今日までやらずに生きてきた
第2回

薬草風呂でヒリヒリした日

暮らし
スポンサーリンク

毎日同じ道を歩き、同じようなものを食べて、同じような一日が過ぎていく。世界の限りない広がりを前に、昨日と変わらない場所に立っている。それはそれで幸せなことだけど、たまにはほんの少し勇気を出して、新しい景色を眺めてみたい。日常系ライター・スズキナオが、未知の世界に一歩踏み出す新連載エッセイがスタート! 第1回の酵素浴に続き、今日までやらずに生きてきた、薬草風呂⁉

未知の世界に対してやたら心細い方向に想像を膨らませてしまいがちなところが私にはある

飲み会の席で友人が「すごい薬湯があったんです」と、体験談を聞かせてくれた。その友人もまた別の友人に誘われて行ったそうなのだが、ビジネスホテルの大浴場に薬湯(漢方の素材を調合して揉み出したものらしい)があって、宿泊者でなくとも、日帰り入浴料金を支払えばそこに入れるのだという。「その薬湯がとにかくすごくて、びっくりしました」と友人は語る。どうすごいかについては実際に行って確かめるべきだそうで、「とにかく今まで体験したことのないすごさなので、行ってみてください」と言うのみ。なんともミステリアスである。館内に食事ができるスペースや休憩所があって、のんびり過ごせることだけは教えてくれた。

そんな話を聞いたのが数か月前で、気にはなりつつも、なかなか踏み出せずにいた。この連載の締め切りが迫ってきたので、ようやく行く日を決めたのだった。

教わったホテル名で検索してみると、大阪メトロ・中央線の大阪港駅が最寄り駅だった。大阪港駅は「海遊館」という大きな水族館や、天保山マーケットプレースというショッピング施設、そこに隣接して建つ大観覧車などがあるエリアの最寄り駅でもある。

近くの公園内に「天保山(てんぽうざん)」という小さな山があって、それは工事で発生した土砂を積み上げてできた人工的なものである。標高が4.53メートル。「日本一低い山」を謳っていたが、現在は宮城県仙台市の日和山という山が一番低い(東日本大震災の影響で低くなったらしい)そうだ。とにかく、その山があるために、一帯が天保山と総称される。「天保山でも行こうか」と、そんなふうに。私は過去に何度か海遊館に行ったことがあり、天保山周辺の景色には見覚えがある。

当日は朝から雨が降り続いていたが、それでも、大阪港駅で降りる人がたくさんいた。海外からの観光客らしき人々が多く、みんな傘をさして天保山のほうへと歩いていく。私もその人々の流れと途中まで一緒に歩き、ナビを頼りに左に折れた。今までに歩いたことのない一角だが、飲食店などもちらほら見え、「こっちにも町が広がっていたんだな」と新鮮に思う。

天保山エリアへ向かう人がよく利用する大阪港駅

通りに面して、目的地のRというビジネスホテルが建っていた。すごく古い建物を勝手に想像していたのだが、最近改装されたばかりかのように綺麗な外観である。中に入っていくと、ヨークシャーテリアだろうか、可愛い小型犬が出迎えてくれた。

いきなりのワンちゃん登場に驚く

この施設で飼っている犬らしく、行儀よく出迎えてくれたところから、なんとなくこの施設のアットホームな雰囲気が伝わってきてホッとする。未知の世界に対して、やたら心細い方向に想像を膨らませてしまいがちなところが私にはあるので、施設の外観と、このお出迎えによってそれが大きく覆された。

館内もすごく綺麗で、居心地がよさそうである。靴を脱いで下駄箱にしまい、スリッパに履き替える。受付で「日帰り入浴をしたいんですが」とスタッフの方に伝え、料金の1760円と、レンタルタオル110円、あわせて1870円を支払う。

「ご利用は初めてですか?」と聞かれ「はい」と答えると、利用方法について詳しく聞かせてくださった。それによると、入浴時はまず体を綺麗に洗い、「軟水湯」で体を温めること。その後、「ラジウムサウナ」に入り、しばらく休憩したあと、薬湯(施設では「薬草風呂」とか「漢方風呂」と呼んでいるらしかった、なので以後は「薬草風呂」と書く)に入る。しばらく浸かったらお湯から出て休憩し、また薬草風呂に入る。それを3回繰り返したら浴場から出て、休憩所で1時間ほど体を休め、また同じ流れで入浴する、それを1日に3セットやるといちばんいいのだそうだ。

