おしまい定期便
第18回

大谷だってこわい

暮らし

大自然に囲まれ、娯楽も何もない“おしまいの地”に生まれ育ったこだまさん。そんな”おしまいの地”から不定期に届くこだまさんから読者のみなさんへのお便りを掲載します。

今回は、腕の手術を「大谷じゃあるまいし!」と拒否するお母さんのお話。

 春先に母が一月ほど入院した。片方の腕が上がらなくなり、物も持てなくなっていた。肩腱板断裂と診断され、手術が必要だという。肩甲骨と上腕骨をつなぐ腱板が切れてしまったらしい。加齢で肩が弱っていたところに、畑仕事や庭木の剪定などで無理をしたのがよくなかったようだ。湿布を貼れば治ると思い込んでいた母は、病院から帰るなり熱弁した。

「肩の手術だなんて大袈裟なんだよ。大谷じゃあるまいし」
「でも痛いんでしょ? 手術したほうがいいよ」
「痛いのなんて平気だし。私は手術しない」

 腱板の切れた右腕をぶらぶらさせながら母は抵抗した。平気と言いつつ、利き手がほぼ使えなくなり、左手でスプーンを握ってご飯を食べるような生活を送っていた。

「自然には治らないって言われたんでしょ。右手ずっと使えないよ」
「だからあ! 手術なんてしなくていいのっ! 大谷じゃあるまいし!」

 よほど気に入っているのか、肩の手術といえば大谷みたいなフレーズを使ってくる。頑なに拒否するのでその日はもう治療の話をやめた。部屋に干してある洗濯物がしわくちゃだった。お椀に味噌汁をうまく注げず、コンロのまわりに飛び散っていた。車の運転もできなくなった。集落に一軒だけのスーパーに徒歩で通っている。日常に支障が出まくっている。

 頑固くそ老人が。帰り道、母への怒りが込み上げる。病院に行く前は「痛い痛い」と騒いでいたのに、手術と聞いた途端「痛くない」と平静を装い始めた。なんてわかりやすい人だろう。

 大谷じゃあるまいし。そう母は言ったが、検索すると別に珍しい症状ではなかった。加齢による腱板の擦り減りや外傷、酷使などが原因で、母のように大きく裂けている人は手術をするのが一般的らしい。大袈裟に騒いでいるのは母のほうだった。

 母は昔から独特な言語を使いこなす人だった。私は子供の頃、下着を二、三枚しか持っておらず同じものを繰り返し使っていた。いつもよれよれで恥ずかしかった。「身体測定があるから新しいのを買ってほしい」と頼んだときにも同じようなフレーズが発動した。「お姫様じゃあるまいし」。いや、お姫様じゃなくてもパンツ四枚くらい普通に持ってるだろ。どこの国の基準だよ。疑問だらけだったが、その手の返しをする母に何を言っても無駄だとあきらめる癖がついていた。こちらが間違っているような気持ちになってくるから不思議だ。

 妹はよく物を失くした。「お母さん、私のヘアバンド知らない?」と尋ねると、「お母さんはヘアバンドの見張り番じゃないっ」と決まって激怒するのだった。なぜかヘアバンドを失くすことが多く、日常的に「ヘアバンドの見張り番」という我が家でしか聞いたことのないフレーズを何度も聞かされた。ヘアバンドの見張り番。そんなものはない。母がぶち切れたときだけ現れる架空の役人だった。「ヘアバンド」の部分は、国語の教科書やジャージや手袋などに置き替わる。使い勝手がよい。そういった母の謎の決め台詞によって、うやむやにされたり、自分でなんとかするしかないと思い直したりした。もう過ぎたことだから笑い話になっているが、とことん子の話を聞かない親だった。

 手術を渋る母を目の当たりにし、在りし日の父とのやりとりを思い出した。何度目かのがんの手術を控え、病院への送迎を頼まれた日のことだった。実家に迎えに行くと、父はパジャマのまま寝転んで悠長に野球を観ていた。

