既に入院していても、別の病気が見つかることがある。それは脳卒中でも例外ではない。
ライター・三澤慶子が綴る、葛藤と失敗と発見の記録『夫が脳で倒れたら』。
今回は、本書第4章から一部ご紹介。リハビリテーション病院での入院中に担当医師からかかってきた電話。「緊急搬送」の言葉を聞いて、「再発」の文字が頭をよぎる――。
すぐに搬送できないという現実
「ご主人を救急搬送します。これから来ていただくことは可能ですか?」
主治医の四隅医師から電話がかかってきたのは、潮風リハビリテーション病院に入院してから約3カ月、息子たちが各学校ヘとハケた後の平日朝9時、仕事に出かける準備をしていたときだった。
すぐに準備をし病院に向かった。外はけっこうな雨だった。
病院のエントランスに入ると、いつもはまず、そのすぐ横にあるリハビリテーションルームにトドロッキーがいないかを確認するのだけれど、今トドロッキーがそれどころではないことは分かっている。
面会時間にはちょっと早い。受付で名前を伝えると、四隅医師に呼ばれて来ましたと言い添える前に「聞いてます。どうぞ」と面会証を渡してくれた。トドロッキーの緊急事態はスタッフ内で情報共有されていた。
トドロッキーの病室の階でエレベーターを降りると、目の前のスタッフステーションにいた看護師がすぐ声をかけてくれた。
「あ、いらっしゃった! おはようございます」
待たれていた。
「ご主人はまだ病室にいらっしゃいます」と看護師。
え? もうとっくに別の病院に救急搬送されていると思っていたから戸惑った。スタッフステーションでトドロッキーの経緯などを聞いて、すぐ搬送先に向かうことになっていたのだ。
「今、隣町総合病院に受け入れの打診をしてるんですけど、その連絡待ちなんです」
看護師の言った病院名は、四隅医師から聞いていたのとも違う。
「海横大学病院に受け入れ要請をしてるって聞いてたんですけど、変わったんですか?」
ここから歩いて5分程度のところに海横大学病院はある。
「そうなんです。すごく混んでるみたいで、今日」
「受け入れしてもらえなかったってことなんですか?」
「そうなんです。ただご主人、痛みは今少し落ち着いているようで」
「あ、そうなんですか?」
激痛がトドロッキーを襲っていると聞いていた。和らいでいるならとりあえず良かった。
「病室でお待ちください。先生を呼びますね」
看護師はそう言って内線の受話器を取った。
朝の電話で、四隅医師とはこんなやりとりをした。
「ご主人を救急搬送します。これから来ていただくことは可能ですか?」
「……えっと……それは」
脳梗塞の再発かと心臓が高鳴った。脳梗塞は再発率が高く、再発となれば既に負った麻痺とは違う麻痺が出現したり命を落としてしまう可能性もある。再発は最悪の事態だ。
「今朝、食事後になりますけど、激しい腹痛を訴えられまして、今も続いています」
「腹痛ですか?」
脳梗塞を示す体調変化の中で腹痛ってのは聞いたことがない。
「血圧の上昇はみられません。血液検査をしましたが、結果からも脳梗塞の再発ではないと思います」
良かった!
「内科で詳しく検査してもらうために現在救急搬送の手配中です。海横大学病院、分かりますか?」
もちろん。
「海横大学病院に受け入れ要請を入れましたので、返事が来たらすぐ搬送します」
「じゃあ海横大学病院に直接行けばいいですか?」
「一応返事待ちなんで、んー、どれくらいで来れますか?」
すぐ行ける! いや準備もあるしすぐは無理か。こういう場合、何持っていくといいんだっけ。
「1時間もかからないで行けると思います」
「ありがとうございます。そうですね、一度こちらに来てもらった方がいいかな。詳しい経緯もそのときお話しします。それから海横大学病院に向かっていただくということで」
了解。
「再発ではないんですね?」
もう一度確認した。
「多分ですね、ご主人の様子から胃潰瘍ではないかと思います」
胃潰瘍と聞いてホッとした。脳梗塞の再発に比べたら全然だ、なんとかなるやつだと思った。
それにしても救急搬送が必要と医師に判断された患者が搬送されずに待たされて、挙句断られたなんて。
夜間なら分かる。夜間に救急車に乗せたはいいが、受け入れ要請を次々断られて搬送先が見つからず走り出せないって事例はよく聞くし、私もなかなか出発しない救急車の中で長い間痛みと戦ったことのある経験者だ。
ただ、病院には病院の状況があってスタッフが足りてないときに受け入れするわけにいかないのは理解できる。一人分の受け入れ枠ができたとしても同時にいくつかの要請があればどの患者を優先するか判断しなければならないことも分かる。セカンドオピニオンで行った先の看護師が教えてくれたように、救急搬送の中でもトドロッキーのように病院から病院への搬送ってのは後回しにしていい筆頭だ。
それならばだ。
今日は平日で今は午前中。受け入れ要請という手順を踏むとこんなに時間がかかるなら、予約なしの当日受付で普通に外来診察に行っちゃったらいいんじゃないの?
でもこれは業界的にルール違反らしい。この業界、決まったルートをゆかなきゃならないのはすでに学んでいる。トドロッキーの痛みは落ち着いてるんだから四隅医師の指示通り待つのが賢明なんだろう。
トドロッキーはベッドに横になり、じっと動かず目を瞑っていた。私が到着したことには気づいていない様子だ。
肩のわずかな揺れで呼吸していることを確認する。生きている。
手の甲には点滴の針が刺さっていた。これには溜息が出た。
* * *
この続きは『夫が脳で倒れたら』本書にてお読みいただけます。
*本文中に出てくる病院、医療関係者、患者などの固有名詞は仮名です。
筆者について
みさわ・けいこ。北海道生まれ。ライター。
(株)SSコミュニケーションズ(現(株)KADDKAWA)にてエンタテインメン卜誌や金融情報誌などの雑誌編集に携わった後、映像製作会社を経てフリーランスに。手がけた脚本に映画『ココニイルコト」『夜のピクニック』『天国はまだ遠く』など。半身に麻痺を負った夫・轟夕起夫の仕事復帰の際、片手で出し入れできるビジネスリュックが見つけられなかったことから、片手仕様リュック「TOKYO BACKTOTE」を考案。
轟夕起夫
とどろき・ゆきお。東京都生まれ。映画評論家・インタビュアー。『夫が脳で倒れたら』著者・三澤慶子の夫。2014年2月に脳梗塞を発症し、利き手側の右半身が完全麻痺。左手のみのキーボード操作で仕事復帰し、現在もリハビリを継続しつつ主に雑誌やWEB媒体にて執筆を続けている。近著(編著・執筆協力)に「好き勝手夏木陽介スタアの時代」(講談社)J伝説の映画美術監督たちX種田陽平」(スペースシャワーブックス)、「寅さん語録」(ぴあ)、「冒険監督塚本晋也」(ぱる出版)など。