今日までやらずに生きてきた
第13回

どうしても行ってみたかった店

暮らし

今日までやらずに生きてきた。先日別の仕事で出かけた街が、いい商店街があって活気があり、いつしかこの街に住んでみたいと思い始めていた。そこには見るからに風格のある食堂があった。建物の近くを通るとカレーとお出汁のいい香りがした。そのときは直前にご飯を食べていて入れなかったのだが、どうしても気になって仕方がなかった。すぐに、再びその街へ向かった。

2週間も経たないある日、再び岡町へ行くことにした

大阪府豊中市に岡町(おかまち)という駅がある。阪急宝塚線という路線にある駅で、梅田駅から各駅停車に乗って15分ほどで着く。私が住んでいる街からもそれほど遠くはない駅なのだが、今まで一度も降りたことはなかった。

その駅に最近、初めて行くことになったのは、阪急宝塚線沿線の駅をひとつずつめぐって駅周辺を散策するというコラムを、月に1回書いているからである。あえて事前に駅周りのことを調べず、半ば行き当たりばったりで歩くのがそのコラムのスタイルになっていて(と、勝手に私が決めているだけだが)、そのときも、なんの知識も持たずに向かった。

駅周辺にただただ住宅地が広がっているような街かもしれないと、そんなイメージを思い浮かべながらホームに降り、改札を出てみると、そんなことはなかった。駅の東側に出るとすぐ「岡町商店街」のアーケードがあり、商店が立ち並んでいる。シャッター商店街のような雰囲気ではなく、古そうに見える店も新しそうに見せる店も混ざって、和やかな活気があった。

商店街のすぐ脇は「原田神社」という古い神社の境内で、本殿は重要文化財に指定されているそうだ。この原田神社が昔からあって(5世紀頃の創建だとも言われるそう)、また、梅田の近くから大阪の北側に位置する能勢方面へと続く「能勢街道」の街道筋に位置したことから岡町は発展したのだと、これはあとで調べてようやく知った。

雰囲気のいい商店街を歩くと心がざわざわと騒がしくなる私は、こっちも気になる、あっちも気になると視線を動かしながらゆっくりと進む。1970年にオープンしたという「桜塚ショッピングセンター」がまたなんとも懐かしい雰囲気でいい。1階がスーパーで2階は専門店街になっている。

歩くだけで楽しい岡町の商店街

商店街のアーケードが切れた先の道沿いにも商店は並んでいて、スイーツを売る店があれば、居酒屋もある。そのまましばらく進むと豊中市役所の建物が見えてきて、生活するにも便利そうだなと、いつしか私はこの街に住んでみたいと思い始めているのだった。

取材時には、雑居ビルの3階にあるペルー料理店を訪ねた。「ワンカヨ」という、ペルーの高地にある都市の名が店名に付けられたその店は、20年前にペルーから日本へやってきたというご夫婦が切り盛りしていた。

ラベルにマチュピチュの描かれた「クスケーニャ」という瓶ビールを飲んで、野菜とパスタを炒めたような料理「タヤリンサルタド」を食べた。酸味のきいた味わいが新鮮に感じられ、今思えばペルー料理を食べるという経験も私にとっては生まれて初めてのことだったのだが、今回書きたいのはそのことではない。

ペルー料理店・ワンカヨで食べたタヤリンサルタド

岡町商店街に、見るからに風格のある食堂があった。「土手嘉」と書いて、「どてか」と読むらしい。建物の近くを通るとカレーとお出汁のいい香りがした。

建物の外観からしてもういい店だとわかる土手嘉

取材時は「さすがにペルー料理を食べたばかりだし」と、その店には寄らぬまま時間を過ごしたのだが、どうしても気になって仕方がなかった。帰宅後すぐに調べたところによれば、土手嘉の創業は文政9年、1826年頃と言われるそうで、200年近い歴史を持つ店なのだ。メインメニューはうどんで、うどんを出す店としては大阪府内で最古だとも言われているようだ。で、メインがうどんとはいえ、オムライスがあったり、ドライカレーがあったり、巻き寿司があったり、中華丼も焼きめしもある店で、中華そばも美味しいらしい。瓶ビールもある。

