お客さんは看板よりも店主の顔を見ている
橋本 僕自身も、沖縄には何度となく通ってますけど、同じ場所に何度も通っているばかりで、あんまり観光的なことはしてこなかったんですよね。最近はコザに通っていて、そこには古くから続いている民謡酒場があるんですけど、今まで民謡酒場って入ったことなくて。宇田さん、民謡酒場って行ったことあります?
宇田 こっちに引っ越してきた頃に、行ったことがあります。どういうきっかけだったのか、ちょっとおぼえてないんですけど、自主的に行ったわけじゃなくて、周りが行くのについて行ったんです。
橋本 そうか。書店に勤めていると、そういう付き合いがあるんですね。
宇田 そうですね。社会人になったばかりの頃は、人に誘われたとき、なんの用事もなかったら受けるもんだと思ってたんですよ。特に東京で働いてた頃だと、出版社の人たちと連れ立って、今年は関西だとか、来年は東北だとかって、旅行に出かけてたんです。いちおう書店をめぐることがメインではあるんですけど、温泉に行ったり、宴会をしたりして。沖縄にきてからも、そういう誘いがあったら断ってなかったんです。今は誘いがあっても断るので、あのときは好奇心旺盛だったというか、元気だったんだなと思います。だから、民謡酒場に誘われたら、なんの迷いもなく行ってました。
橋本 こっちに移り住んだから、いろんなものを見てみよう、と。
宇田 その気持ちは強かったです。ひとりじゃ行かないから、わりと前向きに行ってました。
橋本 その感覚はきっと、観光とも近いですよね。だんだん誘われても行かなくなったのは、移り住んで時間を重ねるにつれて、感覚が変わってきた?
宇田 最初の年は、同僚たちと海に行ったりしてたんですよ。観光地に出かけて、帰りにステーキを食べるみたいなこともやってました。観光できたことがまったくなかったから、ほんとに何も知らなかったんですよ。あと、県外からたくさん人がきたんです。ジュンク堂ができたということで、「いちどは見に行こう」と出版社の人たちがやってきて、その人たちに誘われて一緒にひめゆりの塔に出かけたり、佐喜眞(さきま)美術館に連れて行ってもらったり、いろんなところに行きました。
橋本 その距離感も面白いですね。自分からあちこち探索はしないけど、誘われたら断らないという。
宇田 ひとつには、交通手段がなかったんですよ。免許も自分で店を始めるときに波の上(自動車学校)でとったから、当時はまだ車も運転できなくて。だから、ジュンク堂で働いていた地元の子たちから「今度の休みに、どこどこに遊びにいくんですけど、宇田さんも行きますか」と誘ってもらって、一緒に出かけてました。誰かの車に乗るって、それまで東京にいたときは経験なかったんですよね。皆で車に乗って海とかに行くって、すごい青春ぽいなと。そうやって誰かに連れてってもらうとき以外だと、バスもよくわからなかったし――今でもよくわかってないんですけど――どこにも行けなかったんです。
橋本 当時の宇田さんの勤め先とご自宅のあいだには、牧志公設市場があって、その頃にはもう観光客で賑わう場所になってましたよね。外から移り住んで、身近にある観光客で賑わう場所のことは、どんなふうに見てたんですか?
宇田 市場はたぶん、沖縄に来てすぐ、沖縄の出版社・ボーダーインクの新城(和博)さんが連れて行ってくれて、ぐるっと1周したとは思うんです。でも、ああ、ここは観光客が来る場所なんだなと思ったから、市場で買い物をすることはなかったですし、観光客のひとりとして行ってみようって気持ちもなかったです。
橋本 今はそこで商売してるって、不思議ですね。
宇田 よくわからないですよね、ほんとうに。今の感覚からすると、市場中央通りはそれほど照明が明るくないんですけど、そこに「とくふく堂」(※現在「市場の古本屋ウララ」がある場所で営業していた古本屋)があった頃のことを思い出すと、すごく光の中にあるというか、すごい明るい空間に本屋があるイメージだったんですよね。あんな賑やかな場所で、ずっとひとりで座ってるなんて、今の私なら「無理だ」と思う気がしますけど、当時は具体的なイメージがなかったんでしょうね。
橋本 その環境って、ジュンク堂で働くのとはまるで違いますよね。ジュンク堂だと、観光客がひっきりなしに行き交うことなんてないですし、扉も仕切りもないところに座っていて、その姿を道ゆく人から見られることもないですし。あそこに座って店番をすることに、戸惑いはなかったんですか?
宇田 まだ「とくふく堂」が営業していた頃に、何度か座らせてもらったことはあって、不思議な場所だなとは思ってたんです。ただ、そこに悩んだ記憶もなくて、ここで生計が立てられるのかってことだけを考えてたんです。それがどんな日常になるかは想像もしてなくて、自分で店を始めたときに初めて、「ここに座っているあいだ、何もやることがない」と気づいたんですよね。
橋本 お店を始めたばかりの頃に、通りからの視界を遮るように観葉植物を置いたら、近所の店主から怒られたことを書かれてましたよね。
宇田 パキラっていう大きな観葉植物をもらったんですけど、店も狭いから、置く場所がなかったんです。それで自分と棚のあいだに置いたら、向かいの鰹節屋さんから「あんたの顔を見せなきゃだめだよ」と言われて、ずらしたんですけど。別の人からは「市場は顔で売る」という言葉も教えられたんですけど、その言葉はずっと印象に残ってます。市場には同じ品物を扱うお店が何軒も並んでたりしますけど、お客さんはやっぱり顔を見てるんだな、と。「ああ、前に買ったときもあの人だった」って、看板よりも顔を見てるんだろうなと思ったんですよね。
橋本 観葉植物はどかすことにしたとはいえ、宇田さんは普段、「私が店主です」という感じで、どっしり構えてそこにいるという感じでもないですよね。
宇田 そうですね。ほんとはもっと引っ込んでいたいんですけど、あそこしか座る場所がなくて。
橋本 著書『すこし広くなった』に、耳栓の話が出てきますよね。「耳栓をして店番をしている。いつもではないけれど」と。それを読んで、もしかしたら僕がお店にお邪魔したときも、もしかしたら耳栓してたことがあったのかな、と。
宇田 ああ、でも、「今、耳栓とったな」と気づいたことはないんですね?
