「『エロを欲するのは、なんら恥じることではないっすよ』と言いたくて……」小説家・榎田尤利/ユウリ【BL進化論 対話篇】

BL進化論 カルチャー
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男性同士の深い関係性を描き、主に女性を中心に愛好されてきたBL(ボーイズラブ)。
そんなBLの画期的評論として話題になり、「2017年度センスオブジェンダー賞特別賞」を受賞した『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(溝口彰子著)の第二弾『BL進化論[対話篇] ボーイズラブが生まれる場所』が遂に電子書籍化!
これを記念して、OHTABOOKSTANDでは、本書から厳選した対談の一部を公開します。
今回は、小説家・榎田尤利/ユウリさんとの対話から一部をご紹介。
BLの最前線を行くクリエイターたちとの対話を通して、作品に込められた思いや魅力について迫ります。

小説家・榎田尤利/ユウリさんとの対話

1995年、中島梓が「小説JUNE」で主宰していた「小説道場」最終回で投稿作『夏の塩』(「魚住くん」シリーズ第1話)が採り上げられ、同誌でデビュー。2000年、単行本デビュー。以来、榎田尤利名義でBL小説、2003年からは榎田ユウリ名義でライトノベルも発表。2013年には通算100冊記念本が出版されるほどの人気作家となった榎田尤利/ユウリさん。

私が榎田さんと知り合ったのは、BL研究を始めて1年目の1999年頃、ご本人のウェブサイトに併設された超高速回転掲示板(通称「黒板」)への書き込みがきっかけでした。そう、榎田さんには「小説JUNE」で投稿作が不定期掲載されていただけの時代から、積極的に掲示板に書き込むほど熱心なファンが多勢いたのです。そしてその後、商業BL、ライトノベルと順調に活躍の場を拡げていった榎田さん。広義のBL史観でいえば、「傷ついた子供が愛によって癒される」「JUNE」テイストとBLを接続し、さらに同一作者であることが明確ながら、区別のつく筆名で非BLジャンルに進出するという形をとったおそらく初の作家さんです。

私は、榎田さんのBL作品はすべてリアルタイムで読み、BL愛好家としても研究者としてもさまざまに刺激を受けてきました。そこで、投稿デビューから20年以上が経過した榎田さんに、ちょっと踏み込んだ「対話」をお願いしました。

溝口 実は、私、前著『BL進化論』(2015)ではBLにおけるエロについて十分な考察ができなかったことが心残りなんです。もちろん、1961年からの広義のBL史、1990年代のBLの定型、「やおい論争」をふまえて、2000年代の「進化形」とそのメカニズム……と、「近年のBLではホモフォビア(同性愛嫌悪)やミソジニー(女性嫌悪)の面で現実よりも進んだ世界が描かれる進化形作品が生まれている」ことを述べるだけで精一杯だったのは仕方ないとは思ってもいるのですが。

榎田 あの厚さ(360ページ)ですものね。あれ以上は無理でしたよね。

溝口 そう。ちょっと話がとぶかもしれないのですが、私はレズビアン当事者として、同性愛者が異性愛者と同等の人権を保障されることが道徳的にも政治的にも正しいのだ、と主張したいのと同時に、既存の価値観における「良い子」ではないところを、マイノリティだけに実験していくのも重要だと思っていて。最近、アンディ・ウォーホル(※1)の1960年代の実験映像や、デレク・ジャーマン(※2)の1980年代から90年代初期の映画の、そもそもの常識的ステレオタイプを撹乱するような過激な表現を再評価する論文を読んだりしています。そういう時に、英語圏では「queer(クィア)」という言葉を使うのですが。

なぜ、「ゲイ」とは違う「クィア」を使うかというと、ゲイっていうだけだと、お金持ちの白人ゲイが「良い子」として世間の主流にアピールしつつ、同時に平気で人種差別をするような人も入ってくるから。つまり、自分は同性愛者というマイノリティではあっても「良い子」だし、お金も持っているから、「名誉マジョリティ」として扱ってくれ、っていう、既存の差別構造は温存したまま、自分だけ「勝ち組」「特例」にしてくれっていう姿勢は、「クィア」とは正反対なんですね。