いつもなら「いつか行けたらいいな」と一旦は保留にして済ませるところだが、岡町の商店街は歩いているだけで楽しかったし、もしこれで土手嘉の中華そばが美味しかったりしたら、いや、きっと美味しいだろうけど、本当に引っ越し先に考えてもいいかもしれない。そんなふうに思うと胸が高鳴り、取材から2週間も経たないある日、再び岡町へ行くことにした。

住宅街のなかに1号店だと教わらなければ気づかないほど普通に、そのローソンはあった

平日の昼間、ちょうど仕事が片付いて時間に余裕があるという友人とふたりで岡町商店街を歩く。前回の印象をもう一度確かめるようにしてあたりを見渡し、不動産屋の軒先に貼られた物件情報も見る。なるほど、割と安い部屋もあるようだ。

そして、土手嘉だ。11時15分にのれんがかかって、すぐにお客さんが何組か入っていく。私と友人もその後に続いた。入口付近のテーブル席についたのだが、半分開いたドアの外、のれんの向こうの商店街を歩く人が見え、さらにその先には原田神社の鳥居が見え、なんとも雰囲気がいい。時おり穏やかな風が吹いてきて気持ちいい。

のれん越しに眺める外がいい

また、お店のなかがとてもきれいで、手入れが行き届いているのがわかる。置かれた調度品や、壁に飾られた絵もよくて、これもあとになって、今の建物が1926年に建てられたものだと知ったけど、それが信じられないほどだ。うどんとオムライスのセットを食べているお客さん、親子丼のお客さん、チャンポンのお客さん、色々いる。私は瓶ビールと中華そばだ。友人は玉子とじうどん。

グラスに注ぎ合ったビールを飲みながら「いい店だなー」と何度もつぶやく。中華そばが運ばれてきた。

生まれて初めて食べるのに、食べる前から美味しいとわかる

細めの麺は歯ごたえがあって、チャーシューは柔らかくて、スープは初めはあっさり、あと味にはしっかり旨みを感じて、夢中になって食べた。小食な自分だが、わんこそばのように丼におかわりを盛って欲しいと思う。うまいな……待てよ、中華そば系のメニューだけでも他に五目そばも、チャンポンも、カレーチャンポンもあるのだ。この美味しいチャーシューをもっと食べたいと思ったからチャーシューメンも試したい。いつになったらオムライスやドライカレーにたどり着けるだろうか。

正午が近づき、お店が混み合ってきた。「土手嘉本店」と書かれた箸袋をリュックの中の本に挟み、会計を済ませて外に出る。

記念に写真を撮ってもらった

土手嘉、いい店だった。今初めて食べたばかりだが、東京から誰か友人が大阪に来たら、ここに案内したいと思った。

腹ごなしにと商店街を歩き、さらに先、豊中市役所の南東方面へ向かう。「この前行った岡町がすごくよくて」と知人になんの気なしに話した際、相手が「ああ、あの辺いいですよね。ローソンの一号店があの辺らしいです」と教えてくれて、そのローソンまで行ってみることにしたのだった。

15分ほど歩いた住宅街のなかに、1号店だと教わらなければ気づかないほど普通に、そのローソンはあった。当たり前だが、店内の品揃えはいたって普通で、他のローソンと変わらない。せっかくここまで来たし、と、記念のつもりで発泡酒を買う。会計をしてもらいながらレジの奥に視線を向けると、タバコが並んでいる上に「Thisi is the FIRST.」と文字が並んでいて、1975年にできたこの店がローソンの1号店であることを示すプレートが飾られていた。

ここが一号店である証が、レジの奥の壁にあった

「やっぱり1号店なんですね! 写真を撮ってもいいですか?」とお店の方に告げて写真を撮り、店の前で記念撮影をしていたらお店の方がでてきて、古い写真を見せてくださった。1975年6月14日、そのローソンができた頃の写真で、今のローソンの雰囲気とは違う、アメリカ映画でロードサイドに出てくる売店みたいな、ちょっとかっこいい店の外観が映っていた。「店内でハムを切って売っていたそうです」とお店の方が教えてくれた。2025年6月14日が開店から50周年になるので、テレビの撮影が来る予定だという。その日、ちょっと賑やかになるこの店を想像する。

