたのかっていうと、これはもう、偶然としか言いようがないんですね。この長屋もそうかもしれないけど、外から見て、あまりにも素敵だった。それは「明治からの歴史があるに違いない」と踏んだわけではなくて、せいぜい戦後かなというくらいで、それで私にはじゅうぶんだったんです。木造三階建で、クリスマスカラーなんですよ。緑で、赤のアクセントが入っていて、つまんない言葉で言えば「レトロ」というか、外ビジュアルが素敵なお店だったんです。
それで、お話を聞けることになって――さあそこからなんですけれども、「マッカーサーの息子が来てたんですよ」なんてお話は、すぐに出てくるわけではないんですよね。まず、お話を聞く前に、1時間、2時間は、ただ佇んでウォッチングしてるわけです。外から、中から。そのなかで、「さっききた坊ちゃん、面白そうな子でしたね。古くからいらっしゃってるんですか」とか、ここに書いていない前座のような会話が、いくつかあるんです。私はもう、いやらしいと思われるかもしれないけど、良いところを見て褒めるほうなんです。それはいやらしく褒めているわけじゃなくて、「外ビジュアルが素敵過ぎて、こちらに参りました」とか、「ここが素敵ですね」とかっていうことを、素直に褒める。そうすると、先方さんも、気持ちは悪くないじゃないですか。そういった感じで、いくつか現場の今の話をしてから、「それで、ご創業はいつなんですか」と持っていく。いやらしいと言えばいやらしいけど、大体そんな感じで『絶滅危惧個人商店』の取材はいたしました。なので、辛抱と言えば辛抱してます。どのタイミングでいちばん聞きたいことを聞くかっていうのは、ずっと辛抱してます。
インタビュイーがすごい話を語りだしたときに
橋本 僕の取材のしかたは「しつこい」と言われることもあって、ひとしきり話を伺ってくしばらくお店に居座り続けて、「あれ、まだ帰らないのかな?」って空気になることも多いんですけど、この本を読んでいたら、井上さんのほうがずっと粘っているなと思ったんです。どこだったか、八百屋さんを取材された章で、お店の方が段ボール箱から柑橘類を取り出して、ざるに移し替えて品出ししている描写が出てきますよね。その方に話しかけて、インタビューが始まって。それを読み進めていくと、途中で「――八百屋さんは、体力の要る仕事ですよね?(と聞く頃、しゃがんで三十分、私はもう足がしびれ、腰も痛くなっていた」という言葉が出てきて、びっくりしたんです。
井上 ああ、東京都大田区の八百屋さんですね。
橋本 なんだろう、昔はすごく賑わっていたけど、今はそんなにお客さんがいないんだよってお店で話を聞くのであれば、粘ろうと思えばたっぷり粘れる気がするんです。でも、かなり賑わっているお店で――しかも八百屋さんで、品出しをされているところにくっついて話を聞くって、かなり大変なことだと思うんですよね。だって、普通に考えたら、「今は忙しいから、話なんてしてる余裕ないんだよ」って言われるような状況でもあるというか。僕が八百屋さんを取材していて、お店の方が品出しを始められたら、「またこんど、お時間あるときにお話聞きにきます」って帰っちゃうだろうな、と。だから、井上さんが品出しをされているところで話を聞いていたんだって、ちょっとびっくりしたんです。
井上 しつこいときもあれば、橋本さんのように「また伺います」と言って帰るときもあって、塩梅で色々ですけれども、今おっしゃっていただいた八百屋さんの話をすると、そこのお父さんは、じゅうぶんご年配なんです。その方が中腰のまま柑橘類を箱から出して、ひと山いくら並べているわけなんですけど、全然しんどそうに見えないんですね。そこで何か聞こうと思ったら、立ったままだとどうしても上からになるじゃないですか。ちょっとそれはないだろうと思うので、座りました。そうすると、私は30分で足が痺れてきたんですけど、その方は大丈夫なんですよね。ここが痛い、これで医者にかかってるみたいなことはお持ちになりながらも、鍛錬なさってる。この人はこの仕事をずっとやってきたんだっていうときに、立ったまま話を聞くっていうのでは無理かなと思うようになってしまってます。
