フェミニスト批評家の北村紗衣さんが、初めて見た映画の感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載「あなたの感想って最高ですよね! 遊びながらやる映画批評」。聞き手を務めるのは、北村さんの元指導学生である飯島弘規さん(と担当編集)です。
連載の中で紹介されていくポイントを押さえていけば、いままでとは違った視点から映画を楽しんだり、面白い感想を話せたりするようになるかもしれません。なお、北村さんは「思ったことをわりとランダムに、まとまっていない形で発してもよいもの」が感想で、「ある程度まとまった形で作品を見て考えたことを発するもの」が批評だとお考えとのこと。本連載はそのうちの感想を述べていく、というものです。
第六回でご覧いただいたのは、ラッパー・エミネムが、自身をモデルとした主人公を演じた映画『8 Mile』(2002年)です。
※あらすじ紹介および聞き手は飯島さん(と担当編集)、その他は北村さんの発言になります。
あらすじ
1995年のミシガン州デトロイト。エミネム演じるB(バニー)-ラビットことジミー・スミスJr.はラッパーとして成功することを夢見る青年。昼は車体工場で働きながら、夜は地元の会場「シェルター」でのラップバトルに参加する生活を送っており、友人たちからその才能を褒められながらも、ステージではなかなか実力を発揮できずにいた。
おまけに実家のトレーラーハウスでは無職の母親が幼い妹をほったらかしにし、ジミーの高校の先輩であったボーイフレンドのグレッグとしけ込んでいたりと、人生はどん詰まりの状況にいる。
モデルを夢見るウェイトレスのアレックスとの恋や、知人からのデモテープを録音させてくれるという申し出によってジミーの人生は好転したかと思いきや、二人の裏切り、母親との確執に悩まされ、さらに敵対するラップグループとの対立は暴力を伴うほど表面化していく。一念発起したジミーは、一度は諦めたシェルターでのラップバトルに再び参加する……。
個性的な音楽伝記映画『8 Mile』
――さっそくですが、『8 Mile』を初めて見た感想をお聞かせください。
北村 とてもおもしろかったですし、これまで連載で見た作品の中では一番批評が書きやすいと思いました。音楽伝記映画(ミュージックバイオピックあるいはミュージシャンバイオピック)としてもそうですし、ヒップホップ的な価値観に関する映画としても、個性的な映画だと思いました。
私、ミュージシャンバイオピックが好きでしょっちゅう見てるんですよ。この種の映画は多くの場合、主人公であるミュージシャンが一番クレイジーだと思うんです。『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)ならフレディ・マーキュリーだし、『ロケットマン』(2019年)ならエルトン・ジョンの風変わりなところが目立っていました。
ところが『8 Mile』の場合は、エミネム演じるラビットが作品の中でもっともおとなしくて、良心的でした。廃屋がレイプ事件などの現場に使われているということを聞いた仲間たちが燃やしにいこうと盛り上がっているときに、ラビットだけが「やめたほうがいい」と止めていましたし、トラブルが起きそうなことはなるべくやらないようにしていたと思います。
ただラビットは、自分の家族や大切にしている人が巻き込まれそうになると、暴力に訴えることも厭わないんですよね。「ああいう廃屋が残っていると、リリー(ラビットの幼い妹)が被害に遭うかもしれないぞ」みたいなことを仲間に言われたら、一緒に行くことにしていましたし、お母さんが暴言を吐こうとしたら「リリーの前でそんなこと言っちゃいけない」ってラビットが言うじゃないですか。そういう真面目さがある。
モデルとなっているエミネム本人も自分の子どものことをすごく大切にしていますよね。親戚の子どもを引き取って育てたりしているし、最初にアカデミー賞を取ったときも、授賞式に参加しないで子どもに絵本を読んであげていたみたいな話があったじゃないですか。良きパパになろうという人なんだろうと思います。
――廃屋を燃やすシーンで、家の持ち主であったろう家族の写真をラビットがみつめていました。あれは「幸せな家族」への憧れを描いていたんですかね。
北村 そうですね。あとは、この家族は貧しくなって家庭が崩壊したとか、あるいは治安が悪くなって住めなくなったとか、そういった大変な理由で家を出ていったのかも……みたいなこともちょっとよぎったのかもしれません。「こうなってはいけないんだ」みたいなことを考えていたんだろうと思います。
主人公が白人であることの面白さ
北村 ラビットがすごく真面目で控えめなのは、人種やジェンダーと関わっていると思ったんですよね。
――どういうことですか?