「1号店で飲む発泡酒は全然味が違う!」などと言ってはしゃいだ

そのローソンの近くに「大塚公園」という公園があったので、買った発泡酒をそこで飲むことにした。園内に古墳があって、その上まで登れるようになっている。登った先には木々があって日影があり、風が通って涼しい。もし岡町に住んだらこの公園で、今日のようにぼーっとしたりするのかもしれない。

この店の正直さの表れなのだ

再び岡町駅の方へのんびりと引き返し、岡町駅から阪急宝塚線に乗ってふた駅とすぐ近くの「蛍池駅」まで行ってみることにする。蛍池駅の近くには24時間ほぼ無人で営業している「惑星のウドンド」という変わった名のうどんスタンドがあり、飲み物も食べ物も持ち込み自由なのだ。駅前のスーパーで缶チューハイを買ってそこでひと休みしていこうと思った。

お店の名物である、富士吉田市の硬い麺をモチーフにしたうどんは、お腹がいっぱいなので食べない。が、「惑星のウドンド」ではうどんにトッピングしても美味しい“鶏煮”が売られていて、それがお酒のおつまみに最適なのでそれを買う。

蛍池駅近くにある奇跡のような店「惑星のウドンド」

チューハイを飲みつつそれをつまみ、涼しい店内でしばらくのんびりさせてもらった。昼過ぎなので他にお客さんもおらず、静かだった。

「いやー、土手嘉、美味しかったなー」「岡町、いいところだったね」と友人と話していたら、「惑星のウドンド」の店主・斎藤光典さんがやってきた。私はこの店を取材させてもらったことがあって、そのときに斎藤さんにお話を伺い、以来、一緒に飲みに行ったりさせてもらっている。前述した通り「惑星のウドンド」は無人営業が中心のお店なので、ここに来たからといって斎藤さんに会えるとは限らない。ちょうどタイミングが重なってお会いできたことを喜んでいると、「僕も一杯、乾杯させてもらっていいですか?」と斎藤さんが缶ビールを冷蔵庫から取り出し、しばらく一緒に時間を過ごすことができた。

お互いの近況を報告しあったあと、斎藤さんに「今日は何かお仕事で?」と聞かれた。「いや、何もなく、ただ、岡町の土手嘉というお店がどうしても気になって、食べに行ってきたんです」と答える。斎藤さんは指をパチンと鳴らし、「土手嘉、最高ですよね。……ここ、土手嘉の蛍池店があった場所なんですよ」という。「え……! この、ここですか?」「そう、今いるここです。怖い話みたいでしょう」「え! ここに土手嘉が……?」と、確かにあまりに奇遇でちょっと怖い。

私は「惑星のウドンド」には何度も来たことがあるけど、この場所にかつて何があったかは知らなかった(そういえば斎藤さんから「昔ここにうどん屋さんがあって」と聞いた記憶もかすかによみがえってきたが、意識したことがなかった)。今日、岡町の土手嘉に行って、その後で蛍池まで来たのも気まぐれで、この面白い店を友人に紹介したかったというのがいちばんの理由だった。

それだけだったのだが、我々は知らず知らずに土手嘉から土手嘉の支店の跡地へとツアーをしていたのである。取るに足らない小さな話のようでいて、自分にとっては街歩きの楽しさを改めて強く感じさせてくれるような大きな偶然だった。「ずいぶん昔に閉めてしまったみたいなんですけどね。でもたぶん土手嘉の支店って他の場所にはなくて、ここにだけあったみたいです」と斎藤さんは語り、缶ビールを飲む。

