仕事を始めたばかりの編集者が、つまづきがちな「著作権」。肖像権、引用作法、美術や音楽の著作物性、著作物使用料、アイディア、新聞、広告の利用、保護期間、二次利用、送信可能化権、著作物利用契約、出版権設定契約……。書籍や雑誌の編集者は、多種多様な著作物を正しく取り扱う必要がある。編集者たちの不安なポイント、「引用」の作法の基本をおさえる。
*この記事は、現在発売中の『新版 編集者の著作権基礎知識』から一部を転載したものです。
公正な「引用」について
(社)日本書籍出版協会や著作権情報センターに著作権の相談室がある。編集者や著作者・著作権者たちが、著作権法の「理解」の確認や、著作権処理について、迷ったとき相談にくる。また、1991年に発足した日本ユニ著作権センターでは、広告の創り方や「出版契約」についても具体的な相談を受けている。当然のこと、相談内容は公表しない。マル秘である。
編集者たちの不安なことのうち、もっとも多いのが「引用」についてである。
引用規定は32条1項。「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」というものである。
ご存知のように、著作権法の30条以下は「著作権の制限」についての規定である。著作物の公共性に鑑みて、著作者の私権を、無制限に認めることをせず、無断で、無許諾でも、その著作物を利用してよい場合を並べたものである。そのひとつに「引用規定」があるわけだ。
引用・借用・援用
「引用の成立要件」──、「配慮すべきエチケット」を並べてみよう。
いかなる場合に 適法引用のことを、一般に、自由使用とかフェア・ユースなどと言っている。「自由」という言い方で、解釈に幅ができてしまう。そこを気をつけてほしい。まず、被引用の著作物(かりに原作と言う)は、公表されたものであること。未公表ものの引用は32条ではダメとしている。報道、批評、研究の場合など、条文は限定例示ではない。自説の正当性を謳う必要性からの例証、論点の補強。自説のポジション明示のための他説との比較などの場合も可としている。引用する側が著作物でない場合も可とされた例*もある。原作の著作意図に反しないような利用でなければダメ。同一性保持権を尊重して、原作の表現意図と同一の意味で利用**すべきである。内面的形式の尊重。自説の表現目的に合わせるような“意味を曲げた”引用は許されない。
*美術品鑑定証書引用事件(平成22・10・13知財高裁判決)
**2大江健三郎「陳述書と二つの付記」、『世界』(第665号)岩波書店、1999年。
大江健三郎の場合は、引用者が自己の発言に都合のよいように大江の文章の意図を曲げて利用したことへの反論であった。
どのように 自分の本文が主で、引用部分は、それに従属していること。こっちが主人で、向こうはお客さん。必要性とか、必然性とか、有機的な関連とか、いろいろに説明されてきた。主(主文)と従(被引用部分)の関係が唐突であったり、不自然であってはいけない。内容的な主従関係は、表現された結果──外面的形式──を見てもわかるように。自説と「引用」部分とが一見して別のものとわかるように表現形式にも工夫がなされなければならない。原作と被引用部分が混同されないように、原作を「カギで括る」とか「何字下げ」かをするのが一般的である。まず原作が先にあり、自分の論述がそれに対応するような利用は引用ではない。試験問題の解説集・短詩形の詳説・文末に添えるアクセサリーのような俳句などは、原作者の許諾なしでは無断使用であり、適法ではない。アンソロジーなどは引用利用ではない。使用許諾を得る努力が必要。もう一度言うと 自分の論旨の補強のための引用にとどめること。原作を中心にして、その上に乗って論述したりするのは疑問である。論術のベースに原作を使うのなら、許諾を得たい。引用部分が、自分の論旨の進展に節度ある貢献をしてくれる程度に利用すること。誠実な抑制を心がけ、過剰引用はいけない。
どのくらいを 以前に産経新聞のコラムだったか、大学教授の怒りの発言に「他人の文章を過度に引用するのは原稿料泥棒」とあった。無神経に自作を転用された著作者の心情だ。しかし引用規定は、現行法では被引用の量を具体的には示していない。量を制限しないのは、絵画、イラスト、写真、短詩形などの引用の場合、量的制限をしたのでは、かえって原作の表現意図あるいは著作物性を尊重しない結果になりかねないからである。原作者への配慮を示している。また、被引用著作物は文芸、学術、美術、音楽、それぞれの分野によって引用方法の慣行が異なるであろう。正当な範囲には、ひとにより多少の判断に揺れがあるだろう。それよりはむしろ異質的な結合こそ戒むべきである。これは原作者の著作者人格権にもかかわる。要は違和感のある引用と過剰引用の2点は、覚めた目でなら判断できるはずで、それを避ける抑制の美学が量を決定する。因みに、写真と絵画の引用については本書149ページでも触れている。
かつて日本文藝家協会とJASRACで話し合い、引用の量について、①歌詞については一小節以内、②楽曲は半分以内、などということを、文書にしたが、適法と言いがたい判断を含む“権利者側同士の打合せ”を、利用者を含めた慣行と考えるのは賛成できない。筋が通り適正な利用なら、右の①・②を越えて悪い理由はない。過度・過剰でないのなら全体の引用も許される。短詩形の場合や美術・写真の場合がそうである。長文の部分を2カ所以上利用する必要のある場合は、「中略方式」で全体を縮める良識が欲しいが、それによって、原作の意図が変更されることもある。原作者の意をさかなでして「著作者の権利」を侵すのはいけない。
