酒場と生活
第15回

立石「ゑびす屋食堂」の「生揚げ煮」

暮らし
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東京屈指の酒場の聖地、立石を久しぶりに訪れた。近年、酒飲みのあいだで立石の再開発の話は気になるトピックスだ。駅に着いたときにはとても驚いた。北口一帯が、見渡す限り広大な空き地になってしまっていたのだ。偶然初めて入った食堂で短い時間を過ごした。あらためて立石の懐の深さを思い知ったのだった。

とある媒体で、飲み友達でありライターのスズキナオさんと僕のふたりが酒場に関する取材を受けることになった。

ありがたいことに“実際にお酒を飲みながらざっくばらんに”ということで、先方が指定してくださったのが、東京屈指の酒場の聖地、立石にある「東邦酒場」という店。ここも驚くべき名店だったんだけど、その紹介は取材記事にゆずることにするとして、その前にふたりで立ち寄った「ゑびす屋食堂」という店がこれまた良すぎ、短い滞在時間ながら、あらためて立石の懐の深さを思い知ったのだった。

近年、酒飲みのあいだで立石の再開発の話は気になるトピックスだ。僕もずっと様子を見にいきたいと思いつつ、しばらく訪れられないでいたので、駅に着いたときにはとても驚いた。街のシンボルでもあった「呑んべ横丁」や有名店の「鳥房」などがあった北口一帯が、見渡す限り広大な空き地になってしまっていたのだ。まるでそこに古き良き酒場たちがひしめいていたことが幻のように。

「立石仲見世商店街」がある南口側はまだもとのままで、もつ焼きの「宇ち多゛」の前の大行列が見えたときはなんだか安心したが、この風景だっていつまで見られるか。

ところでナオさんと、せっかくの立石だから、取材の前に打ち合わせがてら軽く一杯、どこかで飲みたいですね、という話をしていた。面目なくも僕が待ち合わせ時間に少し遅れてしまい、駅近くで連絡して合流すると、しばらく街を散策していたナオさんが「おもしろいものを見つけましたよ」と言う。それは、商店街の古い靴屋さんの店頭にあった「立石地元ガチャ」なるものだった。

立石を代表する名店や、なくなってしまった店、さらに呑んべ横丁などが精巧に描かれた木製のキーホルダーで、好きな店のものもある。当然やってみると、出てきたのが「ゑびす屋食堂」という店がモチーフのものだった。正直、知らない店だ。が、靴屋の店主さんに聞いてみると、すぐ近くにある店で、営業時間中であるらしい。これもなにかの縁と、ふたりで行ってみることにした。

たどり着いたえゑびす屋食堂が、あまりにもイラストのままでなんだか嬉しい。洋食も和食もひととおりある街の大衆食堂といった雰囲気で、酒も飲めそうだ。からりと戸を開けると、L字カウンターにも、小上がりのテーブル席にも、昼間から飲んでいるお客さんばかりで、さすが立石とまた嬉しくなってしまった。

定食は「ハムエッグ」の560円が最安で、最高級品の「うな丼」が、なんと1020円。刺身に肉にフライにと、バリエーションも豊富だ。さらに驚いたのがつまみになりそうな一品料理の多さで、

「豚レバカツ」(340円)、「紅鮭ハラス」(370円)、「にんにく丸揚げ」(290円)、「煮穴子やな川」(450円)、「ウインナー炒め」(290円)、「湯どうふ」(400円)、「くじらさしみ」(390円)、「あさり玉子とじ」(340円)などなど、気になるものをあげだすときりがないし、どれもこれも安い。

このあとに本番があるので慎重に吟味しつつ、「生揚げ煮」(270円)、「春菊おひたし」(200円)、「いわしさしみ」(390円)を注文。酒は、「焼酎ハイボール」(300円、以上税込)をお願いした。

お店は、女将さんと呼ぶには若いようなお姉さんがひとりで切り盛りされている。寡黙で、過剰に愛想をふりまくタイプではないが、大量の注文をてきぱきとさばいてゆく姿に見惚れる。

チューハイは、グラスにたっぷりの焼酎と瓶の炭酸水が出てきて自分で割るタイプで、油断して飲んでいるとすぐに潰されてしまいそうなストロングスタイル。グラスにトクトクと両方を注いでぐいっとやる、一連の動きも含めてうまい。

三角形の厚揚げに甘辛い味が染みた生揚げ煮が、いきなりいい。ナオさんと、こういうものがいちばんうまいですよね、と、何度も言い合う。春菊のおひたしも、しゃきしゃきとして味と香りがものすごく濃く、ちょっと衝撃的なレベルだ。追い討ちをかけられたのがいわしの刺身で、透明感があって見るからに脂ののった厚切りが8切れ。高級和食店なら何倍の値段になるんだろうという逸品で、口のなかでとろりととろける食感がたまらない。

帰り際のお会計時、お店のお姉さんに「地元ガチャでこのお店が出ましたよ」と何気なく伝えたら、その日初めての笑顔を見せてくれた。ゑびす屋食堂、酒場の絶対数が多すぎる立石だから、失礼ながらこの日に初めて存在を知った店だったが、次からは毎回寄りたいくらいに好きになってしまった。こういう出会いがまだまだいくらでもあるんだろうから、やっぱり立石はすごい街だ。できるだけ末永く、こういう個人経営の名店が残ってくれることを願うばかり。

*       *       *

『酒場と生活』毎月第1・3木曜更新。次回第16回は2025年1月23日(木)17時公開予定です。

筆者について

パリッコ

1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。酒好きが高じ、2000年代より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター、スズキナオとのユニット「酒の穴」名義をはじめ、共著も多数。

  1. 第1回 : 秋津「もつ家」の「モツ煮込み」
  2. 第2回 : 大泉学園「あっけし」の「火の鳥」
  3. 第3回 : 西荻窪「をかしや」の「練り切り」
  4. 第4回 : 赤坂「赤ちょうちん ぶらり」の「角こんにゃく」
  5. 第5回 : 新宿「モモタイ」の「ミニカオマンガイ」
  6. 第6回 : 池袋「梟小路」の「天ぷらそば」
  7. 第7回  : 上井草「やしん坊」の「馬さし」
  8. 第8回 : 大阪・鶴橋「よあけ食堂」の「エビエッグ」
  9. 第9回 : 京都・西大路御池「髙木与三右衛門商店」の「国産牛モモビフカツ」
  10. 第10回 : 大阪・新大阪「松葉」の「串かつ」
  11. 第11回 : 大門「ときそば」の「辻がそば」
  12. 第12回 : 荻窪「カッパ」の「ゾートゥー」
  13. 第13回 : 三軒茶屋「ebian」の「メンチ」
  14. 第14回 : 和光市「濱松屋」の「肉汁ハンバーグ」
  15. 第15回 : 立石「ゑびす屋食堂」の「生揚げ煮」
連載「酒場と生活」
  1. 第1回 : 秋津「もつ家」の「モツ煮込み」
  2. 第2回 : 大泉学園「あっけし」の「火の鳥」
  3. 第3回 : 西荻窪「をかしや」の「練り切り」
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