毎日同じ道を歩き、同じようなものを食べて、同じような一日が過ぎていく。世界の限りない広がりを前に、昨日と変わらない場所に立っている。それはそれで幸せなことだけど、たまにはほんの少し勇気を出して、新しい景色を眺めてみたい。日常系ライター・スズキナオが、未知の世界に一歩踏み出す新連載エッセイがスタート! 第1回は今日までやらずに生きてきた、酵素浴⁉
「多くの人に認知されているアルバムを聴いている暇があったら今新たに生まれつつあるまだ何がなんだかわからない音楽を聴くほうが楽しい」
特に自分を律することもなくだらだらと気ままに暮らし続けているが、たとえば「フィットネスジムに行って体を動かしてみたい」と思うこともある。ここ数年、年齢とともに代謝が落ちてきているからか(そして相変わらず酒ばかり飲んでいるからか)、体がどんどん重たく感じられるようになっているし、そうでもなくとも、日常生活のなかに積極的に運動を取り入れるべきであることは、ネットでもテレビでも本でも、どこでも言っている。腰回りの肉がだぶだぶしてきているのも、なんとなくやはり、嫌ではある。
ジムに入会して、フィットネスマシンを駆使し、動かしたことのない筋肉を動かして汗をかき、脂肪は燃焼し、代謝は促進され、しかも徐々にその行為が楽しくなってきて、気づけば習慣化している……というような状態になったらきっといい。そしてそれはそんなに難しいことではない気がする。私はライター業をしているが、こういう、部屋でパソコンに向かっている時間が割と多い仕事をしている仲間でも(というか、インドアな仕事になりがちだからこそか)ジムに行ったり、日常的にランニングしたり人がいる。きっと自分にだってできないことではないはず。というか、やったほうがいい。
そう思うのだが、できないのだ。フィットネスクラブに入会するとして、どこのどれにすればいいのか、比較の仕方もわからないし、いよいよそれが決まったとして、自分で日時を決めてそこに向かい、ドアを開けてスタッフの方に「入会したいのですが」と言い、手続きをして、そこまでできたとしても、おそらく最初は、まるっきり何が何だかわからずに心細い思いをしそうだし、「そのマシン、そういうふうに使うんじゃないんですけど」とか言われて恥ずかしい思いをするのではないか……。そういうことを考えているうち、すべてが億劫になってくる。
“今までしたことのなかったことをする”ということが苦手になってきている気がする。「最初なんてみんな何も知らないんだから」と、わかってはいるし、恥をかきたくないみたいに考えている自分も恥ずかしいのだが、新しい何かを試みる際の心理的なハードルがどんどん上がっているように感じる。
そうなってきた結果、いつも同じことばかりするのである。美味しいことがわかっている店で食事をし、近所ばかり散歩して、たまにスーパーで買い出しして作る料理も、いつも似たようなもの、自分が好きそうな感じの本を読んで、好きそうな感じの音楽を流して、逸脱がない。もちろんそれはそれで心地いいからいいのだが、今私は45歳で、これから倍の時間を生きることは、まあ、ないだろう。30代から40代にかけてだいぶ体力が落ちたことを考えれば、10年後にどれだけ元気でいられるかもわからない。
やり残したこと、というには若造過ぎると思うが、ずっとやってみたいと思っていたのにできていなかったことを、とりあえず潰していきたいと思った。そのチャレンジの模様を文章に書くことにすれば、「仕事なんだからやるしかない」と、それが自分の背中を押す力にもなるだろう。それがこの連載の主旨である。試してみて、自分に合わないなと感じるものもあれば、思いがけず今後の習慣につながっていくことも見つかるかもしれない。連載が終わる頃、自分はどうなっているだろうか。
20年来の友人が東京にいる。私がバンド活動をスタートしたばかりの頃に知り合い、彼が企画する音楽イベントに出演者として声をかけてもらったり、自分の知らない面白い音楽をたくさん教わったりした。その友人がよく言っているのは「評価がすでに定まったものには関心がない」というようなことで、たとえば「ロック史に残る不朽の名盤」と多くの人に認知されているアルバムを聴いている暇があったら、今新たに生まれつつある、まだ何がなんだかわからない音楽を聴くほうが楽しいと、そういうことである。
