日本の女性と家族、仕事と恋愛、幸せのかたちを描いてきたNHK「連続テレビ小説」(通称「朝ドラ」)。1961年度の誕生からこれまで、お茶の間の朝を彩ってきた数々の作品が、愛され、語られ、続いてきたのには理由がある。はたして「朝ドラっぽい」とは何なのか?
『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版刊)では、エンタメライターで「朝ドラコラム」の著者・田幸和歌子が、制作者のインタビューも踏まえて朝ドラの魅力に迫っています。
ここでは、その一部を特別に紹介していきます。(第6回目/全6回)
日本人にとっては、毎日その時間になるとチャンネルをあわせる「時計がわり」であり、「朝の習慣」であり、「毎日欠かさずに食べる朝ごはん」みたいな存在でもある「朝ドラ」。
第1作『娘と私』(1961年)は8時40分からの20分番組だったが、第2作『あしたの風』から現在に至るまで、『ゲゲゲの女房』(2010年)で放送時間の変更はあったものの、「15分」という枠を50年間守り続けている。
「なぜ15分だったのか」というと、新聞小説やラジオドラマがヒントになっているからだということは前章でも述べたが、そもそも「朝からドラマ」ということ自体、今にして思えば異色ではある。
現在の感覚では、「ドラマ」というと、夕食後や寝る前などのゆったりできる時間帯に、じっくり観るのが一般的だろう。それなのに、忙しい時間帯に観るということ。しかも、「“家族”が揃って観る」という番組自体、他に類を見ないのではないだろうか。
「朝ごはん」を食べない世代も増え、近年は「朝ごはん」の重要性が強調されるようになっているが、かつては「重要性」「必要性」云々ではなく、朝ごはんを食べるのが「当たり前」だったと思う。そして、朝ドラも同じく、作品の好き嫌いにかかわらず、流れていることが「当たり前の朝のスタイル」だった。
さらに、『水戸黄門』『渡る世間は鬼ばかり』『サザエさん』『ドラえもん』などの、強力なキャラクターを有するフィクションではなく、また、『徹子の部屋』や『笑っていいとも!』のように同じ司会者を据えたトーク番組でもなく、毎回作品が異なるにもかかわらず、「枠」として存続する長寿番組というのも、NHK大河ドラマと「朝ドラ」くらいではないだろうか。
大河ドラマの場合は「歴史」を扱うことにおいて共通点があるが、「朝ドラ」の場合は、ごく普通の人の普通の暮らしが描かれることが多いだけに、ひとつひとつ別の作品なのに、どれを観ても「朝ドラ」である。なぜなのか。
「朝ドラ」専門の部署はない
しかも、朝ドラの大きな特徴は、様々な時代の「女性の生き方」をずっと追いかけているということ。実は、女性の社会進出など、時代に即した女性を育成するなどの、啓蒙的な目的もあったのではないか……などという推測もされる。
そこで、画期的で独自性溢れた「朝ドラ」の「戦略」を伺うべく、NHKに取材を申し入れたところ、わかってきたのは、意外な事実だった。
最も驚くべきことは、NHKには「朝ドラ」専門の統括部署が存在していないということ。資料等を保管している「朝ドラ編集室」なり「朝ドラ戦略室」的なものがあるのではないかと想像していたが、そういったものは皆無であり、「朝ドラ」という枠のルールもなければ、朝ドラ専門で仕事をしている人もいないのだという。
「朝ドラ」として50年以上も脈々と続いているにもかかわらず、それぞれが常に「作品」単体であり、担当者も毎回変わっていく。これはかなり異色なことだと思う。
というのも、民放の放送局の場合、たとえば90年代頃に高視聴率を連発し、いわゆる“トレンディドラマ”の火付け役となった「月9」(フジテレビの月曜夜9時枠の連続ドラマ)では、『愛しあってるかい!』『すてきな片想い』『101回目のプロポーズ』『ひとつ屋根の下』など、「野島伸司脚本、大多亮プロデューサー」というコンビが作り出していた流れがあったり、『素顔のままで』『あすなろ白書』『君といた夏』などの「北川悦吏子脚本」や、『同・級・生』『東京ラブストーリー』『二十歳の約束』『愛し君へ』などの「坂元裕二脚本」、『まだ恋は始まらない』『アンティーク〜西洋骨董洋菓子店〜』などの「岡田惠和脚本」(岡田惠和といえば、朝ドラでは『ちゅらさん』『おひさま』でおなじみだが)など、同じ脚本家やプロデューサーなどが頻繁に登場する、そうした「作り手」の名前で観るドラマというものが多数ある。主演に関しても、月9の場合は、木村拓哉や中山美穂、三上博史、江口洋介、竹野内豊、山口智子など、「常連」の役者の名前がズラリと並ぶ。
だが、「朝ドラ」の場合、プロデューサーは「一生に1本」という人がほとんどで(数人いるプロデューサーの中で、チーフを務めるのが1回だけということが多い)、脚本家においても、ほとんどの人が「一生に1本」。複数回登場するのは『あしたこそ』『おしん』『おんなは度胸』『春よ、来い』の橋田壽賀子、『いちばん太鼓』『君の名は』『青春家族』の井沢満、『ひらり』『私の青空』の内館牧子、『ふたりっ子』『オードリー』の大石静、『京、ふたり』『天花』の竹山洋、『あすか』『瞳』の鈴木聡のほか、先に挙げた民放でもおなじみの『ちゅらさん』『おひさま』の岡田惠和がいるくらいだ。
専属の部署もなく、見守り続ける人もいない状況で、なぜ50年以上も続いてきたのだろうか。朝ドラがどのように作られているのか、また、「戦略」について、『ちりとてちん』でチーフプロデューサーを務めた遠藤理史さんに聞いた。
