吉祥寺には流行の最先端の飲食店は多いが、場末好きの酒飲みにちょうどいい大衆酒場、特に昼飲みできるお店はあまり多くはない。老舗の名焼鳥店「いせや」のほかにもうひとつ、昼から飲める天国とも言える店がある。小さな入り口から地下のフロアへと下りてゆくと、そこには想像できない、巨大なビアホール空間が広がっていた。
吉祥寺といえば、東京で住みたい街ランクング上位常連の街。流行最先端の飲食店ならば無数にある。が、僕のような場末好きの酒飲みにちょうどいい大衆酒場がたくさんあるかというと、実はそうでもない傾向にあり、昼飲みともなるとなおさら。おのずと、老舗の名焼鳥店「いせや」一択になってしまいそうになるが、ちょっと待ってほしい。吉祥寺にはもうひとつ、昼から飲める天国とも言える店「戎(えびす)ビアホール」があるのだ。
戎ビアホールは、かつてかの名門「銀座ライオン」だった店舗を、西荻窪を代表する大衆酒場グループ「戎」が居抜きで受け継ぎ営業している店。ゆえに、小さな入り口から地下のフロアへと下りてゆくと、入口のこぢんまりとした佇まいからは想像できない、巨大なビアホール空間が広がっている。ひとり客向けのカウンター席も、テーブル席も、さらには畳敷きの座敷席も潤沢で、100人以上の宴会も頻繁に行われているのだとか。
午前11時からの通し営業だから、昼から夜までいつでも飲める。当然、種類豊富なソーセージ類やピザなどのビアホール的つまみもあるけれど、それだけじゃないところがこの店のすごいところ。刺身類に、ハムカツやポテトフライなどの揚物に、焼鳥、やきとん、串天ぷら、粉もの、ごはんもの、季節もの、一品料理の数々など、一般的な居酒屋と比べても品数とバリエーションがはるかに多いくらいだ。西荻戎の名物である「イワシコロッケ」が、実はここでも食べられるのも嬉しい。
注目すべき点はさらにあって、開店から午後4時まで提供されるランチメニュー。これが充実しすぎている。ラインナップは日替わりで、前回僕が訪れた日を例にとると、全12種類。すべて書き出してしまうと、こうだ。
・豚生姜焼とエビフライナポリタン(税込700円)
・とんかつとロースハムステーキニラ玉(800円)
・チーズオムレツと牛ミートコロッケ(900円)
・豚キムチ豆腐丼(500円)
・サラダランチ イベリコロースのとんてき(1,000円)
・赤魚粕漬け焼きと漬けマグロ シラスのせごはん(900円)
・銀ダラ煮付け定食(1,380円)
・生カキフライ定食(1,280円)
・お刺身定食 マグロ・メダイ・甘海老(1,380円)
・海鮮丼(1,680円)
・和牛サーロインステーキ定食(2,180円)
この幅広さとリーズナブルさ。もはやここ以外のどこでランチを食べるんだと思わされてしまうような、有無を言わさぬ説得力がある。
なかでも僕のお気に入りは、メニューのなかに何気なく混ざっている「サラダランチ」。日替わりのメインのおかずと、少しの雑穀米。それから、それぞれていねいに下ごしらえされた、たっぷりの野菜がどさっとメインに盛られ、それを、塩昆布がひたされたオリーブオイルと塩コショウで食べる。野菜たちは頼むたびにときめいてしまうほどカラフルで新鮮。炭水化物が少なめだから、いい酒のつまみにもなる。戎ビアホールのサラダランチこそ間違いなく、吉祥寺が誇る宝のひとつと言えるだろう。
とはいえ、酒類のメニューも含めて幅広いので、さまざまな過ごしかた、楽しみかたができるのがここの良いところ。先日も、昼下がりの空き時間にふらりと訪れ、充実の時間を過ごさせてもらった。
カウンター席につき、まずはせっかくなので「サッポロ黒ラベル 中ジョッキ」(740円)からスタート。ちなみにここのアルコール最安メニューは「トリスハイボール」(190円)なので、ケチくさいことに、いきなりそれから始めることももちろんある。とにかく自由な店なのだ。
さっそくぐいっとビアホールクオリティの生ビールをのどに流しこみ、メニューを吟味。この時間が楽しい。すると嬉しいことに、日替わりの手書きおつまみメニューに「三浦のたくあん」(180円)を発見。以前三浦半島に取材に行った際、三浦海岸の砂浜に見渡す限り大根が干してあり、近くの直売所でおみやげに買って帰って以来大好物だ。それと、季節のおすすめメニューから「甘海老と帆立のカルパッチョ」(500円)。さらに、名物のひとつでありながらまだ食べたことのない「エルビスサンド」(500円)を、今日は頼んでみることにしよう。
三浦のたくあん、肉厚な食べごたえと力強い甘みがやっぱりうまい。これが180円とは、輸送費の元すらとれていないのではと心配になるレベルだ。カルパッチョも、この値段にして甘海老とほたてが4つずつ。たっぷりのオリーブオイルと、仕上げに炙りを入れてあるゆえの香ばしい風味がたまらない。
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エルビスサンドがまた、非常におもしろい一品だ。基本はトーストサンドで、そこに焼きバナナとベーコンと、甘くないピーナツバターが挟んである。その名のとおり、エルビス・プレスリーの母親、グラディスが考案した料理で、エルビスの好物として知られているメニューなのだとか。
熱されてとろとろになったバナナのフルーティさと、ピーナツバターのコクと香り、そして塩気の利いたベーコンが、さくさくと香ばしいトーストに挟まれ、最初は不思議に感じるが、すぐにクセになりはじめる。甘じょっぱさ、濃厚さの局地というか。これはビールがなくなり、おかわりしたトリスハイボールのすっきり感とより合うような気がする。
それにしてもこの珍しきメニューが戎ビアホールにあるのはなぜなんだろう? は、まさか、“えびす”と“エルビス”がかかっている? いやいや、そこまで言うほどかかってはいないよな……。
とにかく、吉祥寺で飲む店に困ったら頼りになりすぎる店。これからも、ランチに宴会にと、頻繁に寄らせてもらうことになるだろう。
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『酒場と生活』毎月第1・3木曜更新。次回第18回は2025年2月20日(木)17時公開予定です。
筆者について
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。酒好きが高じ、2000年代より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター、スズキナオとのユニット「酒の穴」名義をはじめ、共著も多数。