フリーライターのスズキナオさんの『家から5分の旅館に泊まる』と、フードライター、コラムニストの白央篤司さんの『はじめての胃もたれ』(ともに太田出版)の刊行を記念して、10月18日に蔵前・透明書店で開かれた対談イベントの抄録をお送りします。
地元の居酒屋で飲むと町とチューニングが合う
白央篤司(以下、白央) ナオさんと事前に、お互いの本を紹介しあいましょうとお話していました。まずは私から『家から5分の旅館に泊まる』の紹介をさせてください。
観光名所や話題の場所に行く旅もあれば、誰にも知られていないような場所に行く旅など、旅もいろいろありますよね。この本は熊本や尾道にも行くし、城崎温泉にも行くものの、家から近い旅館やホテルに泊まる旅もある。私がこの本を好きな理由のひとつです。特に、関西の酔っぱらいが寝過ごして辿り着く野洲駅近くに、普通に旅してみる回がすごく好きだった。
スズキナオ(以下、スズキ) ありがとうございます。
白央 ナオさんは城崎温泉みたいに有名なところも、誰も降りないような駅も、等しく同じ目線でいる。どちらでも「何か発見できるかも」という姿勢でいるよね。毎度何かしらを見つけて興奮していて。
ナオさんって、賑やかなところに行けば行くほどさびしさを感じる人だと思う。ただそれは「さびしさという名のスパイス」みたいなもので。カレーって「ちょっとコクが強すぎるからカルダモンを入れてさっぱりさせよう」みたいに、清涼感を出したいときにスパイスを入れることがある。ナオさんの文章が持つ特有のさびしさやセンチメントって、文章という料理におけるスパイス的な働きを感じさせるんですよ。
あ、さっきから褒めてますけど、一銭ももらっていないですよ(笑)。
スズキ あはは(笑)。近所の旅館であっても、いつもいる場所ではないので、行ってみたらどうなるかわからないじゃないですか。できるだけその場所のことを知りたいと一丁前に思いながら旅をして、でも知り尽くせるわけもなく家に帰る。あの場所でいま、あるいは明日、どんな時間が流れているのかを自分は知ることができないんだな、という寂しさがありますね。
白央 旅先で思い浮かんだことってメモします?
スズキ 聞こえてきた会話で、これはどうしてもっていうものはスマホにメモしています。あとはわりと写真をパシャパシャ撮るので、それを見ながら思い起こしてしたり。
白央 取材する回もけっこうありましたよね。宿屋の女将さんとか。
スズキ 行った先の人たちの言葉を聞けるのが一番いいんですよね。
白央 旅ものって、美味しいものや素敵な場所の紹介で結構持っちゃうじゃないですか。でもナオさんは、自分がどう感じたのか、独自の発見を常に入れているから引き込まれます。
スズキ えっと……。
白央 あんまり褒められると黙っちゃうよね(笑)。
スズキ (笑)。ウェブで連載しているときからずっと「これ面白いのかな?」って不安だったんですけどね。最初の蔵前のやつとか、読み返すと疲れちゃう。
白央 そうそう。この本、最初の回が一番テンション低い(笑)。
スズキ こんにちは! じゃなくて、もうおしまいだ……なんですよねえ。
白央 体調不良だった?
スズキ 気持ちの面でもわりとローだったんですよ。当初はもうちょっと元気な企画をやろうって担当編集の森山さんと話していたんです。でも、これはもう無理だなって思って、暗い旅の連載に変えたいとお願いして。
白央 イントロを読んで、つげ義春作品みたいなイメージで読み進めてみたら……ラーメン食べまくってる(笑)。元気じゃんって。
スズキ ラーメンって元気がなくても吸い込めません?
白央 お酒も二杯くらいしか飲めなくなったし、ご飯も食べられないって最初に書いてたけど……けっこう食べたり飲んだりしてたよね。
スズキ えっ、これは取り締まりですか(笑)。
白央 (笑)。
スズキ たくさんは飲めなくなったんですけど、ちびちびと飲めていますね。
白央 うん、それは良かった。
スズキ 知らない場所に行くのってやっぱり緊張するんです。それが、その土地の居酒屋とかでお酒を飲むと、少しぼーっとして自分の輪郭が曖昧になって、町とチューニングがあう感じがする。
白央 「ここで一杯飲みたいな」ってお店に出会えたら、旅が始まる感じ?
