“呑む文筆家”山内聖子さん、『酒のほそ道』のラズウェル細木先生と、近年ハマっている西武池袋線・新宿線沿線のなかで、今回はまだじっくりと飲んだことがない街「上井草」で飲むことになった。5分くらいうろつけばひととおり把握できてしまう駅前エリアで、老舗の雰囲気漂う「やしん坊」という店に吸い寄せられるように入っていったラズ先生の行動に、山内さんとあとへと続いた。
初の紀行エッセイ集『日本酒呑んで旅ゆけば』を上梓されたばかりの“呑む文筆家”こと山内聖子さん、漫画『酒のほそ道』の作者、ラズウェル細木先生、そして僕という、アルコール度数高めのメンバーで飲む機会があった。
ラズ先生と僕は近年、西武池袋線および新宿線沿線で飲むことにハマっており、山内さんもそちら方面に興味があると言う。そこで、まだじっくりと飲んだことがない街、新宿線の「上井草」を今回の舞台とした。
夕方、アニメーション製作会社の「サンライズ」がある縁で南口駅前に立つ、ガンダムの銅像前で待ち合わせる。さてどこに行こうか? といっても、失礼ながらそんなに栄えているほうではなく、上りと下りのホームをつなぐ階段すらもないような牧歌的な街だ。店の絶対数は多くない。5分くらいうろつけば、駅前エリアはひととおり把握できてしまう。
そのなかで、老舗の雰囲気漂う「やしん坊」という店の前を通りかかると、ラズ先生が「ここ、はるか昔に一度行ったなぁ〜」と、扉をがらりと開ける。こういう街飲みの場合、たいていは「ここに入ってみる?」「そうしましょう」などというやりとりがあるものだが、珍しく店に吸い寄せられるように入っていったラズ先生の行動に、山内さんと少し笑い合い、あとへと続いた。するとそこには、もうパーフェクトとしか言えない空間が広がっていた。
歴史を感じる店内は、カウンター数席の他はすべて座敷。といっても、テーブル4つとそう広くはなく、びっしり隙間なく並べられた座布団の感じもあいまって、なんとも落ち着く空間だ。座布団の上では、整った顔の猫ちゃんが1匹毛づくろいをしていた。ところが我々が席に着くと、それが接客モードなのか、床に降りて行儀良くちょこんと座りなおす。せっかくのリラックスタイムを邪魔してしまったことが申し訳なくも、かわいい。
壁を埋めつくす短冊メニューのなかでも、圧巻は日本酒の品ぞろえで、ご主人の出身地であるという新潟の地酒が、数えたところ40種類並んでいる。「雪中梅」「越乃寒梅」「八海山」など、1杯500円(税込)のものから、「久保田萬寿 大吟醸」1500円や、「亀の翁」2000円なんてものまで。同席のおふたりは大の日本酒好きだから、さっそく話が弾んでいる。
さらに驚いたのが、その周囲に数えきれないほどに貼られた、手書きの貼り紙。そこには常連さんらしき名前とともに「祝! 日本酒制覇 〇〇年〇月〇日」などと書かれていて、なかには2週目、3週目の人もいる。つまり、それだけの人がここの日本酒を全種類飲んだということだ。自分には絶対無理だと気が遠くなるとともに、ものすごく多くの人々に愛されている店なんだなと、畏敬の念を抱く。
料理は、看板の店名の横に書いてあった「馬さし」がいちばんの名物らしい。他に刺身系や「もつ煮込み」「肉豆腐」などの定番メニュー、そこにちらほらと「ゴーヤーチャンプルー」「豆腐よう」「スクガラス」などの沖縄系メニューが混ざる。見れば壁の一角に三線がかかっていたりして、店主は大の沖縄好きらしく、新潟とのハイブリッド感が楽しい。
1杯目は「生ビール」(600円)で乾杯し、やっぱり「馬さし」(680円)は頼んでおきたい。加えて、どんなものか気になった「白菜ステエキ」(500円)と「うめ星たたき」(450円)も。
さっそくやってきた馬さしは、四角く厚めに切られたものが8切れも皿にのっている。見事なサシが斜めに入り、見るからに上質なものだ。ひと口食べると、解凍直後のためか一瞬ひやっとし、それから口のなかでもわんと、独特の旨味と香りが広がり、たまらない。これで680円はお手頃すぎるな……。
2杯目以降は当然、思い思いの日本酒。といっても僕はほとんどわからないので、名前のかっこよさで「髙龗(こうりゅう)」(650円)を選んでみた。「扁平精米」という、米を全体的にでなく、厚さ方向を削ることで効率的にタンパク質を除去する精米法で作られた酒らしい。そのあたりの解説は、聞けば詳しい山内さんがなんでも答えてくれるのが、今夜はぜいたくだ。その効果のほどを僕が感じとれるはずもないが、しっかりと旨味があってキレのいい、うまい酒だ。これは絶対に合わせたいと、馬さしをもうひと切れ口に運ぶと、時間の経過によっていい感じに溶けた肉が、さっきよりも一段ととろける。そこにすかさず日本酒。こんな幸せがあっていいのだろうか……。
謎の白菜ステエキは、鉄板の上で玉子でとじられ、かつお節と紅しょうががのる、ぱっと見はとんぺい焼きのような見た目。食べてみると、白菜は浅漬けらしく、ふんわりとバターが香り、それをとろりと玉子が包み込むおもしろい美味しさだ。あとから調べてみたら、飛騨地方に古くから伝わる「漬物ステーキ」というメニューに近い。この店、岐阜の要素まであったのか。
うめ星たたきは、梅肉と大葉を包丁でたたいてあって、きゅうりの千切りとともに海苔で巻くつまみ。明日にでも家でまねしたいと全員に大好評だった。
壁にほんのりと色あせた「46周年開店セール」の張り紙があり、その反対側にはもう少し新しく見える「47周年開店セール」。少なくともそれ以上は営業を続けてきた老舗ということだ。ご主人には看板猫ちゃんとともに、末長くお店を続けてほしい。僕もいつか日本酒制覇、できるかな……?
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『酒場と生活』次回第8回は2024年9月19日公開予定です。
筆者について
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。酒好きが高じ、2000年代より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター、スズキナオとのユニット「酒の穴」名義をはじめ、共著も多数。