全体の引用と部分の引用 全体を引用できるのは写真、絵画、短歌、俳句などが典型的な例だ。写真や絵画の一部分利用は、著作者の了承を得ないかぎり著作者人格権の侵害だとする説がある。しかし、私はそうは思わない。部分を引用するなら、部分であることを傍らに添えがきして使うのが「礼」であろう。
外国のものの引用 外国のものの引用も許される。その部分の翻訳者名を示すのは、原作者への配慮とともに、翻訳者への義務でもある。訳文は一般に引用では逐語訳がよいとされる。原作の文意を尊重して引用すること。意訳は慎重に。要略して紹介するのは許されるだろう。
要約して引用 要約して引用するのは、疑問。要約は翻案である。因みに翻訳されたものも(翻案されたものも)、原作の著作権と併存して新しい著作物とされる。二次的著作物。そのような姿での原作の借用利用は、原著作者サイドの翻案権が働く。要約引用は、一般の場合には、NOと考えることにする。ただし、新聞・雑誌が内容を要約して引用することは、ベルヌ条約10条1項(新聞雑誌の要約<Press Summaries>の形で行なわれる新聞紙または定期刊行物の“記事”からの引用)の文脈から適法と考えられる。要約引用可能説については後出する。
原作者のフトコロを侵さないこと 原作の大切な部分、骨子にあたる部分の多用によって原作者に経済的な打撃を与えないこと。原作が必要でなくなるような「量・重大な部分」の過剰な引用は、著作者財産権にかかわるので慎みたい。引用した部分が、独立して市場性を持つとしたら、その分だけ原作の市場性が弱くなる。そういうことの配慮をせよということだ。たとえば、絵画などの美術ジャンルでは、必要を超えた大きさ・精妙な複製によって利用されると、原作の希少価値が拡散するとされる場合もある。
「引用」と編集技術
①出所明示の仕方、②引用部分の表現方法、③引用における「コトワリガキ」、などは、執筆技術、あるいは編集技術として考えることでもある。
不完全なテキストが出版物になって、市場に出ていくのは、著作者もさることながら、編集者にとって恥ずかしいこと。著作者は、頼れる編集者、親切に原稿を点検してくれる、目のある編集者を求めているはずである。1枚1枚の原稿用紙が著作者と編集者の間を往復し、両者に、美しいものをもたらす、それが「編集行為」なのである。編集者は、完全原稿という著作物成立の適法化に協力し、原著作者の意図に沿った公正な再表現のために腐心すべきなのである。
著作権法のすぐれた解説書はたくさん発行されているが、引用を詳説したものは少ない。その中で規範とすべきは、第一に、『著作権法逐条講義』(加戸守行、前出)であろう。この名著を座右にしている編集者でも、「引用」に関する部分では、法に照らして“どうも釈然としない原稿”を見過ごして印刷にまわしてしまう。参考書として『Q&A引用・転載の実務と著作権法』第5版(北村行夫、雪丸真吾編、中央経済社、2021年)をすすめる。
要約引用の是非
「要約」なる語が「翻案」を意味するならば、要約引用は疑問である。しかし「『血液型と性格』要約引用事件」(東京地裁・平成10・10・30判決)では、要約引用を認めた。「原文献の趣旨に忠実な要約」だとか「すでに社会的に広く行われている」なども許容の理由。「要約」という語の使用法の分析のない判示だが、是とする学者もいる。「言語の著作物にあっては、要約のかたちで引用することも認められよう。」(斉藤博『概説 著作権法』一粒社、1994年、180ページ)と叙述された場合の「要約」はダイジェストではなく、要旨のようなアブストラクトを意味していると思う。私は、「要約」なる語彙ではなく、原文献の人格的および財産的利益を損なわない前提での「要旨」を借用する技術あるいは修辞上の検討があった上での要旨の借用利用なら認めてよいと思う。翻案権(27条)に抵触すべからず。
参考
・Carol E.Rizzler,“What’s FairAbout‘FairUse’?”, PublishersWeekly,3.APRIL.1983.
・茶園成樹「『引用』の要件について」、『コピライト No.565』著作権情報センター、2008年、2ページ。
・シンポジウム「著作物の引用」、『著作権研究 26』著作権法学会、1999年、83ページ。
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『新板 編集者の著作権基礎知識』は2022年4月15日(金)より発売。A5版、256ページ、2,640円(本体2,400円+税)。なお、好評シリーズ“ユニ知的所有権ブックス”は、広告や動画・写真、商標の取り扱いなど、実務に沿った内容毎で1冊にまとめられ、太田出版より不定期に刊行されている。
筆者について
みやべ・ひさし。1946年東京生まれ。1970年、東京大学文学部倫理学科卒業、新潮社入社。以後30年間、書籍出版部、雑誌「新潮」編集部、雑誌「小説新潮」編集部で文芸編集者として作家を担当したのち、出版総務・著作権管理部署に異動、2009年著作権管理室長を最後に定年退職。日本ユニ著作権センターに勤務し、2012年代表取締役に就任。元日本書籍出版協会知財委員会幹事、元財団法人新潮文芸振興会事務局、元公益財団法人新田次郎記念会事務局長。
豊田きいち
とよだ・きいち。本名・豊田亀市。1925年東京生まれ。評論家。元・小学館取締役。小学館入社後、学習雑誌編集部長、週刊誌編集部長、女性雑誌編集部長、出版部長を経て、編集担当取締役、日本児童教育振興財団専務理事。日本雑誌協会編集委員会・著作権委員会委員長、日本書籍出版協会知財関係委員、文化庁著作権審議会専門員など歴任。著作権法学会会員、日本ユニ著作権センター代表理事。「出版ニュース」、「JUCC通信」、美術工芸誌、印刷関係誌などに出版評論、知的財産権・著作権論などを執筆。2013年没(享年87歳)。