「カルチャー ×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆し、デビュー作『世界と私のA to Z』が増刷を重ね、新刊『#Z世代的価値観』も好調の、カリフォルニア出身&在住ライター・竹田ダニエルさんの新連載がついにOHTABOOKSTANDに登場。いま米国のZ世代が過酷な現代社会を生き抜く「抵抗運動」として注目され、日本にも広がりつつある新しい価値観「セルフケア・セルフラブ」について語ります。本当に「自分を愛する」とはいったいどういうことなのでしょうか?
第5回は、アメリカで爆発的なブームになっているという「水筒」、「スタンレーカップ」から見えてくる、セルフケアと資本主義、そして環境問題の関係について。
「エコ」からかけ離れた「水筒」の過剰消費
アメリカの若者たちの間で今最も熱いトレンドは、「スタンレーカップ」だと言っても過言ではない。「水をたくさん飲もう」という健康への意識と「マイボトルを持ち歩いてプラスチックごみを減らそう」という環境問題への意識から生まれたこのトレンドは、一見すると「セルフラブ・セルフケア」を徹底的に追求した若者たちの好ましい傾向のように感じられるかもしれないが、実際には極めて資本主義的な過剰消費を示しているのではないか、と議論されている。
2023年あたりから突如として爆発的人気を獲得し、今やトレンドに敏感な子供から大人まで、「必須アイテム」として認識されているスタンレーカップ。およそ1200mlの液体が入り、正規の値段で45ドルもするタンブラーで、機能としては冷たい飲み物が24時間冷たいままで保温できたり、車のカップホルダーに入れられる。とはいえ、それ以外では特筆するほどの「すごさ」があるようには見えない。しかし、このタンブラーの人気が高まりすぎるあまり、限定カラーが販売された店舗で盗難が発生したり、1000ドルを超える値段で転売されたり、とんでもない事態が相次いでいる。TikTok上では様々なインフルエンサーたちがスタンレーカップを「マストハブアイテム」として掲げたり、何十個ものスタンレーカップを並べて「コレクション」を自慢する投稿がバズったりと、今やステータスシンボルとまでなっている。子供たちが小学校・中学校でスタンレーカップを持っていないと(あるいは偽物を持っていると)いじめられる、という親からの報告も話題になった。
2010年代から、様々な「水筒」のトレンドが存在した。Hydro FlaskやS’wellを筆頭に、ペットボトルを買わずに自分のボトルを持ち歩くエコな活動の一環として注目アイテムになり、支持を集め続けていたが、ここまでの「熱狂的トレンド」ではなかった。最近はフィットネスブランドやファッションブランド、化粧品ブランドなども「リユース可能なボトル」をロゴ入りで発売することが一般的になっている。しかし、そもそもこのような水筒はプラスチック資源の消費を減らすためのアイテムであったはずなのに、ボトルをいくつもコレクションしてしまっては本末転倒だ。ここまでただの「水を入れるボトル」が人気を博しているのは、「セルフケア」の文脈が大きく影響している。
昨年はスタンレーカップにペットボトルの水を移し替え、その水に様々なフレーバーのパウダーやシロップを入れるレシピをシェアする「コンテンツクリエイター」界隈、いわゆるWaterTokも話題になった。、もはや「水」ではない液体を作っているように思えるが、とにもかくにもアメリカでは「水をたくさん飲むこと」がセルフケアの重要な要素であるとして、樽のように巨大な水筒を持ち歩き、「常に水を飲める」状態にすることが健康的である、というウェルネストレンドが流行になっている。新年の抱負に「水をもっと飲む」と書いたり、クリスマスに「健康のために」スタンレーカップやその他のブランドの水筒を欲しがる傾向が頻繁に見られるのだ。
狡猾なことに、健康や水分補給をステータスとする考え方も(スタンレーによって)売られているのだ。アスレジャー・ブランドやグループ・フィットネス・クラスも似たようなもので、これらの服を買ったり、これらのクラスに参加したりすれば、より良い健康的な自分を手に入れることができると考えられている。
https://www.vox.com/culture/24031385/stanley-craze-tumbler-best-water-bottle (訳は筆者)
