ここのところ誕生日はいつもできるだけ自分の年に向き合わずにきた。しかし、昨年末からどうも気持ちが晴れない日々が続き、今年はどこかに出掛けて美味しいものでも食べないとやっていられない気持ちだった。6年前に一度行った丹波篠山を思い出した。久々に行って、美味しい白菜が食べられたらもうそれでいいと思った。
最近、そんなふうに心待ちにして先の日を迎えるようなことがなかった
年が明けたと思ったらあっというまに自分の誕生日が近づいてきた。それが1月末だった。40代も半ばになり、めでたいという気持ちよりまた年をとってしまうことへの息苦しさのほうが勝ってきて、ここ数年、自分の誕生日は薄目で見るようにしてやり過ごしてきた。「はいはい、そういえば今日はそういう日だったね」ぐらいで、何もなくていい。いつもよりチューハイを1杯多く飲むとか、そんなことだけを自分に許して、あとはできるだけ向き合わないようにしてきた。
それが今年は違って……というか、昨年末からどうも気持ちが晴れない日々が続き、1泊2日でいいから、どこかに出掛けて美味しいものでも食べないとやっていられないと思ったのだった。また、昨年の夏頃に出た本の印税が年明けにやっと振り込まれ、それでにわかに気が大きくなったのもある。
ふと思い出したのが丹波篠山(たんばささやま)のことだった。兵庫県の、神戸のずっと北の、京都府の京丹波町とも隣接する地域で、山に囲まれた盆地である。6年前に一度行ったことがあり、篠山城の城跡の周りに古い町並みが残っていて、そこをぼーっと歩いた記憶がある。そのとき、酒を飲みながらの夕食に何気なく食べた野菜がやたらと美味しくて驚いた。駅の近くの売店で野菜が売られていて、白菜をひと玉、買って帰って食べたらそれもびっくりするほど美味しかった。
山が近くて、きっと水もいいのだろう。丹波篠山は昔から酒造りがさかんに行われてきた土地でもある。盆地だから昼夜の寒暖差が大きく、それも旨味のある野菜を育てる要素だと聞いた。私の住む大阪市内のスーパーに行けば日本各地の食材が集まっているが、やっぱりその場に行って味わった方が美味しいものがいくらでもあるんだなと、その旅のことを、というかあの野菜の旨さを、たまに思い出した。
その丹波篠山に久々に行って、美味しい白菜が食べられたらもうそれでいいと思った。誕生日に便乗して、そういう贅沢をしてみてもいいのでは、と。現地の飲食店を検索してみていたら「いわや」という店の「ぼたん鍋」が気になった。丹波篠山で狩られたイノシシ肉を、自家製の味噌を下地にした出汁で食べさせてくれるという。囲炉裏の席の雰囲気もよさそうだったし、使っている野菜の多くは自分の畑で収穫したもので、使う米もその店の田んぼで育てているという、そのこだわりからしてきっと旨いに違いない。
予約がなかなか取れない店らしかったが、幸い私は平日でも時間を作れる仕事をしていて(とはいえ、滞っている仕事がとても多く、のん気なことをしている場合ではないのだが)、昼の時間、奇跡のようにそこだけ空いていた席を予約することができた。午前11時半からの席ということで、前日から丹波篠山に行って1泊し、その鍋を食べて帰って来ることにした。
そうと決まると楽しみになってきた。最近、そんなふうに心待ちにして先の日を迎えるようなことがなかったような気がして、誕生日が楽しみだというのはいいものだと思えた。
やっとその日が来て、昼、大阪駅から電車に乗る。篠山口という駅へ向かう鈍行電車で、それに乗っていけば1時間ちょっとで丹波篠山に着く。まあ、篠山口駅からの交通の便は少し不便で、バスに乗らないと城跡の周辺の街並みまでたどり着けないし、今夜の宿も明日の「いわや」もタクシーで行くしかない距離にあるのだったが、それぐらいは仕方ない。
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地の野菜を使ったレストランでお昼ご飯を食べ、6年前の記憶を薄っすらと思い出しながら城跡のある辺りを歩き、その日は早めに宿に向かうことにした。
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宿には他の宿泊客の姿がほとんどなく、静かだった。予想外に大きな建物で、大浴場がちゃんとあって、露天風呂まであった。部屋に荷物を置くなりすぐにお風呂へ向かう。外気の寒さに震え、飛び込むようにして入った露天風呂から外を眺める。日が落ちたばかりで、空にはまだ明るさが残っていた。
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正面には囲いがあるが、視線を少し上に向けると空があり、視界の端には背の高い木立が見える。その上方の視界も完全にオープンというわけではなく、建物のいちばん外側の横長の枠を3本の太い柱が区切っていて、それによって4枚の屏風絵が並んでいるように見えなくもない。屏風絵といっても、その絵は外の景色だから、雲がゆっくり流れていく。
