風情が蓄積される余白がないんじゃないか
橋本 ここ数年、那覇の市場界隈を取材している中でも、新しい名物が創出されるケースはいくつか見かけてきたんです。もちろん、どんな名物だって、あるとき創出された時期があるわけだから、一概に否定するつもりはないんですけど、あまりにも土地の風土とは脈絡のないものが創出されると、それはちょっとどうなんだろうと思ってしまうんですよね。『観光地ぶらり』のプロローグで、「すっかり観光地じゃんか」という友人の言葉を引用していて――それは武藤良子さんの言葉なんですけど――。
田中 たぶん武藤さんの言葉だろうなと思ってました(笑)。
橋本 日本全国を巡っていると、ああ、これは観光客をターゲットに考案された新しい名物なんだろうなというものを見かけることは多々あって、どこか鼻白んだ気持ちになってしまうんですよね。せっかくならその土地の人が普段から食べているものに触れたいなと思うから、いかにも観光客相手に生み出したものを見かけると、「すっかり観光地じゃんか」という言葉が頭をよぎってしまう。それに、観光地で見かける新しい名物グルメっぽいものって、どこか質感が似通っているんですよね。特にテイクアウトグルメは、コロッケと唐揚げと、写真映えするスイーツと――。そこにはもちろん、ある程度は地域性が織り込まれていて、たとえば瀬戸内であればレモンフレーバーが多いんですけど――。
田中 ほんとに、レモン製品増えましたね。このあたりでも見るたびに増えてます。
橋本 観光客が手を伸ばしやすいように、そういう地域性は織り交ぜてはあるんだけど、結局のところどこの商品も均質に見えてしまう。そうすると、どこを旅しても似たようなものを目にすることになって、面白くないなと思うんです。ただ――じゃあ、昔ながらの観光地にどこまで個性があったのかというと、考え込んでしまうところもあって。たとえば、『観光地ぶらり』の取材で、猪苗代湖の近くにあるドライブインに立ち寄っているんですけど、軒先には炭を囲むようにして団子が並べてあったんですよね。それに旅情を感じて、これは買わざるを得ないという気持ちになったんですけど、そうやって観光地で団子や煎餅を売っている景色というのもきっと、戦後のある時期に観光がブームになっていく時代に、それこそ全国各地に誕生したものだろうなと思うんです。
田中 こないだのゴールデンウイークに京都から帰省していた友達が、最近できたテイクアウトグルメのお店を見て、「あっ! 京都にも同じような店が出来てた!」と言っていたので、例えばその店の経営者は同じだとしても、何年も同じ商品を売り続けるのではなく、そのときの流行りのものに入れ替わっていくというのはあると思います。
橋本 それで言うと、しばらく前に、この近くにわらび餅のお店がオープンしてましたよね?
田中 ああ、わらび餅。もうちょっと賑やかなところにも、わらび餅を売るお店ができたせいなのか、そのあたりはわからないんですけど、少し前に閉店しました。このあたりって、オフシーズンになると暇過ぎて、「儲ける」という面からはそんなに良い場所ではないんです。これはどこの観光地にも言えることかもしれませんけど、オフシーズンになると全然人が歩かなくなるので、特に単価が安めで数を売るタイプの店だと、大変かもしれないですね。
橋本 今のお話を聞きながら考えていたのは、サイクルの問題もあるのかもしれないですね。1年単位で扱っている商品が入れ替わっていくと、全然古びていかないから、そこに風情を感じる余白が生まれづらいという。でも、旅先に風情を求めるというのも、ちょっと変なことだなと思うんですけどね。
田中 本のなかで書かれてましたけど、「風情がある」とか「味がある」とか、皆よく言いますよね。私もよく思うんです。だいぶ前ですけど山形に出かけたときに、冬の山の稜線が見えて、そこに葉っぱの落ちた木がワーッと並んでいて。
橋本 ああ、こっちだと、冬になると葉が落ちる木って、あんまり山で見かけないかもしれないですね。
田中 そうなんですよ。あまり見慣れない風景だったので、「ものすごく趣きがありますね」と言ったら、案内してくれた山形の人が「えっ、どのへんに趣きを感じるんですか?」と不思議そうにしておられて。なんと言っていいかわからないんですけど、でも、趣きを感じるんですよね。ここを通られる方も、よく「趣きがある」と言われるので、あの感覚ってなんだろうって、私もいつも思ってます。
