ゆうれいに恋

そっちにいかないで
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「切るなら、 机でも、皮膚でもなく、見えないものを切らないといけないんだ」(本文より)

5月27日に発売され、話題となっている戸田真琴・著『そっちにいかないで』(太田出版・刊)。
毒親との生活。はじめての恋。AVデビューと引退……。「あたたかい地獄」からの帰還を描いた、著者初の私小説となっている。

OHTABOOKSTANDでは、全3章の冒頭部分を本日から3日間にわたって公開します。
第1回目は、第一章より。

 旧校舎におまけのようにくっついた鍵つきのプレハブ小屋が、生徒会室だった。べろべろと裏返るわら半紙を鷲摑みにし、大きく弓なりにしならせながらなんとか揃え、薄黄色の正方形の付箋に『朝会で配布 一年生』と書いて貼る。窓を閉め、メントスを一粒置いたようなコピー機の主電源ボタンを深く押し込み、ランプが消えたのを確認してわたしは小屋を出た。

 薄灰色になったてんどんまんのぬいぐるみのついた鍵で、ドアを施錠する。右手の甲を軽く叩かれたような気がして注視すると、雨粒が簡略化した花火の絵のように弾けたところだった。透き通った粒がゼリーのように流れる。

 頭皮や耳の裏、肩や首もとに同じ振動を次々と感じると、そのままざあと雨が降り出した。振り返ると遠くの山のふちがほのかにあたたかく光る。その上に淡い水色の雲がベレー帽のようにのっている。雨粒がわずかなオレンジ色を映し込み、天気雨がはじまった。

 前髪までをもすっかり湿らせながら、ジャージのポケットからスマートフォンを取り出し、ビデオモードにする。見上げるように山と雨粒を撮ろうとすると、カメラレンズに2、3滴落ち、画面がぱわんと円状に広がった。水滴の作り出した球面のとおりにグラウンドやそこから逃げ帰る野球部員たちのちいさな人影が歪み、通り過ぎる位置によってのびたり縮んだりする。わたしは左手でスマートフォンを揺れないように持ちながら、右手の人差し指と親指で画面の中に映る山のふち、最も明るいところをつまむようにして、ぐんと拡大する。画面が、淡い光でいっぱいになる。拡大すればするほど画質は落ち、光が雲に溶けゆくあわいはモザイクタイルのようにがたがたと塗り分けられている。胸がいっぱいになる。無意識に息を止めていたことに気がついて、意識してちゃんと、息を吸う。カメラを回したまま帰路につく。

 よく丸い丸いとママにばかにされる頰を、雨粒はなだらかに流れていった。何度も、何度も頰のラインを雨がなぞり、その一粒一粒にも光や、正門の赤いレンガ、通り過ぎる青い車のあの青さ、そういうものが逆さに映り込んでいることを想像すると、愛されているみたいな気持ちになる。

 わたしというのは、この世界がどんなふうに見えているかということそのもののことなのだとわかったの。わたしに、世界はこんなふうに見えている、そのことをなるべくすべて、いつか誰かに伝えてみたい。そうじゃないと、吸い込んだまばゆさがふくらんで、今にも弾けて死んでしまいそう。濡れたアスファルトを小走りで蹴り、水たまりの波紋をスニーカーで壊す、世界はわたしのものだと思う。

 反対車線には聞こえないくらいの声量で言う。こうして喋っているうちにも、すべてが過ぎ去ってゆく。だからわたしはいつも、高校から駅までなるべく早く帰れるほうの道を選ぶ。

 入学式のオリエンテーションで学校あるあるを披露された際に知ったその道は「恋人ロード」と呼ばれていて、校内で成立したカップルたちが手を繫いで歩くことを推奨されているらしかった。

 線路沿いにまっすぐ続く舗装された道で、駅まで五分くらい。一方、それ以外のほとんどの生徒たちはその裏側にある、田んぼを見下ろすうねった砂利道を7分程度かけて歩いてくる。はじめて聞いたときは周りの同級生たちも、

「なんで恋人たちに歩きやすい道を譲るの?」

 と不満げだったけれど、5月の体育祭が終わる頃、クラスの女子生徒たちは揃って、「早くかっこいい先輩と付き合って恋人ロードを歩きたい」と頰を赤らめていた。

 わたしはその日の夜、”彼女”に話した。

「校内の人と付き合ってこの道を歩くことはきっとない。わたしの恋の相手はここにはいない。わたしは生涯でする恋を、たったひとつと決めている」

 早く、家に帰って階段をのぼって、まだお姉ちゃんの帰らない部屋で繰り返し、今日見たものを話さなくちゃ。わたしは”彼女”に話しかける時間をなるべく多く確保するべく、帰路を急ぐ。

