『日本エロ本全史』『日本AV全史』など、この国の近現代史の重要な裏面を追った著書を多く持つアダルトメディア研究家・安田理央による最新連載。前世紀最後のディケイド:90年代、それは以前の80年代とも、また以後到来した21世紀とも明らかに何かが異なる時代。その真っ只中で突如「飯島愛」という名と共に現れ、当時の人々から圧倒的な支持を得ながら、21世紀になってほどなく世を去ったひとりの女性がいた。そんな彼女と、彼女が生きた時代に何が起きていたのか。彼女の衝撃的な登場から30年以上を経た今、安田理央が丹念に辿っていきます。(毎月第1、3月曜日配信予定)
※本連載では過去文献からの引用箇所に一部、現在では不適切と思われる表現も含みますが、当時の状況を歴史的に記録・検証するという目的から、初出当時のまま掲載しています。
誰が予想しただろうか。
20世紀最後のベストセラーが、飯島愛の『PLATONIC SEX』(小学館)だとは。彼女のマネージャーも証言する。「これほど売れるとは思わなかったので、最初は2万部しか刷らなかったんです」
(『週刊SPA!』2001年1月10日号)
2000年10月31日、飯島愛は自身の28歳の誕生日に小学館から『プラトニック・セックス』を出版した。
ライターの下関マグロは飯島愛へのインタビューに際して発売前の『プラトニック・セックス』を読んだ感想をこう記している。
飯島愛が本を出すという。そうか、タレント本か。僕はちょっとシラケた気分でインタビューの資料としてもらったゲラ(校正刷り)に目を通した。読み飛ばそうと思ったが、これが意外にもおもしろい。まるで不良少女一代記だ。僕は熟読し始めた。
冒頭は14歳の飯島愛。学校をサボって彼氏とラブホテルへ行ったのがバレて、父親に怒鳴られるシーンだ。その後も、セックス、家出、レイプ、シンナーと不良少女にはお決まりのキーワードが次から次へと出てくる。
いったい、この女のコはどうなってしまうんだろう。ドキドキしながら読む。そりゃ、最後は今の飯島愛になるに決まってるじゃんと自分でツッコミをいれるのだが、やめられない。(『宝島』2000年11月1日号)
『プラトニック・セックス』は、幼少時から現在に至るまでの飯島愛の半生を綴った「自伝」である。厳しい親に監視され続けた小学生時代、暴走族の彼氏とつきあい歌舞伎町で夜遊びにふけった中学生時代、彼氏と同棲を始めた高校生時代。そして10代から水商売の世界に足を踏み入れる。中年男性との援助交際、夜の街での豪遊、二丁目で男娼を買ったりもする。
18歳で初めてニューヨークに行き、衝撃を受ける。そしてその街で暮らしたいと思い、そのためにAV出演を決意する。
「不良少女」時代の話は、それまでにもインタビューで繰り返し語られていたので、目新しくはなかったが、驚いたのは、ずっと「封印」していたAV女優であった過去を自らの言葉で語っていたことだ。前出の下関マグロの原稿には、こんな件りがある。
読みながらふと思い出したのは、少し前、インターネットの掲示板で飯島愛についての論争があったことだ。ポイントは飯島愛にAV出演経験があるかどうかということである。考えてみれば、飯島愛がブラウン管に登場して8年。AVに出ていたことを知らない世代が出てきても当然といえば当然だろう。しかも、今テレビで見る飯島愛は、かつて深夜番組でTバック姿になってオナペットだったイメージとはほど遠い。バラエティ番組には欠かせない、芸能界の姐御的な位置にいる。飯島愛と同じように深夜番組に登場するセクシー系のお姉ちゃんはたくさんいるが、そのほとんどは消えていく。どうして飯島愛だけが、こうしてテレビに出つづけられるのだろうか。
下関マグロが書いているように「芸能界の姐御」、それが2000年時点の飯島愛の芸能界での位置づけだった。そして飯島愛がAVに出演していたということが論争のネタになるほど、その過去の隠蔽はある意味で成功していたのである。
それがこの時点で、なぜAVに出演することになるいきさつまであからさまにする書籍を発表したのだろうか。 インタビューで下関マグロがその疑問をぶつけると、飯島愛はこう答えている。