スズキ そうですね。食堂とかラーメン屋とか、敷居が低くて、地元の方がいるお店に行って、あわよくばいい話が聞こえてくるといいなと期待して行ってみるところはあります。
白央 よくある例えで、「服はいっぱいあるけど、今日の気分に合う服がない」なんて言うじゃない。酒飲みも一緒で、「店はいっぱいあるけど、今の気分に合う店が見つからない」なんてときありますね。旅先で「ここに入りたい」ってとこが見つからず、ウロウロしちゃうことが結構あります。
スズキ 町の人が行きそうな場所に、場合によっては常連さんの憩いの場を邪魔するかもと思いながら行くんですけど、そういうお店にたどり着けると、その地元の核心にちょっと近づけた気がするんですよね。一日、二日しかいない旅行者の勝手な言い分なんですけど。
ナオさんの文章には「俳味」がある
白央 この本の好きな部分を音読してもいいですか。
スズキ はい、ありがとうございます。
白央 タイトル通りの、家から5分の旅館に泊まった時の、ナオさんの夜のくだりです。
風呂場の窓の外から、犬が吠えるのが聞こえる。すぐ近くの、いつも通り私の家で過ごしている息子から「旅館いいなー」というLINEが来る。部屋の写真をいくつか送り、「いいだろ」とメッセージを返しながら、ひとりでいるのが少し寂しくもなってくる。 きっと息子は、大好きなサンドウィッチマンの出ているテレビのバラエティ番組を観ながら夕飯を食べているのだろう。私も今、 そう遠くない場所で同じ番組を観ている。
ほろ酔い加減となり、眠くなってきたので早々に布団に潜ることにした。電灯から伸びた紐を引っ張って部屋を暗くする。今また吠えているのは、さっきと同じ犬だろうか。 よく知っている町の、知らない夜。
……いいですねえ、ナオさん。
スズキ いい声で読まれたら、すごくいい作品に思えてきました(笑)。
白央 犬の声とか、あるいはふと現れた鳥への目線とか、すごく沁みる。さっき話したナオさんの文章に漂うさびしさって、いわゆる「もののあはれ」だと思うんです。この本は特に、俳味(はいみ)を感じました。五七五にするのも、6000字のエッセイにするのも同じことでね。ええっとなんだっけ、ナオさんの前作の……
スズキ 『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』?
白央 この本も好きなんです。初めて読んだとき、夜中に酔っぱらいながら「いまから電話していいかな?」ってナオさんにメッセージしてね。「ナオさん、いますぐ小説を書くべきだよ」って。まだ書きませんか。
スズキ いやあ、書きたいんですけどね。小説ってどうやって書けばいいのかわからなくて。
白央 『家から5分の旅館に泊まる』だと、「“同行二人”を思いながら野川を歩く」なんて、もう短編小説ですよ。
スズキ 友達が亡くなったときの話を書いた回の。
白央 うん。『すばる』かどこかに送るべき。
書けることが広がる予感がある
スズキ たぶんみんなもそうだと思うんだけど、旅をしているときの自分のモードって、いつもよりいろんなものを見ようとしているんですよね。このモードさえあれば、どこに行っても結構面白い。
白央 ライターって仕事じゃなかったら、もっとぼんやりしていたかもしれないね。
スズキ 確かに「書かなきゃいけない」っていうのはあると思います。いま白央さんが読んでくれた犬の鳴き声も、聞こえたときに「あ、これを書こう」って思ったんです。
白央 え、もっとさらっと書いていたのかと思った(笑)。
スズキ いや(笑)。なんだろう、自分の意識が向かった先のことをちゃんと覚えておこう、みたいな感じなのかな。今日あったことを6000字分書かなきゃいけないってなったら、みんなそうなると思うんですよね。
白央 テレビアナウンサーで実況をされる方って、電車の車窓を見ながら、何もない住宅街であろうとなんであろうと実況して練習をするなんて話を聞いたことがあるんだけど、ライターもごく普通の何もないような住宅街を歩いて記事やコラムを書けたらやっぱり大したもんだと思うんです。
スズキ そうですね。僕は「デイリーポータルZ」というサイトで、いろんな記事を書いてきたんですよね。そこでは「どこどこに行ってきた」みたいな記事とか、ライターのパリッコさんとのユニットである「酒の穴」で、知らない町のいい酒場を探す企画やお題に沿ってそれぞれが行った場所を振り返る企画とか、いろんなことをしてきたんです。そういう特殊な訓練を積んできた成果なのかもしれません。
みんながそれをやって楽しいのかはわからないけど……この本を読んでくれた人が、そういう旅の気分を再現してもらえたら嬉しいですね。
白央 そうそう。「旅ってなんだろう?」と思って辞書を引いてみたんですけど、「住む土地を離れて、一時、他の離れた土地にいること」というシンプルな説明で。
スズキ あ、じゃあ、5分でもいいんですね。
白央 うん。5分の旅だろうと遠出だろうと、「旅情」みたいなものを書けたらいいなと思うわけですよ。
スズキ そうですね。
白央 そういう手ごたえはありました?