 改札に引っかかって券売機に後戻りする間とか、駅のホームで知らない人に声をかけられてびっくりするときとかに、今にもわたしのリズムは崩れる。頭の中にさっきの光景が焼き付いていて、それをなくさないように繰り返し再生しているのに、わたし以外の人には、わたしの脳内の事情はてんでわからないらしい。

 この頃わたしは、なにに対しても、同じ呪文を唱えるようにしていた。

「どんと・でぃすたーぶ」

 Don’t disturb.ホテルのドアノブとかにかける、お掃除は結構です、入らないでください。の意味の札に書いてある言葉。

 そう、どうか邪魔をしないでください。とても忙しいんです。もしもわたしがすでに、とてつもなく間違えていたとしても、もう、それはいいんです。

 それでもいいって思うことが、わたしにとっては、間違わずに生き延びることよりもずっときれいなことだから。

 そうして、なくしてしまわないうちに、もう頭の中で今夜はなにを話すのか、そればかりを考えるのだった。

 最寄り駅をふたつ逃していることに気づいて、一度電車を降りる。

 反対のホームに行くには階段をのぼって通路を渡らなければいけない。もうほとんど暮れかけた景色を、格子状に枠のはまった窓から見る。低い建物がわずかに凸凹しながらつらなる地上を、薄紫色の空が覆っている。そのしんとした、だけれどどこかやさしい色合いに、ひとつのことを思い出す。

 わたしは、恋をしている。

 はじめは真夜中だった。居心地悪そうに眠りに堕ちたその晩のうちに、爆発するように泣きながら、とつぜん目を覚ました。超常的なタイミングで、宇宙でなんの空気抵抗もなく星の光がまっすぐ差すように、精悍に、胸の空洞が圧迫された。なにかとんでもないものに見つかってしまったような夜で、呼吸がしばらく、忘却された。

 わたしは彼に、頻繁に手紙を書く。何週間かに一度会えて、そのときに、手渡しするのだ。返事が来るようにといつも住所と名前を書いているけれど、返事が来たことは一度しかない。それでも、彼はわたしの日々のシナリオに、毎日かかさず登場する。

 授業中に窓から差し込む光が分度器に反射して、青白くつやめいたこと。放課後の美術室で漫画を読みながら、グラウンドで響く声を片耳にふんわり聞くときのこと。廊下を歩いていく上履きの鳴き声。玄関ポストを開けるとき、裁かれるような気持ちになること。そして空っぽのポストを見て、頭の中で毎日、「それでも」と、揺れる瞳でつぶやくこと。

「わたしはあの人を愛すると決めた人生で、まだ、17年しか生きていない。やっと始まったところで、そして、これから溢れんばかりの愛と夢を味わいながら生きていくと決めているの」

 新月の夜、そうつぶやいた。そして眠りにつこうとしながら、恋の相手に、頭をやさしく撫でられることを想像して目を閉じる。「まつげが長いんだね」と言われた言葉を何百回目か、再生する。

「わたしにはこの人生で、すべきことがある」そう息を潜めて反芻しながら、毎日、眠っていた。

「先生へ。お元気ですか? 近頃は季節の変わり目で、天気も安定しませんね。先生のあまり強くはなさそうなお身体がどうか健康であることを祈っています。だけれどわたし、さっきお元気ですか? って書いてしまったのだけれど、それは、あなたが元気でないといけない、というふうには捉えないでほしいんです。もしも今元気でなかったとしても、そしてこれからしばらく元気ではないときが続いたとしても、わたしはあなたのことをとても好きです。

元気かどうか、というだけではありません。たとえば先生、いつかわたしに七夕の話をしましたね。皆が短冊に、好きなアイドルと結婚できますようにとか、ゲームキューブがほしいとか、サッカー選手になれますように、と書く中で、わたしは天の川のことを考えていました。ミルクをこぼしたようだからミルキーウェイっていうんだって、って、宮沢賢治の本で読んだときから、たぶんほんとうは真っ黒い宇宙にミルクをこぼしたところを想像すべきなのだけれど、わたしの頭の中の宇宙はもうどんどんミルクが広がって、宇宙の暗やみの色と星のまぶしさとが逆さになってしまったのです。

