宇宙機の制御工学を専門としながら、JAXAのはやぶさ2・OKEANOS・トランスフォーマーなどのさまざまな宇宙開発プロジェクトに携わる、宇宙工学研究者・久保勇貴による新感覚な宇宙連載! 久保さんはコロナ禍以降、なんと在宅研究をしながら一人暮らし用のワンルームから宇宙開発プロジェクトに参加しているそうで……!? 地べたと宇宙をダイナミックかつロマンティックに飛び回る、新時代の宇宙エッセイをお楽しみください。
はやぶさ2が地球に帰ってきた日
はやぶさ2が地球に帰ってきたあの日、後輩クンの目は輝いていた。
2020年12月6日。3億キロ彼方の小惑星リュウグウから地球に帰ってきたはやぶさ2が、カプセルを地球に届ける日だった。歴史的な瞬間を、僕は後輩クンと一緒の部屋で見守っていた。深夜2時半だった。部屋は薄暗かった。僕と後輩クンがじっと見つめる画面に、カプセルの光は右端からぬうっと現れ、輝きを増し、ビューーーーーーーーーーーーーーン、と、僕も後輩クンも夢中で拍手して、やがて、画面左端に見えなくなった。うおおおおおおおおおおおお、と言った。あっという間だった。時刻は相変わらず深夜2時半で、部屋は相変わらず薄暗くて、それなのに、僕らの目にはいつまでもそのビューーーーーーーーーーーーーーンが焼き付いていて明るかった。そう、あの時たしかに、後輩クンの目は輝いていた。
はやぶさ2は凄まじいプロジェクトだ。初代はやぶさで起きた問題、失敗した運用を全てミスなくクリアし、想定外に巨岩だらけの恐ろしい地形も見事に攻略し、さらに弾丸を小惑星に打ち込んで地下の砂を採取するという、初代には無かった超高難易度ミッションまで完璧に成功させた。ちっぽけな機体に小型着陸機や分離カメラなどの飛び道具もこれでもかとモリモリ盛り込んで、これまで誰も見たことのない映像をたらふく地球に届けた。そして最後の最後まで抜かりなく、寸分狂わず、カプセルを地球に帰還させた。僕も後輩クンもはやぶさ2プロジェクトにはお手伝いとして関わっていただけに、間近で見る先輩たちの偉業の数々には毎度ため息が漏れた。ついに大気圏突入の閃光を見届けたあの日は、「おいおい、本当に完璧にやっちゃったよ……」と呆然とし、「やべえ、次僕らの番じゃん」と否が応でも身を引き締められる思いをしながら目を輝かせていたのだった。「マジやばいっすね〜……」「やっちまいましたね〜……」と、ひたすらに語彙を失っていた後輩クンも、きっと僕と同じ気持ちだったのだと思う。先輩たちの設置したクソデカハードルを見上げながら、しかし、後輩クンの目は輝いていた。
そう、後輩クンの目は、初めて会った時から輝いていた。僕がまだ研究室入りたての頃の、新入生の研究室選びのための説明会。当時新歓担当だった僕は、新入生に来てもらわないと先輩たちに白い目で見られてしまうので必死のプレゼンを繰り広げていた。わーわーわー、研究室はこんなにおもしろくてねおもしろくてね、学生どうしこんなに仲が良くてね、こんなにすごい研究をやってるんだよるんだよわーわーわーぎゃーぎゃーぎゃー、その時、ひときわ興味深そうに僕の話を聞いてくれている学生が目に入ったのだった。それが後輩クンだった。テンパるとすぐに周りが見えなくなって暴走する僕は、後輩クンのその目を見たおかげで少し落ち着きを取り戻すことができて、だからその後のプレゼンはほとんどずっと後輩クンに向けて喋っていたような気がする。後輩クンはそれからうちの研究室に入ってくれて、僕の直属の後輩になった。僕らの研究室は、はやぶさプロジェクトのリーダーをしていた先生の研究室で、いわば「はやぶさ研究室」だった。だから僕と後輩クンはその日から、未来のはやぶさを率いることになるかもしれない同志になったのだった。