北村 ラビットの仲間はほとんどが黒人です。そんな彼らは、能力があることを見せつけないと周囲や社会から無視されることがわかっていると思うんですよ。だから、やらなきゃいけないときはやるしかないんだという態度を最初からはっきりさせている。『ハッスル&フロー』(2005年)や『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』(2005年)のように、ヒップホップ的な価値観を描いた映画は、はじめからギラギラした上昇志向が描かれることがほとんどだと思います。
また、ヒップホップ的な、あるいはギャングスタ映画だと、仲間と一緒に成功を目指して頑張るのだけど、いろんなトラブルに巻き込まれてなかなかうまくいかず……というのも物語の始まりとしてよくあるパターンですよね。
でも『8 Mile』でラビットは、序盤のラップバトルでひどくバカにされるのに、何も言い返せないですよね。たとえば50 Centが主人公だったらあり得なくないですか? そしてラビットは、このままじゃいけないことはわかってはいそうだけど、でも何をすればこの環境から抜け出せるのかはわかっていないようでした。それはラビットが、ほとんどが非白人の地域に住んでいる、貧しい白人だからということもあるんだと思うんです。いろいろな点で少数派で、通常と大きく異なる状況に置かれていて、何を参考にしてどうすればいいのかみたいな手がかりがないので、社会的な弱者がのしあがるために何をしなければいけないのか、感覚的にわかっていないんじゃないですかね。
さらにいうと、最後に因縁の相手であるパパドックにラップバトルで勝利したあと、そのバトルを取り仕切っていて、最初から最後までおせっかいなくらい面倒を見てくれたフューチャーから「(ラップバトルのオーガナイザーを)一緒にやろう」って誘われても、ラビットは「自分がやりたいことをやる」って断っていました。
ラビットには、少なくとも最初のうちは上昇するためには何をしたらいいのかというヴィジョンとか覚悟みたいなものがないですし、最後までよくある形の上昇志向は見せないと思うんです。どっちかというと、成功よりも自分らしい人生を見つけるプロセスについての映画ですよね。そういうところが、ヒップホップ的な価値観を描いた映画としても、非常に個性的な映画だと思った理由です。
――勝利をきっかけに有名なプロデューサーに見初められて、全米で大活躍する話でもないし、コミュニティを抜け出すわけでもなかったですね。
北村 そうなんですよね。もしこれがよくある音楽伝記映画だったら、わりと早い段階でラップバトルに勝って、怪しい感じのマネージャーがあらわれて……
――搾取される。
北村 はい。お金の話で揉めたりしますよね。
――あと、拳銃や大麻の使用は最小限で、ハードドラッグはまったく出てこなかったですね。ステレオティピカルなフッドムービーの描写を避けているのかな?と思いました。
北村 白人が主人公の映画でそういうのを出すのってちょっと嫌な感じになると思うんですよね。白人コミュニティの中で黒人がひとりつらい思いをする話はわりとあると思うんですけど、この映画は、多くの白人が体験しないことを、人種を逆にして書いているから、嫌な感じにならないように気を付けているのかもしれません。
あとは……レーティングを下げるために出さなかったとか? この時期のエミネムの主なファンってたぶん高校生くらいの白人男性だと思うので、高校生が男友達とかガールフレンドを連れて見に行くものとして想定しているんじゃないですかね。
あ―、でもいま「Motion Picture Rating (MPA)」をチェックしてみたら、セックスとバイオレンスがモデレート(穏当)で、プロファニティ(暴言)がシビアになっていますね。差別的であったり汚い罵りであったり、言葉遣いを理由にR指定になっているので、残念ながら当時は高校生だけでは見に行くことができなかったみたいです。
主人公が男性であることの面白さ
――「人種やジェンダーと関わっている」とおっしゃっていましたが、ジェンダーの面ではどうでしょう? 印象的なのは、ラビットといい感じになっていた白人女性のアレックスの裏切りでした。
