今日までやらずに生きてきた
第18回

日が沈んで夜になるまでずっと見る

暮らし

今日までやらずに生きてきた。漫然と暮らしていると、美しい夕焼けを見る機会は一向にやってこない。自分の人生のなかで、しっかりと夕暮れを眺めたことがどれだけあっただろうか。記憶に残っている夕暮れが私にはふたつある。どちらも旅先で偶然出会ったものだが、もっと自分から手繰り寄せるようにして真正面から夕焼けを眺めたいと思った。

「夕焼けを見に行かない?」と友人を誘い、よく晴れた秋の平日に咲州へ向かう

夕方、スーパーに買い物に行く途中の夕焼け空が美しくて見惚れることがある。電車に乗っていたら車窓から丸いオレンジの太陽が山の向こうに沈んでいくのが一瞬見え、すぐに建物の影に隠れてしまうことがある。そんな経験をするたびに、今日の美しい落日を見逃したことを少し悲しく思う。

街の中を歩いていても綺麗な夕日が見えることは滅多にないし、高層マンションに住んでいるわけでもない自分が高いところから空を見渡す機会はほとんどない。見晴らしのいい海や山に出掛けても、気候条件や時間帯が合わなかったりして、まあ、そもそも自分が「夕焼けを見るぞ!」としっかり意識していないせいなのだが、漫然と暮らしていると、美しい夕焼けを見る機会は一向にやってこない。

日が沈んでいくのをじっくり見たいと思う。考えてみれば、自分の人生のなかで、しっかりと夕暮れを眺めたことがどれだけあっただろうか。記憶に残っている夕暮れが私にはふたつあって、ひとつは、静岡県伊豆市の土肥という地域になんの計画も立てずに旅行をした際のこと。海辺に公共浴場があるのを見つけて入った。今になって調べてみるとおそらく「屋形温泉共同浴場」という温泉場だったはず。いかにも昔ながらの共同浴場らしいシンプルな建物で、旅先でそんな温泉に浸かるのが好きだから、うれしかった。体を温めて外に出たら、目の前の海にまさに今、日が沈んでいくところだった。

これもまた今になって調べてみれば、共同浴場の目の前の海岸は「サンセットビーチ」と呼ばれるほど夕焼けが綺麗なスポットで、そんなことを何も知らずに共同浴場から外に出ただけの私は目の前に光景に驚いた。じわじわと沈んでいくオレンジのまばゆい光を眺めながら、「今ここで偶然見た夕日と空の色を丸ごと記憶していたい」と思った。しかし、そう強く思いながら見ていたはずなのに、記憶は刻一刻と曖昧になっていく。そのときのことを思い出そうとして書いている今も、海岸の様子がどんなふうだったか、そのときがどんな季節で、どんな気候のなかに自分がいたのかもわからない。

もうひとつ思い出深いのが、三重県志摩市の横山島という小さな島に1軒だけある宿「石山荘」に宿泊したときのことだ。予約の時間になると、近鉄電車の賢島駅からすぐの場所にある桟橋まで宿のオーナーが船で迎えに来てくれる。桟橋から島までは船で5分ほどと近いのだが、宿には食堂もなく、宿の周囲を歩けるわけでもない(その宿を営むご夫婦が住んでいるだけの島なので、歩き回ると危険なほどに自然そのままなのだそう)。

そこでは、宿の目の前から見える夕日をただ眺めるぐらいしかすることがない。事前にそう聞いていたから、酒は駅前で買い込んである。それを飲みながらずっと景色を見る。そのときも、「今日ここでこの夕日を見るために今までの月日があったのではないか」とすら思ったが、そんなふうに感じたことは覚えていても、そのときの空の色の変化がどんなふうだったか、鮮明に思い出すことはできない。

