紀伊國屋じんぶん大賞入賞作『水中の哲学者たち』で話題の永井玲衣さんによる新連載「ねそべるてつがく」。つねに何かを求め、成長し、走り回らなければならない社会の中で、いかにして「考える自由」を探し求めることができるのか。「ただ存在するだけ運動」や「哲学対話」を実践する哲学者がつまづきよろめきながら、言葉をつむいで彷徨います。「考える」という営みをわたしのものとして取り戻す、新感覚の哲学エッセイ!
小学校に哲学対話をしに行くと、子どもたちは「大人ってなに?」という問いをやりたがることが多い。今までに何度やってきただろう。大人になりたいかどうか、大人と子どもの違い、大人の条件、そのあたりがかれらの関心事となる。
大学院の修士課程にいたとき、同じ研究科の友だちと、ある小学校に行った。そこでも問いは「大人ってなに?」が人気で、わたしたちはそれぞれ、自分が大人なのかもわからないままに対話が始まった。
実のところ、この問いの最初の反応は、どの現場も似通っている。大人とは一体何だろうか。何が大人といえるのだろうか。かれらは言う。
「お金を自分で稼いで、誰にも頼らないで、自立していること!」
ぴかぴかの、どこまでも、どこまでも届きそうな、まっすぐな声。校舎いっぱいに鳴り響く。反響する。いつかのどこかの小学校での、同じような言葉と声がそこに重なる。自分で、自立、頼らない、お金、お金、自立していること! みずみずしい、歌声のような響き。だが重なって、重なって、重なって、不協和音のような音になる。その音は教室から溢れ出て、誰もいない廊下へ這い出していく。窓を開け、風だけが吹く校庭につたっていき、水をたっぷりと染み込ませた花壇のわきを通り、ゆっくり、ゆっくり、校門を出ていく。
当時のわたしは、大学院という学生生活の延長の選択をしたことに、強迫的な不安と焦りを感じていた。自分の人生に、大学院以外の選択肢はまるでありえなかったにもかかわらず、周囲のひとが「就職」をしていることに対する負い目があった。その負い目を叩き割るように、とにかく働いた。必要なお金以上のお金を、稼がねばと、走り回った。誰のために? その問いは宙吊りにされたまま、わたしの通帳は確認のためにATMの小さな隙間に何度も突っ込まれた。
今ならば、熊谷晋一郎さんの記事でよく知られる「自立は、依存先を増やすこと」(https://www.tokyo-jinken.or.jp/site/tokyojinken/tj-56-interview.html)という言葉や、さまざまな論者が明らかにしてきた、人間はそもそも何かに依存して生きており、何にも頼らずに「自立」しているということはありえないということが、多くのひととの出会いによっても、自分自身を振り返っても、よくわかる。
あのときのわたしは何かに頼りたくなかったが、やはりいろいろなものに頼っていた。頼っていないつもりだったが、頼っていた。いや、頼っていたことは本当はわかっていた。頼っていたことによって、わたしの生活は成り立っていて、そこまでして、自分の生活は存在するべきなのかも自分でわからなかった。
あるひとは税金で研究をしていた。それがそのひとを苦しめた。別のひとは実家で生活をしていた。それがそのひとを悩ませた。別の誰かは、奨学金で大学に行っていた。それがその誰かをくたくたにさせた。
哲学対話が終わって、同じ研究科のひとと帰る準備をしていると、ひとりの小学生が友だちの近くによってきて、尋ねた。「大学院生って、いくらお金もらえるの?」
彼は「いや、もらえないよ」と返す。それを聞いた小学生は白けたようにえーーーっと大声を出し、はは、と息をついて笑った。
はは、というその笑いが、わたしたちの周りに漂った。まあそうだよな、とわたしは思った。そもそも高校生くらいまで「大学院」がどういうところかも知らなかったし、一般的にも知られていないだろう。子どもの金銭感覚というのもあいまいだ。隣では、わたしたちと一緒にきていた大学院の先生が、子どもたちに取り囲まれて「先生の年収っていくらくらい?4000万円くらい?」と聞かれていた。にこにこ笑っていた先生は急に真顔になり「そんなにもらっていない」とつぶやいた。