白い空に、黒い星が無数に光っている。それを考えているとき、たまたまわたしの手もとにあった短冊が全部で六、七色のうち真っ白でしたから、わたしは黒い油性ペンで点をいくつも打ちました。最初に打った点から放射状に広がるようにどんどんと、そしてそのあいだの隙間にも埋めていく。わたしはそうしてなにも考えずに宇宙を描いていたのですが、先生はそれを覗き込んでこうおっしゃいました。

『そうだね、僕も、願いごとなんて野暮なことはするもんじゃないって思ってる』、わたしは先生の表情を見上げるより前に、今も無邪気に笹の葉に色とりどりの短冊をむすんでいるほかの生徒たちがそれを聞いていないかと心配しました。しかしほかの生徒たちは、このクラスの担任である、黒髪を短くきっぱりと切り揃えた気の明るい感じのする先生と大きな声で戯れていて、誰も、わたしたちのことなど気にしていないようでした。副担任であった先生は、あのときわたしをはじめて認識したのでしょうか。それとも、もっと前からわたしのことを、友達のいない生徒として目をかけてくれていたのでしょうか。

話がしりとりのようにそれてしまってすみません。そう、あのときわたしは、どうしてわたししか知らないはずのことをあなたが知っているのだろう、と驚いたのです。家族がしし座流星群をベランダから見上げながら、願いごとを3回言うのを横目で見て、ほんとうに叶えたいなら祈ったりしてはいけない、と冷めた気持ちになりました。わたしは、ほんとうに叶えたいことを、神様に祈ったりはしません。人は、自分の人生のことを、うんと目を凝らして、耳をすませば、これがどういう物語であるのかわかることができると思っています。わたしの人生は、わたしが書くシナリオです。そして先生、わたしの物語にはじめて登場した、顔も名前もある主要な登場人物が、あなたなんです」

 実際のところ、家族が祈りを捧げていたのは流れ星じゃなかった。

 幅約1.5メートル、奥行き約1.2メートル、和室の天井の高さを測ってオーダーメイドしたのかと思うくらいピッタリの、黒々とした仏壇だ。

 観音開きの扉を開くと、真ん中には殴り書きにしか見えないお経のようなものが書かれた掛け軸がかかっている。ママはこれが読めるらしい。手前には脚つきのお盆のようなものがあって、そこに腐ったみかんが3つ置かれていた。この家ではご飯が炊きあがるといちばんはじめに、まんじゅうひとつくらいの量のご飯をちいさなワイングラスのような形の銅色の入れ物によそって、あのみかん置き場あたりにお供えするのだった。一度置いて、両手を合わせていつも同じ言葉を唱え、そしてご飯は炊飯器へ戻される。唱えているのは掛け軸の真ん中に殴り書きされている言葉と同じらしい。ママがいつも言うのを耳だけで覚えていたため、ほんとうにそうなのかどうかは確かめていない。

 ママは、この仏壇なのか、その中にある掛け軸なのか、それとも別のなにかなのかわからないが、この一帯のことを「ゴン様」と呼んでいた。御本尊様、の自己流の略し方らしかったが、こどもの頃のわたしや姉は、あの黒くて大きい、決して広いとは言えないこの家の中のいちばんいい場所にずっしりと居座っている、巨大な立方体のようなものをどこか擬人化して捉えていたと思う。

「ゴン様にちゃんとお願いすると全部叶うのよ」

 とママは言う。それはいつもとてもうれしそうな顔で。わたしと姉は、ご飯の炊きあがるピー、という音に反応して我先にと競った。いち早くゴン様にご飯をお供えしてくると、ママがとても喜ぶのだ。逆に、ゴン様にお供えするより前にどうしてもお腹がすいて一口ご飯を食べてしまったときには、とてつもない剣幕で叱られた。

「どうしてそんなことするの。モモちゃん、もうご飯食べられなくなっちゃうよ。いいの?」

 ママは、ゴン様にご飯をお供えすることで、わたしたちがこれからもご飯を食べていけますように、と願っているらしかった。わたしは、とても悪いことをしたと思って泣いた。

 そしてゴン様の前に行きちいさな声で、

「ご飯を食べられなくなりたくないです」

 と言って、頭を下げて謝った。

 15歳くらいまでは、ごく普通の幸福な家庭で育っているのだと信じていたと思う。両親が離婚して途中から名字が変わる同級生はたくさんいたし、兄弟に乱暴されて傷をつくってくる子もいた。わたしの身体は無傷だったし、両親は毎晩怒鳴り合ってはいたものの、表面上は離婚しそうになかった。とつぜんパパがF1カーを買ってきて玄関に縦に置き、足場と壁の半分以上を使えなくしたり、とつぜんママがわたしの舐めていた棒付きキャンディーを取り上げ、

