これからの時代にノンフィクションは成立するのか
橋本 ちょっと話を引き戻すと、坪内さんは「月刊誌の廃刊に思うこと」という原稿のなかで、ノンフィクションと経費の話に言及されていたんですよね。引用すると、「作品が地味であっても、経費は同じようにかかる。派手なノンフィクションの場合は経費を売り上げで返せるかもしれないが、地味なノンフィクションはそれ期待できない」。ただ、毎月刊行される月刊誌に原稿を発表することで、書き手はどうにか取材を続けることができたわけだから、『月刊現代』には地味なノンフィクションを支える「社会的意義」があったのだ、と坪内さんは書いていたんです。ノンフィクションを経済する雑誌があった時代には、じっくり取材を重ねて、記事を発表することで原稿料を得て、また別の取材に出かけるサイクルが成り立っていたわけですよね。
森山 はい。当時は雑誌自体の売上の他に広告も入ってますからね。
橋本 もっと遡れば、取材に潤沢な経費を支える時代もあったんだと思うんです。でも、雑誌が消えていくと、そのサイクルが成立しなくなってくる。僕の場合だと、坪内さんと福田和也さんが『週刊SPA!』で対談連載をされていて、途中から僕が構成を担当することになって、連載だから定期収入が入ってくるようになったんですね。それだけで生活していく原稿料は稼げるようになって。それとは別に、同じく扶桑社から出ていた『エンタクシー』という季刊の文芸誌があって、そこでも構成の仕事を振ってもらえるようになって、その原稿料がボーナスのように入ってくる。その原稿料がもらえていたおかげで、すぐに原稿に書いて発表する予定がないままにいろんな土地に出かけて行って、いろんなものを見聞きすることができたんです。その時間が、この『観光地ぶらり』にも繋がっているわけですけど、もしも僕が10年遅く生まれていたら、そんな時間は持てなかったと思うんですよね。そう考えると、たとえば今20代前半くらいの若者が、どこかに出かけて、そこで見聞きしたことや感じたことを誰かに伝えたいと思ったときに、ノンフィクションを書くってことを選べるだろうか、と。事件や事故を取材したノンフィクションはこれからも書かれていくと思うんですけど、そういうものとは違うタイプのノンフィクションというものが、これから先の時代に、趣味以外で成立するんだろうかと考えてしまうんですよね。
森山 それは活字としてのノンフィクションってことですよね。あの——YouTubeの『街録チャンネル』ってあるじゃないですか。僕もよく観てますけど、ノンフィクションのひとつがああいうものに変わっていってるところはあると思うんですよね。制作者はもともとテレビのディレクターだった人だから、プロフェッショナルなつくりもできるし、そこにYouTubeの広告収入もあって、経済としても成り立っている。今、活字でノンフィクションを書くということは、ほんとに難しいですよね。橋本くんが最後のひとりですかね。
橋本 いやいや、そんなことにはできないですけど。
森山 自分も20年ちょっと編集者として本を作っていますけど、著者にとっても読者にとっても、もう切実なものじゃないと本として求められないという実感があります。吉本時代も、あらゆる番組本、タレント本を作ってきましたけど、ある時期から、番組の内容をまとめただけのものはまったく売れなくなくなりました。番組、タレントであることに加えて、何かテーマのあるもの、なんの本であるかがないと本として求められなくなりました。書き手にとっても読者にとっても、切実なものにしかコストをかけられないということはリアルに感じます。
橋本 切実さってことでいうと——この『観光地ぶらり』はウェブで連載したものですけど、さっきの話とは矛盾するようですけど、ウェブで連載してる段階では、読んだ人とのあいだに応答が起こることはあんまり想定しなかったところがあるんです。というのも、短い回でも1万字はあったので、ウェブで読んでもらうには長過ぎるだろうな、と。
森山 ウェブの記事って、数年前でも1記事3000字ぐらいが読まれやすいと言われてましたからね。
橋本 僕もひとりの読者として、気になる書き手の連載だったとしても、ウェブで1万字となると「ちょっと長いな……」と感じるとは思うんです。だから、そこはうっちゃってた部分もあるんですけど、自分の中の切実さとしては、この長さが必要だったんですよね。ただ、こうして本になった上でも、ちょっと濃過ぎたかなと思っているところもあって。いろんなものを込め過ぎて、読んでもらうのに時間がかかるものになってしまったんじゃないか、と。ただ、こないだ蟲文庫さんにその話をしたら、「いや、橋本さんの文章はこれぐらい濃くないと」と言ってもらえたので、このまま書いていこうと思えたんですけど。
森山 それは僕もまったく同じですね。ゲラのやりとりをするなかで、「ここはカットしてもいいかなと思うんですけど」という相談が橋本くんからたくさん来たんですけど、結局全部残しました。それは客観的に読んで、「残したほうがいい」と考えました。橋本くんの伝えたいことを伝えるためには、この時間、この余白、この言葉の量が必要だと思ったんです。
橋本 かつては雑誌がノンフィクションを発表する媒体だった時代があって、今はそうした場が少なくなってきているなかで、『観光地ぶらり』はウェブで連載させてもらって——。森山さんは『QJWeb クイック・ジャパン ウェブ』や『OHTABOOKSTAND』といったウェブメディアも編集をされてきて、ウェブという場所における散文というものが、どんなふうにありえるのかってところについては、どんなことを今感じてますか?