確かに水分補給は健康的な生活に必要不可欠な要素ではあるものの、ここまで執着されるようになったのは、スタンレーカップのように、ライフスタイル・フィットネスインフルエンサーたちが「ブランド価値」があるものとして、そのステータスを大衆に可視化したからだ。結果として、本来は自分の身体と健康のためのプライベートな行いだった「水を飲む」という行動が、ある種の「属性」や「価値」を社会に示す行為と変わっってしまった。その例として、「水筒のブランド別の性格診断」のようなコンテンツがあるなど、もはや水筒がファッションアイテムと同じように、個人の「スタイル」や「系統」を示す一つのアイテムになった。
ここまで「より水を多く飲むこと」にこだわるのは、「セルフケア」の皮をかぶった「執着」ではないだろうか。さらにその延長線上として、たくさんの水筒を集めるのは、「モノを買う」という目に見える消費を行うことで「生産的」にセルフケアを行っている、という錯覚を生み出しやすい。そもそも水の飲み過ぎは健康被害を生む可能性さえあるとして専門家も注意喚起を行っている(
https://www.salon.com/2023/01/25/stanley-tumbler-hydroflask-trend-drinking-too-much-water/ )。さらには今年に入ってから、スタンレーカップに甚大な健康被害を及ぼす鉛が使用されているということが発覚し問題となっている。健康の象徴のように祭り挙げられてきた製品が抱える大きな矛盾が明らかになった事態といえる(https://www.reuters.com/legal/stanley-cups-maker-sued-over-lead-tumblers-class-action-proposed-2024-02-02/ )。
「マストハブアイテム」は本当に「マストハブ」なのか?
この連載でも繰り返し主張しているように、本来セルフケアとは泥臭く、長い時間をかけて、時には孤独に自分と向き合い続ける作業である。しかし、その過程は地味で、必ずしも目に見える「成果」が生まれるわけではない。本来的なセルフケアを重視する価値観は、「モノを買うためにとことん働け」というアメリカの根本的な資本主義的価値観とは、なかなか相入れない。そのため、「すぐに目に見える結果が出る」という意味で、一見「自分を大切にできる」ように感じられる「セルフケアアイテム」の購入と消費、そして収集がトレンドとして広まりやすいのだ。
何かを買うことで何かを達成した気持ちになるという精神的な罠は、自分もハマりやすいと実感しており、何かを購入するたびに意識するようにしている。例えば、ジムに行かずとも家でストレッチをしたり、外でウォーキングやランニンングをすることも十分身体を動かす運動になるのに、ジムに着て行くためのアスレチックウェアをつい買いそうになってしまう。運動をするのは面倒だが、新しい服を買うことは簡単で楽しいからだ。
モノを買い、必要以上に集めるというのは、持続可能な行為ではない。そもそも環境保護のためプラスチックゴミ削減を目的として導入されたタンブラーやエコバッグであったはずなのに、それらを自己満足のためだけにコレクションしてしまうのは環境破壊に直結する消費行動であり、本来的なセルフケアの意味合いからはかけ離れてしまっているということを、常に留意しておく必要があるだろう。
「水を飲む」という、動物として必要最低限生存に必要な行為さえも、数値化され、生産性に結びつけられ、消費行動に回収されてしまう。その数字や生産性、消費ペースに夢中にさせられる我々は、何から目を背けさせられ、何に注意を向けさせられているのだろうか。「マストハブアイテム」は本当に「マストハブ」なのか、内なる根本的な欲求に向き合うことで、見えるものが増えてくる。
筆者について
たけだ・だにえる 1997年生まれ、カリフォルニア州出身、在住。「カルチャー×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆し、リアルな発言と視点が注目されるZ世代ライター・研究者。「音楽と社会」を結びつける活動を行い、日本と海外のアーティストを繋げるエージェントとしても活躍。著書に文芸誌「群像」での連載をまとめた『世界と私のA to Z』、『#Z世代的価値観』がある。現在も多くのメディアで執筆中。「Forbes」誌、「30 UNDER 30 JAPAN 2023」受賞。