「ママはべたべたしたものが嫌って言ったでしょ! ママに嫌がらせしたいの?」

 と大きな声を出したりするけれど、わたしの身体には痣はないし、毎日ご飯は食べられている。もう一ヶ月、まったく同じ冷凍のたらこスパゲティーを食べているな、と気づいたときも、相変わらずゴン様にはスパゲティーがまんじゅうサイズに無理やり盛られて供えられていた。

 わたしはお供え用の器から激しくまろび出るたらこスパゲティーを引き上げながら、お供えのみかんに青カビが生えていることをママに言った。すると、

「供える前はきれいだったんだからいいの。カビが生えてから供えたら失礼だけど、きれいなものを供えてあとからカビが生えたんなら大丈夫よ」

 と返ってきた。わたしは「そっかあ」と気のない返事をしながら、母の視界の届かない位置で、はみ出たスパゲティーをすすった。

 毎週日曜に”会合”へ出席し続けているママだけでなく、わたしたちこどもも、月に一度はこども部の会合と呼ばれるものへ出席していた頃があった。

 当日の朝になると、ママと仲のいいらしい婦人部の田代さんという女性が車で迎えにくる。パールがかった水色に、黄色いナンバープレートがついた、ちいさな車。ママは小学生だったわたしと姉を連れて乗り込んだ。

 田代さんが勢いよくアクセルとブレーキを繰り返しながら、左右をきょろきょろ見渡している隙に、ママはわたしに話しかける。

「いいなあ、田代さんは運転できて。ママ、いつまでペーパードライバーなのかな。パパに練習つきあってっていつもお願いしてるのに、おまえは乗れなくていいって怒鳴るでしょ」

 窓ガラスについた水垢の模様を、午前10時の光が透かす。わたしはなるべく心を込めて、身体じゅうの慰めを込めて、ママの頰に、自分の頰をこすりつける。ママは、「モモちゃんとゆきちゃんだけが、ママの味方」と言って、涙目で微笑む。

 辿りつく白いレンガ造りの豪勢な”会館”も、そこで出迎える笑顔のおとなたちも、わたしや姉と同じくらいの年齢のちいさなこどもたちも、ママが大切にしている場所のものだから、わたしにとっても「いい人たち」だった。

 わたしはだんだんと、ゴン様のお供えをこっそり食べても、罪悪感に苛まれることはなくなっていた。最近中等部の会合に出ていないじゃない、とママに怒られるようになってもやっぱり謝らなかったし、玄関先まで迎えに来た地区のサブリーダーというお姉さんに対しては、「テスト勉強がしたいので行けません」と断った。すると、サブリーダーの表情はとたんに険しくなって怒りながらドアをこじ開けようとした。会合で繰り返し流される演説のビデオでも、勉学に励みなさいと何度も言っていたのを、わたしたちは聞いていたはずだった。

 わたしがテストでたまたま良い点を取った日、ママは大いに喜んだ。

「うちはみんなばかなのに、モモちゃんだけは天才ね。うちにお金さえあれば、教会指定の中学入れたのにねえ」

 と屈託なく言って笑う。

「渡部さんちの子なんて、モモちゃんよりぜんぜんばかなのに、受験できるのよ。地区リーダーとか、幹部とかになるのかな。息子がリーダーなんて、いいなあ」

 それから、ディズニーランドのお土産のチョコレート缶にみっちりと詰まったペンの束から赤いマッキーを引き抜き、カレンダーの今日の日付に文字を書く。花やねこの写真となにかの組織の広告が入っている。【モモちゃんが数学で100点を取った日! めざせオール5!】

 それからママはペンを放り出し、和室の電気をつけないままで、ゴン様の前に座った。エアコンも行き届かないその部屋は、いつもひんやり冷たい。

 ママはテスト用紙を腐ったみかんのお供え台の前に置いて言う。

「毎日勤行をしていたおかげでモモちゃんが100点を取れました。ほんとうにありがとうございます」

 そしてわたしの頭を何度も撫でて、全身で抱きしめ、頰にキスをした。

 ママは、家に他人を入れたがらなかった。

 埼玉県狭山市の駅からバスで15分、大きな橋を渡りながら河川敷の牛たちを見下ろし、坂をのぼってスリーエフの先。建て売りの一軒家が集合しているニュータウンの一角に、わたしの住むゴミ屋敷はあった。