私とたしか同い年だったはずの友人は、そのような興味の方向性を持っているから、今も色々な場へ足を運んでいる。音楽に限らず、カルチャー全般について、今生まれつつあるものがあれば、それを見に行く。彼は本業のかたわらにライター活動もしているので、そういうものを取材して文章も書いている。
友人は東京に住んでいるから、大阪にいる私はなかなか会う機会がないのだが、たまにどこかでばったり遭遇すると、「最近こういうものを見て、わけわかんなくて面白かったよ」と、私の知らない何かについて教えてくれる。ありがたい存在である。
その友人はカルチャーだけなく、健康にも興味を持っていて、というのも、友人は体に様々な不調を抱えていて、きちんと自分の体をケアしようとしないと大変なのだそうだ。いいサプリがあると知れば試すし、新しい健康法も積極的に取り入れる、健康についても、まさに友人らしい積極的なスタイルで探求しているらしい。
何年前だったか、彼が関西に来るたびに京都に立ち寄って「酵素浴」をしているのだと聞いたことがあった。「そこは昔からある感じで、値段はそんなに高くなくて、体があったまるよ」と、それぐらいの情報と、その施設のホームページを教わった。
そのときは「へー、おぼえておこう」とスマホにブックマークして、一瞬、試してみたいとは思ったのだが、そこからが私の腰の重いところで、何年経っても一向に行かなかった。いつかは行ってみたいけど、じゃあいつ? と考えると、別に今じゃなくていいか、と、そんな感じで月日はあっという間に流れた。
数か月前、久々に大阪で友人に会ったのだが、そのときも「今朝、酵素浴に行ってきた」と言っていた。あくまで関西に来たついでに、ということらしいが、あれからも通い続けているらしい。それを聞いて「よし、今度こそ本当に行こう」と心に誓い、この連載のおかげもあって、ついにその日が訪れた。
上階から眺めた空は広くて二日酔いの苦しみが一瞬和んだ気がしたが空が広いということは日差しを遮るものがないということでもある
大阪から電車に乗ってJR京都駅へやってきた。前日もたまたま京都で遅くまで酒を飲んでいて、ひどい二日酔いである。酒を飲んだあとのダメージが年々激しさを増してきていて、それほどはちゃめちゃに飲んだわけじゃなくても、次の日の昼頃までは具合が悪い。夕方まで寝たり起きたりを繰り返してやっと回復するということもある。取材の用でもない限りは自分のスケジュールを自分で決められる生活なので、起き上がれなければ寝ていていいからまだ助かっているが、これが毎朝定時に出勤する会社員だったらどうしていただろうか。10年前までは会社員をしていた自分のことを思い出す(その頃もよく二日酔いに苦しみ、会社のトイレに籠ったりしていたが)。
京都駅に到着したものの「さあ歩き出すぞ!」という状態にはなかなかなれず、駅の上階にある広場でひと休みすることにした。
伊勢丹デパートのエレベーターで10階まで上がり「空中経路」という通路を歩く。
この通路からは駅の北側に建つ京都タワーや東本願寺のお堂の屋根や、その向こうの山並みまで見晴らすことができる。
通路の向こう側の広場に出ると、誰でも演奏していいようにオープンスペースに設置されたピアノで巧みな演奏をしている人がいた。強い日差しにクラクラしながらその演奏をぼーっと聴く。何か冷たいものが飲みたいと思い、地上1階までエスカレーターで降り、結局そのまま勢いをつけて歩き出すことにする。
駅前からしばらく、平日の昼間だがかなり多くの人で賑わっている。海外からの観光客らしき人もたくさんいる。日本のゲームのTシャツを家族揃って着て、京都タワーを前に記念撮影をしている。これからどこへ行くのかな。
さっき上階から眺めた空は広くて二日酔いの苦しみが一瞬和んだ気がしたが、空が広いということは、日差しを遮るものがないということでもある。6月の昼の太陽は真上に近い場所にあり、京都タワーから東本願寺の方へと向かって歩く10分ほどの距離でふらふらになる。途中にあった大きなビルの大理石の柱にぴったりくっついて体を冷やしたい衝動に駆られたが、指先で触れてみると割とぬるかった。
