観光地ぶらり
番外編第1回

「そんな生き方もあるのか」と思った誰かが新しい何かを始めるかもしれない 井上理津子『絶滅危惧個人商店』×橋本倫史『観光地ぶらり』発売記念対談

暮らし
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東京の街の歴史と個人店の成り立ちは無関係ではない

橋本 この『絶滅危惧個人商店』は、PR誌『ちくま』での連載がもとになったものですよね。連載が始まったのは2018年ですけど、それって井上さんが東京に引っ越してそろそろ10年ぐらいの時期ですよね、きっと。

井上 そうですね。9年目ですかね。

橋本 この本を今回再読して、あらためて感じたのは、これはひとつの東京論でもあるなと思ったんですよね。「論」とはまた違いますけど、東京って街の記憶を書き残した本でもあるんだな、と。井上さんが書いてこられた本を順に見ていくと、夕刊紙『日刊ゲンダイ』の連載を元にした、書店を取材対象にした本だと関西をテーマにされた本を何冊も出版されていますよね。もちろん、『日刊ゲンダイ』の連載が元になっている、本屋さんをテーマにした書籍であれば、東京のお店が取材対象になっているものもありますけど、関西がフィールドである本を何冊も出版されていて。それに対して、この『絶滅危惧個人商店』だと、横浜市・鶴見のお店も1回出てきますけど、あとは全部東京のお店を取材されていて、東京の記憶が書き残されている本だなと思ったんです。

井上 ありがとうございます。

橋本 さっき話した「コバヤシ玩具店」とか「谷口質店」なんてまさにそうですけど、明治維新があって、関東大震災があって、空襲があって、オリンピックがあって、バブルがあって、そして今また大きな変化が起きている。これは評論家の坪内祐三さんがよくおっしゃっていたことなんですけど、「東京は20年周期で大きく様変わりしてきた」と。そういった変遷が、個人の語りのなかに語り継がれている。自分自身の経験ではなくても、個人商店であるがゆえに、記憶が引き継がれている、と。そういった個人商店が絶滅の危機に瀕しているということは、そういった記憶も途絶えかけているということなんだなと思ったんですね。その途絶えかけている記憶が、ここに記録されている。それは、取材を始める段階で意識されていたことだったんですか。あるいは、取材を重ねるなかで、東京という街の記憶が浮かび上がってきたんですか。

井上 最初のところでは、予算があれば、半分は大阪、半分は東京、あるいは地方も混ぜて個人商店を取材するっていうのをやりたかったんです。でも、予算がなかった。ここにたとえば栃木のお店が入ってもよかったんですけれども、たまたまほとんど東京、プラス鶴見が1軒という形になりました。だから当初は、東京を掘ろうとか、東京の歴史を書こうって意識は、私の中にはなかったです。この『絶滅危惧個人商店』では――。

『日刊ゲンダイ』で本屋さんの取材をずっとやっていたんです。ちょっとお休みして、また今やってますけど、それは11字×80行ぐらいの記事なんですね。だから、1時間聞いて書けばいいものを、あんまり面白いから、ついつい長くなっていろんな話を聞いちゃうんです。店主のお人柄があって本屋さんがあると思うから。「なんで本屋さんになったんですか」とか、いろんなこと聞いちゃうんですね。いじいじ、じらじら。同行のカメラマンさんに、時間がかかって「ごめんなさい」と思いながら、ついついいろんな話を聞いちゃう。80行の記事にするためには、どうしてもいろんな話をボツにすることにはなるんですけど、ボツにした話も記事の血肉になっているから、インタビューのベースは必要だというのが、私のうるさい論だったんですね。そんなことがあったから、当初の企画というのは、本屋さんの深掘りをやりたいっていうものだったんです。80行じゃなくて、20枚ぐらいで書きたい、と。だから、この本の中に本屋さんだけは異例に2軒入っているのは、そういう意味合いなんです。

橋本 なるほど。新刊書店と古書店という違いはありますけど、亀有の「栄眞堂書店」と南砂町の「たなべ書店」と、2軒出てきますね。

井上 そんなやりとりをしていたときに、当時私は阿佐ヶ谷に住んでいたんですけど、阿佐ヶ谷の文房具屋さんの店主さんが、とても心ある対応をしてくださったんですね。「このボールペンとおんなじのください」って持って行ったら、100円そこそこのボールペンだったんですけど、駄目、もったいない、替え芯があるから替え芯を買いなさい、と。ああ、これだと思ったんです。筑摩の編集の青木さんが「本屋に限らなくていいんじゃないか」と言っていたのはこういうニュアンスだったのかって、そのとき私はハッとしたんですよ。本屋さんだけじゃなくていろんなお店の深掘りをしたいってことになって、企画が立ち上がりました。

