「もっと夢を見たらいい。幻想の力がなければ現実は変わらない」哲学者・千葉雅也【BL進化論 対話篇】

BL進化論 カルチャー
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男性同士の深い関係性を描き、主に女性を中心に愛好されてきたBL(ボーイズラブ)。
そんなBLの画期的評論として話題になり、「2017年度センスオブジェンダー賞特別賞」を受賞した『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(溝口彰子著)の第二弾『BL進化論[対話篇] ボーイズラブが生まれる場所』が遂に電子書籍化!
これを記念して、OHTABOOKSTANDでは、本書から厳選した対談の一部を公開します。
今回は、哲学者・千葉雅也さんとの対話から一部をご紹介。
BLの最前線を行くクリエイターたちとの対話を通して、作品に込められた思いや魅力について迫ります。

哲学者・千葉雅也さんとの対話

2013年のデビュー作『動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』が「紀伊國屋じんぶん大賞」を受賞、一躍「思想界の超新星」として注目を集めた哲学者・千葉雅也さん。その後も著作『別のしかたで ツイッター哲学』(2014)、『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(2017)、カンタン・メイヤスー『有限性の後で 偶然性の必然性についての試論』の翻訳(共訳)(2016)、など、先鋭的な仕事を展開されています。そんな千葉さんが『BL進化論』(2015)の書評を共同通信でいちはやく書いてくださったことは、私にとって嬉しい驚きでした。

さらに、BLについては色々話したいと言われている、ということを評論家・佐々木敦さんからうかがい、「対話」をお願いしました。

溝口 『BL進化論』の書評をお書きいただき、ありがとうございました! 共同通信から全国の新聞に配信される書評記事とあって、コンパクトな文字数でしたが、簡潔に的確にご紹介いただくと同時に内容を応援、評価もしていただき、とても嬉しかったです。

千葉 『BL進化論』で面白いのは、溝口さんが、レズビアンの当事者として、BLを媒介してご自分のマイノリティとしての欲望のあり方を肯定された、と書かれていたことです。これは画期的だと思ったんですね。BLの紹介の仕方として。今までBLは、ゲイ男性のあり方を女性が勝手に妄想したフィクションであって、とか、当事者と切り離されたところで展開されている妄想であってとか、批判的に言われてきたし、腐女子自身も自虐的にそう言ったりしてきた。だから、どういう形で同性愛当事者とBLの回路が開かれるかということは語られるべきだったと思うのです。

ちょっと先走って言いますが、溝口さんも書かれているように、やおいとかBLなんかは滅んでしまえ、といったアンチの意見がゲイ当事者の側から出たこともあったとはいえ、肯定的な見方をしていた人も相当、多くいたはずです。BLが男性同性愛の存在を日本社会の中で公に肯定的に示したという価値があったことについて、誰もちゃんと論じてなかったと思うんですね。溝口さんの場合はレズビアンの立場からアプローチされたので、ある種のからめ手ではありますが。

溝口 ありがとうございます。千葉さんもBLを読まれていたんですか?

千葉 BLというより、古い言い方で「やおい」ですね。具体的には、90年代の『幽☆遊☆白書』(冨樫義博/1991‐94)の同人誌などです。初めてそういうものを目にしたのは。高1ぐらいの時ですね。僕は宇都宮の出身なんですが、宇都宮の中心街にオリオン通りというアーケードがあって、その中に「落合書店」っていう昔からの本屋さんがあったんです。で、その落合書店がいつだったか漫画専門の店舗になって、そこになぜかやおい同人誌を置いていたんですよ。宇都宮は駅の近くにアニメイトがあって、そっちにもやおい同人誌はあったんだろうけど、そっちはうちから行くのはちょっと遠いので、落合書店のほうで買っていました。実は親戚に落合書店で働いている人がいたので、その人に見つからないようにこっそり買う、といったことをやっていました(笑)。

BLは新しいゲイネスを示唆してくれた

溝口 同人誌が書店にふつうに並んでいたんですね?

