何もない“おしまいの地”に生まれた著者・こだまの、“ちょっと変わった”人生のかけらを集めた自伝的エッセイ集「おしまいの地」シリーズ。『ここは、おしまいの地』『いまだ、おしまいの地』に続く三部作の完結編『ずっと、おしまいの地』が、2022年8月23日に発売されます。
最新刊発売を記念して、「おしまいの地」シリーズ第1作目となる『ここは、おしまいの地』から珠玉のエピソード6作品を特別に公開します。
今回は、父について。
スーパーの鮮魚コーナーを物色していた父が、一匹80円と書かれた蟹を見て「虫より安いじゃねえか」と呟いた。
人の良さそうな店員の手前、私は聞こえない振りをした。
しかし、父は余程そのフレーズが気に入ったのか、もう一度「見てみろ、虫より安いぞ」と満面の笑みで騒いだ。頼む、大きな声を出さないでくれ。
「な? 虫より安いだろ?」
まだ言う。もうその虫をどこかに引っ込めてくれ。はしゃぐな。ヤニだらけの茶色い歯を見せるな。私は父の袖を引いて売り場を離れた。
身の回りの一切を母に任せっきりにしてきた父は、還暦を迎えるまで、ろくにスーパーにも出かけたことがない。未開の地の部族のように落ち着きなく辺りをキョロキョロと見回す。青果、惣菜、駄菓子、目に飛び込むすべてが新鮮で堪らないのだ。
定年退職してからの父は一日中ひなたで手足を伸ばして物思いに耽り、時折チョコモナカジャンボを頬張る。肉付きのよい前かがみの姿は、さながらサトウキビを咥える老衰パンダだ。
そんな暇を持て余す父が人生初のおつかいを頼まれた。
母から殴り書きのメモを渡された彼は行きつけのホームセンターへ向かった。
スーパーでは完全にアウェイであったが、日曜大工に精を出す彼にとって、そこは慣れ親しんだ庭。足取りに迷いなく、歯ブラシ、アタックNeo、ゴミ袋と順調に買い物カゴに入れる。しかし、最後の「トイレットP」の文字に固まってしまった。そんなものは見たことも聞いたこともない。新商品だろうか。
父はしばらく迷った挙句、店員に尋ねた。
「トイレットピーありますか?」
怪訝な顔をされた。聞き取れなかったのかもしれない。大きな声でもう一回言った。
「トイレットピーです! この店にありますか? トイレットピーです!」
健闘むなしく、老衰パンダは苦虫を噛み潰したような顔でトイレットペーパーを抱えて帰ってきた。
あるときはポロシャツをひとりで買いに出かけた。
町内会のバーベキューに着て行く無難な白いシャツが欲しかったのだ。
しかし、父には折り畳まれた服を広げて確認するという、人として当たり前の習慣がなかった。サイズだけ確認し、むんずと掴んで即購入。
家に帰っていざ広げてみると腹から裾にかけてゾウ、キリン、チンパンジー、ライオンがリアルなタッチで描かれていた。背中ではゴリラとフラミンゴが謎の共演をしている。一体どの層を対象に作られたのか、大阪のおばさんでさえためらうほどのアニマル大集合だった。
「ちくしょう、白いとこばっか見せて売りやがった」
怒りのポイントもどこかズレている。
父のどうしようもなさについて書き始めたらキリがない。
集落をうろつく野犬に太腿をガブリと噛まれたときもそうだ。彼は慌てふためき、一目散に駆け込んだ動物病院で「ここは動物にやられた人を診る場所ではないんです。人間の病院で診てもらって下さい」と追い返された。
60過ぎのおじさんが太腿ボロッボロのまま叱られた。
要領が悪く、口下手で、陰気で、他人の失敗を何よりも好む父。私は子供のころから父とほとんど話をしなかった。一緒にいてもつまらないのだ。
「なんでこんな面白くない人と結婚したの?」と母に詰め寄ったこともある。
すると母は真面目な顔で答えた。
「特に良いところもないけど、怒鳴ったり叩いたり人を殺したりしないでしょう?」
そして、グサッと刺さる一言を放ったのだ。
「あんたは何から何までお父さんそっくりよ」
蟹を見て「虫より安い」と冷やかす父、そんな父の言動を綴る私。ふたり揃って友達がいない。休日の予定もない。世の中を知らない。父と並んで無言でチョコモナカジャンボを食べる。隣にいるのは間違いなく20年後の私だ。
(初出:「父、はじめてのおつかい」(2015年)『クイック・ジャパン』単発エッセイ)
* * *
本書では他にも、中学の卒業文集で「早死しそうな人」「秘密の多そうな人」ランキングで1位を獲得したこと、「臭すぎる新居」での夫との生活についてなど、クスッと笑えたり、心にじんわりと染みるエピソードが多数掲載されています。
また、こだまさんの最新刊『ずっと、おしまいの地』は8月23日発売! ぽつんといる白鳥が目印です。どうぞお楽しみに!
筆者について
エッセイスト、作家。デビュー作『夫のちんぽが入らない』でYahoo!検索大賞を2年連続で受賞(第3回、第4回)、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。ほか『いまだ、おしまいの地』、『縁もゆかりもあったのだ』など。