橋本 それは、取材を重ねるなかで、そう感じるようになったということですか。
井上 そうですね。なんか、若いときは生意気だったと思います(笑)。だけど、痛いことがいくつかあって、ちょっとずつマシになってきたかな、と。まだまだ全然、マシ程度だと思います。
橋本 今の話にも通じるところですけど、港区・芝の魚屋さんに取材した章がありますよね。そこも高齢の方が切り盛りされているお店ですけど、今も週に何日かは市場まで仕入れにいくっていう話のところで、井上さんも一緒に市場に行く描写が出てきます。朝早くに大門駅で待ち合わせて、時間がないから走って乗り換えるんだって話を聞いていたけど、実際そこの店主の方が走って乗り換えをする、と。あの部分って、お店の来歴と今を“聞き書き”するだけであれば、「今も週に何日か市場に通ってるんですよ」ってエピソードを聞いて、それで終わらせることも不可能ではないと思うんですね。でも、一緒に行くことでしか体感できないものがあるから、一緒に足を運ぶという。
井上 そこはもう、自然な感じで。小売店にしても、私の好きな葬儀業界にしても、外から見える仕事ぶりはほんの一部であって、それ以外の部分がたくさんあるわけです。その大きな部分が、そりゃあ仕入れだろうなと思ってましたので、この人を取材させてもらうならついて行きたい、ついて行きたい、ついて行きたい――やっと「ついてきてもいい」と言ってくれた。時間にしたら数日かもしれないですけど、店主さんのほうでも、「こいつ、連れて行っても大丈夫かな」という値踏みみたいなものはあったと思います。
橋本 『絶滅危惧個人商店』のなかで、印象的だったお店のひとつが「谷口質店」の章だったんです。創業者の方が慶応三年生まれで、千葉から出てこられて、明治時代に浅草で質屋を開業される。そこが関東大震災で焼失して、戦災で一時閉店を余儀なくされて、親戚を辿って疎開された先で再出発されたのが今のお店だ、と。その場所というのが、米軍キャンプから程近い場所だったおかげで、お客さんが増えたという。
井上 そうでしたね。私よりずっとおぼえてくださってる(笑)。
橋本 いえいえ(笑)。あるいは、「青木屋」という駄菓子屋さん。そこは元々、農家の方達が牛車に野菜を積んで行き交っていた場所だったという話があって、そういった農家の方達をターゲットにした一杯飲み屋として出発されて、それがやがて駄菓子屋さんになったんだという話が出てきますよね。こういった話に出くわすと、今の街並みとは違う風景が立ち上がってくる。そういう話を聞くと、たまらない気持ちになるっていうと簡単過ぎますけど、すごいことだなっていつも思うんですね。取材しているなかで、そういったお話がお店の方の語りから出てきたときって、井上さんにはどういう感覚が去来しているのか――。
井上 去来しているものは――もちろん「いただき」と思うし、「これ、聞きたかったことだ」というところでは高揚します。ただ、これはたぶん橋本さんも一緒だと思うんですけど、取材でお話しするときって、今が0時0分だとしたら、0時5分のことを考えながら0時0分にいませんか。
橋本 ああ、それはそうですね。
井上 ですよね。だから、「これは」という話が出てきたら、その話をどっちにどう持って行ったら、この話の続きを気持ちよくしてくれるんだろうって、そればかり考えてます。私、腹黒いですから、そればかり考えてます。だから、感慨を引きずるとか、そういう感じではないですね。ちょっと職業病っぽいのかなって、今聞かれて思いました。それで、橋本さんはどうですかってことを聞きたいんですけど、今は聞いちゃ駄目なんですよね?
橋本 いえいえ、そんなことはないです。お話を聞かせてもらっているときは僕も、とにかく相手の方が「この人は自分の話をちゃんと聞いてくれてる」と思って話してもらえることが一番大事だと思っているので、これは今、すごい話を聞いてるなって気持ちが一方にはありながら、どうすればこの先の言葉に触れられるだろうかってことばかり考えているので、感慨にひたるっていうのはテープ起こしをしている時間ですね。
井上 そうなんですか。ううん、引っ張って話を聞きたいけど、辛抱しよう(笑)。あとで聞きます。