千葉 ええ、片隅にありました。思い出深いのは、十條かずみ(※1)っていう同人作家さんです。「B-HOUSE」という個人サークルをやっている人で、その同人誌がなんだかたくさん落合書店にあったんです。どういう事情だったのかわからないけど。たぶん、この(画像を見せながら)『リヴィング・ウィル』っていう「くら×ひえ」(蔵馬×飛影)の同人誌が最初に買ったものかもしれないな。1994年くらいのことです。片方が死んでしまうという切ない系の話なんですけど、当時そういうのが好きでね。同じく『幽☆遊☆白書』ものだと、後に榎本ナリコとして一般デビューする野火ノビタの『飛行少年ズ』も思い出深いですねえ。あれは1995年です。オウム、エヴァ、インターネット普及の時と重なるわけですね。その時僕は高2ですから、青春まっただ中です(笑)。

溝口 コミケに行かれたりはしなかった?

千葉 行ってません。というか、同人誌というものがどういう流通をしているものなのか、よくわかっていませんでした。……それとその頃、月刊誌も出てきはじめましたよね。

溝口 そうですね。90年代はじめから中頃は、アンソロジーだけではなく月刊誌や隔月誌がどっと増えた時期です。

野火ノビタ『飛行少年ズ』(太田出版、1995)

千葉 高校1、3年の時は、毎月2誌くらい購読していました。とくに「いちばん好き」(※2)……「いちすき」って略す雑誌です。それから当時、もっとエロに特化したものも出はじめてましたね。落合書店みたいな中心街の本屋だけじゃなく、郊外の本屋にも置かれるようになってました。「いちすき」で読んでいたのは、『君は僕を好きになる』(1994‐96)、通称「きみぼく」っていうあべ美幸さんの最初期の作品です。学園ものです。バスケ部が舞台で、背の高い、ちょっとツンとした「攻」に対して、けなげで元気な、で、それゆえにウザがられもする「受」の子が、恋をして、最終的にハッピーなカップルになるっていう毒のない物語なんですけど。その「受」にずいぶん感情移入しました。

そうそう、ああいう漫画って、キャラがまるで「ノンケ」と区別がつかないっていうのが、インパクトが大きかったんです。従来のマスメディア的なゲイ・イメージって「オネエ」っぽいものが王道だったので。「オネエ」はそれはそれで大切な文化だと思うけど、そうじゃない可能性がゲイにあるんだということをBLが教えてくれたのです。「オネエ」的なものをBLの「ノンケっぽい」表象は否認しているという批判もありうる。が、BLという妄想は新しいゲイネスを示唆してくれたのです。また後に述べますが、この時期は「Badi(バディ)」(※3)の登場なんかで、ゲイ・イメージが従来のものから変わろうとしていた時期でもありました。

溝口 たしかにBLでは、「受」キャラが「攻」との関係性の中では「女役」とはいっても、BL愛好家の女性たちにとって、自分たちにはできないけど「男子だからこそ」できること、っていうのが託されていますもんね。私は「きみぼく」は読んでいないのですが、BLを読みはじめた1998‐99年頃の学園ものでは、「受」キャラがほっそり小柄で女顔で、「攻」とふたりきりの時の態度も、かわいくてけなげ、つまり、少女漫画の女の子みたいなのが珍しくなかった。「このキャラ、女の子でもふたりの恋愛模様は変わらないのでは?」と感じるような。

でも、ある時、「攻」と気持ちのすれ違いがあってもやもやした「受」が、「攻」のことを呼び出して、みんなのいる前で「なんでおまえは俺のことを避けるんだ! 言いたいことがあるならはっきり言え!」って詰め寄るシーンがありまして。それはまわりの子は恋愛のもつれとしてではなく、部活の先輩(「受」)が後輩(「攻」)を叱っている、と見ているんですが、「ああ、こういうことかー」と思ったんです。「攻」との関係性においてどんなに「女の子役」であっても「受」はあくまでも一般的な男子生徒でもある。学校という社会において、「ふつうの男子」とみなされているからこそ成立する場面だなと。女子キャラではそれは成立しないし、「受」が女性的な、「オネエ」であっても成立しないですよね。……千葉さんは「24年組」の「美少年漫画(少年愛もの)」とかではなくて、90年代からなんですね。世代的には当然ではありますが。