旅先で偶然出会うのも素晴らしいが、もっと自分から手繰り寄せるようにして真正面から夕焼けを眺めたい。自分の家を基点に考えると、それほど遠くない距離にあるのが大阪・梅田の「梅田スカイビル」という高層ビルだ。上階にある「空中庭園展望台」というスペースに向かってエスカレーターが突き刺さるように伸びているのが外からも見える斬新な構造で、特に近年、海外からの観光客に大人気らしい。

私も過去に数回、その展望台まで行ったことがあり、きっとあそこからなら美しい夕日が見えるだろうと思うのだが、ただでさえ人のたくさん集まる梅田の人気スポットである。展望台の入場口に列ができている様子を見かけたこともあるし、日の入りの時間帯を目指して来る人はかなり多いのではないか。

そう思って「梅田スカイビル」はやめることにして、大阪市住之江(すみのえ)区にある「さきしまコスモタワー展望台」に行ってみようと思った。大阪市の西にある咲州(さきしま)という埋め立て地に建っている「さきしまコスモタワー」の、最上階の展望スペースだ。

大阪の西には咲州、夢洲、舞洲という3つの人工島があり、そのうちの夢洲は先日まで大阪・関西万博の会場となっていた場所である。3つのうちでいちばん古くから造成された咲州には複合商業施設やホテルや高層マンションが建っていて、そのなかでも群を抜いて高く、周囲のランドマークのようになっているのが「さきしまコスモタワー」である。

まだ大阪・関西万博が開催されるだいぶ前、会場になることが決定した夢洲(ゆめしま)の様子を高いところから眺めてみたいと思ってそこまで行ったことがある。展望スペースは回廊のようになっていて、360度、どの方向の景色も眺めることができた。あそこからならじっくりと夕焼けを見ることができるだろう。万博の会期中ならまだしも、閉幕後だからそれほど混んでいない気もする。

「夕焼けを見に行かない?」と友人を誘い、よく晴れた秋の平日に咲州へ向かう。JR、地下鉄、そして「ニュートラム」という自動運転の交通システム(東京の「ゆりかもめ」みたいなもの)を乗り継ぎ、コスモスクエア駅までやってきた。駅舎は湾岸に建っていて、外に出るとすぐ海が見える。

コスモスクエア駅を出るとすぐ湾岸の風景だ

シャッターに「振替休館日」という紙が貼ってあった

ここに来る途中からなんとなく気づいていたことなのだが、空にはだいぶ雲が多い。昼間はすっきり晴れていたはずなのだが……。考えてみれば、空に雲ひとつないということは稀で、沈んでいく太陽が雲に遮られない状態で見えることなんて、あまりないのかもしれない。出鼻をくじかれた感じで少し落ち込んだが、もうここまで来たし、とりあえずタワーまで行ってみよう。

調べてみると、この日、日の入りの時間は17時3分だという。で、駅から歩き出した時刻が16時3分だから、日没までちょうど1時間ほどある。1時間もあると思ったが、雲の向こうの太陽はすでにだいぶ沈みかけているように見える。急がないと、と焦る。

太陽がもうだいぶ低い

そびえ立つタワーを見上げつつ、早歩きのようなスピードでそっちの方へと向かう。学校帰りの子どもたちの集団とすれ違う。

さきしまコスモタワーは地上252mの高さ

これはあとになって検索して知ったことだが、さきしまコスモタワーは1995年に竣工したビルで、もとは大阪市の第三セクターが運営していたのが、経営難に陥って2010年に大阪府に譲渡され、以降は「大阪府咲洲庁舎」という正式名に改称された(「さきしまコスモタワー」は愛称ということになるらしい)。

建物内には大阪府関連の様々な事務局が入居しているようで、スーツ姿の人々がいて、1階には飲食店やコンビニもあるが、不思議と静かな雰囲気が漂っている。

展望台への入口は1階にある

それはさておき展望台に急がなくては、と思って歩くと、入口があるはずの場所にシャッターが下りている。

ここから入れるはずなのだが……

シャッターに「振替休館日」という紙が貼ってあった。月曜が休館だとは知っていたのだが、そういえば昨日の月曜は祝日だった。昨日は営業していて、その代わりに今日は休みなのらしい。えーっ、と立ち尽くしている暇はない。早くしないと日が沈んでしまう。