 道路も浅い灰色にひび割れ、「止まれ」の文字はかすれて「まれ」になり、やせたねこが歩いている、もう新しいといわれる時期はとっくに過ぎたニュータウン。アルファベットの文字が2、3個はがれ落ちた表札の横にポストがあって、ドアを開けるとよごれたスニーカーやサンダルがぼろりとこちらへこぼれ落ちてくる。ファッションセンターしまむらの特価で買った580円のハローキティ。玄関には緑色にびっしりと藻の生えた水槽があって、その中には茶色い壺や作り物の水草が鎮座しているけれど、生き物はいない。先月最後の金魚が死んだ。ティッシュにくるまれ、雑草の生い茂る日の当たらない庭に埋められ、アイスの当たり棒を立てられた。名前はなかった。

 玄関の靴棚の上には、絵が一枚貼ってある。画用紙いっぱいにパステルカラーの虹が描かれ、池には白鳥が、地面にはピンクの象が、空には黄色い鳥が飛んでいる。虹の上には白いクレヨンで「SMILE LAND SAYAMA」と書かれていて、絵の下に貼られている作品紹介の紙にも、「えがおのまち さやま」と書いてある。その横には金色の丸に赤いリボンのついたシールが貼ってある。わたしが小学二年生のときに描いた絵。別の壁には、小学三年生のときと四年生のときの賞状と、小学五年生のときの漢字テストで一位になったときの担任の先生手作りの賞状、中学一年と二年のときにそれぞれ小論文コンクールの大会に出たときの写真などが飾られている。

 電球が切れっぱなしになっている暗い廊下を抜け、階段をのぼって二階のこども部屋へ向かう。よく踏まれる箇所以外に埃が積もって白っぽくなっているが、もともとはダークブラウンの床板だ。

 こどもにひとり部屋を与えるのは贅沢だ、ママのちいさい頃は兄と弟と一緒で自分の部屋なんてなかったんだから、というママの主張により、二階の三部屋はこのように振り分けられていた。奥のひとつは父親の寝室兼洗濯物を干すための部屋。真ん中は”ゆきちゃんとモモちゃんのこども部屋”、もうひとつが”ゆきちゃんとモモちゃんの寝室”。どう考えても、姉とわたしそれぞれにひと部屋ずつ振り分けることが可能なことはわかっていたけれど、何度交渉を試みても部屋割りは変わらなかった。

 わたしは学校から帰ると、いつもそのまま”こども部屋”に行き、学習机の上を確認した。紙が一枚、置いてある。カバンを下ろして、上着を脱ぎ、キャスター付きの硬くて四角い椅子を引き出し、座る。紙を裏返すと、わたしの好きな漫画のキャラクターのイラストと、そのキャラに関するコメント、そして「わたしは◯◯のほうが好きかな!」という言葉が添えられていた。姉が書いたものだ。

 わたしと姉はいつも、コピー用紙をつかって交換手紙のような、交換日記のようなことをしていた。どちらかが先に寝たときは、朝までに相手の机の上になにかイラストや文字を書いて置いておく。どちらかが先に家に帰ったときは、その返事を相手が帰ってくるまでに置いておく。いい漫画や音楽を見つけてはおすすめしあったり、その感想を交換したりしていた。

 姉はたいがい、主人公と人気を二分するような、少しクールなライバルキャラのような少年を好きになっていることが多かった。わたしはいつも端っこからそっと見ているような、存在感のないただやさしいだけのようなキャラクターを好きになることが多く、漫画雑誌で行われる人気投票企画などでは姉の好きなキャラクターはいつも一位か二位、わたしの好きになるキャラはひどいときは圏外だった。姉がプレイ開始時に選ぶポケモンは、わたしがひと目見てこれだけは選びたくないなと思う媚びた感じのかわいらしい姿のものだったし、わたしがすばらしいと思う曲の歌詞を熱弁してもピンとこないようだった。だけれど、姉はそれを否定はしなかったし、わたしがたいがい生意気なことを言っても怒られることもなかった。互いのことを好きで、仲がよかったのだと思う。

 学習机の鍵つきの引き出しを開けると、丸めたあとに上下に潰され折り曲げられ、ちまきのようになった画用紙や、何度も折りたたまれたテスト用紙が入っている。階段の下から、ママの声がしはじめる。わたしはカバンから、今日返却されたテスト用紙を取り出し、またちいさく折りたたんで引き出しの奥に押し込んだ。A評価だった読書感想文、90点台のテスト、あのちまきになったクロッキー画は描き上げたあと先生に呼び出され、美大を受験しないかと告げられた日のものだ。

