ひさしぶりに和光市で友人と飲むことになった。我が家からのアクセスも悪くなく、過去に数度ひとりで飲み歩いてみたことがあったが、出会った店がどこも良くて楽しい街だった。行こうと思っていた、とっておきの2軒には入れず、気を取り直して新規開拓飲みに方向転換することにした。予定していたお店の近くに古い定食屋のようにも見える酒場があったのを思い出す。いちかばちかで行ってみようか。
友達の編集者さんが最近、東武東上線の和光市駅近くに引っ越したという。しかも初めてのお子さんが生まれ、うちと同じく女の子だそうだ。何気なく、我が家で不要になった、いくつかのまだ着られそうな洋服や、ストライダーという、足で地面を蹴って進むタイプの自転車ふうの乗りものなどのお古を必要かどうか聞いてみたら、ぜひとのこと。そこで、和光市まで行ってその受け渡しをしつつ、ひさしぶりに一緒に飲むことにした。
和光市駅があるのは埼玉県だけど、我が家の隣駅である西武池袋線の大泉学園駅から直通の路線バスが出ていて、アクセスは悪くない。過去に数度ひとりで飲み歩いてみたことがあり、絶対数こそ多くないものの、出会った店がどこも良くて、楽しい街だった。
友達はそんな状況だから、まだ和光市の飲み屋開拓はほとんどできていないと言う。ならばと、僕の特にお気に入り2店を提案することにした。
まず1軒目は「そばもん」。駅の北口に隣接する、店内中央に立ち席、周囲にいくつかのカウンター席とテーブル席があるだけの小さな店で、ぱっと見はどこにでもありそうな立ち食いそば屋だ。食券制だし、価格も安い。ところが一歩店内に入ってみると、信じられないくらいに酒とつまみが充実していて、最後にきちんとうまいそばで締められるんだから言うことがない。
その日は後半から、僕は初めて会う編集者さんも参加する予定となっていた。となると2軒目は、そばもんから移動して「和の香」だな。高級感のある和食居酒屋でなにを頼んでもうまいのに、意外とそこまで高くないという、誰に紹介しても文句はないであろう店。ここで、人生で初めて自発的に松茸の土瓶蒸しを頼んで飲んだ夜を、僕は永遠に忘れない。
なんと完璧なコース! とにやにやしながら和光市へ向かい、ふたりでそばもんの前へ。すると唯一完璧でないことがあった。それは、僕の計画性のなさ。事前に確認しておけばよかったのに、まぁ入れるだろうと高を括ってやって来てしまったら、まさかの貸切営業。会社の忘年会だろうか。暖かそうな店内でわいわいと楽しそうに飲む人々を横目に、じゃあもう、和の香に向かってしまいましょう、ということになった。
南口に渡って和の香にたどり着くと、こんどはなんと入り口に「満席」の札がかかっている。「こっちもいい店なんですよ〜」なんて先導しながらやってきた手前、なんともいたたまれない。が、彼もそんなことに文句を言う人ではないので、気を取り直して今夜は、新規開拓飲みに方向転換することにした。そうなればなったで楽しいのが酒場めぐりだ。
ふと、そういえばさっきのそばもんの近くに「濱松屋」という、古い定食屋のようにも見える酒場があったのを思い出す。いつ前を通っても満席の札が出ているから(ここまで書いてきて思ったけど、和光市、酒飲みの数に対して店が足りてないんじゃないか……)、いい店なことは間違いないだろう。いちかばちかで行ってみよう。すると、1階にたった6席だけあるカウンターのうちの2席が空いていて、幸運なことにそこに収まることができた。
ほっとして、まずは「ホッピーセット(白)」(590円)。それと同時にやってきたお通しが、「鶏とひよこ豆のパテ」なことに、思わずうなってしまった。小鉢にかわいらしく盛り付けられたパテは、豆豆しい風味に鶏の旨味が加わって、小粋なイタリアンの一品のようだ。2枚添えられた薄めのバゲットには炭火で炙ったような香ばしさがあり、この時点でもう、ここが人気店であろう理由がわかる。
ずらりと並ぶ料理がどれも魅力的で、なかでも名物は、餃子、からあげ、ハンバーグらしい。「大看板! 名物・肉汁ハンバーグ」の文字に抗えない魅力を感じ、それの150g、自家製デミグラス味(980円)を。加えて、どう考えても酒がすすむに違いない「のんべえの酒の肴 4種盛和わせ」(860円)も注文。
すぐにやって来たのは、酒の肴4種。内容は、ホタルイカの丸干し、食べる削り節、漬物盛り合わせ、子持ちきくらげ。メニュー表の削り節の上には「和光ブランド認定商品」、漬物には「自家製塩麹の」と添えられていて、こだわりの4品であることがわかる。
厚みが1mmはあろうかという厚い削り節は、あたりめふうにマヨ七味をつけて。もはやこれ以上はなにもいらないというくらいにうまい。ホタルイカは「軽く炙っても美味しいですよ」とライターを渡してもらい、言われたとおりに食べると、まるで口のなかで浜焼きをしたのか? ってくらいの香りが広がって悶絶する。塩麹漬けで優しい味わいのきゅうり、にんじん、だいこん、それからぷちぷちコリコリ食感の子持ちきくらげ、どれも自信と信念を持って提供されていることがわかる美味しさだ。
そしてハンバーグが焼き上がる。白いプレートにサラダとともに盛られ、ふっくらとしたその身をデミグラスソースと生クリームが包む、完全に洋食の名店の佇まいだ。
「半分に分けましょう」と、添えられたナイフを入れてみて驚いた。ぷつりと頂点に刃を当てた瞬間から、とめどなく肉汁が、滝のようにあふれ出してくる。その量が尋常じゃなく、ハンバーグは大好きな自分だけど、今までに未体験のレベルだ。失礼ながら和光市の、カウンター酒場で出会える一品の域を超えている。まさに“大看板”。
食べてみてまた驚く。じゅわりとした肉汁の旨味、それから、ごろごろとした国産の牛肉、豚肉の食感。すでに夢のようなうまさなんだけど、そのあとかなり強めに、複雑なスパイスの香りが広がりだす。スパイスカレー風味と言ってしまってもいいかもしれず、なかでも、クローブもしくはシナモン系の、ほのかに甘い香りが絶妙なアクセントになっている。
その後、福岡県ミツル醤油醸造の「生成り醤油(濃口)」で食べるという「濃厚豆乳の冷や奴」(430円)も頼んでみたら、醤油も、自家製であるという豆腐もうますぎて気が遠くなった。
「中」(340円)をおかわりしたホッピーを飲みつつ、こんな店が家の近所にあったらいいなぁ……としみじみ思いながら隣を見ると、友達は「こんな店が家の近所にあって良かったなぁ……」という顔をしている。なによりなことだし、和光市に飲みにくる理由が、また増えてしまったな。
ちなみにその後、もうひとりの編集さんが合流したあとにふらりと入ってみた「ミフネ」という店が、これまたあまりにも良く(特に下仁田ねぎの天ぷらにはうっとりした)、あらためて和光市で飲む楽しさを痛感させられた夜だった。「そばもん」「和の香」「ミフネ」に関しては、だいぶ和光濃度が高くなってしまうけれども、いずれこの連載で書かせてもらえたらと思う。
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『酒場と生活』毎月第1・3木曜更新。次回第15回は2025年1月9日(木)17時公開予定です。
筆者について
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。酒好きが高じ、2000年代より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター、スズキナオとのユニット「酒の穴」名義をはじめ、共著も多数。