スズキ 自分が初めて出した『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』って本は、あちこちのウェブサイトに書いてきた記事を集めたコラム集みたいな感じなんですね。自分が面白いと思ったことをひとつひとつ企画として立てて、それをやってみた、体験談みたいな文章が多いんです。
今回の本は、旅っていうもっと抽象的な、広いテーマを書くことができた。それがちょっと嬉しかったし、書けることが広がるかもっていう予感もあります。
白央 旅がもっと身近になった感じはありますか?
スズキ うーん、いまも旅はめんどくさいんですけど(笑)。
白央 めんどくさい?
スズキ でも、他人のことを書けたんだから、自分の身に起きたことも書けるようになるかもしれないって実感はあります。
白央 今後の旅の本や記事もすごく楽しみですね。
スズキ ありがとうございます。
「加齢あるある」を話せるとホッとする
スズキ そろそろ白央さんの『はじめての胃もたれ』の話に移りましょうか。
白央さんはフードライターとしていろんな本を書かれていますよね。例えば『名前のない鍋、今日の鍋』は、よくあるレシピ本とは違って、それぞれの生活の中で作られている料理を通じて、料理人のバックグランドを知ろうとする本ですよね。文化圏が違うとこんなにも料理が違うんだということが伝わってくる。
白央 『名前のない鍋』は一般の人の普通の鍋を追った本で。ひとつの料理があるとしたら、その人がどんなふうにその料理を作るに至ったのかに私は興味があるんです。料理研究家さんにしても、今までの越し方とか、何を大事している人なのかなどを記事に入れたくなるけど、レシピ記事はそうもいかない。だから自分で企画して書いてます。
スズキ 雑誌みたいに紙面が限られる媒体だと、レシピの話だけで終わりがちですよね。白央さんが書くものって、そういう生活史と食が融合している面白さがあると思います。
一方、今回の『はじめての胃もたれ』は年齢を経て白央さんが感じている体調とか心境の変化が書かれているのが新鮮でした。白央さんを知ることができる一冊でもあるなあって。
白央 自分がどこかで言ったり書いたりしたことを読んだ編集さんが「本にしたらいいと思う」って声をかけてくれたんです。でもね、もの書きって「私のことなんか誰も興味ない」みたいな臆する気持ちがありません?
スズキ ありますね。
白央 私もそうなので、「自分のことなんて書かなくていいよ」って押し込めちゃうところがあるんです。
スズキ 本の中でも書かれていましたけど、白央さんって「こういう企画があったら面白いと思う」って出版社さんによく持ち掛けていますよね。僕はものぐさなので、ぜんぜんそういうことができなくて、見習わないといけないなといつも思ってます。
白央 自分の場合は待っていたら全然仕事が来なかったんですよ。
スズキ 今回も白央さんが持ち掛けられたのかなと思ったんですが、違ったんですね。
白央 えっとね、きっかけは自分からでした。前から、男性は女性に比べてセルフケアがうまくないな、そもそもケアなんて必要ないと思ってそう、と考えていて。
NHKの『あさイチ』って番組をよく見てるんですが、「中高年の不調、こんな対策を」とか「中高年になって変わった体型に合わせて、こんな風に服を着こなしてみよう」みたいに、無理せず試せる情報をたくさん紹介してくれている。こういうの、男性用が少なすぎるなあなんて考えていたら、コラムニストのジェーン・スーさんが「更年期は更新期」ってお話をしていて。それを聞いて「あ、なるほど。確かに男女問わずアップデートが必要なこと、たくさんある」と思ったんです。
例えば、牛カルビを食べたら胃もたれしてしまった。じゃあ、どう対処するのか。どう食べ方を変えるべきなのか。どうやったらこの先、50代、60代を健康に過ごしていけるだろう……みたいなことをどんどん考えるようになっていった。自分は医者じゃないので「こうするといいよ」とは言えないけど、自分がどんな風に変化に向き合ってきたのかを書いてみたかったし、あと「あるある」って人に話せたらちょっとホッとしたりするじゃないですか。
スズキ 「あ、同じだ」って盛り上がったりしますよね。
白央 「そんな本にしたいんです」って編集さんにお話をしたら、「いいじゃないですか」って言われて、そのまま締切が決まっちゃった(笑)。「8月中に12万字くらい書かないと本になりません」と言われて、8月はずっと胃が痛かった……。
スズキ 不健康な(笑)。
白央 すごく頑張りました。
いまのうちに、自分を乱暴に扱わない方法を知る
スズキ 年齢を重ねた自分なりの食の楽しみ方とか、心がけがいろいろ書かれている、ヒントの多い本ですよね。年齢による変化って人それぞれだと思うんですけど、白央さんはいつごろから感じられていたんですか?