 わたしは中学三年くらいの頃には、評価の高かった成果物を誰にも見せずに机の奥に隠すようになっていた。

 ママがゴン様にお礼を言う姿を見るのも嫌になっていたし、なにより、それを姉にも聞こえる場所で言うのがことさら嫌だった。姉は勉強をさぼっているわけでもなかったし、絵を描くのはわたしよりも好きだった。文章を書くことも好きだったようで、夜遅くまで机に向かってなにかを書いているときもあった。母がわたしのことを褒めるたび、姉の顔は曇った。ふとした会話の中でも、わたしはモモちゃんみたいに頭良くないから。わたしはモモちゃんみたいに絵が描けないから……。と、申し訳なさそうに自虐するようになり、交換手紙の中のイラストもだんだんとちいさく描かれるようになって、「わたしよりもモモちゃんが描いたほうがいいので描きません! 笑」と添えられている日もあった。

「どうしていつまでも下りてこないの!?」

 徐々に大きくなったママの声にはっとして、わたしはカバンを閉じ、引き出しを閉める。階段を下りる前に、腕を上げ、身体のにおいを確かめる。今日も汗をかいたし、体育もあった。途中で少し雨も降った。自分だと、一生懸命嗅いでみても、においがあるのかわからない。汗をかいたら拭くようにしているし、お小遣いを貯めて買ったボディ用のウエットシートも使っているし、これ以上できることはないのだから、あとは気づかれないようにするしかない。

 汗をかかないように身体の動きを最小限に意識しながら階段を下りてリビングのドアを開けると、ママが身体を半分こたつに入れたままこちらを見ていた。そして、

「もう、なんでモモちゃんは毎日帰ってくるたびに、そんなに雑巾みたいなにおいになるのお?」

 と笑う。頭皮の毛穴からどっと汗が出る感覚がして、今日もだめか、と思う。

 わたしは、

「ごめーん、体育あったし、汗かいたんだよ。臭いよねえ」

 と、いつもどおりへらへら笑う。ママは、

「ママなんか一週間お風呂入ってなくても、臭くならないのに。モモちゃんはパパに似たんだねえ」

 と言いながらポテトチップスを口に運んでいる。

「早くその雑巾臭い服、洗濯機に入れて。脱いでからじゃないとこっち来ちゃだめだよ」

 テレビの韓国ドラマでは、雪の中で男女が強く抱きしめあっていた。

「ママはあんな臭いパパと血も繫がってないし他人だけど、あんたは血が繫がったお父さんなんだもんねえ」

 いつからだろう。わたしの自我が生まれるずっと前からだろうか。この家にはママがつくった設定があった。

“ママはかわいくてやさしい。パパは臭くてうるさくてわがまま。姉のゆきはやさしくていい子で、友達がいっぱいいる人気者で、ママ似。勉強はできないけれど、心がきれい。妹のモモはいつもわがままでマイペースで、内気で友達が少ない。勉強ができるけれど、音痴。パパ似で、臭い”。

 日中のほとんどの時間、子育てにまつわるほとんどすべての責任を負っていたママによって、それらのキャラクター設定は繰り返し説かれ、わたしと姉は幼少期、ほとんどそれを鵜吞みにしていた。

 実際の行動や状況がどうであれ、ママというフィルターを通ると同時に、そのキャラクター設定に搦め取られていく。姉が中学でいじめにあって不登校になったときもママは姉がクラスの人気者であることを疑いはしなかったし、自分自身に対しても、いくら怒鳴っても不機嫌になって数時間黙りこくっても、少し時間を置くとまた、ママはやさしくてかわいいでしょう? と曇りない顔でわたしたちこどもに尋ねるのであった。

 それゆえわたしの日常は、「わがままでマイペース」らしい自分を一秒ごとに罰することが前提だった。

 学校の下校時に毎日ゴミ拾いをしたり、クラスで誰かがいじめられていると噂を聞くたびに加害者を呼び出し話し合いをしようとしたり、その結果、加害者に「もうやめます」と言わせては、翌日また同じことが起こりまた問い詰める、といった行動を繰り返したり、教室中の生徒に無視されている担任教師に休み時間のたびに話しかけに行ったり、とにかく見えている範囲に理不尽な思いをしている人がいたらその人の味方をするために走った。そんなことがなんの足しにもならないということにだって薄々気がついていたけれど、なにもせずにいるよりは、少しは心持ちがましだった。思い出せないくらい昔から、寝ても覚めても、学校にいても家にいても、なにかに追われるような感覚が抜けず、なにをやってもだめだった。せめてなにかのために、せめて「やさしい」ことをしていないと、生きていること自体が許されないかのような強迫観念にかられていた。くたくたに疲れ果てていた。