東本願寺の境内の東側を歩いて、門の隙間から境内をのぞく。阿弥陀堂と御影堂というらしいお堂が見え、その巨大さに見惚れる。
拝観料は無料で、観光客らしき人たちも境内を歩いているので私もふらふらとそちらへ向かう。お堂の前に立つと、脱いだ靴をしまうビニール袋が木の箱に、すごく取り出しやすいように工夫して置かれていて、静かにお参りするなら誰でも堂内に入っていいようだ。せっかくここまで来たし、と、堂内に上がらせてもらう。
なんせ大きなお堂なので空間に余裕があり、天井も高く、外とは比べ物にならないほどに涼しかった。奥に向かって手を合わせている人もいれば、柱の脇でただ静かに座っているらしき人も見える。
畳の上に正座し、すぐに足が辛くなってきたので少し崩して、私もしばらく静かに過ごす。御影堂の中では「帰敬(ききょう)式」という儀式が行われていて(「これから帰敬式を行います」というアナウンスがあったのでわかった)、この儀式を受けると、“法名”というものをもらい、仏弟子となるのだそうだ。それがどんな意味をもたらすのか、深いところまでは知る由もなかったが、その儀式の様子を眺め、お経を聴く。
そういえば昨年2023年、この東本願寺の能舞台で音楽家のテリー・ライリーのコンサートがあって、それを聴きに来た。テリー・ライリーは90歳近い年齢で、小さなフレーズが反復しながら少しずつ変化していくような彼の作品が好きでよく聴いていたのだが、まさか生の演奏を聴くことができるとは思わなかったので、すごくうれしかった。10月の夜の野外イベントだったので結構寒かったが、座って聴いているうちにこれが現実の時間なのか夢の中なのか曖昧になってくるような、なんとも言えず心地良い感覚に陥ったのを覚えている。
そんなことを思い出しながらしばらく過ごし、再び歩き出すことにする。そこからもうひと頑張りして、無事、Kという目的の施設を見つけた。
「ありがとうございました」と挨拶して外に出て歩きながら母や親戚など自分の身近で大きな病気をした人の顔を思い出す
そもそも酵素浴というものについて、私はよく調べもせずにここに来てしまった。「酵素風呂」という呼ばれ方もして、おがくずや米ぬかが発酵する際に生まれる熱で体を温めるという、そういうものらしい。以前、大分県の別府温泉で“砂湯”というものを体験したことがある。温泉の熱で温まった砂に体ごとすっぽり埋まる(というか、上から砂をかけてもらう)と、体がぽかぽかして、ぽかぽかどころか後半はもう熱くて仕方ないのを我慢するような感じに私はなったのだが、あれはなかなか楽しい体験だった。
酵素浴は、砂ではなく、おがくずや米ぬかや、施設によって薬草を混ぜ込んだり色々にブレンドが異なるらしい中に体を入れて温まるものなのだ。それがどんなふうに体にいいのかについては、様々なところで様々な言い方をされている。ざっと検索しただけでも「こんなすごい効能がある!」と言っている人もいれば、「眉唾ものだ!」という感じで否定している人もいることがわかる。
私はそこら辺に関して、あまり深く信じ過ぎていたくないほうで、「まあ、体が温まること自体は悪くないんじゃないか」「思いもよらぬいいことも、あるのかもな」というぐらいでいたい。ニュートラルな状態でありたいというか、我ながら中途半端でずるいなとも思うのだが、それが正直なところである。
そんな私がここで酵素浴をしていいのかわからなかったが、「友人に勧めてもらって来た」というのは、それなりにしっかりとした理由だろう。そう思って、受付へと向かう階段を上る。
発酵食品の独特の香りや、そこに様々な草の香りが複雑に混ざったような匂いが漂っていて、なるほどこういうものなんだなと思う。
受付の方に、初めての利用かどうかを確認された。男性は2階、女性は3階に浴室があって、利用料は1回4000円。ロッカールームに荷物を預け、男性はふんどしを腰に巻いて、その他は何も身につけずに利用すること(ふんどしの使い方も教わった)、利用前に水分を十分に取っておくことなど丁寧に説明してもらった。