白央 40代前半くらいから出てきたけど、その頃はまだ「いや、気のせいだ」「ストレスかなあ」みたいに思っていましたねえ。
スズキ 変化に向き合うのも結構気合がいりますよね。だんだん「あ、これはもう戻らないものなんだ」って気づくようになる。
白央 ナオさんは何かある?
スズキ 僕は、お酒があんまり飲めなくなったり、食が細くなったりですかね。ラーメンは流れるように食べられるから別なんですけど(笑)。
白央 あ、そうそう。ちょっと『家から5分の旅館に泊まる』の話に戻っちゃうけど、この本って編集さんによっては『旅と風呂とラーメン』みたいなタイトルで、日本各地のお風呂場とラーメンを巡る本になっていたんだろうなと思いました。ナオさんは、旅先で必ず銭湯に入るんですか?
スズキ いや、そんなこともないんですけど、それこそ食堂と一緒で、その土地の声が聞こえる気がして。なんだろう馴染むんですよね、お風呂に入ると。
僕と同い年のphaさんの『パーティーが終わって、中年が始まる』だったり、あと青山ゆみこさんの『元気じゃないけど、悪くない』だったり、自分が気になっているからかもしれないけど、40代から50代くらいの変化に向き合う本がよく目に入るようになった気がします。
白央 『元気じゃないけど、悪くない』は、この本を書く前に読んですごく刺激を受けました。自分の不調に向き合ってケアをしていく記録で、それ自体に価値があることだし、青山さんの才能なんだけど、人を勇気づけるようなものにもなっている。
だけど……「中年のおっさんが胃もたれしてます」みたいな本って、売れなそうだよね(笑)。
スズキ でも、すごくいいテーマだと思いますよ。読む前から、白央さんが書いているんだから絶対面白いだろうなって思っていました。
あと、時代が変わったと言いますか。ケアが大事だって話はしやすくなって気もしていて。
白央 この本では、日傘をおすすめしているんですけど、みんな防寒具は使うんだから、「防暑具」だって使えばいいじゃんってずっと思っていたんですよね。30代の人たちはわりと普通に使うようになってきた感じだけれど。
スズキ 世代の違いはありますよね。あと先ほどおっしゃっていたけど性差も。男性はやっぱり、ケアに無頓着だったかもしれない。
漫画家の香山哲さんが、自分一人で仕事をしていても昨日と今日と明日の自分と協業しているんだってお話を書かれていたんですね。今日の自分が「もういいや、明日の自分に任せてしまえ」って投げだしたら、明日の自分がその分ハードになるわけじゃないですか。
白央 藤子・F・不二雄先生の漫画みたいだ。
スズキ 明日の自分を傷つけることになる。だからどの自分も嫌じゃない働き方をするみたいに考えているらしくて。体力も時間も有限な自分のために、今日はよく寝よう、お酒はこのくらいにしておこうって、ケアをしているってことだと思うんです。
白央さんは、何かを食べたり、お酒を飲んだりするときの、自分の体の限界や扱い方を知ろうとしているんだと思いました。自分はいま40代半ばで、まだまだ体力はあると思うんですけど、白央さんの本を読んでいると、いまのうちに自分のことを乱暴に扱わない方法を知っておけたらこの先も長くやっていけるのかもって思えて、いいきっかけになりました。
白央 「養って生きる」、つまり養生って言葉がすごく響くんです、ここ数年。自分を養う。というか、自分を養うのは自分しかいない。
スズキ 養生って言葉は何度か出てきますよね。印象的でした。
白央 なんかね、その場の空気を大事にするために無理をして、自分をいじめなくてもいいんじゃないかなって思うんです。もう、付き合いだからって気が進まない飲み会に行ったりするのをやめて、食べたくないものは「私はいらない」と断って、自分ファーストでいいんじゃないかなって。
スズキ 養生と同じぐらい印象的だったのが、 「省力」(しょうりょく)って言葉でした。省く力。白央さん自身、30代の頃は料理を気張ってやっていたんですよね?