橋本 なるほど。

井上 ただ、先ほどおっしゃった東京の歴史というのは、いろんな取材で積み重ねて思ってきたことでした。どこの地域でも、出来事がない街なんてなくて、何かがあって今があるっていうことは、常々思ってきたことで。東京の場合であれば、坪内さんの話じゃないですけど、関東大震災があって、それから20年で大空襲でしょう。せっかく頑張って復興したぞと思ったら、またいちからってことを余儀なくされてしまう。関西には関東大震災がなかったですからね。その20年でまたやり直しをやらざるを得なかった街なんだなっていうことは、東京の人だったらきっと小学校から習ってることかもしれないんですけど、私はすごく深く、重く受け止めてたんです。だから、直接的に聞くこともあれば、直接聞かずにずっと腹持ちしてることもありましたけど、東京という街の歴史と個人のお店の成り立ちは無関係ではないんだっていうことは、どこのお店に取材に行っても思っていました。

滑った質問について書くか書かないか

橋本 この『絶滅危惧個人商店』は、連載を書籍にまとめるときに、順番を並び替えてますよね。連載順ではなくて、違う並びになっている。どうやって並び替えたんだろうと考えたときに、最初に日暮里の佃煮屋さんが置かれていることの意味を、あらためて考えたんです。たとえば、井上さんが「おじゃこ」って言い方をしたことに対して、お店の方が「あら、関西の方ですね」と返す場面がありますよね。そのやりとりが実際にあった場合に、書かずに済ませることもできるけど、書き残している。それによって、この書き手がどういう立ち位置から東京の個人商店を見ているのかってことが、説明的な形ではなしに記されているなと思ったんです。取材者はどういった人間なのかってことを、ベールに包んだまま書くこともできるけど、そこを明記しておく。それって、倫理というと大げさかもしれないですけど、それをきちんと書いておくという意志をあの数行に感じたんです。

井上 ありがとうございます。本人としてはそこまで意識できてなかったところなんですけど、順番に関しては私は口出ししてなくて、編集の青木さんが「これでいい?」って提案してくれたものに、「いい」って答えて決定しました。今おっしゃった日暮里の佃煮屋さんは、取材した頃に94、5歳で、今年100歳になられます。そのご年齢も素晴らしいってこともありますし、昭和13年に女学校を卒業されて、東京の歴史のなかで生きてきた人なので、そういう意味でも最初に持ってこようという判断があったんだと思います。それに、食べるもの、日常的な道具として使うもの――そういうカテゴリーを続けて、そのあとに質屋さんや銭湯を持ってきて。「あれ、これは小売店と言っていいの?」というところが最後にしようと、そういう並べ方になったと思います。

橋本 だとしたら、並びに関しては、僕が読み取り過ぎてたところがあるのかもしれないですね。ただ、井上さんの文章のなかには、取材相手に投げかけた質問がすべったところを書かれることがありますよね。現場ですべった質問があったとしても、原稿にまとめるときには、あたかもぴしゃっと的を射た質問を重ねてみるように見せることも可能だと思うんです。でも、すべったことも書くことによって、書き手の立ち位置がしっかり刻まれているというか。あるいは、時計屋さんの回だと、自然にふらりとたどり着いたわけじゃなくて、そのお店が毎日サロンのようになっているって話を知り合いから聞いて、それで取材に出かけたんだってことをきちんと書かれている。そこを明記するのも、ひとつの倫理に近いところでもあるし、これからなにかを取材したいと思う人からすると、井上さんの文章を読むことで、取材現場でのアプローチを学べる部分もあるな、と。

井上 ありがとうございます。

橋本 それは、『さいごの色街 飛田』(2011年/筑摩書房、2015年/新潮文庫)を読んでも感じたところなんですよね。この本には「原田さん」という方が出てきますけど、この原田さんと最初に酒場で出会った場面が印象的だったんです。男友達と一緒に飛田の「スタンド割烹」に飲みに出かけてみたら、お店のママと親しそうに話している中年の男性客がいた、と。そこでママに質問を投げかけていたところで、その男性客がピールのお代わりを注文して、ママとの会話は中断されて。その場面のところで、「急いではいけない。さぐりを入れるふうもいけない、とちょっぴり自戒する」と、井上さんは地の文で書かれているんですよね。それを読んだ人は、「ああ、取材というのはそういうふうに進めるものなんだな」と読み取れる設計になっているなと思ったんです。