「男性の方は薬草風呂に入る際に必ず急所をしっかりと押えてください」と言われたのが強く印象に残った。

早速、1階にある男性用の浴場へ向かう。ロッカーに荷物をしまい、服を脱ぎ、レンタルしたハンドタオルだけを持って浴室内へ。漢方の香りがブワーッと強く香ってくる。とはいえ、漢方薬局の前を通ったときのような香りというよりも、もっと、なんというか、美味しそうな匂いである。自分があまりこれまでに嗅いだことのない特徴的な香りに思えた。浴室を見渡すと、ここもまた、すごく手入れの行き届いた、清潔な感じである。

スーパー銭湯のように広い感じではなく、あくまでビジネスホテルの大浴場という雰囲気。たとえばもしこの浴室内に10人ぐらいの人がいたとしたら、かなり混み合った印象になるだろう。幸い、私が入って行くと先客はひとりだけで、特に気を遣うことなく利用できた。

1分ほどして、覆っている急所の、覆いの周りがヒリヒリと痛くなってきた

脱衣所にも、浴室内にも、さっき受付で説明してもらったような入浴の流れの説明パネルが掲示してある。改めてそれを確認すると、最初の軟水風呂には10分ほど入った方ほうがよく、ラジウムサウナには30分ほど入るべきらしい(何回かに分けてもいいらしい)。その後、10分ほど休憩。そこでいよいよ薬草風呂だ。薬草風呂には8分~10分入るといいそうで、その後、浴室内か脱衣所で10分休憩し、また薬草風呂に8分~10分と、“薬草風呂からの休憩”を合計3回繰り返し、それで1セットが終わる。ということは、単純に足し算しただけで、1セットで1時間半以上はかかるではないか。それから1時間休憩し、また1時間半、もう1時間休憩し、1時間半……。

もちろん、ここに書かれている時間は目安であり、各自の体調に応じて無理なく加減していいらしいのだが、本気でやろうと思えばだいぶ長く館内にいることになるようだ。

ある程度は長丁場になることを覚悟し、とにかくまずは体をよく洗って軟水湯に入る。お湯の温度は割と低めで(40度以下だろうか)長く入っていられる。

そして次はラジウムサウナだ。サウナ内に12分計があり、なめらかに動く秒針を眺めて過ごす。このサウナもそれほど高温という感じではなく、長く入ってようやくじわじわと汗をかく。浴室内の高い場所にテレビ番組を映しているモニタがあるのだが、サウナの中からはそれが角度的に見えず、目を閉じてあれこれ考えごとをして過ごす。薬草風呂への期待が高まる。

サウナを出て、一度シャワーで汗を流し、水風呂に入る。水風呂といっても最近のスーパー銭湯のようにキンキンに冷やした感じではなく、あくまで穏やかな冷たさだ。ついに時が来た。薬草風呂に入る。

パンフレットに載っていた薬草風呂の写真(円の中)から雰囲気が伝わるだろうか

黄土色のお湯におそるおそる体を沈める。もちろん、受付で言われた通り、急所は手で覆って入る。最初に入った軟水湯同様、この薬草風呂も温度は決して高くない。温度的には10分入っていることも(私としては)苦ではない感じだ。

しかし……だ。「あれ、結構いけるわ」と思って入ってからおそらく1分ほどして、覆っている急所の、覆いの周りがヒリヒリと痛くなってきた。そもそも手で覆っているわけなので隙間があって、そこが痛くなってくるのだ。なんとなく痛くなりそうだと思っていた部分以外も、広く痛い。そして一度痛くなると、もう、それ以上入っていられないほどになる。辛いカレーを食べていて、最初のしばらくは勢いでいけるけど、あるタイミングから、もう口に入れること自体ができなくなる、あの感じに似ているかもしれない。

「無理無理!」と一旦外に出て、慌ててシャワーで体を洗い直す。それでもヒリヒリはやまず、水風呂に浸かってみるとしばらくしてだいぶ落ち着いてきた。

予想以上の衝撃である。こういうことだったのか。あとで改めてパンフレットに記載された説明書きを読むと「当館の漢方湯は季節に合わせて14種類の生薬を調合しております」とある。そして、受付の脇の壁に貼ってあった紙には「オウバク」「トウキ」「チンピ」など使用されているいくつかの生薬の名が挙がっていて、あとは企業秘密のようだ。