「病院に間に合わないよ。早く着替えて」
「めんどくせえ。もう手術しなくていい」
「手術するって決めたのは自分でしょ」
「だるい。行かない」

 直前になって駄々をこねるなんて子供みたいだと思った。決められた時間までに連れていかなければいけない。私はその役目を果たすことで頭がいっぱいだった。だけど、いま振り返ると何度目であっても手術に慣れることなんてない。怖かったのだと思う。どうなるかわからない。不安だ。よくなる未来が見えない。そう言葉にすることができず、面倒くさそうな態度で抵抗するのが精いっぱいだったのだろう。

 冷静さを取り戻した母に「手術、怖い?」と聞いてみた。「そりゃあ怖いさ。入院なんてあんたたちを産んだとき以来だからね」と素直に答えた。母は大きな病気をせずに七十代まで生きてきた。父の手術に付き添ったり、説明を受けたりする機会はあっても、いざ自分がその立場になるとひるんでしまう。それは自然なことなのかもしれない。「肩にメスを入れて中をいじくるなんてさ、大谷だって怖かったと思うよ」と、やはりここでも大谷を引き合いに出すのを忘れなかった。

「あんただって手術は怖かったでしょ?」と母に聞かれた。私は以前、関節がズレた首にボルトを入れ、骨盤から骨を削って移植するという身体の二ヶ所を開く手術をした。数ヶ月前から首に激痛が走り、横になることもできず、壁の隅にもたれて眠る日が続いた。こくんと舟を漕いだ拍子に言いようのない痛みに襲われるため、その姿勢も安心できず、こんな生活が続くくらいなら手術をして早く楽になりたかった。どうだろう。あのとき私は怖かったのか。日記に不安を綴ることはあっても、まわりの人に吐き出したり態度に表したりすることはなかった。生死を左右するほどでもない手術にびびってると思われたくなかった。「別に。普通だけど」と何でもない顔を貫いていた気がする。こういうところは父に似ていると思う。私は自分の気持ちを隠しすぎて何が本当かわからなくなっている。

 手術に同意してからの母は開き直ったように手際よく荷物の準備を始めた。入院のしおりを読みながら「持ち物表にドライヤーが載ってないんだけど病院にあるってことかしら。電話して聞いてみなきゃ」と言う。「一応持っていけばいいんじゃない。必要なかったら私が持ち帰るよ。病院の人は忙しいんだからそんなことで電話しないで」と忠告したにもかかわらず、母は即電話をかけた。ぜんぜん人の話を聞きやしない。尋ねてみたものの「病棟の備品まではわからない」と言われたらしく母は憤慨した。その数分後「箸やスプーンも持ち物表に載ってない。これも聞いてみなきゃ」とスマホを手に取った。「迷ったら持っていけばいいでしょ。それくらいで電話するのやめて。迷惑だから」と制止したが、私の隙を見て電話をかけ、再び「わからない」という返事をもらった。電話を切ったあと「わからないってどういうことなの。わからないならまわりに聞けばいいでしょうが」と怒りを爆発させた。確かにその通りだが、頼むからもう電話をしないでほしい。そのような調子で一月前から入念に荷造りをしていた母だったが、入院したその日に「スマホの充電器と上着と薬を忘れたから届けてほしい」と連絡があった。なぜ人に厳しくいられるのか不思議でならない。

 あんなに怖がっていた手術は「目が覚めたら終わっていた。なんにも痛くない」と、けろっとしていた。リハビリの担当者を「ハンサムな若者」と言い、「あの人の手はいつも温かくてマッサージしてもらうと気持ちいいんだ。心も温かいんだよ」と薄気味悪くなるような浮かれ具合だった。病棟で同じ年頃の患者と仲良くなり、自宅にいるよりも楽しそうだった。なんだかんだ言っても最終的には順応している。それが母という人だ。私にも似たような部分がある。無理せず楽しくいる母と、せっかくなら「楽しかった」で終わりたい、それが無理ならネタにしたい、嫌な思い出で終わらせたくない。そう思う私とは根本が違うのかもしれないけれど。