千葉 そうなんです。「24年組」については、文学史の一部として遡っていくつか見ている程度で、個人の趣味としてはコミットしていません。僕にとってBL前史に当たるのは、長野まゆみの小説ですね。『少年アリス』(1989)が中2の頃だったかな。それから「天球儀文庫」シリーズ(1991‐92)とか『テレヴィジョン・シティ』(1992)とか、90年代の作品。長野作品の、耽美的な少年とガラスと鉱物とかいう世界、稲垣足穂の影響を受けた女性の想像力。

高校時代に僕は毎年、読書感想文の課題を稲垣足穂のエッセイか長野まゆみで書いていました。耽美ですね(笑)。その読書感想文と、栃木県立美術館の企画展のレビューを書く課題が、僕にとって批評の始まりでした。なので、BL的なものへの入り口としては文学もあった。足穂はかなり熱心に読みました。『ヰタ・マキニカリス』(1948)とか『A感覚とV感覚』(1954)とか。そういったものが当時の僕には本当におしゃれに感じられましたね。足穂については、いつか新たな気持ちで何か書きたいと思っています。

溝口 では、「JUNE」は読んでいらっしゃらなかった?

千葉 存在は知っていましたが、読んではいません。たしか当時の絵柄が好みに合わなかったように記憶しています。

※1 漫画家。商業BL・TLジャンルでも活動。
※2 1995年創刊、冬水社発行のBL漫画誌。現在は「いち*ラキ」と名前を変え、少女漫画誌となっている。
※3 本書40ページ、※1を参照。

もっと夢を見たらいい

溝口 90年代前半当時、読まれていたやおい同人誌やBL商業誌には、「俺はホモなんかじゃない」というホモフォビアの表明ともとれる定型表現があったと思いますが。

千葉 たしかにそれはありましたし、気になっていました。ところで、これは『BL進化論』でブルボンヌさんが対談でも言われていましたが、1994年に創刊された「Badi」は画期的で、それ以前のゲイ雑誌、「薔薇族」(※4)とか「さぶ」(※5)とかは、ときどき読むことがありましたけど、まあ、しみったれた感じというか、内在化されたホモフォビアに満ち満ちたメディアで……。秘めたるものをのぞき見するような感じ、そしてどこかうら寂しい感じで。

それに比べて、やおいやBLは、「Badi」よりも早く、90年代前半には、明るい男性同性愛キャラを描いていたわけです。「自分は本当は女を好きなはずなのに、こいつだけにだったら許せちゃうし体もひらけちゃう」といったホモフォビア的葛藤が描かれるのはお決まりだったわけですが。そうではあっても、明るいBLが出てきたというのは、旧ゲイ雑誌の暗さからの切断として重要だった。つまり、旧ゲイ雑誌にみられた当事者自身に内在化されたホモフォビアに比べ、やおいやBLにおけるホモフォビア的葛藤の残存のほうが、後者には画期的な明るさがあったがゆえにましに思えた、ということです。

溝口 ブルボンヌさんが言っているように、「より前向きに自分たち(ゲイ)のことをとらえられる雑誌作りをしていきましょう」というのが「Badi」の編集スタッフの中にはっきりあった、ということなんですが、より詳しい話を小倉東さんが座談会で語られたことがあって──小倉さんは、ドラァグクイーンのマーガレットさんと同一人物です──、いわく、「顔出しなんかもってのほか。トラブルが起こったらどうするんだ」「顔を出すホモがいるわけない」という経営側の姿勢を変えさせるために、まず編集者をタレント化して顔出しさせるといった戦略をとったと(※6)。つまり、「マチカドボーイフレンズ」で一般の若者たちがどんどん顔出しするようになったのは、そうしたいゲイの若者が現実に増えていたからそれを掬った、のではなくて、その気分自体を、雑誌を通して作り出していったんだ、ということなんですよね。

千葉 やっぱりそういう演出、虚構化の作用が現実を変えていくことがあるわけですよね。それは大事ですよ、すごく。死にそうな状況の中で苦しみのディテールをじっくり考察することも大事なんですけど、それで「夢を見る力」を弱らせてしまってはしょうがない。もっと夢を見たらいいんです。しみったれたところに徹底的に付き合うことこそが倫理のすべてなのではない。生きていくには幻想が必要なのです。ちょっとポジティヴ・ベースなことを言うとすぐに何か「騙し」があるという警戒心を抱く人もいるかもしれないけれど。幻想の力がなければ現実は変わらない。

溝口 幻想、によって作られた表象によって、とも言えますよね。……今も商業BLややおい同人誌は読んでいらっしゃるのですか?