はは、という乾いた笑いが、わたしたちの周りにはしつこく残りつづけた。彼はそれを吸い込んで、顔をゆがめ、ははは、と笑った。そうだよな、と彼は誰にも聞こえないくらいの声で言った。小学生の笑いよりも、彼の笑いがわたしの中にいつまでも残った。
彼はそれから急ぐように就活をして、すぐにいなくなった。
あの笑いとは何だろう。自嘲だろうか。たしかに彼は自分を笑った。いや「自立していない」と思われるあらゆるものを笑った。彼は意図したように笑ったように思う。あえてため息をつくように笑いが出た。その笑いは、わたしたちを切り離した。
自嘲とは、自分を笑うことであり、同時に自分を通して、他の誰かを笑うことでもある。笑いは線をひく。ぱっと飛び退く。わたしたちをばらばらにする。
真剣な話をしているときに、それを笑うひとがいる。嘲り、軽蔑、嘲笑、冷笑、さまざまな名前がついているが、どれも分断を生む笑いである。
わたしたちはとても疲れている。疲れ切っている。だが、わたしたちは笑いすぎている。打ち合わせ中、わたしたちはなぜあんなにも笑うのか。会話をしながら、なぜあそこまでに笑わなければならないのか。写真を撮られるとき、番組に出演するとき、なぜ「笑え」と言われるのか。誰かの話を聞くとき、誰かとまた別の誰かの噂をするとき、なぜあんな風に笑うのか。
顔の筋肉がじりっと引っ張られる。これをわたしたちは笑顔と呼んでいる。身体を揺さぶって、音を出す。これをわたしたちは笑いと呼んでいる。なぜわたしたちは笑おうとするのだろうか。
*
だが、それでもわたしたちには、絶望の淵に立たされ、打ちのめされ、運命がわたしの生をちっぽけなものだと告げるその瞬間に、それでも湧きあがる自由としての笑いがある。
少なくとも私たちには、もっとも辛いそのときに、笑う自由がある。もっとも辛い状況のまっただ中でさえ、そこに縛られない自由がある。人が自由である、ということは、選択肢がたくさんあるとか、可能性がたくさんあるとか、そういうことではない。ギリギリまで切り詰められた現実の果てで、もうひとつだけ何かが残されて、そこにある。それが自由というものだ。
岸政彦『断片的なものの社会学』朝日出版社、2015年、98ページ。
めちゃくちゃ大切なひとが死んだとき、わたしはめちゃくちゃ笑っていた。
今までも今後も、あんなに笑うことはないだろうというくらいに笑っていた。床に這いつくばって大笑いした。家に帰って、掃除をして、また思い出し笑いをして、しばらくぼんやりして、そのあとようやく泣いた。
言っておくが、笑いはきわめて真剣な事柄なのだ。それは、自らの弱さを慰めるためのものではなく、喜びの表明であり、私たちの力能のしるしである。
アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『コモンウェルス〈下〉』水嶋一憲監訳、NHKブックス、2012年、287ページ。
10年ぶりになる友だちと再会したとき。10年という圧倒的時間の隔たりがそうさせたのか、クリスマス前の浮かれた雰囲気がそうさせたのか、なぜか私たちは流行ってもいない下北沢のイタリアンで、自分ではどうにもできない、だがしかしべったりと自分の人生に張り付いてしまっていることについて突然共有しあった。彼女のかなしみを聞いてわたしはアイラインが涙袋ににじむほど笑い、彼女はわたしのくるしみに身体をおりまげて笑った。
私たちは「ウケる、ウケる」と熱に浮かされたように言いながら、にんにく臭いパスタの前でいつまでも笑い転げた。
わたしたちは自分と相手を笑うことによって、あの店の誰よりも自由だった。大げさにかなしまずに、下手に同情せずに、不必要に相手を軽んじずに済んだ。
それからもわたしは、いろいろなひとと出会った。そのひとたちは、語りながら、わたしの話を聴きながら、湧き出すように笑った。それは分断というよりも、わたしたちをつなぐ、やわらかい何かであった。
アルベール=カミュの『シーシュポスの神話』という本がある。