だが、想像するに、想像するにというか、こんなに体がヒリヒリするからには、辛味成分が入っているはずだ。唐辛子とか、カプサイシン系のものだろうか。

今度はもっと急所をしっかりと押さえるようにして、また薬草風呂に入ってみる。本気で慎重に押さえ続けていると、初回ほど痛くなく、なんとなく我慢できる範囲である。ちなみに、膝や肘など、他にもヒリヒリ感のくる部位がある。ケガをして体に小さな傷がある場合などはかなり沁みるかもしれない。しっかり押さえて痛みがだいぶマシになったとはいえ、ヒリヒリはじわじわと増してくる。笑いが込み上げてくる。「ははは。痛ぇー!」と。目標の10分までは我慢できず、半分の5分ほどであがる。一度汗を流してから入る水風呂がすごく気持ちいい。

今までサウナで汗をかいてから水風呂に入る「温冷浴」はしたことがあって、その心地よさは少しわかる気がしていたが、この、痛みからの水風呂、つまり「痛冷浴」は初めての経験である。水風呂に入っていると、痛みが落ち着いていき、気持ちがシーンと静かになっていく。そこはサウナからの水風呂と似たような感じかもしれない。

シーンとなった状態で水風呂の水面をじっと見ていると、自分の動きによってできる小さな波紋がやたら美しく感じられる。水風呂脇の壁に取り付けられた蛇口からたまに水滴が落ちて、その音がすごく心地よく耳に響く。うーむ。これはいい。

説明書きにあったフルの時間は全然守れず、だいぶショートカット気味になったが、それでも自分なりに3セットをこなし、浴室を出た。

すぐに気を失うように眠っており、気づいたらもう1時間ほどが経っていた

友人が言っていた通り、館内に食堂が併設されていたので、そこで昼食をとることにした。メニューを見ると、「からあげ定食」「焼肉定食」などの定食類や、「こぶうどん」「肉うどん」、「冷奴」「玉子焼き」などの単品メニューまで色々ある。そして、生ビールやチューハイ、ハイボールに日本酒にと、酒類も用意されている。

館内には落ち着いて食事ができるスペースも

まずは瓶ビールをもらうことにして、どうしても気になった「薬膳ひとり鍋定食」を注文させてもらった。そこで食事をしているのは私だけで、スタッフの方が「どうぞ」とテレビのリモコンを持ってきてくれた。

うれしい気遣い。ありがとうございます

料理が運ばれてくるまで、ビールを飲みつつメニューを再読する。「薬膳ひとり鍋定食」を注文したことに後悔はないが、もうひとつ「特製カオマンガイ」とあるのが興味をそそる。今度また来たらこれだな。

お盆にのった「薬膳ひとり鍋定食」が運ばれてきた。旅館の夕飯についている鍋のような、燃料で加熱する式のものである。

なんだか豪勢でうれしい

注文時に「ライスかヌードルがつくんですけど、どちらにされますか?」と聞かれた。ヌードルはモロヘイヤを練り込んだものだという。そう聞いてヌードルを選んであった。

スープからは、まさにさっき入ってきた薬草風呂のような、いかにも薬膳といった複雑な香りが湯気とともに立ち上がってくる。体ごと薬草風呂に浸かり、今度は体内にも生薬を取り込むわけである。なんだか面白い。

ぐつぐつと煮えてくるのを待って味わってみると、塩気はあっさりしていて、スパイスの香味がそのまま美味しさになっているようなものであった。好みの味だ。

具だくさんでうれしい薬膳鍋

豚肉、ナス、ごぼう、白菜、豆腐、かぼちゃ、クコの実と、具材はたっぷり。小皿に豆板醤が盛り付けられていて、それをスープに溶くと、鋭い辛味と塩気が加わってまた美味しい。食べながら「もしかしてさっきの薬草風呂、豆板醬が入っていたのかな?」と思ったが、それはさすがにないだろうか。

そして、モロヘイヤの練り込まれた淡い緑色のヌードル。スープに浸して食べるとこれがまた美味しいのだ。もちもちと柔らかな麺で、スープによく絡む。カオマンガイも気になるが、また来たらまた薬膳鍋が食べたいとも思った。