フロアマップを見ると、48階にビュッフェ形式のレストランがあるようだ。とりあえずエレベーターに乗ってそこに行ってみる。しかし、エレベーターのドアが開いても人の気配がせず、真っ暗な空間の前に「只今準備中」という札が立っているのみ。夕方の営業時間がまだこれからということなのかもしれないが、しかし、中で仕込みをしているような感じもしない。奥のほうも真っ暗なのだ。

本当に「準備中」なのだろうか

だめだ。そんなことをしているうちに日の入りまでもう15分しかない。ここまでのドタバタに付き合ってくれていた友人に「もう今日は諦める。ごめん」と謝罪し、タワーの1階のコンビニで缶ビールをおごった。私はチューハイを買い、さきしまコスモタワーからほど近い「ATC(アジア太平洋トレードセンター)」という巨大な商業施設まで、飲みながら歩くことにする。

そのATCの前には海に面した広場があって、以前、ひとりでこの辺りを散策した際、同じようにコンビニで買った酒を飲んで過ごしたことがあったのだ。大阪と九州を結ぶ客船「さんふらわあ号」が出航時間を待って停泊しているのが見える。

ATCの前の広場が好きだ

日が沈むところは結局見られなかったが、日没後の空の色はじっくり眺めることができた。肌寒くなってきたところで、ATCの中にあるサイゼリヤに避難し、生ビールを飲んで、その日はその日で楽しかった。

日が沈んでからの時間も大切にしたい

特にみんなが集まっているのが万博会場の夢洲が見える場所だった

楽しかったのはたしかだが、夕焼けをじっくり見ることができなかったという後悔は残った。そこで、翌々日に再度、今度はひとりでさきしまコスモタワーを目指すことにした。「今度こそ夕焼けを見に行かない?」と誘う勇気はなかった。

おととい予習をしたばかりだから、駅からタワーへの移動もスムーズだ。少しの迷いもなくタワーの入口を目指しながら、ふと、美しい景色を撮影するプロのカメラマンはこうやって何度も何度も日を変えて同じスポットを目指すのかもしれないと思う。パッと一回で効率よく綺麗な夕焼けを見ようだなんて、自分がずいぶん甘い気がしてきた。

おとといより空がすっきりしているように見える

タワー1階にたどり着き、前回はシャッターが下りていた場所の奥に受付が見えたことにまずは安堵する。

よかった。今度は入れるはず

入場料の1200円を支払い、エレベーターで上階へ。そこから長いエスカレーターに乗って展望台を目指す。

光に吸い込まれていくようなエスカレーターだ

エスカレーターを降りると、そこがもう展望台だ。自分で高いところを目指してきたのだから心構えはあったはずなのに、それでもびっくりしてしまう。こんなすごい眺めだったっけ。

窓の近くまで行くと足がすくむほどだ

腕時計を見ると16時半を過ぎていて、日の入りまで30分ほどだ。本当はもう少し早めにここに来てじっとしていたかったけど、まあ仕方ない。とにかく、日が沈む方向が見える窓辺に立ってみる。

あっちに日が沈んでいくのだな

展望台には思った以上に人がいて、特にみんなが集まっているのが万博会場の夢洲が見える場所だった。会場の象徴的な建造物だった大屋根リングが、肉眼でも見える。閉幕後も、こうして名残を惜しんでいる人がいるのだな。

閉幕した万博会場を今も眺めている人がいた

展望台内の売店で販売されている缶ビールを買って、いよいよ私は夕日を眺める。たまに写真を撮りながらではあるが、できるだけ目をそらさず(太陽を見つめると目が痛いから視線はあちこち動かしながら)、ただただ、見る。厚い雲に隠れていた太陽が姿を現す。