 休日に出かけたショッピングモールで流れていた曲を好きだと思い、そっとCDを売り場で眺めているのをママに見つかると、

「ママと音楽の趣味合わないのね。そんなへんなの聴くようになったの?」

 と言われるので、すかさず、

「ぜんぜん好きじゃないよ。ママと趣味いっしょ!」

 と目尻を下げ、口角を上げて元気に聞こえる声色で答える。ママとパパが喧嘩して家中が殺伐としているときは、わざとコップをひっくり返してみんなで片付ける流れにしたり、テーブルの上に載った冷凍からあげを大袈裟においしがって食べたりした。それらのことをすべて、悲しいとか、居心地が悪いとか、そういったネガティブな感情を自覚するよりも前に行動に移していた。そして行動に移してしまったあとは、もう「悲しい」になろうとした気持ちは、白砂糖のように溶けてなくなっているのだった。

“自分がどうしたいか”を自分に問うことを、自分自身に許していなかった。常に、どうすれば「いい人」「わがままじゃない人」になれるのかだけを考えていた。それが芯を食う意味での「いい人」ではなく、とにかく今この目の前にいる人にとっての意味に過ぎないこともわかっていた。それでも、四六時中夢の中でさえ、いい人になるにはどうするべきなのか、自分に問い続けていた。いい人。やさしい人。わがままじゃなくて、マイペースでもなくて、他人のために生きられる人。目につく限り、思いつく限りを実行しても、今日もママは「わがままだもんね」と笑っている。笑われているのだから、足りないということなのだ。

 もっと、自分をすり潰さないといけない。その意識だけがいつも、わたしを突き動かしていた。

 中学で配られた進路調査票の第一希望に大真面目に「いい人」と書いた15歳の夏、学校に行けないままの姉が二階の”こども部屋”から激しい音を立てるのを、ママとふたりで聴いていた。

 勉強机にハサミを突き立て、何度も、何度も振り下ろす音だった。

 ママは恐れと嘲笑の混じったような歪んだ笑みで、

「あの音なんなんだろう? 怖いんだけど」

 と言いながらわたしの腕をさすっていた。

 ずいぶん前からのことで、これがなんなのかわからないということは、ママはしばらくこども部屋に入っていないということなのだろう。

 わたしは、半笑いで「こわーい」と言って腕にまとわりつくママをやさしく剝がして、階段をのぼった。コンコン、とこども部屋のドアをノックする。「ゆきちゃん&モモちゃん」と書かれた木製の、薄いピンクのプレートが揺れる。家の形になっていて、右端にハローキティが片手を上げて立っている。しばらく待つが、返事がない。

 音を立てないようになるべくなめらかな動きでドアノブをひねり、ドアを引いた。部屋の奥、わたしの勉強机と背中合わせになるように置かれた机の前に姉は座り、ハサミを強く握って机に突き立てていた。伸ばした前髪がかかって見えない顔のかわりに、薄いグレーのショートパンツから伸びたふとももに何重にも赤い線が引かれているのが見える。わたしより白く肉付きの良いももが切り込まれ、引き裂かれた谷から赤黒い血が流れ落ちる。血は、液体と固体のどちらでもあるように質量をぷるんとたたえている。ふくらはぎのほうまで流れていく途中でグミのように固まって止まってしまった赤い血が、こちらを見ている。

 小学六年生ではじめて生理が来たとき、赤黒いゼリーのようなものがトイレットペーパーについて、この感じならばママに言わなくてもごまかしきれるかもしれない、と目論んだことを思い出す。

 体育館で女子生徒だけを集めて行われた生理についての学習会でもらった、ロリエの薄緑色のナプキンを机の鍵つきの引き出しから出し、股をよく拭いてからショーツにつけてみた。ママに言わずとも、なんども拭きながらこのひとつのナプキンで乗り切ろうと思った。結局その日の夜のうちに、ショーツと布団に赤黒いシミをつくってばれてしまい、怒られたうえ、赤飯を炊くかどうか問われて青ざめたのだった。ああ血が水じゃなくて、すばやく固まるぬるっとしたへんな液体で助かると思ったのに、あんなに赤いからばれてしまう。透明だったらよかったし、アルコールランプの中身みたいに、こぼしたらすぐに揮発していってしまえばよかった。