橋本 『ドライブイン探訪』の取材をしていた頃に、コンビニとオートレストランの違いってなんだろうかってことを考えたんです。自動販売機がずらりと並んだオートレストランと、コンビニエンスストア。どちらも70年代にはピカピカの最先端の文化だったのに、オートレストランは今では「レトロ」と形容されるようになったのに対して、コンビニはまったく古びてなくて、この違いはどこからやってくるんだろう、と。それはきっと、コンビニに並んでいるものは常にアップデートされ続けて最新の状態を保っているけど、オートレストランに並んでいるものは70年代から変わっていないから、その時間の蓄積から風情が生まれているんだろうな、と。僕が今の観光地に違和感を抱いているのは、多くのお店が数年単位で入れ替わっていくような感じがあるから、そこに風情が蓄積される余白がないんじゃないかってことを心配しているんじゃないかって、今思いました。でも、何にしても、風情を求めるって不思議なことですね。
田中 西日本で生まれ育つと、東北の風土って全然違って、行っただけでちょっと風情を感じるんですよね。空気も違いますし。この夏は住まいのほうの引っ越しがあるんですけど、それが落ち着いたら、寒くなる前に秋田に行きたいなと思っているんです。その話を仙台の「火星の庭」の前野久美子さんにしたら、前野さんはたしか福島の出身なんですけど、「北東北と南東北ではまたぜんぜん違う気候風土だからね。北東北は広々として、水や空気が澄んだところ」だって言ってました。
橋本 そういう風土の違いを肌で感じるのも、旅の楽しみのひとつだと思うんですよね。ただ、そういう感覚も、時代とともに変わってきてるのかなという気もするんです。本のプロローグにも書きましたけど、浅草のビルに、ネオ居酒屋の横丁ができているんです。ギラギラしたネオンが輝いている、ちょっとレトロ調にあつらえた居酒屋が並んでいる横丁が。それを目の当たりにしたとき、いやいや、さすがにこれは流行らないだろうと思っていたんです。だって、浅草を歩けばいくらでも老舗の酒場があって、歴史を感じさせる佇まいのお店がいくらでもあるわけですよ。わざわざ浅草に足を運ぶ人が、レトロ調にあつらえたお店に入らないだろう、と。でも、オープンしてみたら意外とお客さんが入っている。それはきっと、僕が感じる風情とは別の何かを求めて旅に出る人が増えてるってことなんだろうなと思うんです。ただ、それならもう、テーマパークでいいんじゃないかとは言いたくなるんですけど。
田中 たぶんきっと、ファミリーレストランに行く安心感みたいなもので、そういうお店が流行るんでしょうね。でも、こういうところで店をやっていると、世の中全体から「どっか行かなきゃ」みたいなものを感じるんですよね。「せっかくの連休だから、どっか行かなきゃ」と。『観光地ぶらり』のなかでも、何人もの方が言われてますよね。「昔はゴールデンウィークだからってどこかに出かけるってこともなかった」って。それが今では、「連休だからどこか行かなきゃ!」となっている。うちの父親は三交代勤務で、しかも全然旅行好きじゃなかったんです。むしろ嫌いなくらいで。それでも「余暇」とか「レジャー」とかしきりに言われ始めた時代だったから、子どもをどこかに連れて行ってあげなきゃというので、海水浴とか動物園ぐらいは連れて行ってくれたんですよね。最近では、親御さんが土日に休めない場合などに配慮して、旅行のために学校を休むのもあり、というふうになってきているそうです。たしかに、サービス業だと土日はたいてい休めませんからね。
自分の生活に存在しなかったものに触れたとき、それを持ち帰って自分の生活に取り入れる
橋本 うちの実家は農家だったので、昔はゴールデンウィークあたりは忙しい時期だったから、旅行どころじゃなかったという話を母親がしてたんですよね。でも、そういう制約から多くの人が解き放たれて、いつでも旅行に行けるようになって――数日前に高松で『観光地ぶらり』の刊行記念トークイベントがあったんですけど、そこで「オーバーツーリズムの問題は今後どうなっていくと思いますか?」と尋ねられたんです。たぶんどうにもならないんじゃないかって、思っていることを率直に答えたんですけど、50年前であれば「休みの日はどこかに出かけなきゃ」って感覚がなかったところから、祝日の移動で連休も増えて、「どっか行かなきゃ」って多くの人が思うようになって。しかも、日本国内だけじゃなくて、世界中の人が移動を繰り返しているわけですよね。