北村 アレックスは、この街から抜け出すために男を乗り換えるゴールドディガー(玉の輿を狙って交際すること)的な女の子として描かれていて、最初は「この子、大丈夫かな」と心配になりましたし、最後までキャラクターを掘り下げられていなかったので、なぜアレックスがこういう行動にでるのかはわからないままでした。ミソジニーを感じるところもあります。
ただ、単にミソジニー一辺倒っていうわけではないとは思うんですよ。おそらくですけど、アレックス場合、ラビットの黒人の仲間たちとはまた違う形で、白人女性というジェンダーがゆえに、デトロイトという荒廃した街を抜け出すためにはダーティーなことでもなんでもやらないといけないということがわかっていたんだろうと思います。ここをもうちょっと掘り下げて描いたらだいぶ面白いキャラクターになったと思うんですが。
アレックスとの関係も、ラビットの真面目さが出ていましたよね。他の男と寝ていることに気づいたラビットは、相手の男をボコボコにしてもアレックスのことは殴りませんでした。たぶんラビットも本当はアレックスのことを殴りたいと思っているんですけど、戸惑った顔をしてやめてしまう。まじめな人だから女性のことは殴れないっていうのもあるし、なんとなくアレックスがどうしてそういうことをするのか理解できてしまっているというのもあるんだと思うんですよ
アレックスがやっていることってだいぶ見ていて引いちゃうようなことで、ラビットには災難なんですけど、でもそういう経験をしたおかげで、ラビットはパパドックとラップバトルするときに、かなりえぐいやり方をできるようになったんじゃないですかね。結果的に、アレックスのダーティーなやり方から戦い方を学んでしまった……みたいな展開なんだと思います。
それから、少しわき道にそれちゃうんですが、あのえぐい戦い方をラビットができたのは、チェダーが「あいつは、アレックスに浮気されたこととか、あいつらにボコられたことを攻撃してくるはずだ」とアドバイスしてくれたおかげでもありますよね。ずっと頼りなかったチェダーが、あの場面だけすごく頼もしかったのもよかったです。
えぐいことを最初から平気でやっていたアレックスや、それまで足手まといになるばかりだったチェダーがふしぎとラビットの成長に貢献しているという描き方になっていると思うんです。ラビットは最後の戦いで、これまでに立たされてきた苦境や、仲間たちのサポートによっていろんなことを学んで、今までの流れをひっくり返したんだと思います。
――勝利の後にアレックスとラビットが中指を立てあっていたのは、覚悟を決めたあとのラビットは、アレックスがいろんな男と寝る理由を理解できたということなのかもしれないですね。
北村 そうかもしれないですね。
――あと『8 Mile』は、いままで連載で取り上げた作品ではじめて直接的にセックスシーンを描いた映画でした。妙にねっとりとしていたし、時間も割かれていたと思います。『月の輝く夜に』でも間接的には描かれていましたが。
北村 『月の輝く夜に』はもうちょっとロマンチックに描いていましたね。
工場の音とセックスの音が重複するように編集されていましたよね? あれってもしかしたら皮肉なのかなと思いました。デトロイトの自動車工場ってかつては全米をリードする、エネルギッシュなところだったはずですよね。それがいまや、隠れてこっそりセックスするようなしょぼい場所になっている……みたいな。あとアレックスって人の職場でしかセックスしていませんでしたよね。
――いわれてみればそうですね。ラビットが働いている自動車工場と、ラジオ局でセックスしていました。
北村 アレックスって、自分の家に男を連れて帰らないタイプなんだと思うんですよね。プライベートな弱みは見せないようにしているんじゃないですかねえ。
さらに想像すると、もしかしたらアレックスの家には、バービー人形とかロマンチックな小説とかでいっぱいの、めちゃくちゃ可愛いピンクなお部屋なのかもしれませんよ! そういう部屋を見せたくないから男の人を呼んでないんだと思ったら楽しくないですか? 完全に私の想像なんですけど。
――相手の職場でセックスすることで弱みを握っている可能性もありますね。ちなみに、ちらっとしか描かれなかったラビットの元カノって、意味のある存在になっていたと思いますか?