はやぶさブームと「失われた世代」
僕や後輩クンの世代は、2010年のはやぶさの奇跡の生還と、その後の一連のはやぶさブームを中高生の時に味わった世代だ。恐らく、この世代ではやぶさに影響を受けずに宇宙業界に入ってきた人などほとんどいないと言えるぐらい、そりゃあもう凄まじい影響力だった。それまではJAXAの説明をするときは「NASAの日本版みたいなやつがあってね……」と言わなきゃいけなかったのが、はやぶさブーム以降は「JAXA」と言うだけで誰にでも理解されるようになった。小学生にも中学生にもお父さんお母さんにもおじいちゃんおばあちゃんにも、「ああ、あのJAXAね」と認知されるようになった。それは間違いなくはやぶさの影響だった。
というか影響力だけじゃなく、そもそものミッション内容自体が凄まじかった。小惑星から物質を持って帰ってくるサンプルリターンは宇宙探査の中でも最高難易度のミッションで、当時はNASAですらリスクが大きすぎて手を出せていないものだった。そんな中、当時まだまだ宇宙探査ひよっこ状態の日本が、ふくらはぎを攣(つ)るくらいめいっぱいの背伸びをして打ち上げたのが、はやぶさだった。NASA側も、「なるほど、そりゃあ野心的で良いミッションだねえ」なんて言ってたらしいけど、本当に日本がやれると思ってた人はほとんどいなかっただろう。そんな状況で、紆余に曲折、満身に創痍を重ねながら本当に最後までやり切ってしまったんだから、凄まじいプロジェクトなのだ。うちの研究室の先生は、そんなプロジェクトを率いていた人だった。負けず嫌いで、誰よりも諦めが悪い人だった。いつまでもどこまでも論理的に解決策をひねり出しては、「こうすればできるはずだからもう一回やりましょう」と当たり前のように言う人だった。凄まじいプロジェクトに相応しい、凄まじいリーダーだった。
当時の日本には、今とは違う活力や、ポジティブな考え方があったように思います。
先生たちのはやぶさプロジェクト(別名、MUSES-C計画)が正式に始まった時、どうやら日本はそこそこ元気だったらしい。1995年、ちょうど後輩クンが生まれた年だった。僕は1歳だった。先生は40歳だった。
いわゆるバブル経済は1992年ごろに弾け、株価も暴落していきましたが、世の中全体にはそれでも『新しいことを積極的にしていくべきではないか』という空気が残っていましたね。それもあって、リスク要因の多いMUSES-C計画も進行できたのではないでしょうか。私たちもフレキシブルに、大胆に動ける空気がありましたし、そう動くことが求められていました。
その計画に、前例なし。「はやぶさ」が地球に帰還するまで|プロマネ・川口淳一郎の履歴書 – ぼくらの履歴書|トップランナーの履歴書から「仕事人生」を深掘り! (en-japan.com)
経済の泡が弾け、関西に大きな震災が起こり、地下鉄にサリンが撒かれ、Hey Hey Hey Girl どんな時も くじけずにがんばりましょう(*1)、とSMAPが歌っていた頃だった。厳しい時代でも、それでも前を向こう、自信を失わず世界をリードしていこうという気概に満ちていた頃だったんだと思う。1歳だったから知らんけど。
けれど、はやぶさ2の時はそうじゃなかった。バブル崩壊を引きずったまま「失われた20年」だなんて言われ始めた2010年代はじめの頃、日本はぜんぜん元気じゃなかった。事業仕分けが始まり、はやぶさ2プロジェクトは17億円の予算要求をしたのに3000万円しかお金をもらえなかった。2年後には30億円の予算が付いたけれど、それも要求の半分以下だった。東北に大きな津波が押し寄せ、原発が壊れ、見たこともない円高が起こり、篠田麻里子がジャンケンでセンターを勝ち取った頃だった。