田中 今は特に、「今のうちに日本へ行かなきゃ」という人が多いですよね。
橋本 もちろん、オーバーツーリズムによって生活に支障をきたしている状況に対して、行政はある程度対策を立てるべきだとは思うんです。ただ、旅行客が行き交うことに対して、行政がそれを制限するっていうのは、根本的には不可能だと思うんです。
田中 以前も、このあたりはインバウンドですごかったんです。週末になると、うちの店の中まで「道路」みたいになって。でも、ずっとこのままってことはないよなとぼんやり思っていたら、コロナが流行って。でも、行動が制限されることなんて、ああいうことが起こらない限り、ないですからね。
橋本 誰もが好きな土地に出かけていって、その土地の姿に触れられることって、大切なことだと思うんです。もしも行政が「旅行客の移動の自由を制限します」という時代がやってきたら、それはなかなか酷い時代だと思うんですよね。何を根拠に自由を制限できるのか、と。そう考えると、今のオーバーツーリズムと言われるような状況が根本的に改善される可能性はほとんどないんじゃないか。何かが改善される可能性があるとすれば、ありとあらゆる土地が観光地化することによって、ありとあらゆる人が「ああ、観光に来られる側になると、こういう気持ちになるのか」ってことを経験するってことだと思うんです。たとえば竹富島だと、レンタサイクルに乗った旅行客が、まるでテーマパークを巡っているかのようにして走り回っているんです。集落を走るときでも、結構なスピードで走り回っていて、そこに暮らしている誰かがいるだなんてことは想像していないんだと思うんですよね。でも、観光する側の視点しか経験していないと、そうなるのも仕方がないことだと思うんです。ただ、自分の暮らしているエリアに突然観光客が押し寄せると、観光に来られる側の感覚を理解できるようになる。そうやって誰もが観光客に押し寄せられることを経験するようになれば、今よりもっと穏やかな観光のありかたが実現できるんじゃないか、と。
田中 今は、突然どこかが流行ったりしますからね。ちょっと前に、山梨県だったかな、富士山が見えるところにローソンがあるらしいんです。そこでは富士山とローソンが一緒に撮れるというので、外国の人がバスで乗りつけたりもするそうで。そんなの誰も想像しないじゃないですか。私たちだったら、ローソンは避けて写しますけど、ただ、私は写真を撮るのも好きだから「撮りたい」って思う人の気持ちも、それもよくわかるんですけどね。ああいうのも、いちど火がつくと、我も我もとなりますからね。
橋本 これはさっきの「風情」の話とも近いんですけど、ここ倉敷も、それから竹富島も、伝統的な建築物が数多く残っていて、街並み保存が進められている土地ですよね。だから観光客で賑わう場所になっているわけですけど、昔ながらの建物を見物に行くっていうのも不思議な感覚だなと思うんですよね。大学時代の友人で、実家が昔ながらのお屋敷で、地元の観光ガイドに掲載されるぐらいの建物だったんですけど、その友人と話していたときに、「観光に来る人たちは、気軽に『風情があって良い』とか言うけど、じゃああなたが住んでみなさいよと言いたくなる」と言われたことがあって。
田中 まあ、不便ですからね。この建物も重要伝統的建造物に指定されているんですけど、暮らそうと思ったらかなり大変だと思います。
橋本 古い街並みを見物しに出かけるってことは、その観光客の大半は現代的な家に――わりと密閉性の高い環境に住んでいるんだと思うんですよね。
田中 そうそう、エアコンをつけたらちゃんと効くっていう。イタチにパンをとられたりしないし。
橋本 倉敷のことは結局原稿には書けなかったんですけど、倉敷をめぐりながら考えていたのは、そのあたりのことだったんです。昔ながらの暮らしが今も息づく土地を観光するっていうのは、一体どういうことなのか、と。倉敷の街並み保存に尽力した外村吉之介(とのむら・きちのすけ)という人は、いち早く竹富島を訪れた人でもありますけど、外村は倉敷民藝館の初代館長も務めているんですよね。それで、倉敷民藝館を見学したあと、民藝に触れるというのはどういうことなんだろうなとボンヤリ考えながら散策してたら、「融(とをる)民藝店」というお店を見かけて、立ち寄ったんです。そこにガラスの酒器があって、気に入って購入したんですけど、「ああ、こういうことか」と思ったんですよね。つまり、自分が暮らしているのとは違う土地を訪ねて、自分の生活のなかには存在しなかったものに触れたときに、それを持ち帰って自分の生活のなかに取り入れていく――観光にはそういう効能もあるのかもしれないな、と。