 最近、母に「あんた、どんどん山のばばに似てきた」と、しみじみ言われた。山のばばとは母方の祖母である。同居していた父方の祖母は普通に「おばあちゃん」、農業を営んでいた母方の祖父母は「山のじじ」「山のばば」と呼び分けていた。

 首から背中にかけての形がよく似ているという。私は猫背で、肩が内側に入り込んでいる「巻き肩」。首がひょっこり前に出ている。姿勢が悪い。首と胴が長い。確かに山のばばもそうだったかもしれない。

 私は走るのが好きだった。小学生の頃は陸上の地方大会で上位に入っていた。私の走る姿を見た母が「フォームが山のばばと一緒。山のばばも大股走りだった」と笑った。当時はそれを悪口だと思っていた。老人と同じ走り方だなんて馬鹿にしている。変な格好なのだろう、と。

 あるとき地域の運動会で山のばばが若めのばあさんたちをぐんぐん引き離して独走するのを見た。そもそも老人が全力で走っている時点で面白いのに、ぶっちぎりで足の速い老婆がいるのだ。そんな特技を隠し持っていたなんて知らず、私は笑い転げた。

「面白いばあちゃんだったよね」
「山のじじの葬儀でけらけら笑ってるような変わり者だよ」

 私もそうなるのだろうか。かなり前に亡くなった山のばばのことを久しぶりに思い出し、日の暮れかけた誰もいない田舎道を全力で走った。首や手は病んで変形しているけれど足は無事みたいだ。楽しくなって家のまわりを何周も走った。身体が軽かった。ふらっと外に出たので花柄の短パンに花柄のシャツというめちゃくちゃな格好だった。全力で走り回る上下花柄の中高年。山のばばにまた一歩近付いたような清々しい春の夕暮れだった。

筆者について

こだま

エッセイスト、作家。デビュー作『夫のちんぽが入らない』でYahoo!検索大賞を2年連続で受賞(第3回、第4回)、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。ほか『いまだ、おしまいの地』、『縁もゆかりもあったのだ』など。

  1. 第1回 : 父の終活
  2. 第2回 : 直角くん
  3. 第3回 : あの時の私です
  4. 第4回 : ぺら草
  5. 第5回 : ほのぼの喫茶店
  6. 第6回 : 私の特殊能力
  7. 第7回 : せいちゃんの下北沢
  8. 第8回 : 父と母の文明開化
  9. 第8回 : 新規ファンの斉藤
  10. 第9回 : 新規ファン斉藤、再び
  11. 第10回 : 祖父母の銭湯を求めて
  12. 第11回 : 春の副産物
  13. 第12回 : 一周忌という名の祭典
  14. 第13回 : ルンバ地獄とケチおじさん
  15. 第14回 : 私はどこにでも行ける
  16. 第15回 : あの光のひとつ
  17. 第16回 : それぞれの五十年
  18. 第17回 : おしまいの地でやり直す
  19. 第18回 : 大谷だってこわい
連載「おしまい定期便」
  1. 第1回 : 父の終活
  2. 第2回 : 直角くん
  3. 第3回 : あの時の私です
  4. 第4回 : ぺら草
  5. 第5回 : ほのぼの喫茶店
  6. 第6回 : 私の特殊能力
  7. 第7回 : せいちゃんの下北沢
  8. 第8回 : 父と母の文明開化
  9. 第8回 : 新規ファンの斉藤
  10. 第9回 : 新規ファン斉藤、再び
  11. 第10回 : 祖父母の銭湯を求めて
  12. 第11回 : 春の副産物
  13. 第12回 : 一周忌という名の祭典
  14. 第13回 : ルンバ地獄とケチおじさん
  15. 第14回 : 私はどこにでも行ける
  16. 第15回 : あの光のひとつ
  17. 第16回 : それぞれの五十年
  18. 第17回 : おしまいの地でやり直す
  19. 第18回 : 大谷だってこわい
  20. 連載「おしまい定期便」記事一覧
関連商品