森山 2020年1月13日に坪内さんが亡くなって、同月創刊したばかりの『QJWeb』で橋本くんに坪内さんの追悼文を書いてもらいました。16日に依頼して、その日に配信しました。その速度感はウェブじゃないとできなかったと思うんですよね。ウェブのビジネスモデルはPV(ページヴュー)での広告収入とかいろいろありますが、その仕組みもどんどん変わっています。紙とビジネスモデルが違うので、同じような原稿料を払えないという現実があります。一方で、紙幅の制限なく書き手が書きたいことを書ける。坪内さんはかつて「ネットで思想は伝わらない」と書かれてましたけど、自分は今この時代に生きて、紙の雑誌の成立が難しいときに、ウェブで連載し、紙で書籍化するビジネスモデルは、経済としてぎりぎり成立させることができて、思想と言葉を伝える方法だと思っています。
これから先ノンフィクションとして書きたいテーマ
橋本 これから先、ノンフィクションとして書きたいテーマはいくつもあるんです。もうすでに取材を始めているものもあるんですけど、それを除いて、ぼんやり考えている企画がふたつあって。
森山 公開企画会議ですね(笑)。
橋本 そうですね。『月刊ドライブイン』をつくっていた頃に、『安住紳一郎の日曜天国』に出演させてもらったことがあって、そのとき「今後取材したいテーマは何かあるんですか?」と聞かれて答えたのが、「あなたの庭木」だったんです。その頃はちょうど引っ越したばかりだったんですけど、新しいマンションのベランダの向かいに、立派な琵琶の木があったんですね。その庭の所有者であるお隣さんに、「なんで琵琶の木を植えたんですか?」と聞いてみたら、「いや、琵琶を食べたとき、何の気なしに種を植えてみたら芽が出て、こんな大きな気になったんです」と言われて、ちょっと面白いなと思ったんですよね。
森山 庭の木って、それぞれの個人に、家族に様々な思い出が宿っていそうですよね。実家にある柿の木も、自分が生まれたときに確か市から送られてきた木で、家に帰ってその木を見ると、いつも自分の分身のような気がしてしまいます。
橋本 同じ頃に、僕の父親が癌の手術を受けて、退院した頃に実家に帰ってみたら、「ちょっと、ホームセンターに連れてってくれ」と言い出して。言われた通りに連れていくと、梅の木の苗を買って、「これを田んぼに植えてくれ」と。なんかちょっと、それ、嫌だったんですよね。いつか自分がいなくなることを感じ始めた父が、自分がいなくなったあとも残り続けるであろう梅の木を息子に埋めさせることで、思い出させるきっかけを残そうとされている感じがして。ここ数年で、お隣さんの家が取り壊されて、琵琶の木も切り倒されて、父も死んで——樹木っていうものは人間より長い時間を生きて、だから「樹木には神が宿る」と信仰の対象にもなってきたはずだと思うんですけど、今の時代にはもう、樹がどんどん切り倒されているなと、あらためて思ったんです。だから、どこかの町にある普通のおうちの庭に植えられている樹木について、どうしてその樹を植えたのか、その樹にはどんな思い入れがあるのか、話を聞いて回ってみたいな、と。ただ、「あなたの庭の木の話を聞かせてください」って、どうやって声をかければいいのか、きっかけが見つからなさそうだなと思っているんですけど。
森山 もう少し内容をうかがってみたいですね。
橋本 もうひとつぼんやり考えているのは、「君の街まで」という企画で。今回の『観光地ぶらり』であれば、広い意味での観光地を訪ねて、そこに流れてきた時間や声に耳を傾けるってことをやったわけですけど、そこにはやっぱり、「観光地」ってくくりがあったわけですよね。でも、観光地には含まれない土地にだって——「なんでもない街」と形容されるような土地にだって——そこに流れてきた時間があって、そこに暮らしている人たちの声がある。それを探しにいく旅に出たいなという気持ちがあるんです。というのも、大学生の頃でも、仲良くなった同級生がいると、その同級生が地元でよく通っていた店とかを聞いて、ひとりでその街に出かけて行って、「ああ、こんなとこで育ったんだなあ」と思って過ごす、みたいなことを時々やっていたんですよね。
森山 橋本くん、やっぱり独自ですね(笑)。
橋本 森山さんからも、「あんかけ焼きそばとシュウマイがソウルフードだ」と聞いて、そのお店に食べに行ったことがあって。ただ単に旅行者の視点から眺めるだけじゃなくて、そこに暮らしていた誰か、暮らしている誰かの視点を借りながら土地をめぐることで、見えてくるものがあると思うんですよね。これも結局、“コスパ”が悪い取材になりそうですけど。
森山 それぞれについてまた詳しい話を聞かせてください。
橋本 いつか時間があれば、また酒場で話を聞いてください。
UNITÉ WEB SHOPにて橋本倫史『観光地ぶらり』サイン本を販売中。在庫がなくなり次第終了となります。
筆者について
はしもと・ともふみ。1982年東広島市生まれ。物書き。著書に『ドライブイン探訪』(ちくま文庫)、『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場の人々』、『東京の古本屋』、『そして市場は続く 那覇の小さな街をたずねて』(以上、本の雑誌社)、『水納島再訪』(講談社)がある。(撮影=河内彩)