田中 たしかに、お土産ってそういう面が強いですよね、きっと。
橋本 そういう意味では、僕が倉敷を訪れるよりも、竹富島に暮らしている人が倉敷を訪れるほうが、発見がたくさんあると思うんですよね。「ああ、この土地だと、こういう問題に対して、こういう対策を立てているのか」という発見がある。密閉性の高いマンションに暮らしていたら、どうしても自分の生活に持ち帰れるものには限りがあって、モノを買って帰るくらいしかできないんですよね。
コーヒーをお湯で薄める
橋本 いつだったか、コーヒーを淹れてくださったときに、「今日はちょっと濃く淹れすぎたかもしれないので、濃いようだったらお湯を入れますから」と言ってくれたことがあって。その言葉は結構新鮮だったんですよね。ああ、濃ければお湯で薄めればいいのか、って。僕も普段から自宅でコーヒーを淹れてるんですけど、そういう発想がなかったんです。
田中 最後のほうは出がらしみたいなものだから、適当なところで引き上げてお湯を足すほうがおいしいって、オオヤミノルさんが言っていたんです。あと、豆も「挽きたてでなくては」というふうに思っていましたけど、そんなことはなくて、数時間たったほうがいいくらい、と聞いて。だから、それからは時間のあるときに挽いておいて、ちょっとしてから淹れるようになりました。そのほうがらくだし。
橋本 倉敷のことを書くつもりで倉敷をめぐったのに、原稿に書けなかったというのは、「観光地をテーマに原稿を書くなら、一回あたりそれなりのボリュームで、読んだ人がズシンとくるぐらいの塊を描かないと厳しいんじゃないか」という気持ちがあったからなんです。ただ、本が出たあとになってみると、コーヒーに喩えるなら、ちょっと濃く淹れすぎたかもっていう気持ちになっているところもあって。この濃さだと、飲み干すまでにかなり時間がかかってしまうんじゃないか、と。本というのも読んでもらえないと意味がないので、もうちょっとさらりとした口当たりのほうが、読んでもらいやすいんじゃないかってことも考えたんです。
田中 本は、ほんとにそのへん難しいですよね。私の三部作(WAVE出版から刊行された『苔とあるく』、『亀のひみつ』、『星とくらす』)のなかだと、『星』がいちばん、専門的な内容としては軽いものなんです。入門書の、さらに一歩手前にあるエッセイふうのもので。でも、あるとき若い男の人が訪ねて来られて、その人は大阪で小学校の先生をされている人だったんです。小学校って、ひとりで全教科を教えるじゃないですか。その人は国語が専門なんですけど、天体のことを子どもたちに教えなきゃいけないのに、自分でもよくわからなくて、うまく教えられなかったらしいんです。入門書とされているものを読んでも難しくて、理解できずにいたけど、この本を読んだらわかったんですよ、って。それでわざわざお礼を言いに来てくださって、ああ、書いてよかったと思ったんです。だから、ほんとに、色々ですよね。
橋本 そうなんですよね。さらっとした内容になり過ぎても、人によっては「もっとたっぷり読みたかった」となるかもしれないですし。それに、同じ人が読んでも、時期によって感想は違うでしょうしね。
田中 まあでも、私としては、橋本さんにはこれぐらい書いてほしいですけどね。だって、他の人はこんなことまでやってくれませんし、書いてくれないですよ。私はここでじいっとしてるから、余計にそう思います。ここ10年ぐらいは、家庭の事情で、私にしては移動が多かったんですけど、今年に入ってからはそれもほとんどなくなって。そうすると、やっぱりここにいるのが性に合ってるなーって、すごく思うんですよ。だから、なおさら読んで面白かったです。
<了>
筆者について
はしもと・ともふみ。1982年東広島市生まれ。物書き。著書に『ドライブイン探訪』(ちくま文庫)、『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場の人々』、『東京の古本屋』、『そして市場は続く 那覇の小さな街をたずねて』(以上、本の雑誌社)、『水納島再訪』(講談社)がある。(撮影=河内彩)