きれいだな

太陽の色が海に映って、その海に浮かぶ船も照らされている。あの船からは今、夕日がどんなふうに見えているだろうか。そんな余裕はなく、船の上の人はそれぞれに忙しいか。太陽が落ちていくスピードはゆっくりしているようで、速い。

私の周囲に、同じように夕日を眺めている人がいて、会話をしている。視界に意識を集中しているからか、聞こえてくる言葉はぼんやりしていて頭の中で意味を結ばない。この景色を見ている人たちはどんな話しているのだろう。案外、景色とは全然関係ない話をしていたりするのかも。そんなことを考えて眼下を見ると、おととい私たちが酒を飲んで佇んでいた広場が見える。あのとき、私たちはどんな話をしていたっけ。

誰も不快に思わないようなゆったりしたジャズが展望台内にずっと流れていることに、やっと気づく。そういえばさっき私が缶ビールを買った売店のスタッフの方は、海外から日本に来て働いている人のようだったけど、ここでの仕事をどんなふうに感じているだろうか。毎日いたら、こんな景色でもやはり見慣れるものだろうか。雨の日は「今日は楽だな」と思うだろうか。海のオレンジ色がさっきより濃くなってきた気がする。

太陽がじわじわと沈んでいく

なぜ私はやっと今日ここに来たのだろう。なぜ、昨日はここにいなかったのだろう

この展望台に年間パスポートはないんだろうか。あったら買いたい。いや、あったとしたらかなり高いかも。いくらだったら買うだろうか。多少高くても、いつでもこんな景色を見に来ることが出来ると思えたら、それだけで毎日が少しいいものになるのでは。なぜ私はやっと今日ここに来たのだろう。なぜ、昨日はここにいなかったのだろう。こんなにすごい夕日なのに。

でも、太陽が沈もうとする先をよく見ると、山の稜線よりもだいぶ高い場所に分厚い雲が横たわり、このままいけばきっと太陽はそこに隠れてしまう。あの雲がなければもっとギリギリまで太陽の姿が見えるのに、今日ここから見える太陽は、もうすぐ、あの雲のところまでで終わりだ。周りで夕日を眺めている人の数が、10分前よりも増えてきた気がする。

あと少しで太陽が隠れそうだ

もうすぐ雲に隠れそうな太陽は、さっきまでよりも沈むスピードを上げたように見える。もちろん、そんな気がするだけだろうけど、ずいぶん速い。「もう沈むわ」と、誰かの言葉が、やっと聞こえる。自分が今までに見た全部の夕焼けの記憶が、今見ている夕焼けに引っ張り出されるようにして、蘇りそうな気がする。そうなったら面白い。

よく「宇宙の歴史に比べたら人の一生なんて一瞬だ」みたいな言い方があるけど、それでいうと、この日没はどうなるんだろう。流れ星が流れるようにヒュンと海に太陽が落ちていく映像をイメージする。宇宙の歴史に比べるなら、そんなイメージですら話にならないほどに遅すぎて、どこまでもどこまでも早送りすれば、太陽は昇っては落ちてをとんでもないスピードで繰り返して、もはや線のようにしか見えなくなりそうだ。一定の間隔で鳴るリズムの再生速度をどんどん上げていったら最後はピーッという連続した電子音になるみたいな。そんなことを考えていたら太陽が完全に雲に隠れた。少し寂しい気がしたが、そのままじっと見ていると、今度は雲の輪郭が輝き出した。日が沈んだのをきっかけに帰っていく人がいる。

今日、ここから見える太陽は完全に隠れてしまった

太陽が沈んでいった山の稜線の端のほうに見覚えのある影が見えると思ったら明石海峡大橋で、私がずっと見ていたのが淡路島だったとやっと気づいた。そっちのほうばかり見ていたが、展望台の反対側はもう夜になっていたりするんだろうか。ぐるっとまわってみると、とんでもなく大きな月がのぼり始めていて声が出た。