北村 いや、私もよくわかんなかったです。元カノは正直、ナラティブの邪魔にしかなってないんじゃないですかね?
――元カノの妊娠の話も結局うやむやになってましたよね。
北村 あれ、妊娠していないですよね。別れたくなくて、「妊娠した」っていったらラビットがどんな反応をするか試したんじゃないかな……。
最初に言ったように、ラビットはリリーのことをすごく大事にしています。敵対する黒人たちが家を襲撃にしてきたときも、まずリリーを部屋の中に避難させていました。妊娠したって嘘をつくのって子供を大事にしてないってことだと思うんですよ。つまり元カノの存在は、ラビットは子どものことを大切にするけど、そんな自分にふさわしくない女とばかり付き合っているということを示しているのかもしれません。にしたって、テンポが悪すぎだし、ステレオタイプな描写になっている気がするんですが。ラビットのガールフレンドの描写はどっちも半端な感じで掘り下げ不足ですね。
――なるほど。ラビットのお母さんはどうでしたか? トレーラーハウスから抜け出すために、自分よりも経済力のある男とくっつこうとしていました。
北村 そうですね。アレックスと同じことをやっているんだけど、うまくいっていなかった。
――そのお母さんが、終盤にクジを当てるじゃないですか、都合がよすぎて、お母さんがズルでもしたんじゃないかとすら思ったんですが。トレーラーハウスの家賃を稼ぐために真面目に工場勤務をするようになっていたところで、クジが当たって当面は収入を必要としなくなり、ラップバトルに参加できるようになっていたわけですが……裏切りにあい、夢もあきらめざるをなくなり、追い詰められたからこそ奮起するという流れではないのが意外でした。
北村 そこは「Lose Yourself」の、opportunity(機会)はめったにないから見逃すなって歌詞から考えると、合っているのかもしれないですね。お母さんがクジに当たって、やっと運が向いてきたんだから、この機会をなんとかやらないといけないんだ、と。
――そうだとしても、もっと違う幸運があっていいと思うんですが……。
北村 それは私もそう思いました。
人種差別とホモフォビック、ミソジニー
――人種やジェンダーの話になったのと、『8 Mile』が言葉遣いを理由にR指定になっていることがわかったので、作品の中で使われている言葉についても伺いたいです。
北村 その前にお話させてもらうと、私は大学生の頃、エミネムのことが大嫌いだったんですよね。いまは当時をちょっとわかりにくい形で反省しているように見えるけど、女叩きとホモフォビアが酷かったじゃないですか。だから『8 Mile』を観ていなかったんです。今は別にそんなに嫌いじゃないです。今回映画を見て、少しだけライムを分析してみたんですがやっぱりすごいなとは思いました。
映画の話に戻すと、ラビットはホモフォビアなリリックを使った相手に対して、問題のある返し方ではありますが「ゲイを攻撃するな」と言い返していましたよね。
――同性愛者への侮蔑的な言葉を使って言い返しているので、「それはどうなんだ」とも思いますし、「きちんと言い返している」「この時代にちゃんと批判するんだ」とも思います。
北村 その通りだと思います。
ラビットは映画の中でNワードを使っていないですよね。ここには、ホモフォビアと人種差別の扱いが違うという問題があるのかもしれません。どういうことかというと、ヒップホップはブラックカルチャーの中で生まれたものなので、人種差別、特に黒人差別的なリリックを吐いたら、コミュニティに受け入れられないんだと思うんです。その一方で、ホモフォビアや女性差別は、使えるときには使っていい、ちょっとした悪口くらいに考えられていると思います。
――「ビッチ」って言いまくっていましたね。ホモフォビックな言葉だけじゃない。
北村 そうですね。『ハッスル&フロー』とか他の映画だともっとひどいので、『8 Mile』はこれでもだいぶマシな方なんでしょうけど。
――あと、ラビットは仲間の黒人たちに受け入れられていました。貧困で苦しいし、黒人コミュニティに受け入れられない白人男性みたいな描かれ方ではない。