白央 美味しさを1番優先していたからね。
スズキ それがあるときから、このくらいでいいと思えるようになった。それはいいことだったって書かれていました。
白央 みんながSNSを使い始めたころに毎日のご飯をガンガン上げていたんですけど、ときどき頑張らない日のご飯をあげてみたら「白央さんみたいな人がこういうご飯を作る日があるのってすごく嬉しいです」って反応がけっこうあったんです。手を抜く日もあるに決まってますから、そういうご飯をもっと上げるようにして。この本の中でも、おいしいより省力優先ごはんみたいな話もいっぱい書いたつもりです。
スズキ お味噌汁はどんな具を入れてもいいし、余っている野菜も消費できるみたいなことも書かれていましたよね。お味噌汁ってどんな具を入れてもいいし、そこで余っている野菜を消費できるとか。具体的なこともたくさん書いてありますよね。
白央 そっか、そういう宣伝の仕方もありますね。
スズキ あはは(笑)。
自分の優先順位がわかっていれば、気持ちも楽になる
スズキ 『はじめての胃もたれ』は、年を取ることをポジティブなものとしてとらえている本だと思います。やっぱり、年を取ることを嫌なことだって思いたくはないですよね。
白央 若いうちは、中高年になるってつらくて悲しい、先がないことみたいに思いがちだけど、なってみたらすごく……ラクになれました。気がラク。
スズキ 「自分はいまこのくらいで、もう無茶はできないんだ」ってさびしいことのようにも思うけど、ちょうどいいところがわかるようになったとも言えるじゃないですか。
白央 そのさびしさを飼い慣らして楽しむ方がいい人生なのかもしれない。いろんなものが衰えていくし、「残り時間」も減っていくけど、それって豊かさでもあると最近思うんです。残っているものを大事に思える、みたいな捉え方が。別に悟っているわけじゃなくてね。迷いはいくらでもあるし、飲みすぎが多くてセルフケア下手過ぎだし(笑)。ただ、中高年になってみるとわりと楽しく、豊かな気持ちでいれることもあるよ、と書いてみたかった。
あとがきにも書いたけど、加齢とか老いに抗う本っていくらでもあるじゃないですか。そういう本を書店で見かけると疲れちゃうんですよ。あと投資の話とか。同級生に「NISAだっけ? あの財テクのやつ」って話したら「財テクって!」って大笑いされちゃったんだけど、仕事とか雑務で毎日疲れているのに、そんなのやってられないよって思う。
スズキ 年を取っても美しいままでいなきゃいけないとか、筋肉を付けなきゃいけないとか、それが楽しくやれているならいいんですけど、あまりにも脅迫的になっちゃうのはつらいですよね。美しくいられるに越したことはないけど……美しさって別に、いまの状態をキープすることだけじゃなくて、年相応に変化することでもあるじゃないですか。
白央 なりたい自分って各々違うし、それぞれ頑張るのは良いことだと思うけど、それって人によって優先順位が違うはずなんですよ。1位の人もいれば、15位の人もいる。自分の優先順位がわかっていれば、わりと楽な気持ちでいられると思うんですよね。あと、人と比べてもしょうがない。
スズキ そうですねえ。10年くらい前にライターの仕事をはじめたときって、周りの人がうらやましくてしょうがなかったです。ネットに記事を書いていると、自分の記事とは桁が違うくらい読まれている人がたくさんいることがわかるから、ずっと落ち込んでいたんですよね。でもあるとき、それがラクになった。
白央 それは確固たる地位を築いたからですよ。
スズキ 築いてない、築いてない。年齢なのかな、それとも無理って悟ったのかな。もういいやって思ったら、少しラクになってきたんです。そういう年の取り方もあると思います。年の取り方はいろいろ面白いところがありますね。
これからのこと
白央 最後に今後の話をちょっとしましょうか。これからやりたいことってありますか?