月は月でまたすごい

「空、やべーわ」と心のなかでつぶやきつつ、展望台をゆっくりと何度もまわる。西のほうはまだピンクの空で、そこからどんどん空の色が濃い青になっていく。でも1周してくるとまだピンクが残っていて、時間がループしているような不思議な感覚だ。

万博会場が見える方向にはさっきよりも人が増えていて、そちらの窓を眺めると、大屋根リングに明かりが灯っている。解体作業用に灯されているのかもしれないその明かりを、みんな眺めているようだった。

夜の大屋根リングを見ている人がたくさんいた

もうだいぶ高くなった月をしばらく見て、帰ることにした。エスカレーターで数フロア下までおりて、エレベーターで1階へ向かう前に、ふと、あのビュッフェは今日はどうなっているだろうと思った。48階で降りてみると、賑やかな人の気配があり、「本日のディナータイムは貸し切りになっております」という立札がある。大勢の人が、夜景を眺めながら飲んだり食べたりしているんだろうか。私は何を食べようかと、夕飯のことを考えながら駅まで歩く。コスモスクエア駅の駅前まで来て月を見上げると、最後に展望台で見たよりもさらにそれは高い位置にあり、もう別の何かのようだった。

展望台も地上も、嘘のようにすっかり夜だ

*       *       *

スズキナオ『今日までやらずに生きてきた』は毎月第2木曜日公開。次回第19回は12月11日(木)17時配信予定

  1. 第1回 : 疲労の果ての酵素浴
  2. 第2回 : 薬草風呂でヒリヒリした日
  3. 第3回 : ジムに2回行った
  4. 第4回 : ホテルの40階でアフタヌーンティーを
  5. 第5回 : 打ちっぱなしから始まる知らないことだらけの一日
  6. 第6回 : ずっと放置してきた足の痛みと向き合ってみる
  7. 第7回 : 太極拳教室で膝がガクガクした
  8. 第8回 : 初めて貼る冷えピタ、初めて飲む龍角散ダイレクト
  9. 第9回 : 泣いて食べたイノシシ鍋、自分のために一輪挿しを買う
  10. 第10回 : 流浪の4日間、たどり着いた生ビール
  11. 第11回 : 春のモルックに誘われて
  12. 第12回 : 一本の桜を見に行く旅
  13. 第13回 : どうしても行ってみたかった店
  14. 第14回 : サインをもらうために東京へ行く
  15. 第15回 : 20年後、やっと加計呂麻島へ行く
  16. 第16回 : 姫路の穴子、家島のじゃこ鍋
  17. 第17回 : 双葉町に住んでいる山根さんと一緒に街を歩く
  18. 第18回 : 日が沈んで夜になるまでずっと見る
連載「今日までやらずに生きてきた」
  1. 第1回 : 疲労の果ての酵素浴
  2. 第2回 : 薬草風呂でヒリヒリした日
  3. 第3回 : ジムに2回行った
  4. 第4回 : ホテルの40階でアフタヌーンティーを
  5. 第5回 : 打ちっぱなしから始まる知らないことだらけの一日
  6. 第6回 : ずっと放置してきた足の痛みと向き合ってみる
  7. 第7回 : 太極拳教室で膝がガクガクした
  8. 第8回 : 初めて貼る冷えピタ、初めて飲む龍角散ダイレクト
  9. 第9回 : 泣いて食べたイノシシ鍋、自分のために一輪挿しを買う
  10. 第10回 : 流浪の4日間、たどり着いた生ビール
  11. 第11回 : 春のモルックに誘われて
  12. 第12回 : 一本の桜を見に行く旅
  13. 第13回 : どうしても行ってみたかった店
  14. 第14回 : サインをもらうために東京へ行く
  15. 第15回 : 20年後、やっと加計呂麻島へ行く
  16. 第16回 : 姫路の穴子、家島のじゃこ鍋
  17. 第17回 : 双葉町に住んでいる山根さんと一緒に街を歩く
  18. 第18回 : 日が沈んで夜になるまでずっと見る
  19. 連載「今日までやらずに生きてきた」記事一覧
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