もともとは男性同性愛者に対する強烈な侮蔑語で、1990年頃からレズビアンたちも含めて肯定的に用いるようになった「クィア」には、既存の差別構造そのものを揺るがすことを希求する意味が込められています。で、女性が性欲を持つ主体であることが抑圧し、女性は「良い娘」から「良妻賢母」になれと命じる家父長制度が根強く息づく現代日本社会の価値観に対抗することをBLはやっていると思うし、それも「queer」なことだと思っています。

「クィア」とカタカナで使うにあたって背景を整理するのは『BL進化論』の補遺で論じたのですが、カタカナ言葉のままじゃなくて、もっと日本語として息づいた言葉に落とし込んで、英語の「queer」にあたることを論じていきたいという思いがあります。それで、BLのエロを考えることを通して、さぐっていきたいなと。それで、今日お持ちしたレジュメの最後に「エロ」と書いておきました。

榎田 最後でいいですか? エロ重要ですよ(笑)。

溝口 たしかに(笑)。じゃあ、エロからいきましょう!

※1 アメリカの美術家。ポップアートの旗手として、美術界に大きな衝撃を与えた。実験映画も150本制作。1928‐87。
※2 イギリスの映画監督。ゲイ男性の欲望の「政治的に正しくない」側面にも切り込む表現で知られる。晩年はAIDS発症を公表していた。1942‐94。

エロを欲するのに罪悪感は必要ない

溝口 榎田さんは『erotica』(2012)という短編集のあとがきで、明確にエロを肯定しておられますよね。「道徳や常識や親愛、それらも生きていくのにとても大切ですが、タナトスヘの対抗手段としては弱い。綺麗すぎて弱い。もっと命の根源に近い衝動が必要であり、それこそがエロスである」「猥雑で滑稽で真摯で悲しくて愛しい、人の本質がそこにある」「私の書くエロはひたすら男同士なので、生殖には直接関与しないものの、世の女性たちのひとときの安らぎ、あるいは萌えの提供として機能しているのであれば」存在意義がある、エロを語ることは「健全」と。

『erotica』(イラスト・中村明日美子/リブレ、2012)

榎田 そのあとがき、けっこうほめていただきました。読者さんからも「あとがきにも感動しました」っていうお手紙をいただきましたし。

溝口 私も素晴らしいと思うのですが、珍しいですよね。BL作家さんがはっきりこういうことを書くのって。

榎田 エンタメを提供している側が、その中身を解析してみせるっていうのは興ざめになりうるから、避けがちなんだと思います。……私は、以前から表明しているとおり、BLは単なるエロコンテンツではないけれども、ポルノの側面があると思うし、あっていいし、ないと暴れるし(笑)。

と、同時に読み手側の「エロエロしいものを読んでいるけれども、それは私自身がああいうことをしたいわけじゃない。つまり、私の直接的な欲求ではない。だって男同士のエロが好きなのであって、でも私は女なんだから、自分を投影して読んでいるわけではない。だからスケベとか言わないでね」という、ややこしいエクスキューズをしたくなる気持ちも理解できます。長年の社会的抑圧がそうさせているのだろうし……。

だから、そんな懊悩を抱えているかもしれない読者さんに対して、「エロを欲するのは、なんら恥じることではないっすよ」ということを言いたくて、ああいうあとがきになりましたね。

溝口 『erotica』には短編小説が六本収録されています。フェチとか3PとかSMなどの、いわゆる「御成就正常位」ではないエロのバリエーションがあって、最後のお話「書生の戀」が、主人公がひいおじいさんの書類を整理していて、松岡くんっていう若者と曽祖父の間のほのかな恋のような交流を知り、第二次世界大戦に召集された松岡くんの生きたい、死にたくない、「生きて先生に会いたい 先生に触れたい 生きて貴方に接吻したい」という走り書きを見て衝撃を受ける、というお話です。死にあらがう叫びが反戦メッセージであると同時に生への執着がエロティックでもあって、あとがきでの、タナトスに対抗するにはエロだ、という話にもつながっています。