 お姉ちゃん、そればれるよ。ばれて屈辱的な思いをするのは目に見えている。切るなら、机でも、皮膚でもなく、見えないものを切らないといけないんだ。わたしは隣にあるパパの寝室兼洗濯物干し部屋のようなところから、黒地でゆったりとした、ユニクロ製のスウェットパンツを持ってきて、姉に渡した。そして、そっと一階に降りて、ゴン様が約3分の1を占めている和室のタンスの上から救急箱を下ろし、消毒液と、ガーゼと、包帯を取って服の内側に丸めて隠した。リビングのママが、

「なにしてんのー?」

 と、呼びかけてくる。

 ちょっと、ささくれ切れちゃって、絆創膏! と答えて、そそくさと二階に戻る。

 階段をのぼるとき、視界がぐにゃりと歪んだ。頭から血の気が引いて、一度、足を止める。階段の途中にあるすりガラスの窓から、曇りの日の白い光がわずかに見える、窓辺に置かれた木製のネコの置物が目を細くして笑っている。姉のふとももに描かれた何本もの赤い線がフラッシュバックする。服の中に隠したマキロンがおなかあたりを冷やしている。ふいに鼻がつんと、頭の奥のほうから緑色の電流が先端に向かってかけめぐったようにしびれる、涙がこぼれ落ちてくる。ああ、泣くなんてなににもならないことにエネルギーを使うのって最悪、こんな暇があるならたったひとつでも、姉がふとももを切らなくてよくなるような魔法の言葉を探してくればいいのに。と、本気で思う、思えば思うほど涙がこぼれて、鼻をすする音がリビングで寝転がるママに聞こえないよう、つま先立ちでそっと、階段をのぼる。

 姉はさっきの姿勢のままハサミに体重をかけていた。わたしは両目と鼻の穴から液体を絶え間なく流しながら、おなかから消毒液とガーゼと包帯を取り出し、姉のふとももを消毒していく。涙か鼻水かどちらもなのか、生ぬるい透明の液体がふとももに落ちると同時に姉がわたしの顔に気がつき、きっと真っ黒だったであろう瞳に少しだけ光を入れ、動揺する。

「なんでモモちゃんが泣くの?」

 と、言っている途中でだんだんと、姉もようやく、泣き顔になる。

 わたしは、うう、ぐうう、と動物のような声で嗚咽しながら、消毒を続ける。流れ落ちたまま固まっている血を、ガーゼで押さえ、ぽろりと取れるまで軽くゆすった。

「お姉ちゃんが痛いとわたしも痛いから」

 出てきたのはそんなありふれた言葉で、その意味を姉はわかっていない顔をしていたし、消毒なんかしたってべつに傷の痛みは変わらない、結局は自分で治すしかないのだということもふたりともがわかっていて、治ってほしいと望んでいるのはわたしだけで、姉はこれが治りきる前にきっとまた新しい傷をつくるだろう。脳神経がちぎれそうだと思った。言葉を探しすぎて、見つからなくて苛立って生まれてこのかたずっと見つからない言葉に苛立っているわたしは、この家ではわがままでマイペースな妹で、ここでぼろぼろになっている、たった二年早く生まれただけのこどもは、やさしくて美人で人気者の、クラスの男の子たちからモテモテの姉だった。リビングからは韓国ドラマの大袈裟なサウンドトラックが漏れ聞こえてくる。机に突き刺さったままのハサミが、ぐらりと揺れて、倒れる。

「はるか」

 ようやく訪れた真夜中に、わたしは”彼女”に話しかける。

 彼女はわたしの世界に漂う、いちばん古い友達だった。張り裂けそうな夜ごとに、見上げる夜空とわたしのちょうど中間地点に現れて、ただ話を聞いた。

* * *

次回の更新は7月4日(火)17時です。お楽しみに!

この続きは、現在発売中の戸田真琴・著『そっちにいかないで』(太田出版・刊)でお読みいただけます。
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毒親との生活、AVデビューと引退…戸田真琴の私小説『そっちにいかないで』、本人による朗読音声を初公開

筆者について

とだ・まこと 文筆家・映画監督・元AV女優。2016年の活動開始から、本業と並行し文筆活動と映像制作を行う。監督作に映画『永遠が通り過ぎていく』、著書に『あなたの孤独は美しい』(竹書房)、『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』(角川書店)がある。2023年1月にAV女優業を引退。

  1. ゆうれいに恋
  2. セカンド19
  3. 君はすべてが正しい
  4. 「1965年 大学に入学した」社会人と大学生の両立、はじめてのデモ
『そっちにいかないで』試し読み記事
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