その枠の中の雲の動きをぼーっと見上げながら風呂に長く浸かっていた。外が寒いからか、湯温がぬるめになっていて、それゆえに長く入っていられた。向かって右から左に向かって雲が流れていく。複雑な形の雲がいくつも重なりあっているなかに、ひとつ、ちょうど球のような形をした雲があって、その動きを追いかけてみることにした。右から左へ、ゆっくりと、だが確実に動いていく球は枠の中で徐々に形を変え、周囲の雲に飲み込まれ、溶け合い、形を失った。自分の命もそんなものであるように思えた。さっきまで確かに独立した球として認識できたものが、今はもう他と見分けがつかない、全体になっている。そしてまた、右からは別の形をした雲が、枠の中へと現れてくる。
この自分の形で生きているのは今だけのことで、すぐにその形はなくなり、溶け合っていくのだろう。留めようもなく、雲の形は変わっていく。次から次にまた新しいものが生まれ、それもまた最終的には溶け合っていくのだ。
そう思って露天風呂に浸かっていると、死ぬのがそんなに怖くないような気がした。というか、むしろ、今この自分の形でいることのほうがなんだか特殊な状態過ぎて、なんだか面倒くさい。早く全体になりたい。
お風呂を出て、部屋に戻って、その日はその日で贅沢な夕飯を食べて、また風呂に入った。相変わらず貸し切り状態。目の前はもう真っ暗な夜で、夕方に感じたようなことはもう遠くなっていた。
46歳までなんとか生きた。今、ここにいて、旨い。
翌朝、早く目覚め、やけに寒いと思ってカーテンを少し開けると外が白かった。積もっているというほどではないが、細かい雪が降っていて、眼下に白い広がりがある。「今、風呂場に行けば雪見風呂だぞ」と、こういうときは行動的になれる。寒さに身をよじりつつも部屋の外へ出て、無人の大浴場へ。昨日の夕方に眺めた枠の向こうを、雪が上から下へ落ちていく。「えーと、こういう場合は、どれが命ってことになるんだ?」と、何もかも生や死に結び付けたいモードになっているからバカバカしい。ただ、空から雪が落ち続ける様は、見飽きることがなかった。
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難しいのが、朝食をどうするかだった。11時半から「いわや」で待望の「ぼたん鍋」を食べる予定だ。そのときにお腹いっぱいで全然美味しく感じられない、というようなことになったら悲しい。しかし、私の宿泊プランには朝食がセットでついていて、しかも宿泊客が少ないからだろうか、よくホテルの朝食にあるようなビュッフェ形式ではなく、ひとり一膳、ちゃんと用意されているスタイルらしかった。「いりません」とホテルの方にあらかじめ言えばよかったのかもしれないが、昨夜からもうお腹は減っていて、全然「いる」。
それで結局、朝食もすっかり全部美味しくいただき、ただ、8時にはもう食べ終えたから部屋に戻ってチェックアウト時間まで二度寝することができ、だいぶお腹が落ち着いた気がした。
10時にチェックアウトをして、ホテルの周りを少し散歩して、タクシーを呼んだ。運転手さんに行き先を告げると「『いわや』ですかー、いいですね! あそこは人気の店ですよ」と、そこからはじまって色々と話を聞かせてくれた。運転手さんは九州の出身で今は72歳で、大阪でずっと会社員をしていたけど、南海トラフ地震が近いうちに発生するかもしれないという大阪から離れることにして、家族みんなで丹波篠山に移住した。車の運転はまったく苦ではないからタクシー運転手のお仕事はありがたくて、お正月には自分の車で九州まで里帰りした。10時間ぐらいで着いたという。丹波篠山に引っ越して本当によかった。自然が豊かで静かで、朝晩は冷えるけどそのかわり食べ物は旨い。
タクシーは茅葺き屋根の建物の見える場所で停車した。その建物が「いわや」で、名前を告げて中に通してもらうと、建物内の広い敷地のあちこちに囲炉裏があって、すでにお客さんがたくさんいる。6人ほどのグループで宴会をしている方々もいる。
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「ぼたん鍋」のコースを予約してあるから、すぐにイノシシ肉と野菜が運ばれてくる。お客の一人ひとりに毛布が貸し出されるほど足元は冷えるが、囲炉裏の炭火に手をかざすとだいぶ暖かい。瓶ビールを注文し、まずは鍋の中に肉と山の芋と大根を全部入れて蓋をする。ひと煮立ちしたら野菜類を半分入れ、もう1回煮立ったら食べ頃だという。
今か今かとできあがりを待った。まずはイノシシ肉を食べてみる。なんと綺麗な味だろう。お肉には脂身もついているのだが、鍋の中に溶け出しているのか、脂っこい感じはまったくない。次に白菜を食べてみる。鍋に入れる前、すでに見るからに張りのある美味しそうな白菜だった。白い芯の部分をゆっくりと嚙んでみる。ああ、こんなに旨いのか。あまりに美味しくて涙で視界がぼんやりする。噛むごとに甘みが湧き出してきて、また涙が出る。
しめじもやけに味が濃い。いつもスーパーで買って食べているものとの違いを知る。山の芋がまたすごい。丹波篠山の名産品で、街の八百屋の軒先にも並んでいた。ゴツゴツした岩のような武骨な形をしていて、山芋のようにすりおろしてとろろにしたりもするらしい。この「いわや」では、サイコロ状に切ったのを鍋にそのまま入れて煮る。そのホクホクした食感と濃厚な風味たるや……。大地の恵みそのものという味わいで、これもまた泣かずにはいられない。丸めたティッシュで何度も目尻を拭きながら食べ進んだ。また肉に戻り、白菜を食べ、今度は白菜と肉を一緒に食べてみたりして、丹波篠山まで来て本当によかったと思う。