井上 きっと皆さん多かれ少なかれやっていて、そこを書いちゃうかどうかの差異だけだと思うんですけど、私はある程度書くほうですね。ただ、この『絶滅危惧個人商店』で取材したお店は19軒ありますけど、たぶん全部のお店で滑ってます。だけど、滑ったことを全部書くんじゃなくて、とりわけ滑ったことを2、3書いているという感じですね。橋本さんは滑らないですか?

橋本 滑ることはもちろんありますけど、僕はどちらかと言うと、空気を読んで質問を投げかけずに終わってしまうことも多いんですよね。でも、それこそ芝の魚屋さんを取材した章で、「あるお寿司屋さんに、『魚は目を見て選ぶ』と聞いたんですが、女将さんもそうですか?」と尋ねる場面があって。でも、その質問は滑ってしまって、「魚の目? そんなこと言う人いたの?」と女将さんは言うわけですよね。書き手自身は魚屋じゃないからこそ、滑ることを恐れずに質問を投げかけることで、言葉になる。

井上 魚屋さん、なかなか手強かったんですよね。「私の言っているお寿司屋さんでは『そうやって選ぶんだ』と聞いたんですけど」と尋ねたら、「この人、何もわからずに魚屋に来てるんだね」という感じになって――そこで私が書きたかったのは、あのとき女将さんは「あら、そう?」ぐらいに済ませることもできたわけなんですね。でも、そうじゃなくて、ちゃんと反論を言ってくれた。そういう人であるということを書きたかったから、そこを書いたっていう部分はあります。でも、これもあと付けですね。今言われたから思ったことで。

橋本 『さいごの色街 飛田』で言うと、飛田で「料亭」を経営してきた92歳の女性に話を聞く場面がありますよね。その女性は大阪・ミナミで生まれて、コーヒー園経営を夢見た父親に連れられて3歳のときにブラジルに渡っていて。そこで井上さんは、「小学校は現地で? と、またアホな質問をしてしまう」と書かれている。何が「アホな質問」だったのかと言うと、その問いに対する彼女の答えは、「行かしてもらえんかった」という内容だったからなんですよね。これを読んで、僕自身が那覇の市場を取材してきたときのことを思い出したんです。50年、60年と商売をやってきた方に話を聞かせてもらっていると、「学校を出たらすぐ働きに出た」って言葉に出会うことが多いんですけど、僕は滑ることをおそれて、「ああ、そうだったんですね。それはどんなお店だったんですか」と、輪郭がぼんやりしたまま次の話を聞いてしまうことが多いんです。だから、いざ原稿を書こうと思ったときに、その「学校」は小学校なのか中学校なのか高校なのか大学なのか、わからなくなる。だから、あとでもういちど話を聞きに行って、さりげなく確認しに行くってことが多々あるんですけど、それはその人が生きてきた環境によって全然違うところですよね。そこは質問してみないことにはわからないけれど、その質問はとても失礼に当たるかもしれないというところを、いつも悩ましく思いながら取材してるんです。

井上 ほんとに同感です。そこらへんはほんとに、ずうっと悩ましく思ってます。どうしても自分の経験値のなかからの言葉で聞くわけなので、さっきの話で言うと、小学校を出ていない人がいるっていうのは、書物では読んだことがあるけど、実際の経験ではお会いしたことがなかった。だからもう、当時の私にとっては想定外だったわけです。

橋本 「自分の常識を人に当てはめずに取材をする」というのは、もちろんそうあるべきだとは思うんですけど、だからといって何でもずけずけ聞けるわけではなくて、こんな質問を投げかけるのはさすがに、とはばかったまま終わってしまうときが多々あるんです。

井上 あとは、それを書くか書かないか。気持ち悪いままやり過ごしたならば、「気持ち悪いままやり過ごした」と書けばいいんじゃないかと、この頃ちょっと思うようになってきました。全部のポイントがそれでは話にならないけれど、いくつもあるポイントのひとつについて、聞くに聞けずにちょっと気持ち悪いまま取材が終わったとしたら、「自分はこういう認識だったので、ここを突っ込めなかったことを今は後悔している」といったふうに書く方法もあるんじゃないかって、やっと思うようになりました。だから、スルーするっていう手もあれば、滑ったという手の内を、そういうふうに書く手もあるということですね。

語り手の言葉を鉤括弧で表現するか地の文で書くか

橋本 もうすぐ45分経つので、僕から井上さんに話を伺う時間はそろそろ終わりにしようと思うんですけど、最後に、これ、図書館で見つけたんです。

井上 うわ! こんなの見つける?