「自分の内面にはどんなものがあるんだろうか。自分はいったいどんな人間なんだろうかっていうような、今まで向かい合わなかったことに正面から向かい合おうと思ったんです」
「そう。今だったらそれができるような気がして…」

『AERA』2000年11月20日号では、年齢が理由のひとつだったという趣旨の発言をしている。
「これまでも出版の話はいくつかあったんですよ。でもずっと断り続けてきた。今回も、いろいろ心の整理がついたからではないんですよね。これまで女の部分を逆手にとって生きてきたじゃないですか。それが年を追うごとに不安を感じ始めて。これまで刹那的に生きてきたのに、初めて悩んだというのかな。そんな時に、あえて身を削る思いで書いた本。だからかえってリアリティを感じてもらえたのかもしれないですよね」
『ダ・ヴィンチ』2001年2月号の連載「ベストセラーの生まれ方」で『プラトニック・セックス』の担当編集者である小学館の和阪直之が、出版に至る経緯をこう語っている。
「実はぼくは『週刊ポスト』の編集も兼任していまして、グラビアも担当しています。その関係から写真集やエッセイ集を何冊も担当してきましたが、タレントのネームバリューや内容の衝撃度だけで売れるわけではないし、そういう時代でもないんです」
と、前置きしたうえで、
「飯島さんと初めてお会いしたのは、1年半ほど前です。その時点ですでに日記や断片的な文章をずいぶん書き溜めていました。過激にピュアな内容で、これはいける、という予感がありましたね」
「タレントはイメージが命。内面を語ることにはリスクは付きものですから、どうしても歯切れの悪いものになりがちです。そこで、生温かいエッセイ本にはしたくないと申し上げました」
それにはAV女優であった経験についても向き合って書くことが必須だった。そんな和阪の提案に対して、飯島愛は、言い訳がましい本、過去を否定したり、人のせいにする本は書きたくないと答えたという。
所属事務所の方針もあったであろうが、誰もが知っている状況でも、AV女優であること、あったことを必死になって隠していた時期から、どんな心境の変化があったのだろうか。それは、事務所をナベプロに移籍したこととも関係はあったようだ。
関川夏央の『人間晩年図巻 2008-11年3月11日』(岩波書店 2021年)には、その内幕が書かれている。出版を薦めたのは副社長の渡辺ミキだったというのだ。
渡辺晋・美佐夫妻の長女で当時37歳のミキに、飯島愛は過去の生々しい性的遍歴のほか、流出した「裏ビデオ」をネタに脅迫してくる者たちにやむを得ず金を払ったことを告白した。すると渡辺ミキは、「あなた、そういう体験を本に書きなさい、苦しくても書きなさい」といった。書いてしまえばもう脅迫されることもないし、あたらしい飯島愛の出発になる。そういって渡辺ミキはためらう飯島愛を説得した。
そして、その賭けは見事に成功した。『ダ・ヴィンチ』の記事が出た時点では「発売当日に増刷が決定、しかも8万部。初刷が2万部だったというから、あっという間に10万部のヒットに育ったことになる」と書かれているが、勢いはそんな程度では止まらなかった。「40万部を突破するベストセラーとなっている」(『女性セブン』2000年12月7日号)「50万部を突破」(『フラッシュ』2000年12月26日号)
「55万部突破」(『週刊SPA!』2001年1月10日号)「85万部を売った」(『フォーカス』2001年2月14日号)と記事になる度にその数字は大きくなり続け、ついには100万部を超えるミリオンセラーとなった。その累計は最終的には170万部にも及んだという。
現代の“泥だらけのシンデレラ”
これだけのヒットを記録した理由のひとつとして、10代20代を中心とした女性読者にアピールしたという点が挙げられる。
発売直後は、内容の過激さを強調するような報道が多かった。
「家出から堕胎、AVデビューまで! 誕生日に自叙伝を発表! 自らの言葉で綴られた赤裸々な半生」
(『女性自身』2000年11月7日号)