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味噌出汁の味付けが絶妙なのか、まったく食べ飽きたり、食べ疲れることがないから不思議だ。鍋に入れる前は結構な量だと思った野菜の残り半分も鍋に入れ、割とハイペースに食べてしまって、最後は締めの「玉子のせご飯」を残すのみとなった。
鍋の中身がそろそろ空になるというところでお店の方が玉子とご飯を運んできてくれる。玉子を割って鍋の中に落とし、かき混ぜずに蓋をする。好みの茹で具合に仕上げたものを出汁と一緒におたまで掬い、お店の田んぼで育てたというご飯に乗せていただく。そうなるだろうとは思ったが、これも泣いてしまう。涙がぽろぽろ溢れる。46歳までなんとか生きた。今、ここにいて、旨い。
「これはまた来よう」と思う。予約して、電車に乗って、タクシーに乗って、多少のお金はかかるが、めちゃくちゃ高価というのでもない。年に1回なら行ける。春は山菜鍋があるそうだし、夏はすき焼きも食べられるらしい。来年、また来るぞ。
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部屋に花を飾ってみたいと思った
お店の方が呼んでくださったタクシーに乗って、河原町という場所へ向かう。城跡からも遠くない場所にある街で、古い商家が並ぶ通りらしい。昨日乗ったタクシーの運転手さんが「河原町がいいですよ。ここ何年かかけて工事して電柱をなくして、電線を地下に埋めたんですよ。いい街並みですよ」と教えてくれて、帰り際に寄っていこうと思っていたのだ。
車を降りて、ここも前に歩いたことがあると思い出した。ただ、6年前はその電柱の工事が行われる前だったようなので、ここまで昔ながらの景観ではなかったはずだ。入口の土産物屋で焼き栗を試食させてもらい、その旨味の余韻を感じながら歩く。
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しばらく歩いた場所に「ハクトヤ」という陶器のお店があって、ここにも来たことがあると思い出した。立派な古民家をそのまま使って、店内のそこらじゅう、隅々まで陶器が並べられている。階段を上がった2階にも、中庭にも器がある。日本各地の陶芸作家の手による器もあれば、アンティークもあり、海外の古い雑貨がぎっしりと並ぶ一角もある。
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聞くところによると、昨日は休みで、明日からは買い付けのための長期休暇に入るそうで、なんともいいタイミングで来たらしかった。じっくり店の中を見て回る。前回来たときは、その器の陳列ぶりに圧倒されてばかりだったが、今の自分はこの膨大な品物のなかから、何かを選び、買って帰ろうと思っている。自分へのお土産にしよう。
素朴な風合いの小皿にしようか、手に馴染む質感の急須もいいな、コーヒーカップもいい。沖縄のやちむんもいい。迷う。お店の中を何周もし、何周しても「あれ、こんなのあったっけ」と見落としていたものが見つかって、また迷う。器に疎く、相場がわからないが、この店に並んでいるのは手頃な価格のものばかりだと思う。とはいえ、自分の財布の中身を考えれば、慎重に選ばねばならない。
1時間ほど迷い続けた結果、一輪挿しをひとつ買うことにした。京都・山科(やましな)の上野敬子(うえの・けいこ)さんという方の作ったものらしく、荒野にぽつんと建っている小屋のような、不思議な存在感があると思った。普段、花を買うような生活をしていないが、これを機に、部屋に花を飾ってみたいと思った。お店の方が丁寧に梱包してくださったのをリュックの中に大事にしまい、店を出る。
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歩いてきた道を再び引き返し、さっき焼き栗を味見させてくれたお店をちらっとのぞくと、そこはそこでアンティークの食器やカトラリーなどを売っていて、ちょっとレトロな形をした一輪挿しが安く売られていて、それも買ってしまった。今までひとつも持っていなかった一輪挿しをいきなり1日にふたつも買ってしまった。まあ、そんなこともある。
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雲に覆われた空から雪がちらちらと降ってくる。どおりで寒いわけだ。もう少しだけ歩いて、売店で野菜を少しだけ買って、篠山口へ向かうバスに乗ろう。乗ってしまえば15分ほどで駅に着き、そこから大阪までは1時間ちょっと。
いつのまにか眠っていて、隣の男性に寄りかかってしまっていたのか、ぐいっと押し返されて目が覚めた。ちょうど電車が大阪駅に着くところだった。自分の部屋に戻り、買ってきた一輪挿しを机の上に置いてみた。旅先のお店にあったものが、今ここにあるのが不思議で、愛おしい。何度もその表面を撫でた。
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スズキナオ『今日までやらずに生きてきた』は毎月第2木曜日公開。次回第10回は3月13日(木)17時公開予定。
筆者について
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。