北村 ただ、パパドックのチームには嫌われていましたよね。その一方で、フューチャーはラビットのことをすごく大事にしていた。これっておそらくヒップホップにおける2つの考え方を漠然と象徴しているのかもしれないと思いました。
――パパドックというMCネームは、ブードゥーを利用し、ハイチの人々に個人崇拝をさせた独裁者フランソワ・デュヴァリエに由来していると思われますし、クルーの名前がLeaders of the Free WorldなのもNATIVE TONGUE一派のLeaders of the New Schoolを連想させるので、彼はアフロセントリックな思想の影響下にあって、意識的に白人を入れたがっていないようにも感じました。
北村 そうなんですよね。分離主義的に黒人音楽の「らしさ」を追求するか、それともハイブリッドなサウンドを追求するか、という態度なのかもしれないです。
「ラビット」の由来
――収録の前に「ラビットという名前は、ジョン・アップダイクの『走れウサギ』を意識していると思われる」とおっしゃっていました。調べてみたらオリジナルのスクリプト(台本)には、『走れウサギ』の直接的な引用がありました。
北村 そうなんですね。
私はアップダイクにあんまり詳しくない……というかそもそもアメリカ文学が専門外なんですが、『走れウサギ』は別に動物のウサギの話ではなく、地方の町に住んでいるラビットというあだ名の男性が主人公の話です。アメリカ人ってアップダイクのことがすごく好きですよね。きっと主人公の名前がラビットというだけで、いろいろわかることがあるんだろうなと思いました。
――ラビットと聞いて最初に思ったのは、『リーマスおじさん』や、それを原作とするディズニーの『南部の唄』に登場するウサギのブレアラビットでした。ブレアラビットって、とんちを使って切り抜ける人じゃないですか。『8 Mile』もそうでしたよね。
北村 たしかに「うさぎどん」(ブレアラビットの日本の旧吹き替え版の呼称)も関係ありそうですよね。ラビットと聞いてうさぎどんを思い浮かべる人は多いと思います。
アメリカ文学は全然、専門ではないので『走るウサギ』や『リーマスおじさん』と『8 Mile』の関連性については詳しい人にお任せしたいところなんですが、もう一つ目についた引用は映画監督のダグラス・サークでした。
ラビットが家に帰ったときに、お母さんがダグラス・サークの『悲しみは空の彼方に』(1959年)を見ていましたよね。『悲しみは空の彼方に』は、白人と黒人のシングルマザーが二人いて、黒人女性の娘は、お父さんが白人ということもあり、ほとんど白人に見える外見なんですよ。白人の女優さんが演じているので、いまだと「うーん……」と思うところもあるんですけど。その娘が、親と縁を切って白人として暮らそうとするせいで、いろいろともめ事が起きるという話なんですね。
ラビットは、この逆方向でトラブルを抱えているわけですよね。つまり、とても貧しい地域の、黒人文化の中で育っているのだけど、白人だから理解できないことがたくさんある。自分の白人らしさを何らかの形で否定しないと生きていけない。クラシック映画が大好きだと思われるカーティス・ハンソンが監督ですし、意図的に『悲しみは空の彼方に』を引用しているのだろうと思いました。
成り上がりではない、教育的映画
――久しぶりに『8 Mile』を観たらすごく暗い気持ちになっちゃいました。『8 Mile』でも、
北村 『バーバリアン』を飯島さんにすすめられて観たときだと思うんですけど、デトロイトを舞台にした映画って何があるのかを調べたんですよ。
そしたらデトロイトは、たいへん有名な音楽レーベルの「モータウン」発祥の地でもあるので、音楽伝記映画はいろいろありますし、自動車産業によって発展した街なので起業家の伝記モノもあるんです。一方で、『バーバリアン』とか、ちょっと変わり種ですけど『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』(2013年)とか、廃屋まみれになったことを活用したホラー映画もあります。