「飯島愛 200万円の『整形』、一流企業社員と『援交』、AV女優時代の『堕胎』、そして夢見る『結婚』」(『女性セブン』2000年11月9日号)
「飯島愛『援交』『レイプ』『タレント乱倫』衝撃の告白」(『週刊ポスト』11月10日号)
と、ショッキングな単語を並べ、いささか露悪的なニュアンスの暴露告白本と思わせるような記事タイトルが多かった。
しかし次第に報道の風向きが変わってくる。
「飯島愛の告白本が品切れ続出 『潔さ』で女心つかんだ」(『AERA』」2000年11月20日号)
「『飯島愛になりたい』症候群 過激告白本の読みどころ、泣きどころと街にあふれる〝信者〟たち 40万部のベストセラー『プラトニック・セックス』が生んだ社会現象」(『女性セブン』2000年12月7日号)
「飯島愛の〝告白〟にオンナたちが飛びついた理由 著者自らが世代別に読者の反応を分析 『PLATONIC SEX』はどう読まれそれは男に何を投げかけているのか」(『週刊SPA!』2001年1月10日号)
というように、『プラトニック・セックス』がどうして女性に支持されたのかを考察するような記事が目立つ。 『女性セブン』の記事では『プラトニック・セックス』を読んで〝飯島愛になりたい〟と考える若い女性が急増していると伝え、漫画家のさかもと未明は、彼女たちが飯島愛に憧れる理由をこう分析する。
「彼女は、男性による大きな後ろ盾があって成功をつかんだというシンデレラではない。いわば〝泥だらけのシンデレラ〟です。
いまの時代、みんなきれい事だけでは世の中を渡っていけないとわかってるし、失恋したり、セクハラに遭ったりしながら、それでも強く生きていこうと頑張っています。そんな女の子たちにとって、飯島さんはあこがれの存在だと思うんですよ」
『AERA』の記事でも、飯島愛の「強さ」に言及している。
どうやら彼女たちがひきつけられているのはその潔さ、イマドキの男にはない〝男らしさ〟。そんな媚びない女っぷりが、多くの女性の支持を得ているといっていい。
『週刊SPA!』の記事では、飯島愛は女性の意識変化の象徴なのだと論じる。
セックスを武器に世に出、自身の奔放な性体験をメディアで披露していた彼女を後押ししたのは、「セックスを武器にする」のも、「オンナが快楽追求のセックスをする」のもアリ、というオンナたちの意識の変化だろう。そして、彼女はその象徴だ。
90年代のAV女優時代には、コギャルのカリスマの元祖的な存在であった飯島愛は、00年代に入り、現代女性を象徴する存在へと祭り上げられることになったのだ。
2001年2月には、前年12月に台湾版『プラトニック・セックス』(現地題:『式性愛』)が好調な売れ行きだったことから、訪台しサイン会と記者会見を行った。 「飯島愛旋風 初めての台湾訪問で大フィーバー 宮沢りえの3倍、トム・クルーズに匹敵する報道陣」(「週刊ポスト」2001年2月23日号)と報道されたように、会場にはマスコミが200社も押し寄せる盛況ぶりだったという。台湾を中心にアジア圏での飯島愛人気も過熱していった。
筆者について
やすだ・りお 。1967年埼玉県生まれ。ライター、アダルトメディア研究家。美学校考現学研究室卒。主にアダルト産業をテーマに執筆。特にエロとデジタルメディアの関わりや、アダルトメディアの歴史の研究をライフワークとしている。 AV監督やカメラマン、漫画原作者、イベント司会者などとしても活動。主な著書に『痴女の誕生―アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』『巨乳の誕 生―大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』、『日本エロ本全史』 (以上、太田出版)、『AV女優、のち』(KADOKAWA)、『ヘアヌードの誕生 芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる』(イーストプレス)、『日本AV全史』(ケンエレブックス)、『エロメディア大全』(三才ブックス)などがある。