穂先メンマの墓の下で

ここは、おしまいの地 暮らし
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何もない“おしまいの地”に生まれた著者・こだまの、“ちょっと変わった”人生のかけらを集めた自伝的エッセイ集「おしまいの地」シリーズ。『ここは、おしまいの地』『いまだ、おしまいの地』に続く三部作の完結編『ずっと、おしまいの地』が、2022年8月23日に発売されました!
最新刊発売を記念して、「おしまいの地」シリーズ第1作目となる『ここは、おしまいの地』から珠玉のエピソード6作品を特別に公開します。
今回は、妹たちについて。

子供のころに住んでいた一戸建てはアル中の叔父が設計した。

アル中ゆえの判断力の鈍さか、あるいは被害妄想がそうさせたのか、家の中には奇妙な仕掛けがいくつもあった。

曲者から身を隠せる三角形の小部屋。敵に襲われないためなのか、広い空間に便器がぽつんとある奇妙なトイレ。増築に増築を重ねた忍者屋敷のような一階。床板が薄く、いまにも抜け落ちそうな二階。

中でも異様なのは階段だ。思わず足がすくむような一直線の急勾配で、そこに大統領を出迎えるようなまばゆいレッドカーペットが敷かれていた。

アル中のセンス、まったくわからない。そんな奇妙な家で育った。

私には妹がふたりいる。

いまでこそ同世代の友人のように服を交換したり、旅に出たりする仲だが、子供のころはかなり険悪だった。

人を見れば顔を背けて逃げ出す内向的な私とは違い、妹たちは誰とでも仲良くなれる明るい性格だった。そして、姉の私から見ても可愛らしい顔立ちをしていた。「お姉ちゃんだけ似てないね」と比較されることも多かった。百歩譲って、それぞれに良さがあるという意味にも取れるが、当時の私は内面と外見の醜さを指摘されているような気持ちになった。
 

私は小4のとき、3つ年下の妹カナ子をレッドカーペットの階段から蹴り落とした。階段のそばで段ボール箱に入って遊ぶカナ子を見ているうちに、「ここから落ちるところを見てみたい」という単純な好奇心と、知らず知らずのうちに募らせていた嫉妬、その両方が湧いてきた。

箱に入った妹に「いまからジェットコースターに乗せてあげる」と言い、「さん、にい、いち、ゼロ」のカウントダウンで箱をぐいと蹴り落とした。かかとにカナ子の重みを感じた。箱は、こくんと前方に傾いたのち、瞬く間にごろんと弾みをつけて一回転し、カナ子を振り落とした。小さな身体はぐるんと前転し、先に箱が、続いてカナ子の身体が、突き当たりの壁にドスンと大きな音を立ててぶつかった。

とんでもないことをしてしまった。ソリや滑り台のようにはいかないのだ。私は頭から冷水を浴びせられたように硬直した。

「大丈夫?」

頭を押さえてうずくまるカナ子に、おそるおそる声を掛けた。

「お母さんに全部言ってやる」

カナ子はキッとこちらを睨みつけると、涙がこぼれていないのに突然スイッチが入ったかのようにわんわんと声を張り上げて、母の下へ向かった。

いま意外と大丈夫だったでしょ。普通に喋ったじゃない。

当然「こんなひどいことをする子だとは思わなかった。やり方が陰湿だ」と横殴りの雨のような激しいビンタを食らった。

手を上げる母の背後から、ちらりと顔を覗かせたカナ子の口が「ざまあみろ」と動くのが見えた。心配して損した。これくらいで泣いてたまるか。いっこうに反省の色が見えない私に、母のビンタがさらに炸裂した。
 

もうひとりの妹、末っ子のユカ子にもひどいことをしている。

集落ではたびたび熊が出没し、畑の作物を荒らしていた。学校は集団での登下校が日常で、幼いユカ子が友達の家や習い事に通うときは、私かカナ子が送り迎えをするよう母に頼まれていた。

あるとき、私が習字教室まで迎えに行くと、ユカ子が玄関に座り込み、なかなか一緒に帰ろうとしなかった。

陽が沈みかけていた。

「暗くなるから早くして」

「お姉ちゃんはダサいからヤダ。今度からカナちゃんに迎えに来てほしい」

言われ放題だった。

「熊に食われろ」

私はユカ子を置いて全速力で走り出した。妹なんて面倒だ。人間ぜんぶ面倒だ。みんな熊に食われればいい。

背後からユカ子の泣き声が聞こえたが、かまわず走り続けた。
 

ふたりをほとんど可愛がらないまま高校を卒業し、実家を離れた。怒鳴り散らす母、何かと気に障る妹、家畜と熊とヤンキーが幅を利かせる集落。そんな煩わしいものだらけの故郷を出て、地方都市でひとり暮らしを始めた。

家を出て気が付いた。自分はとても小さな枠の中で生きていたこと。家族や顔見知りの評価がすべてで、そこから外れてしまう私は救いようのない人間だと思い込んでいたこと。誰かと比べて落ち込んだり、いい気になったりすることに意味などないこと。この世には卑屈で陰気なままの私を好きになってくれる人もいるということ。

何にも縛られずに生きていい。無理やり明るく振舞う必要なんてない。

外の世界は想像した以上に居心地が良く、大学時代はほとんど故郷に帰らなかった。社会人となり、久しぶりに実家へ戻ったとき、カナ子はすでに資格を取って働いており、ユカ子は高校生になっていた。