『8 Mile』はどちらの要素もありますよね。エミネムをモデルとした音楽伝記映画の要素があって、そのラビットは自動車工場で働いている。そして、荒廃した地域で廃屋を燃やしたりもする。デトロイト要素てんこ盛りの映画なので、「デトロイトの映画を一本あげてください」って言われたら、『8 Mile』をあげる人は結構いるんじゃないですかね。あ、『ロボコップ』(シリーズ一作目は1987年)をあげる人もいるかもしれませんけど。
――ラビットは、自動車工場で働いているし、元カノに自分の車をあげちゃうし、壊れた車は自分で直すじゃないですか。運転もラビットがずっとしている。デトロイトのブルーカラーの心意気を引き継ぐ男なんだと思ったんですよね。
北村 なるほど、確かにそうですね。
タイトルの『8 Mile』は、デトロイトにある道路の名称で、貧しくて黒人が多い地域と比較的お金がある白人が多い地域を分ける線になっているところです。それを越えるというのはリッチになるということでもあり、人種による分離を打ち砕くということでもあるんですよね。
そして『8 Mile』は、この階級を分けている8マイルをラップによって超えるという上昇志向的な、貧しい人がぐいぐい前に出て成功するような映画に見せかけてはいるんですが……よく見るとそうでもないような気がするんですよ。実は家族思いで真面目な、かつてのデトロイトのブルーカラー的な価値観を内面化している白人男性の若者が、自らが直面しているメンタルの問題に向き合って、自分らしい戦い方を見つけるという教育的な映画なんじゃないですかね。
これが、よくある音楽伝記映画になっていたら、物語が進むにつれて普通に盛り上がっていく、ありがちな映画になっちゃって、批評家には「フィールグッドムービー(いい感じの映画)だったね」みたいに言われ、お客さんには時間が経ったらすっかり忘れられちゃう映画になっている気がします。でもそうはなってませんよね。今でもこの映画が好きな人はたくさんいますし。
――スポコン、青春映画的な作品でもありますよね。久しぶりに見返して、『ロッキー』(1976年)みたいだなと思いました。
北村 確かに。そうですね。ただ『ロッキー』は世界チャンピオンと戦うけど、『8mile』は全国大会で優勝するまでの話ではなくて、もっと身近な地方大会の話って感じがしますよね。
まとめ
――最後に、批評を書かれるとしたらどのようなポイントに注目されるかを教えてください。
これはすごい批評しやすいです。ポイントがいくつもあるので軸を決めて書きやすいですね。
とりあえずナラティブがどういう風に一般的なミュージシャンバイオピックと違うか、個性的かという方向性でいくらでも分析できると思うんですね。 つまり、ある人が単に成功するプロセスを描くんじゃなくて、自分にあるはずの芸術的な能力を発揮できなくしているメンタルブロックみたいものを外すまでの映画だと思うので、 普通のミュージシャンバイオピックとはちょっと目の付け所が違って複雑なんだと思うんです。
そのメンタルブロックを外すのに何が必要でどういうプロセスがあるのかっていうことで、デトロイトの格差とか人種とか地元の文化、あとちょっとジェンダーも入ってきて、いろんな要素を絡めながら主人公の精神を抑圧しているブロックが外れるまでを描いています。単に誰かが成功するまでとか、成功したのに失敗しました……みたいな直線的なミュージシャンバイオピックと違って独創性があるっていう話ができると思います。
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この連載では私が初めて見た映画について、苦労しながら感想を話しつつ、取り上げる作品だけでなく他の作品でも使えるポイントを紹介していきたいと思います。なお、私が見ていなさそうな映画でこれを取り上げてほしいというものがありましたら、#感想最高 をつけてX(旧・Twitter)などでリクエストしてください。
筆者について
きたむら・さえ 武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授。専門はシェイクスピア、フェミニスト批評。著書に『批評の教室――チョウのように読み、ハチのように書く』(筑摩書房、2021)など。2024年度はアイルランドのトリニティ・カレッジ・ダブリンにてサバティカル中。