国民に自信と希望を与える政策がとられているのか、率直に申して、大いに疑問を感ずるところです。
先生は、叫んでいた。
はやぶさ初代が示した最大の成果は、国民と世界に対して、我々は単なる製造の国だったのではなく、創造できる国だという自信と希望を具体的に呈示したことだと思う。
自信や希望で、産業が栄え、飯が食えるのか、という議論がある。しかし、はやぶさで刺激を受けた中高生が社会に出るのはもうまもなくのこと。
僕と後輩クンは、まさにその、はやぶさで刺激を受けた中高生だった。生まれてからずっと、失われた10年、20年と並走してきた世代だった。景気の良いニュースなんか全然見たことがなくて、なんだか国にはいっぱい借金があるらしくて、僕らの老後には年金はもらえないらしくて、大人たちはもう子供を生みたくないらしくて、サブプライムローン、リーマンショック、で、島田紳助の歌詞が、頑張れ日本 凄いぞ日本 立ち上がれ今だ日本 美しく高く飛べ 誇り取り戻すために(*2)、で、失ったつもりもないのに失われた誇りを取り戻さなきゃいけないらしかった。生まれてからずっと何かが失われていて、その何かを見たことは一度もなかった。
これまで閉塞して未来しか見ることができなかった彼らの一部であっても、新たな科学技術で、エネルギー、環境をはじめ広範な領域で、インスピレーションを発揮し、イノベーション(変革)を目指して取り組む世代が出現することが、我が国の未来をどれほど牽引することになるのかに注目すべきである。こうした人材をとぎれることなく、持続的に育成されていかなくてはならない。
はやぶさプロジェクトサイト トップ (jaxa.jp)
緊急事態宣言、そして……
僕と後輩クンにとって、はやぶさは希望だった。日本にはまだ世界に誇れるものがあると胸を張らせてくれるものだった。僕たちが研究の世界に足を踏み入れる大きな理由だった。研究室の多くの学生は修士を卒業して就職した。僕と後輩クンは博士課程の学生として「はやぶさ研究室」に残った。だから、僕と後輩クンは未来のはやぶさを率いることになるかもしれない同志だった。後輩クンが博士課程に進学した4月に、初めての緊急事態宣言が発令された。僕と後輩クンはそれぞれのワンルームに閉じこもらなきゃいけなくなった。毎年恒例の研究室旅行が無くなった。歓迎会と忘年会と送別会が無くなった。急な思いつきで誰かの家で始まる宅飲みが無くなった。失われた。失われた1ヶ月、6ヶ月、1年、2年。後輩クンと話す機会がどんどん失われた。これは失われた40年の始まりなのだと誰かが言った。また、僕らの生活から何かが失われた。
僕が卒業する直前、後輩クンが研究室を辞めるらしいと聞いた。退学して、就職するらしかった。突然だった。相談に乗る機会もなかった。詳しい事情はよく分からなかった。だけど、後輩クンの意思は固いようだった。
宇宙開発は、国民に自信と希望を与えるためにあるらしい。自信や希望で、産業が栄え、飯が食えるのか、という議論があるらしい。僕にはよく分からない。はやぶさは間違いなく僕と後輩クンに自信と希望を与えてくれて、けれど僕らは生まれた時から色んなものを失いすぎたような気がしていて、自信と希望だけでは飯を食えない実感があって、あって、実感が実感があってあって、そう、博士課程の学生は激しい研究費競争を勝ち抜いてもなお貧困層で、で、なんJのスレには「『宇宙開発』って税金の無駄やないのか?」と書かれていて、いていて、そう、
「お金に困ってる人はたくさんいるのに研究者や技術者の自己満を優先するのか」
「社会保障とかに回した方がいいのでは」
そう、そう、