榎田 この短編集の最後のお話では、性行為のない物語、ポルノではなくてタナトスの対義語としてのエロスでしめたい、というのは最初から考えていて。短編の並べ方は二転三転しましたが、「書生の戀」が最後、というのは揺らぎませんでした。

溝口 このラストの「書生の戀」は書き下ろしなんですね。最後の最後に主人公が書類を燃やしている横でカレシに抱きついてキスして、体のぬくもりとか唾液のぬめりに生きていると感じる。物語世界の中の主人公の生と性への祝福であり、BL愛好家への励ましでもありますよね。

榎田 エロに関して私たちは、何段階かの抑圧の下にいるのかな、と。ひとつめは、いわゆるPTA的なというのか、とにかくセックスのことは表立って語ってはいけない、秘めているのが「良い子」だというもの。で、もうひとつの段階としては、性行為なくしては生殖がないのだから、やみくもにセックスを子供から遠ざけるのではなく、正しい異性愛教育ならばOKという考え方。

でもBLで描くのは男性同士のセックスだから、そもそも生殖とは関係がない。さらに、女性に性欲があること自体がタブー視されがちな社会だから、みんな隠れて読むわけですよね。その気持ちはとてもわかるけれど「罪悪感は必要ない」ってあとがきで言ったつもりですし、たぶん、けっこう伝わったのではないかなあと思っています。

萌えポイントを言い換えてみると……

溝口 BLって、好きなキャラとかカップリングに対する「萌え」という言葉で語られますが、でもそれは実は、キャラを通してBL愛好家たちがお互いに快楽と愛を交歓している。いわば脳内同士で「まぐわっている」。そしてプロ作家もその「まぐわい」に参加しているのがBLコミュニティだということを『BL進化論』では論じました。

榎田 それはおそらく同人誌文化が関係しているのではないですかね。プロの作家さんでも引き続き同人活動をしている方はすごく多いし、提供者(作家)と享受者(読者)っていうより、同じ萌えポイントを持つ仲間、という意識が強い。心理的な距離感もとても近いように感じます。私自身は同人活動をしたことがないのですが、はたから見ているだけでも、同じカップリングが好きっていうことが判明した瞬間に、「わかる!」ってなって、2秒で相互理解できちゃう勢い(笑)。国籍や言語の壁も飛び越えますからねえ。

溝口 そう、それって、単純に「同じカップリングが好きな同士」っていうだけじゃなくて、「脳内の快楽の回路が同じ同士」だからなんだと思います。

榎田 たしかに、だから、「A×B」(Aが「攻」でBが「受」)が好きな人にとって、その反対、「B×A」は非常に受け入れがたいことなんですよね。AとBならなんでもいいじゃなくて、どっちが「攻」で「受」か、っていうことも重要だから。

溝口 そういう、普段は「萌えポイント」って言っていることは、実は「セクシュアル・オリエンテーション」に近い。もちろん、二次創作で好みのカップリングが一致、という話は自覚している方もいるでしょうけれど、商業作品についても同様です。とはいえ、日々、作品を通して作者や、同じ作品を読んだ読者友達と「脳内でまぐわっている」なんて意識しているのは私くらいかもしれませんが(笑)。

前著では、「脳内で女性同士でまぐわっている」ということは「ヴァーチャル・レズビアン」とも言える、と論じたのですが、歴代ふたりの女性編集者さんにわかりにくい、と指摘されて、何度も書き直しました。女性読者が男性キャラに仮託しているから「ヴァーチャル・ゲイ」の次元がある、というのはよくわかるけど、実際に女性同士でレズビアン行為をすることが可能な体を持っている女性たちが、ヴァーチャルにレズビアンってどういうことなのか? と。