スズキ うーん、ないですね……。でも、雑誌のワンコーナーで、エッセイの連載があったりするじゃないですか。テーマはそんなに決まっていなくて、そのときにあったことが書かれているみたいな。ああいうのに憧れますね。僕はテーマが決まらないと書けないところがあるので。あとは……やっぱりこのあとの10年、体力とかいろいろきつそうだなって考えちゃいます。さっき歳を取ることは失われていくことじゃないと思いたいって話しておいて、なんですけど。
白央 そういう不安はありますよね。でも、ナオさん、ここ3冊くらいで書くことがより好きになっていませんか? 読んでいてそういう気がしました。
スズキ 仕事をめちゃくちゃしたいわけじゃないし、逃げ続けているから……。
白央 そうなの(笑)。でも締切は守っているでしょ? なら大丈夫。
スズキ 守ってないんですよ。いや、どうだろう。『家から5分の旅館に泊まる』のウェブ連載中で、一回だけ落としたんですよね。締切の当日に、森山さんに「すみません、書けません」って言って。どこにも行ってないんだから書けないのは当たり前なんですけど。
白央 どこにも行ってない?
スズキ 大学を卒業するときに、友達とロシア旅行に行ったことがあるんですね。旅についての連載なんだから、過去に行った旅のことを書いてもいいかなと思って、そのときに書いた旅行記をもとに、かつてのことを今の自分が回想するものにしたら面白いんじゃないかなって考えていたんですけど、部屋がマジで散らかりすぎていて出てこなかったんですよ。そのまま締切になってしまい、森山さんにLINEをして……その日、バーベキューに行ったんですよ。
白央 ちょっとそれは……クズかも(笑)。
スズキ 神戸の須磨にあるバーベキュー会場だったんですけど、須磨の浜でアメリカから留学してきた二人組と出会ったんですね。それなら書けるかもって思って、森山さんにやっぱり書きますってLINEして。その日はバーベキューを楽しんで寝ました。だから、一日遅れで入稿した記憶があります。
白央 あの回、一日で書いているんですか! すごい。ナオさんはコラム書くとき、何も浮かばなくてもとりあえず書き出すほう? 頭の中でぼんやり見えてこないと書けない人?
スズキ これ以上待たせてしまったら嫌われる、クビになるみたいな、ギリギリになってからようやく……。
白央 書き出す派か(笑)。書くこと、そこまで好きというタイプでもない……?
スズキ そうなのかもしれないですね。でも書き始めると、次はこうなってほしいなって感じになって……書き出したらもうやらざるを得ない。
白央 そうなのかー。でも書かれたものからギリ絞り出してる感じはしないなあ。すごい。
スズキ またクズライター話なんですけど……ほろ酔いの状態で書いてから、素面の自分がダブルチェックをするって体制なんですよ。
白央 すごいよ。私は、仕事が終わってからじゃないと飲めないです。
スズキ それがいいと思います。『はじめての胃もたれ』を読んでいて特に思ったけど、白央さんの文章はすごくリズミカルですよね。
白央 読みやすさはわりと気を付けますね。全部、一度音読してます。
スズキ そんな感じがする。読んでいて楽しい文章を書かれますよね。白央さんの話し声が聞こえているかのような。
白央 ありがとうございます。
スズキ 白央さんはこの本を書かれたあとのことは考えているんですか?
白央 この本が売れたら、次は……『はじめての尿漏れ』とかでしょうかね(笑)。
会場 (笑)。
白央 そういうシリーズを出せたらいいなあ。だんだん老齢になって、もう自分が何を書いているのかよくわからない……みたいな(笑)。
スズキ そのときは僕が書きますよ(笑)。「白央さんがついに徘徊し始めた。僕のことも、もう覚えていないようだ」。
白央 「え? どちらさんですか?」って(笑)。
ええっと、展望の話だっけ。今回は自分のことをたくさん書かせてもらいました。コラムニストとしていろいろ書いていきたいけど、私がすごいと思う人を紹介する仕事ももっと頑張りたいですね。料理研究家さんも、農家さん、漁師さん、面白くてすごい人を紹介する記事や本をいっぱい作りたい。地味と思われるのか、あまり企画が通らないんですけどね。
スズキ 時代時代でなにが派手で何が地味か、変化していきますし、白央さんがやろうとしていることに、みんなが向いていきそうな気がしますけどね。
そろそろ時間ですね。会場に来てくださった方も、オンラインでご覧の方も、今日はありがとうございました。