数年のうちに、ふたりの妹はすっかり大人になっていた。人並みとまで言えないが、私も少しは社交術を身に付けていた。お互い罵り合うこともないし、おかしな嫉妬に駆られることもない。家族と距離を置いたことが良かったのかもしれない。
 

険悪だった子供時代が嘘のように、時間を見つけては共に行動するようになった。同じ目線で話し、くだらない番組を見て笑い転げる。とても新鮮な感覚だった。お互いを粗末に扱うことなく、手を貸し合っている。

女友達とはこういうものなのだろうか。気兼ねなく誘い合い、美味しいものを食べたり、泊まりで遊びに出掛けたりする。そんな友達ができればいいなと思いつつも、どこか億劫で、学校や職場の人との関わりを避けてきた。

こんな身近にその相手がいたのだ。私は都合よく過去を葬り、年の離れた友人を得た気分になった。
 

昨年のお盆は3人で墓参りをした。

姉妹で車に乗って出かけるのは何年ぶりだろう。妹ふたりにもそれぞれ家庭があり、子供もいる。その忙しさから、最近では3人揃って出かける機会もなくなっていた。

みな独身のころのように身綺麗ではない。虫除けの大きな麦藁帽を被り、手には供花と線香。行き先は墓地なのに、気分は最高に盛り上がっていた。
 

我が家の墓は3年前に新調したばかり。精神状態が不安定だったのか、父はピンク色の墓石を選んだ。横長のピンクである。通常○○家之墓と書かれるポジションに大きく「やすらぎ」と彫ってある。説明する際、つい「やわらぎ」と言ってしまい、「それは桃屋の穂先メンマだ」と訂正されること数知れず。どことなく字体までメンマのラベルに似ている。もしかしてピンクの墓石は桃屋を意識したのだろうか。

地味な集落の、地味な墓地に、ひときわ浮いている穂先メンマを偏愛する墓。そこに祖父母と、生後まもなく病死した私たちの弟が安らかに眠っている。
 

庭に咲く赤い大輪のダリアを墓前に供えた。祖母が好きだった花だ。

私は前々から考えていたことを口にした。

「お願いがあるんだけど。私が死んだらこのお墓に入れてほしい」

「姉さん、もう死ぬこと考えてんだ。さすが」

カナ子は妙に感心していた。

「老後のことなんて考えたこともないよ」

30代前半のユカ子も言う。

「嫁ぎ先のわけわかんない墓じゃなくて、ここにみんなで入れたらいいなあ」

声に出してみると、とても素晴らしい考えに思えた。父も母も夫も妹も、みんなで穂先メンマの墓の下に入るのだ。祖父母や顔も覚えていない弟と一緒に。
 

「お父さんとお母さんが死んだら、あの家どうする?」

話題は墓から家へと移った。

ふたりはすでに自分の家を持っている。借家暮らしの私は「じゃあ、住もうかな」と言ってみた。これもまた口に出してみると素晴らしい考えに思えた。

家と広い庭と墓を守って穏やかに暮らす。そこに妹やその家族が集う。かつてあんなに忌み嫌っていた妹、一刻も早く飛び出したかった家、集落。そんな故郷に戻り、のんびり暮らす老いた私と夫を想像してみた。

悪くない。全然悪くない。

「寝たきりの姉さんを介護して、畑耕して、春にはイチゴ摘んでさ」

「夏も姉さんの介護をしつつ、ハウスの野菜を収穫して」

「冬も姉さんが寝たきりだから交代で雪かきしないと」

妹たちは好き勝手に言っている。私は1年を通して寝たきりという設定らしい。

寝床から眺める庭はどんな感じだろう。
 

「姉さんを火葬したら骨と一緒に手術のときのネジが3本出てくるんでしょ? そんなの絶対笑う。耐えらんない」

カナ子が憎らしい顔で言った。

「きっと奪い合いになるよ。先着3名様」

ユカ子も嬉しそうだ。

私が庭の未来に思いを馳せているあいだ、ふたりは私が死ぬ話で盛り上がっていた。

お宝を掘り起こすように、我先にと灰をかき分ける夫とカナ子とユカ子、そしてその子供たち。不謹慎さを愉しむ姿がありありと目に浮かぶ。

これならいつでも死ねる。

そう安心しかけたときカナ子がぽつりと漏らした。

「でも私たち、むかし姉さんに殺されかけたこと忘れてないからね」

私の生死はふたりの手中にある。

(初出:「穂先メンマの墓の下で」(2016年)『クイック・ジャパン』連載)

* * *

本書では他にも、中学の卒業文集で「早死しそうな人」「秘密の多そうな人」ランキングで1位を獲得したこと、「臭すぎる新居」での夫との生活についてなど、クスッと笑えたり、心にじんわりと染みるエピソードが多数掲載されています。
また、こだまさんの最新刊『ずっと、おしまいの地』は絶賛発売中! ぽつんといる白鳥が目印です。

筆者について

こだま

エッセイスト、作家。デビュー作『夫のちんぽが入らない』でYahoo!検索大賞を2年連続で受賞(第3回、第4回)、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。ほか『いまだ、おしまいの地』、『縁もゆかりもあったのだ』など。

  1. 父、はじめてのおつかい
  2. ここは、おしまいの地
  3. 金髪の豚
  4. モンシロチョウを棄てた街で
  5. 穂先メンマの墓の下で
『ここは、おしまいの地』試し読み記事
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