神の怒りを受けたシーシュポス。彼は神に大岩を山頂に押し上げる罰を科される。シーシュポスがやっとの思いで岩を押し上げると、突然岩は跳ね返り下まで転がり落ちてしまう。仕方が無いので頬を岩にくっつけ、泥だらけの手で押し上げると、また岩は転がり落ちる。また押し上げる、転がり落ちる。押し上げる、転がり落ちる。これが永遠に続く。
なんという無益な労働。エクセルが自動的に計算した数をもう一度計算機を使って確認するというバイトをしたことがあるけど、それくらい無益だ、不条理だ。
神々や後輩にそんな仕打ちを受け、転がり落ちる岩を眺めるシーシュポスの顔はだが、苦痛に歪んではいない。彼は笑っている。バカみたいに落下する岩を見つめている。そうして再び、岩を押し上げるためにゆっくりと山麓まで降っていく。
ここに、シーシュポスの自由がある。全能の神ですら剥奪できない自由がある。
永遠の罰を科したって、彼の努力を無に帰したって、シーシュポスは笑っている。
だからこそ彼は、怒りに震える神々よりもずっと自由なのだ。
この笑いとは一体何だろう。なぜシーシュポスは、あなたは、わたしは、笑うのだろう。笑いは、たしかに物事から自分を切り離す。あなたに、わたしに、べったりとはりついてしまっているものを、対象化することができるからだろうか。分けて眺めることができるからだろうか。わたしたちは、苦しみやかなしみから、笑うことによって身を引き剥がしているのだろうか。
*
ユダヤ人としてドイツ強制収容所に囚われた、フランクルのあまりに有名な『夜と霧』を読む。ホロコーストの記録として、だがそれはフランクルという具体的な身体をもった実在の、わたしと同じように息をして、同じように生きる、ひとりの人間から見た体験を、わたしは何度も読み直している。
何度も、何度もたどった文を、また読みなおす。たどりなおす。たどりなおしたその過程で、立ち止まる。
あるいはまた、ある夕べ、わたしたちが労働で死ぬほど疲れて、スープの椀を手に、居住棟のむき出しの土の床にへたりこんでいたときに、突然、仲間がとびこんできて、疲れていようが寒かろうが、とにかく点呼場に出てこい、と急き立てた。太陽が沈んでいくさまを見逃させまいという、ただそれだけのために。
そしてわたしたちは、暗く燃え上がる雲におおわれた西の空をながめ、地平線いっぱいに、鉄色から血のように輝く赤まで、この世のもとも思えない色合いでたえずさまざまに幻想的な形を変えていく雲をながめた。その下には、それとは対照的に、収容所の殺伐とした灰色の棟の群れとぬかるんだ点呼場が広がり、水たまりは燃えるような天空を映していた。
わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。
「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」
ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』池田香代子訳、みすず書房、2002年、65ページ。
そうか、と思う。押しつけ、すりつぶしてくるようなおそろしい世界がやってくる。だがそれでも、その世界の、ほんの隙間に見える何かを見出し、それを笑うことによって、わたしたちは世界とまた関係をとりむすぶ。
信じがたいほどの限界状況で、人間というものの尊厳を根こそぎに奪われ、へたりこんでしまうような日にも、世界がこの世のものとも思えないほどに美しい姿を見せるように。そしてその美しい姿を、見出すことのできる、かぼそく決して壊れない人間の、最後の力。
そうして彼らは、わたしたちは、また世界と出会う。出会いなおす。何度も。何かをごまかすために笑ったり、軽蔑するように笑ったりして、世界と切り離され、それでもまた笑うことによって、世界と結びつく。何度も、何度もそれを繰り返す。
筆者について
ながい・れい。哲学研究と並行して、学校・企業・寺社・美術館・自治体などで哲学対話を幅広く行っている。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)。詩と漫才と念入りな散歩が好き。