「朝ドラのスタートは、プロデューサーが『次の朝ドラ、おまえね』と上層部に言われて、そこから企画を含め、一から考えるところから始まります。考えることというと、まずどんな題材にするか。脚本家は誰にするか。時代背景をどうするか。でも、プロデューサーが『次はこんなことを題材に』と言っても、前の前の作品で、すでに進行していたりすることもあります。ふたつ先の作品くらいになると、その時点で進行していることなどが知らされていないんですよ」
タイミング的には、1年半後のオンエア分を知らされ、そこから企画が始まる。近年のパターンでは、昭和ものにするか、現代ものにするかでも大きく分かれるところだが、難しいのは、「1年半後に世の中がどうなっているか、何が話題になっているかが、全くわからないこと」だ。そのせいで、たとえば、ある作品でヒロインの呟いたセリフが、前作とたまたまかぶったり、逆に前作を皮肉るようなセリフに聞こえたりという「悲劇」(?)が生まれることもあるという。
「“長期戦略”なんてものは、ありません。たとえば、『梅ちゃん先生』の次の『純と愛』は、沖縄から大阪に来る話ですが、『沖縄本土復帰40周年だから話題になるのでは?』ということで、プロデューサーが考えたんです。ただ、単に沖縄だけだと『ちゅらさん』ですでにやっているから、大阪をからめて、みんなで話し合っていくうちに固まっていく感じですね」
朝ドラにかかわるのは「一生で1回」という気持ち
「朝ドラ」の枠というと、なんらかの共通点・カラーがあり、一貫性があるように見えるが、その実、かなり「いきあたりばったり」だそう。スタッフも出演者も毎回代わっていき、ずっと見守ってきた人がひとりもいない状況で、なぜ50年以上も続いてきたのだろうか。遠藤理史さんはその理由について、こう語る。
「朝ドラが50年も続いてきた理由は、ずっと面倒を見ている人がいないからということはあると思います。毎回、ライバルは、直前の番組だと思っていますから。朝ドラを2回担当するプロデューサーは、そういないんですよ。脚本家もプロデューサーも『1回しかできない』と思ってやっているところはあります。次にやっても、はじめの勢いや恐れはなくなっていることがあるんですよね」
遠藤さん自身は、『君の名は』で助監督を務め、『あぐり』で3番目の監督、『ちゅらさん』で2番目の監督、『風のハルカ』で1番目の監督を務めた後、『ちりとてちん』でチーフプロデューサーになった。だが、このように「朝ドラ」の中で一歩一歩階段を上るように進むパターンは稀有で、特にチーフプロデューサーは「1回だけ」というのが一般的だそう。
「実際、朝ドラを二度やりたがる人も少ないんですよ。自分の持っているひきだしを総ざらいして、抽斗の隅のホコリはらいまでしてゴール。しかも、胸でかっこよくテープを切るんじゃなくて、ほとんど倒れ込みながらゴールみたいになるので。もう1回やれと言われても、それは『もう1回人生をやり直してから』みたいなところはあります」
民放では同じ人気脚本家や、同じ実力派プロデューサーが、何度も同じ局で同じ曜日・時間帯の「枠」を担当するのに、なぜ「朝ドラ」はそれほどまでに大変なのだろうか。
「たとえば、朝ドラは15分ドラマを6本撮るから、週に90分オンエアがあるわけです。それに対して、大河ドラマは週に45分。単純に言えば、朝ドラは大河の倍の量を撮ることになるんです。でも、時間はみんな同じだけしかないから、物理的に半分の時間で撮ることになる」
NHKにとって「朝ドラ」といえば、大河ドラマと並んで、NHKの看板番組のひとつである。だが、「朝ドラ」配属というと、NHKの中では羨望の眼差しで見られるというよりも、現実的には「あ〜、大変だ」という見方が多いようだ。
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※この続きは、本書『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(田幸和歌子・著)にてお読みいただけます。
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筆者について
たこう・わかこ 1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社を経て、フリーランスのライターに。『日経XWoman ARIA』『通販生活web』でのテレビコラム連載のほか、web媒体などでのドラマコラム・レビュー執筆や、週刊誌・月刊誌での著名人インタビュー多数。エンタメ分野のYahoo!ニュース個人オーサー、公式コメンテーター。
かり・すまこ。福岡県出身。1994年に『SWAYIN' IN THE AIR』(「蘭丸」/太田出版)にてデビュー。BLから青年誌、女性誌まで幅広く活躍し、読者の熱い支持を集め続けている。2006年に『ファミリーレストラン』(太田出版)が映像化。2020年、『あした死ぬには、』が第23回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。『幾百星霜』(太田出版)、『どいつもこいつも』(白泉社)、『感覚・ソーダファウンテン』(講談社)、『うそつきあくま』(祥伝社)、『ロジックツリー』(新書館)など、著書多数。