教わった通り、ロッカーに荷物を預け、ふんどしを巻いただけの姿となり、ロッカーの鍵と、渡されたタオルだけを手に持って酵素浴室へと進む。その前にウォーターサーバーから水を2杯、湯呑みで飲んだ。
浴室には、長方形の、大人が足を伸ばして横になれるようなサイズの箱がいくつか(4つか5つぐらいだったろうか)並んで置いてあり、中には、茶色い土のような、これがおがくずや米ぬか的なものなんだろうというものが敷き詰められている。芝刈り機みたいな感じの、電動のマシーンでスタッフの方が中身を攪拌している。隣の箱から、入浴を終えた方がガバッと身を起こした。
タオルと鍵をスタッフの方に預け、中身の攪拌が終わったばかりの箱に仰向けに横たわるよう説明される。寝っ転がると、体の上にどっさりと酵素をかけてくれる。その感じはまさに砂風呂のよう。でも砂風呂のような重量はなく、しっとり湿った感じがあって、とにかく温かい。施設に入るときに感じた独特の匂いは、すっかりその中にいるからか、あまり気にならなくなっていた。
横たわる私の視界の端に時計があって、その時計で10分から、長くても15分ほどこのまま過ごす、とはいえ苦しかったりしたら無理せずもっと短い時間で切り上げてもいい旨、説明していただく。
体がどんどん熱くなり、これが15分か、と一瞬不安にもなったが、外の通りから聞こえる車の音、常連さんらしき方とスタッフの方の会話、ずっと遠くから聞こえる救急車のサイレンなどに意識を集中していたら、割とすぐに5分ほどが経っている。「これがあと2回」と思えば案外あっという間かもしれなかった。
半分ほどの時間が経ったあたりで、スタッフの方が来て、酵素をかけ直してくれる。どこか悪いところがあるか聞かれ、全身が疲労しているというのと、酒ばかり飲んで肝臓が疲かれていることを伝えると、主にお腹あたりにかけ直してくれた。さっきまでなじんだ温度よりも一段と高く感じる。発酵熱ってこんなに熱いものなんだなと思う。
顔に汗が浮かぶのを感じながら、残りの時間がじわじわと過ぎていくのを待つ。15分過ぎたところで起き上がり、箱の外へ出る。
体中についた酵素をブラシで落とし、シャワールームへと進む。石鹸などは使わず、酵素をシャワーで落とすだけ、今日は帰宅後も石鹸を使わないよう指示を受けた。また、さっきまで熱かったから、これがサウナだったら冷水を浴びたいと思うところだが、あくまで温水を使い、体を冷やしてはいけないとのこと。
その通り、体中をお湯で流し、タオルで拭き取ってロッカールームへ。服を着て、最初に通った受付に向かうと、この施設のオーナーらしき方が座っていた。
「今日、これから気をつけることはありますか」と聞いてみると「帰っても石鹸で体を洗わないで、あとは特にないです。今日はよく眠れるよ」とのこと。「みなさんどれぐらいの頻度で通うんでしょうか」と、続けて聞いたところ、「大きな病気をしている人は毎日来ます。まあ大きな病気をしたら、また来てください」という。
その言葉を聞いて、なんとなく、ここにはきっと重い病気を抱えた人が大勢来るのだろうと思った。昔からある湯治場みたいに、そういう人が必要としている場で、物見遊山で軽々しく来ていい場ではなかったのかも、と思った(とはいえ施設は誰にでも開かれているのだが)。
「ありがとうございました」と挨拶して外に出て歩きながら、母や親戚など、自分の身近で大きな病気をした人の顔を思い出す。
外に出て歩いていると、渦中にいるときは気にならなかった独特の香りが体から漂っているような気がして、できるだけ電車の混まなそうなルートを使ってゆっくり大阪へ帰る。
最寄り駅にたどり着いた頃には二日酔いもすっかり消え、いつもの私なら性懲りもなくコンビニで発泡酒でも買って飲んでいそうなところだったが、今日は久々の休肝日とすることにした。18時を過ぎていたが、外はまだ明るい。今度友人に会ったら今日のことを話そうと思って空を見た。
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『今日までやらずに生きてきた』は毎月第2木曜日17時公開します。次回は7月11日(金)予定。
筆者について
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。