いさましきレプリカ

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明日9月21日(木)より、オルタナ旧市街による新連載「お口に合いませんでした」がOHTABOOKSTANDでスタート!
連載にさきがけて、『クイック・ジャパン』vol.167に掲載されたショートエッセイ「いさましきレプリカ」を公開します。ちょっと不思議で非日常なオルタナ旧市街ワールドをお楽しみください。

※この記事は『クイック・ジャパン』vol.167(2023年6月23日発売)に掲載されたコラムをWEB用に再編集し転載したものです。

幼いころ住んでいた家には庭の小高くなったところに物干し台があって、そこの地面をスコップでほじくりかえして遊んでいたある夏、数センチ四方のころりとした透明の宝石が埋まっているのを発見したことがある。奇跡的にそれを発見した5歳のわたしは、きっとその日それまでの人生のうちもっとも高い歓喜の声を上げたと思う。なんせ自力で宝石を発掘したのだ。すかさず水道で土を洗い流すと輝きはいっそう増した。透明であったが、つまみあげて太陽にかざすと屈折した光がちらちらと虹を形成した。童話絵本に出てくるダイヤモンドのように整ったシングルカットで、海辺によく転がっている瓶の破片なんかじゃない、それはまぎれもなく高貴な人工物である。わたしはそれをいつでも大切にポケットに入れて持ち歩き、「でかダイヤ」という著しくロマンに欠けた名で呼びながらほうぼうで見せびらかしていた。

自慢なんかするから、でかダイヤを巡ってはわたしとその周辺の子どもたちによって数度の盗難と奪還が繰り返され、それなりに壮絶な冒険が展開されたのだが、やがて幾度かの引越しの果てにどこかへ失くしてしまった。よくあることだとも思う。ハイキングで集めたどんぐり、よくできた猫のぬいぐるみ、つるつるの石、水晶をくわえた龍と剣のキーホルダー、おばあちゃんがくれた指輪、光るシール、食玩のおまけフィギュア、ストラップつきの小型ゲーム。子どものあいだ、そのときどきで気に入った宝物を相棒のように持ち歩いていたはずなのに、気がついたころにはどこを探しても見当たらない。そもそも失くしたことすら忘れてしまうような、それ自体なんら普遍的価値のないものばかりであったが、ふりかえればそれら小さな相棒たちにすこしずつ生かされていた時間があったようにも思う。宝物をつくっては眺めたりなでたりすることで、じぶん固有の領域をあのころ静かに守り続けていた。

でかダイヤの存在などすっかり忘れていたのだが、わりあい最近になって、あれがつまるところ、ガラスでできた装飾品の一部分であったことが判明した。というのも、木更津の東京インテリア(ちなみに東京インテリアの店舗は東京都内には存在しない)の照明コーナーに、それとまったく同じパーツがいくつも配された安っぽいシャンデリアが売られているのを思いがけず見かけてしまったのだ。なにげなくうろついていた売り場の一角に、見覚えのあるかたちを認めて少しだけおののく。5歳の夏の、一生懸命に庭の土をほじくりかえしていた視界の狭さや、遠い日差しの鋭さまでもがどくどくと体に流れ込んできたようだった。ごく小規模でくだらない、それでもたしかにわたしだけが見ていた世界の断片は、知らぬ間に手のなかをすり抜けていった物たちの集積に眠っている。

それにしても、でかダイヤの正体見たり安物シャンデリアの装飾品とは。あまりに瑣末な出来事すぎて、昔これと同じものを持っていたのだよと人に話す気には到底ならなかったけれど、時間を超えてその存在を確認できたことはうれしかった。わたしの世界であれほど美しくきらめいていた一粒のでかダイヤが、目の前でじゃらじゃらと大量生産品としてぶら下がっている。まるでドラマチックとは言いがたい再会に苦笑しながら、やれやれまた会いましたねと、胸のうちでつとめて気軽に手をふった。

筆者について

イマジナリー文藝倶楽部「オルタナ旧市街」主宰。19年より、同名ネットプリントを不定期刊行中。自家本『一般』『ハーフ・フィクション』好評発売中。『代わりに読む人』『小説すばる』『文學界』等に寄稿。

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