今日、「惑星のウドンド」に来てよかった

斎藤さんは次の用事のために荷物を持って店を出ていき、缶チューハイを飲み干したところで私たちも外へ出た。今日の締めの一杯をと、近くにある「ほたるや酒店」へ向かう。路地裏にたたずむ小さな店で、敷地の半分は普通の酒屋、もう半分が角打ちスペースになっている。

大好きな店「ほたるや酒店」

ここに連れてきてくれたのはさっき会った斎藤さんで、以来、蛍池に来るたびに立ち寄るようになった。とはいえ、常連さんが中心の、とても小さなお店なので、長居はせずにサッと飲んで帰るようにしている。

店には、つまみも少しだが用意されていて、女将さんが手作りした惣菜もあれば、お造りもある。スナックやナッツなどの乾き物もある。壁に貼られたメニューにはこんな文字が並んでいる。

「冷やっこ」「チン湯豆腐」「チンフライドポテト」「チンタコ焼き」「カップ麺ミニ色々」「チーズかまぼこ」「ウインナー1本」「チンご飯」

「チンってちゃんと書いてあるのがいい」と私がつぶやくと女将さんがそれを聞いて「お客さんがね、レンジでチンしたものだってわからずに頼んだらがっかりするからね」と教えてくれた。この店の正直さの表れなのだ。

壁のメニューにたまらない味わいがある

「チンご飯まであるんですね」というと、「常連さんでね、毎日のように来て、チンご飯を食べて行く人がいたの。その人のためのメニューみたいなもん」と女将さん。たしか90歳にもなるというご常連さんで、最近亡くなったらしい。私と友人の隣にいたご常連さんがそんなやり取りを聞き「そうそう。いつも食べとったな。寂しくなったわ」とつぶやく。

その後は、その常連さんのお仕事の話を楽しく聞く時間があり、さらに別の常連さんがやってきて、我々に焼酎を御馳走してくれて、それを調子に乗って飲んでいたらすっかり酔ってしまった。お礼を言って店を出て、夕暮れの蛍池の街をふらふらと歩いた。

土手嘉に導かれるようにして、なんだかやけにいい時間を過ごした一日だった。もしも岡町で暮らすことになれば、土手嘉でも好きなときに通えるし、蛍池も遠くない。最初は少し寂しいかもしれないが、慣れたらきっと「ここに住んでよかった」と当たり前に思うんだろうなと、そんな日が来るのを妙に現実的に感じながら駅に向かった。

*       *       *

スズキナオ『今日までやらずに生きてきた』は毎月第2木曜日公開。次回第14回は7月10日(木)17時配信予定。

筆者について

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。

  1. 第1回 : 疲労の果ての酵素浴
  2. 第2回 : 薬草風呂でヒリヒリした日
  3. 第3回 : ジムに2回行った
  4. 第4回 : ホテルの40階でアフタヌーンティーを
  5. 第5回 : 打ちっぱなしから始まる知らないことだらけの一日
  6. 第6回 : ずっと放置してきた足の痛みと向き合ってみる
  7. 第7回 : 太極拳教室で膝がガクガクした
  8. 第8回 : 初めて貼る冷えピタ、初めて飲む龍角散ダイレクト
  9. 第9回 : 泣いて食べたイノシシ鍋、自分のために一輪挿しを買う
  10. 第10回 : 流浪の4日間、たどり着いた生ビール
  11. 第11回 : 春のモルックに誘われて
  12. 第12回 : 一本の桜を見に行く旅
  13. 第13回 : どうしても行ってみたかった店
  14. 第14回 : サインをもらうために東京へ行く
連載「今日までやらずに生きてきた」
  1. 第1回 : 疲労の果ての酵素浴
  2. 第2回 : 薬草風呂でヒリヒリした日
  3. 第3回 : ジムに2回行った
  4. 第4回 : ホテルの40階でアフタヌーンティーを
  5. 第5回 : 打ちっぱなしから始まる知らないことだらけの一日
  6. 第6回 : ずっと放置してきた足の痛みと向き合ってみる
  7. 第7回 : 太極拳教室で膝がガクガクした
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  14. 第14回 : サインをもらうために東京へ行く
  15. 連載「今日までやらずに生きてきた」記事一覧
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