瓶ビールの残りを飲みながらテレビを見てゆっくり過ごす。膝と肘がまだヒリヒリと熱い。受付で支払を済ませ、浴室を出てから1時間ほど経ったところで再び入浴。2回目は最初よりも気分的に余裕を持って入ることができた。心なしか、ヒリヒリ感にも慣れた気がして、1回目よりも浸かっていられる時間がだいぶ伸びた。そして薬草風呂の時間が長くなればなるほど、水風呂タイムが至福のものとなるのだった。

2セット目を無事終え、2階にある休憩室へ続く階段を上る。途中、私がここに入ってきた時に出迎えてくれたヨークシャーテリアと、さらにもう一匹、トイプードルだろうか、毛並みのいい犬が駆け寄ってきて、束の間の人気者気分を味わった。

みんな挨拶しに来てくれる

2階の休憩室は畳張りのスペースで、隅に積まれた布団や枕を使って眠ってもいいようだった。私は「まあ、そこまででもないかな」と思って畳にそのまま横になり、リュックから読みかけの文庫本を取り出したのだが、すぐに気を失うように眠っており、気づいたらもう1時間ほどが経っていてびっくりした。

起き上がって3セット目をしっかりこなし、外に出るともう夕方だった。帰り際、スタッフの方に「頻繁に通われている方も多いので、またよかったらお願いします」と声をかけていただいた。薬草風呂は40年以上も続けているそうで、毎日調合しているのだとか。ここまで手間をかけているところは少なくとも関西には他にないそうで、遠くからも通ってくる方がいるらしい。

ちょうど雨が止んだタイミングだったので、駅の近くを散策し、「オオサワ」という酒屋の立ち飲みスペースで瓶ビールを飲んだ。

店内が奥に広く、静かに飲んでいける店だ
今日2本めの瓶ビール、また美味しい

店を出て「帰ろうかな」と大阪港駅に向かって歩いていると、前方に大きな観覧車が見える。「乗っていくか」と、ふと思う。歩いていくと観覧車はみるみるうちに大きく迫ってきて、曇天を背景にその威容が浮かび上がる。

天保山の観覧車に乗っていくことにする

券売機で900円の乗車券を1枚買い、乗車口に向かう。床が透明の板になっていて、真下も眺められる「シースルーゴンドラ」が人気で、そっちの列と、シースルーじゃない普通のほうに乗る人の列とが別々になっている。シースルーゴンドラは何台かに1台の割合で設置されているので、そちらの列には海外から旅行に来たらしい人々がたくさん並んでおり、一方の普通のゴンドラは待ち時間なしで乗ることができた。

ゴンドラがある程度高い位置まで上がると、曇り空だが、思ったよりも遠くまで視界が広がった。2025年に開催される予定の万博の会場・夢洲も見えた。巨額の建設費を投じて作られている木造の大屋根がかすかに「あれがそう、かな?」という頼りなさで見えた。

1周約15分の大きな観覧車だ

じっと座っていると、体の芯がまだじわじわと温かいような気がした。薬草風呂か、薬膳鍋かのどちらかが、あるいは両方が、体に作用しているらしい。こうして勢いで観覧車に乗ってみる気になったのも、ひょっとしたらそれらのおかげだろうか。そう思うと、これからまだまだ何でもやれそうな気がしてくるから我ながら単純だ。

ぼーっと景色を眺めているうちに時間が経ち、徐々に地上が近づいてくる。下を見下ろすと、観覧車の周辺を歩いて人たちの傘が見えた。雨がまた降り出したらしいことを観覧車からの眺めで知る。それをちょっと面白いことに感じながら、リュックの中にしまってあった折り畳み傘を取り出し、観覧車のドアが外から開かれるのを待った。

*       *       *

『今日までやらずに生きてきた』は毎月第2木曜日17時公開します。次回は8月8日(木)予定。

筆者について

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。

  1. 第1回 : 疲労の果ての酵素浴
  2. 第2回 : 薬草風呂でヒリヒリした日
  3. 第3回 : ジムに2回行った
連載「今日までやらずに生きてきた」
  1. 第1回 : 疲労の果ての酵素浴
  2. 第2回 : 薬草風呂でヒリヒリした日
  3. 第3回 : ジムに2回行った
  4. 連載「今日までやらずに生きてきた」記事一覧
関連商品