橋本 ないです、ないです。
宇田 橋本さんが来たときに、耳栓をしてたことがあったかどうかはおぼえてないですけど、公設市場の工事中はかなり耳栓をしてたんです。耳栓をつけて店に座っているだなんて、よくないことだと思っているから、書くことに抵抗もあったんですけど、「これは自分の身を守るためだから」と正当化して、耳栓をしてました。
橋本 耳栓をしたきっかけは、もちろん工事の音から耳を守るためもあると思うんですけど、それは市場の喧騒から身を守るという側面もあったわけですよね。そのエッセイで宇田さんは、「年々観光客が増えつづけ、どやどやと店に入ってきては一瞬で出ていったり、勝手に写真を撮られたりするのに疲れてしまった」と書かれていて。これはもう、あらゆる観光地で起きていることだと思うんですよね。観光客がお店を休憩室かなにかと勘違いしたかのように振る舞ったり、勝手に店内を写真に撮ったり、目に余る振る舞いをする人たちがいるな、と。それに対して、耳栓をして防御をすることもできるんだな、と。
宇田 勝手に写真を撮られるのは、本当に嫌なんです。他の店だったら外観が写るだけかもしれないけど、私の店では私自身が写りこんでしまうので。なかには三脚を構えてこっちを狙ってくる人もいます。そんな、怖いじゃないですか。それで、「写真はちょっと」と言いに行くと、「あっ、そうですか」って、思いもよらなかったみたいな反応が多いんですよね。あの場所をテーマパークだと思っているから、どこにカメラを向けてもいいと思っているんでしょうね。だから、動物園みたいだなって、ずっと思ってたんです。私たちは人間と思われてないんだろうな、と。
自分が見たものを書きたい、それだけです
橋本 新刊のなかに、「シャッター通り」という文章が収められてますけど、これは2020年12月ごろの『ビックコミックオリジナル』が初出のコラムですよね。当時、リアルタイムでこの文章を読んで、すごくハッとさせられたんです。コロナ禍になって、シャッターを下ろしたままのお店が増えたときに、その景色を「シャッター通り」と形容する人も出てきたけど、シャッターが下りたままだからといって、閉店してしまったわけではないんだ、と。シャッターの向こうでは、お店の人が何か作業をしているかもしれないのに、表面だけを見て「シャッター通り」と形容されることへの違和感を、そこで宇田さんは書かれていて。ただ、たまたま通りかかった観光客がその光景を目にしたら、「ああ、ここはもうシャッター通りなんだ」と思うでしょうし、地元の人でもそう思ってしまうかもしれなくて、シャッターの向こう側まで想像することってなかなか難しいことだと思うんですよね。その文章を読みながら、どうすれば人はその想像力を持てるんだろうかと考えさせられました。
宇田 その時期は皆、コロナで店を閉めていて、私もその風景を見てショックだったんです。こんなにシャッターが下りているマチグヮーは初めて見たなと思ったんですけど、よく見たら「工場は稼働してます」とか「配達はやってます」とかって貼り紙があったんです。なかにはその機会に改装工事をやっているお店もあって、皆、働いてるんだなと思えたんです。せっかく沖縄に旅行に来たのに、どこも閉まっていたら「シャッター通りになっちゃったんだ」と思われるのも仕方ないとは思うんですけど、今は閉まっているとしても、実は数分前まで開いてたってこともありえますよね。それはいくら発信しても伝わらないことだと思うんですけど、それをすこしでも想像してもらえたらと思って書いたんです。
橋本 僕が『観光地ぶらり』を書こうと思ったのは、今の観光のありかたに違和感をおぼえていたから、というのも大きかったんです。もうちょっと違う形の観光が広がっていかないことには、世界は全部テーマパークになってしまうんじゃないか、と。宇田さんの新刊であれば、公設市場の建て替えと、それに付随して生じたアーケードの再整備という大きな問題があって、その状況下の日々を言葉にしてこられたわけですよね。宇田さんは今、文章を書いて発信することに、どんなことを感じているんですか?
宇田 私はあんまり、明確なメッセージはないんですね。今回の本も、「これはどんな本ですか?」と聞かれても、「店番をしながら書きました」としか言えなくて。さっきの「シャッター通り」に関しては、私にしては珍しくメッセージがありましたし、この本を書いた期間には、市場の建て替えやコロナの流行があって、いろんな状況が変化して、言いたいことが増えた時期ではあったんです。でも、それも、「ここからはこう見えてるけど、どうですか」というぐらいのことなんです。別に何かを変えようって気持ちはなくて、読んだ人が何かを感じてくれたらいいな、と。その場所にいる人にしか見えないものがあると思っているので、私は自分が見たものを書きたい。それだけです。