千葉 ここ最近はあまり読めていませんが、2000年代になって、より男っぽかったりマッチョなキャラクターが出てきたのを読みましたね。ある種の「ヨゴレ」要素というか。おっさんとか、体毛とか、ガテン要素とか。

溝口 でも体毛はすごく少なくなかったですか?

千葉 当時はそうだったかな? 最近はそういうのもありますよね。

溝口 はい、かなり徹底的に調べたことがあるんですけど(笑)、ギャグ・テイストでデフォルメされたコマのなかですね毛が描かれることがあるくらいで。ただ、たしかに筋肉は描かれるようになりました。「攻」「受」ともに細マッチョな筋肉のラインが描かれるといったのが多いですが、中には実際には解剖学上ありえないほどに筋肉大盛りの……えーと、内田カヲルさんなんかもいますし。

千葉 内田カヲル、初期作品を読みましたね。そのあと、おっさん「受」に転向するでしょ。

溝口 2000年代になると、そうですね。私自身はスレンダーなキャラが好きな傾向があるので、ヨーヨーの上手い中学生「攻」でリーマン「受」の『ハートにご用心』(内田かおる名義、1999)あたりまでは「中学生『攻』来た!」って萌えてましたが。

内田かおる『ハートにご用心』(竹書房、1999)

千葉 内田カヲル作品は、初期はヤンキー要素がありましたね。で、その後のおっさん「受」の時期の作品には、僕はちょっとついていけなかった。おっさんが情けない顔で掘られるんです(笑)。こんなのになっちゃうんだー、と。……でも、考えてみると、あれってゲイ当事者の成長にも重なるんですよね。最初は若い男しかダメだとか思っていたゲイが、だんだんとおっさんでもいけるようになるっていうね(笑)。

溝口 ふむ。『ハートにご用心』では、中学生だけどオトコマエな「攻」と、女顔のサラリーマン「受」だったので、どちらでしょうね。それと、より最近では、ボディビルダーとラグビー選手を足して、5割増しくらいにしたような、ものすごいマッチョでえりぐりの深いぴちぴちのシャツを着た「受」が、同じく筋肉大盛体型だけど性格が地味な「攻」に大股開きで両脚を高々と上げて突っ込まれる、というような作品もあって。とはいっても目のきらめきには少女漫画っぽさも残っているんですが。

※4 1971年に創刊された、商業誌としては日本初のゲイ男性向け雑誌。
※5 1974年創刊、2002年まで発行されていたゲイ男性向け雑誌。
※6 対談「私たちの90年代」『クィア・ジャパン VOL.1 メイル・ボディ』1999、勁草書房、71‐100ページ。

* * *

※この続きは、現在発売中の『BL進化論[対話篇] ボーイズラブが生まれる場所』電子書籍版にてお読みいただけます。

本書では、この対話のほかに、BLの最前線を行く合計13名クリエイターたちとの対話を収録、BLの進化と社会との関係性について考察しています。さらに、4本の書きおろし論考も収録。450ページ越えの大ボリュームの一冊となっています。また、本書の第一弾となる『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』も絶賛発売中! 是非合わせてご覧ください。

筆者について

溝口彰子

みぞぐち・あきこ。大学卒業後、ファッション、アート関係の職につき、同時にレズビアンとしてのコミュニティ活動も展開。1998年アメリカNY州ロチェスター大学大学院に留学、ビジュアル&カルチュラル・スタディーズ・プログラムでのクィア理論との出会いから、自身のルーツがBL(の祖先である「24年組」の「美少年マンガ」)であることに気づき、BLと女性のセクシュアリティーズをテーマにPhD(博士号)取得。BL論のみならず、映画、アート、クィア領域研究倫理などについて論文や記事を執筆。学習院大学大学院など複数の大学で講師をつとめる。
2017年、『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(太田出版)と『BL進化論〔対話篇〕 ボーイズラブが生まれる場所』(宙出版)の2冊が第17回Sense of Gender賞特別賞を受賞。
Photo: Katsuhiro Ichikawa

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