それで、「ヴァーチャル・レズビアン」とは、アメリカの異性愛男子高校生が、ネット上で文章をやりとりする行為による「ネット・セックス」においては「ヴァーチャル・ヘテロセクシュアル」だといえる、というのと同様だ、と説明を追加しました。……で、たしかに「ヴァーチャル・ゲイ」だというのと「ヴァーチャル・レズビアン」だというのは「女が男に仮託」と「女同士が生身ではなくBLという仮想空間を通じて脳内で快楽を交わす」ということで、「仮(ヴァーチャル)」の意味の次元が違うので、より詳しい説明が必要だったということに気付きました。でも同時に、「ヴァーチャル・レズビアン」という言葉への抵抗感には、自分が女性だけに、間違ってレズビアン呼ばわりされたくないという抵抗感もきっとあるだろうな、とも思いました。

榎田 私も「ヴァーチャル・レズビアン」って、「レズビアン」っていう表現は、ちょっとわかりにくいなと思っていました(笑)。

溝口 えー(悲鳴)。

榎田 リアル男子が不要な世界だ、ってことですよね。提供者も女性だから。それはわかるんだけど……。女性が書いている男女ものポルノグラフィだとしたら、どうなんだろう? 女性が提供している異性愛エロを、女性読者が受け止めて、脳内で「まぐわう」っていうことにおいてはそれも「ヴァーチャル・レズビアン」になります?

溝口 いえ。なぜなら、第一に、女性作家が女性読者に向けて書いたとしても、それが男女ものの物語だとしたら、気楽にリアル男性が読みにきてしまうから。対してBLは、基本的には多くの異性愛男性が日常的に読むものではない。もちろん、腐男子ですという方もいるし、最近は、これだけホモフォビックでない進化形作品が増えているから当然だと思いますが、若いゲイ男性でBL読みという人がかなり増えている、と、色々なところで聞きますが。基本的には、異性愛男性読者はあまりいないジャンルです。今後はそれも変化するかもしれませんが。で、リアル異性愛男性がいない空間だからこそ、「ヴァーチャル・レズビアン」空間だと論じたのです。

あともうひとつは、実際には異性愛女性が大半であるBL愛好家たちが、男性キャラを通してではあるけれども、BLの中で同性愛を疑似体験する、同性愛の実験に参加する、そういう「同性愛になりたい」エネルギーも、私が「ヴァーチャル・レズビアン」とよぶものには入っています。

* * *

※この続きは、現在発売中の『BL進化論[対話篇] ボーイズラブが生まれる場所』電子書籍版にてお読みいただけます。

本書では、この対話のほかに、BLの最前線を行く合計13名クリエイターたちとの対話を収録、BLの進化と社会との関係性について考察しています。さらに、4本の書きおろし論考も収録。450ページ越えの大ボリュームの一冊となっています。また、本書の第一弾となる『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』も絶賛発売中! 是非合わせてご覧ください。

筆者について

溝口彰子

みぞぐち・あきこ。大学卒業後、ファッション、アート関係の職につき、同時にレズビアンとしてのコミュニティ活動も展開。1998年アメリカNY州ロチェスター大学大学院に留学、ビジュアル&カルチュラル・スタディーズ・プログラムでのクィア理論との出会いから、自身のルーツがBL(の祖先である「24年組」の「美少年マンガ」)であることに気づき、BLと女性のセクシュアリティーズをテーマにPhD(博士号)取得。BL論のみならず、映画、アート、クィア領域研究倫理などについて論文や記事を執筆。学習院大学大学院など複数の大学で講師をつとめる。
2017年、『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(太田出版)と『BL進化論〔対話篇〕 ボーイズラブが生まれる場所』(宙出版)の2冊が第17回Sense of Gender賞特別賞を受賞。
Photo: Katsuhiro Ichikawa

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