「お前ら宇宙開発と相対的貧困にあえいでる子供のどっちが大事なんや?」
そうね、
「無駄ではないけど優先するようなことではない だから蓮舫が仕分けしたんやろ」
「太陽が消滅するとかいうけどその頃にはワイ生きてないし宇宙開発にかかってる金全部ワイに寄付してほしいわ」
そう、そうだなあ、
「日本の宇宙開発って夢しか語られんよな」
「日本の宇宙開発が何か実益もたらしたんか?」
「アメリカは金儲け主義の民間に宇宙開発移譲して大成功してるで?」
「税金で遊ぶのはもうやめようや」
そう、そうね、そう、そうかあ、
そう、
そうだけど、そうなんだけどだけど、希望が無くなったらダメじゃないか。失われてばっかりの僕らの30年から、楽しい話まで失われたら悲しいじゃないか。馬鹿みたいに壮大な世界に馬鹿みたいに本気で挑んでみたいじゃないか。時代に呑まれるれるばかりが人生じゃないじゃないじゃないか。だって僕らの人生は一度なんだから生きて生きて生きてる時ぐらい胸を張りたいじゃないか。
そうじゃないか。
後輩クンのブログを読む。2019年4月のブログ。はやぶさ2が弾丸を打ち込んで地下の砂を採取する超高難易度ミッションを成功させて、原発事故で福島県大熊町に出されていた避難指示が初めて解除されて、ドールチェアーンドガッバーナーのその香水のせいだと瑛人が言っていた(*3)頃だった。
「大きなこと」を成すには、「大人数」の力が必要だ。実際に、宇宙科学、宇宙工学と呼ばれる分野の研究者・技術者はもちろんそう。けれども、いわゆる世論、大衆の支持、力があってこそ、成し遂げられる。
私ひとり気張ったところでたかが知れてる。
後輩クンは、たまに熱いことを言う人だった。言いたいことを言う人だった。僕は彼のそういうところが好きだった。
だから、これを読んでくれているあなたに伝えたい。
あなたの心の中の、そのキラキラ輝いてちょっと熱を帯びたものを、捨てないで、宿し続けてほしい。
来たる令和を肴に、夢(うつつ)のお話 | デイビッドの宇宙開発ブログ (spacedavid.com)
後輩クンは、車の自動運転の研究をする部署で新しく働くのだと聞いた。後輩クンの心の中の、キラキラ輝いてちょっと熱を帯びたものは、まだ宿ってるのだと聞いた。エンジニアとしてグレードアップして、宇宙分野の外で新しい仲間を作って、いつかまた宇宙開発がしたいのだと聞いた。後輩クンの目は、まだあの日みたいに輝いていたのだった。僕らはまだ、未来のはやぶさを率いることになるかもしれない同志なのだった。そうだ。時代に呑まれるばかりが人生じゃないじゃないか。じゃないじゃないじゃないじゃないか!そうじゃないか!僕らの人生は一度なんだから、生きてる時ぐらい胸を張ろうじゃないか。宇宙開発は自信と希望を与えられるじゃないか。僕と後輩クンはあの時の先生のように、中高生に自信と希望を与えられるじゃないか。与えらえ与らえ与え与え与え、与えられるじゃないか。
そうじゃないか。
* * *
*1:SMAP「がんばりましょう」作詞:小倉めぐみ /作曲・編曲:庄野賢一 *2:アラジン「陽は、また昇る 」作詞:カシアス島田、作曲:高原兄、編曲:斎藤文護、岩室晶子 *3:瑛人「香水」作詞・作曲:8s
【お知らせ】
当連載を収録した書籍『ワンルームから宇宙をのぞく』は、全国書店やAmazonなどの通販サイト、電子ブックストアにて好評発売中です。
筆者について
くぼ・ゆうき。宇宙工学研究者。宇宙機の制御工学を専門としながら、JAXAのはやぶさ2・OKEANOS・トランスフォーマーなどのさまざまな宇宙開発プロジェクトに携わっている。ガンダムが好きで、抹茶が嫌い。オンラインメディアUmeeTにて「宇宙を泳ぐひと」を連載中。