橋本 『旅と鉄道』という雑誌に、当時10代だった井上さんが紀行文を寄せられていて。こういうのを探して、引っ張り出してきてしまうというのは、ちょっと気持ち悪いかもなと思いながらも、ちょっと印象的だったので持ってきたんです。

井上 ……すごいです、この方。私、鉄道に乗るのが好きで、高校時代から鉄道に乗りまくってたんです。当時『旅と鉄道』という雑誌には、読者に1万円あげるから、それでどこかに出かけて記事を書いてねって企画があったんです。それに高校3年のときに応募したら採用になって、高校と大学の間の春休みに大阪から秋田まで、各駅停車で出かけて、また各駅停車で帰ってくるという旅行をやって――橋本さんの『観光地ぶらり』にも出てくる「カニ族」の時代ですね。

橋本 これを読んで印象的だったのは、酒田から秋田に向かっている場面なんです。ちょっとそこを引用すると――。

重そうな風呂敷包みをかかえたおばあさんたちと坐り合わせた。それがまったく聞き取れない東北弁。
おばあさん「………………」
わたし「えっ、なんですか?」
おばあさん「………………」
わたし「すいませんけど、もう一回言ってくださいませんか よくわからないんです」
おばあさん「………………」
わたし「あの――」
数回聞き返したあげく“どこまで行くの”と聞かれていることが判明。まるで外国へきたみたい。でもお互いに一所懸命おしゃべりし、大きなあんころもちを5つもいただいたのだ。

橋本 この部分を読んだときに、こういう経験があったときに、鉤括弧のやりとりで表現するのが面白いなと思ったんですよね。自分だったらと考えると、全部地の文で書いてしまうような気がして。井上さんの文章を読んでいると、鉤括弧の中の言葉がとても印象的ですけど、この記事も鉤括弧の言葉の面白さを感じたんです。

井上 鉤括弧――お話の面白さとむつかしさを、最近とても感じているんです。紙幅の関係がありますから、そのまま書いたら20行になるところを、5行しか書けない。そこで、ほんの一部なんだけど、間違いではないという鉤括弧にするのはすごく難しいことで、いまだに悩み続けてます。でも、今のお話だったらまるで私が18歳のときからその方法論を持っていたような、ちょっと、エッヘンという気持ちになりますけど、そんな認識はまったくなかったです。すみません。

橋本 いえいえ。その記事のなかで、秋田までの旅ではありますけど、横手に立ち寄られていて。横手、このころ、僕も『観光地ぶらり』で取材した土地でもあるんですけど、昔はどんなだったんだろうって、この原稿を読みながら思っていたんです。

井上 もう、本人は全然おぼえてません(笑)。

  1. 第0回 : プロローグ わたしたちの目は、どんなひかりを見てきたのだろう
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  4. 第3回 : 一つひとつの電灯のなかにある生活 灘・摩耶山
  5. 第4回 : 結局のところ最後は人なんですよ 会津・猪苗代湖
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  8. 第7回 : 昔ながらの商店街にひかりが当たる 広島/愛媛・しまなみ海道
  9. 第8回 : 世界は目には見えないものであふれている 長崎・五島列島
  10. 第9回 : 広島・原爆ドームと
  11. 番外編第1回 : 「そんな生き方もあるのか」と思った誰かが新しい何かを始めるかもしれない 井上理津子『絶滅危惧個人商店』×橋本倫史『観光地ぶらり』発売記念対談
  12. 番外編第2回 : 「観光地とは土地の演技である」 蟲文庫・田中美穂×『観光地ぶらり』橋本倫史
  13. 番外編第3回 : たまたまここにおってここで生きていくなかでどう機嫌良く生きていくか 平民金子・橋本倫史・慈憲一 鼎談
連載「観光地ぶらり」
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